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「無敵ロボトライダーG7」第六話における三重子先生の言動が一から十まで気に喰わない理由

一言で言えば、「自分の頭の中にあるイメージだけで児童を断じている」からです。
まず、彼女がワッ太に仕事をやめさせたい理由からしてそうです。
「社会の授業中、『人は何故働くか』ということを取り上げた。
他の子どもは『社会の役に立ちたい』など、夢のあることを言っていたにもかかわらず、
ワッ太だけが『生きていくため、働かないと喰っていけない』と発言した。
あまりに現実的過ぎだ。歪んだ性格になるのじゃないか心配だ。
子どもの時から大人の社会にいるのはよくない。
子どもらしい夢を持った子になって欲しい。」
もう、論外です。
まず、自分の家庭状況から来るワッ太の発言が、
他の子にも「働くとは」ということを深く考えさせることができる格好の教材になりうるにもかかわらず、
それをただの自分の好き嫌いでジャッジしています。
だいいち、彼女の言う「子どもらしい夢」というこの言葉が一番胡散臭いです。
それは、「子どもとはこうあるべきだ」という自分の妄想の押し付けをその裏に感じさせます。
確かに、「子どもらしい」ということが「かわいい」「無邪気」「罪がない」という言葉と同意義で使われるように、「子どもらしさ」とは「未成熟」の産物です。
それを大人が愛でるのは勝手です。勝手にかわいいかわいい言ってろ、そう思います。
ですが、そのような考えに当てはまらない人間を「子どもらしくない」と言って断じてどうするんでしょう。
一人の子どもにすら、様々なものが渦巻いています。
純真さも、どす黒さも、残酷さも、やさしさも。
この三重子先生の発言は、どうもその子どもの「かわいらしい」面を重視しすぎな感があります。
それは、一般人ならともかく、教育公務員がやることではないでしょう。
教師を、特に担任をやっているなら、それぞれの子どもが抱えている問題を向き合わざるを得ません。
それは時に胃をぎりぎりさせるような事実であったり、泣いても状況が変わらないような絶望だったりします(特に児童虐待関連は)。
そういう問題にあたっていく時に、教師は常に冷静でまっすぐな目で問題を見ることが要求されます。
その観点で言うなら、もしワッ太の就業をやめさせるなら
「学校で授業を受けた後に仕事に向かうなど、小学生にはあまりにオーバーワークだ。
また、トライダーでの戦闘は最悪彼の死にもつながりかねない。そのような危険は許容出来ない。
彼の心身にかける負担を考えると、就業は控えさせるべきだ」
そういう論が出てくると思われます。
これならまだ理解できます(実際OPの歌でも「今日も学校6時間、さらに残業6時間」と歌われており、実働12時間となれば…)。
ですが、彼女は、自分の中にある「子どもらしい」イメージにワッ太が合致しなかったから、それを変えようとしている。
ワッ太自身がどうかを見ないで!
例えば、ワッ太がくすんだ表情してるとか、クラスメートに暴言を吐いたり攻撃的になったとか、居眠りばかりしていて授業に参加できていないとか、
そのような「仕事による明らかな弊害」が見られたなら、まだ解ります。
ですが、ワッ太はクラスで明るくげらげら笑い、アキラやシンキチと楽しくやり、快活に毎日過ごしています。
この姿を見て、どうして「歪んだ人間になるのでは…」とかいうのでしょうか。
また、彼女はワッ太を呼んで話をした際、なんと本人に向かってすら
「このままじゃ歪んだ人間になるんじゃないかと心配」と抜かしています!
そういうことを本人に言う、その考えが信じられません。独善的で、自分の考えが正しいと信じているからそんなことができるのでしょう。

こういうタイプの、「子どもらしさ」を妄信している人は教師として的確性疑います
何故なら、「子どもらしくない」「かわいくない」子どもを見たとき、その対処が出来るか疑わしいからです。
子どもは「かわいい」から、だけで教師やっていられるはずもありません。

というわけで、私はこの三重子先生の言動が気に喰いません。
実際の生徒を観察せず、自分のイメージで物事を断じる、的確な指導ができていない彼女が嫌いなのです。