ドイツ語アルファベットで30のお題
〜マジンガー三悪編〜


"F"--der Feind(敵)





白光。
暗黒。
無音。
その順で、最期の時は訪れた。




それで、終わりだと…俺は、こころの底から信じきっていた。




目覚めた俺は、混乱の極地にあった。
「目覚めた」、それだけでも十分おかしなことだった。
俺は、確か…戦場で爆撃を受けて、そのまま意識を失ったはずだ。
あれだけのひどい爆撃なら、俺は死んでいないとおかしいくらいなのに。
…眼前には、リノリウムの床を踏みしめて立ち尽くす、軍服姿の男の身体がある。
だが―その身体には、首から上がなかった。
それを見つめる俺の視線。
俺の視線は、少し下からなめ上げるように、立ち尽くすそれを見つめている。
心臓が、嫌な鼓動の打ち方をした。
こんなことがあるのか、こんなことがあってたまるものか。
いや、だが、ああ、どうして、しかし―
何故、俺の首が、俺の首が、…身体から離れているのだ?!
俺は、腕を動かそうとした。
そのとおりに動く―首なしの胴体が、操り人形のように。
俺は、足を一歩踏み出そうとした。
そのとおりに動く―首なしの胴体が、操り人形のように。
操り人形のように、俺の意図したとおりに。
ああ、何てことだ…!
目の前にある、俺の軍服を着た、首から上がない肉体―
これは、紛れもない俺の身体なのだ!
だが、にもかかわらず…何故俺は、俺の目は、俺の身体を…こんな真正面から見つめているのだ?!
「…!」
そして、動転した思考がせわしく行きかう、俺の頭。
俺の頭は、俺の身体と向かい合うように在る…それは、絶対にありえない体勢!
俺の頭は…身体からちぎりとられた俺の首は、それだけで、それだけで生きている!
(そうでなくては、今こうやって考えることすら出来まい!)
「う…うあ、…ッ!」
呼吸が我知らず速くなる。頬を、冷たい汗が一筋伝っていく。
歯ががちがちと硬い音を立てている。俺は恐怖している。
恐怖している―この、馬鹿げたホラー映画のような状況に。
この姿に。この感覚に。
…それでも生きている、自分自身に!
「…?!」
その時だった。
俺は、何かが蠢く気配を感じ取った。
その気配は、俺の頭脳を―罪人のように、断たれた首―すぐさまに混乱から引き戻した。
ともあれ、俺は振り向く。その気配の在る方向に。
すると…俺の気配を感じ取ったのか、向こうから直々に声がかかってきた。
「目覚めたか、ミヒャエル・ブロッケン大佐」
「…!」
薄暗闇の中、何かが揺らめいた。
目を凝らす―すると、そこには人の姿があった。
真っ白い蓬髪、同じく真っ白い髭。
そこにいたのは、白衣をまとった老人だった。
だが、何としたことか…老いているにもかかわらず、その瞳だけがらんらんと輝いている。
異様なまでのきらめきを帯びて。
「…あなたは」
「わしの名は、ヘル。ドクターヘルだ」
「…」
「…ふむ、どうやら調整までうまくいったようじゃな。
ブロッケン大佐、身体の具合はどうだ?」
しわがれた声が、俺の耳をひっかいていく。
…察するに、彼が…俺をこのような姿に変えた、張本人らしかった。
「…これは、あなたの仕業なのか、ドクターヘル」
「そうじゃ」
事も無げに肯定したドクターの言葉に、むしろ拍子抜けすらした。
「爆撃で首がちぎれとんだお前をサイボーグ化するのは、なかなかに骨じゃったよ。
もっと感謝してもらいたいものだがのう」
「…」
極めてあっさりと語るドクター…
その言い草は、まるで浜辺で戯れに砂の城でも作ったかのようだ。
だが、首がちぎれとんだ人間を、こんな風に機械仕掛けでもっていきかえらせるとは…
「ドクターヘル」と名乗ったこの老科学者は、その見かけとは裏腹に…すさまじい才能と技術の持ち主であるらしい。
「…ここは何処だ、ドクターヘル」
「ここはわしの研究所じゃ…なあに、心配することはない。確かに連合軍の管理下におかれてはいるが、奴らはこの階までは入ってこれん」
「?!…何ッ?!連合軍…?!」
「!…そうか、お前は知らんはずだの。…見ろ」
不意に彼の口から出た、「敵」の名は…俺を驚かせるには十分すぎるほどだった。
だが、ドクターヘルは、至極つまらぬ、というような顔で、俺に新聞を一部差し出してきた。
受け取った新聞の第一面は、新政府が成し遂げた政策について報じていた。
連合軍、敵方の軍隊が主導した結果生まれた新政府の…
それは、つまり…自分の所属していた軍、それに連なる旧政府の敗北と消滅そのものだ。
俺が「死んで」いた間に、全ての状況は変わってしまっていたのだ。
「…」
自分でも驚くほどに、その事実を平静に受け止められた。
いや、むしろ、「ああ、そうだろうなあ」という、それは安堵めいた確信だった―
あのような狂気が、いつまでも大手をふってまかり通るはずもない。
内部から組織がぐずぐずと砕けていくのを、俺は何も思わずにただ見ていた…
「やれやれ、じゃよ。人間兵器としてお前をよみがえらせろ、と奴らに命じられたわけじゃが…
奴ら、あっさりと敗けおってのう。あっけなく、実にあっけなく戦争は終わったもんじゃった」
「…」
「ブロッケン大佐。つまり…お前さんの存在価値も、もはやない、というわけだ」
「…ふん」
皮肉げに放たれたそのセリフを、俺はただ笑い飛ばした。
しかし、それを気に留めるでもなく…彼は、なおも言葉を継ぐ。
「だがのう、ミヒャエル・ブロッケン大佐…わしに恩を返すつもりで、やってもらいたいことがある」
「…頼みもしないのに、随分恩着せがましいことだな」
「ふん、事実じゃろう?」
「…俺に、何をやれと言うんだ?」
「お前には」
にたり、と気色悪く、老爺が笑んだ―
「お前には、わしの部下となり…この世界を、『一度』滅ぼす手伝いをしてほしいのだ」
あまりにふざけた、その言葉。
俺の思考は、その唐突で常識はずれなセリフを受け止めきれずに混乱した。
「な…?!」
「この、薄汚れて矛盾だらけの世界を、一度滅ぼして。わしらのモノに作り変えるのだ」
「ど…ドクターヘル、正気なのか?!」
「ああ、わしは正気じゃよ」
問い返す俺に、また…にたり、と笑んで答える。
その笑顔の中で光る瞳は、やはりらんらんと輝いていて―彼が、真剣にこの狂気じみた企みを口にしていることを、明確に示していた。
自分でしゃべっていることに自分で興奮を呼び覚まされているのか、だんだんとその声色が異常な気迫と情熱を帯びていく。
「無能な馬鹿どものせいで、世界は過ちばかりを犯しておる。
…わしのような、天才が。わしのような天才が、この世界には必要なのだ!」
「…」
「この世界は、天才の頭脳をもってして治められるべきなのだ!
愚か者どもを屈服させ、わしの力を見せ付けてやる!そして、全てはこのドクターヘルのもとにひれふすべきなのだ!」
「…」
「ブロッケン大佐よ。お前は、わしの力によって再びいのちを得た。ならばそのいのち、わしのために捧げるがいい!」
「…」
俺は、目の前で繰り広げられる老人のとうとうとした、そしてイカれた演説を、呆けたように聞いていた。
…と、そんな俺の様子を見たドクターヘル…彼の表情に、多少変化が生まれた。
底意地の悪い、勝ち誇ったような、そんな表情。
「…どうした、ブロッケン大佐よ…まさか、」
その表情のまま、彼はわざとらしい口調でこう言った―
「まさか、お前…そんな姿で、のうのうと社会に舞い戻れるとでも思っておるのかね?」
「…!」
そのセリフで、俺は悟った。
この趣味の悪い、胸糞の悪い、異様な―今の俺の身体。
それは何もこの男の趣味ではなく…「実益」を兼ねていた、ということに。
こみ上げてきた怒りに任せるまま、俺は老人をにらみつける。射殺せそうなほどに、憎悪をこめて。
だが、齢を経た悪魔は、しれっとして…半笑いを浮かべたまま、いけしゃあしゃあとしている。
「…貴様、」
「ふん、それに、ブロッケン大佐…お前は、かつてより高名な『鬼将校』であったらしいではないか。
情け容赦なく人を殺す、冷酷無比な悪魔…」
「…」
「なあに…今までと同じじゃよ。ただし、今度は軍が『殺せ』と命じた人間を殺すのではなく、わしが『殺せ』と命じた人間を殺してもらうことになるがな」
「…」
「この世界がわしのものになったあかつきには、ブロッケン大佐。お前にも、それ相応の分け前をやろう。
…それは、十分に魅力のあることだと思うがな?」
「…」
「なあ、ミヒャエル・ブロッケン大佐…お前の力を、わしに貸してくれ」
俺は、あえて何も言わないままでいた。
脅し、なだめすかし、提案にまで変わるドクターの言葉を、半ば聞き流す。
その俺のどっちともつかない態度にじれたのか、少しいらついたような彼の口調は、哀願じみたものにまで変わった。
「そうだ…わしらで、」




「わしらで、この間違った世界を糺(ただ)すのじゃ。
誤れり神の創ったこの世界を滅ぼし、わしらの手で創りかえるのじゃ!」
「…!」




そのセリフは、俺の―耳を貫き、鼓膜を貫き、脳を揺らした。
血をめぐらす心臓からも切り離された、思考のみが駆け巡る頭蓋骨の中だけで。




この老人が何を求めて「世界征服」を成し遂げようとしているかなど、俺にとってはどうだっていい。
それに、凶に取り付かれた主に仕えるのは、これがはじめてでもない。
俺自身がどうなろうと、最早どうでもいい―
俺には、もう望みなど何もないのだから。
だが―狂気の天才科学者が口にしたこの言葉は、確かに俺の気を惹いた。




誤れり神の創った、この世界を滅ぼす。
俺の愛する女を、俺の親友を、真に救われるべき善良でこころやさしい人々を見殺しにした、あの神の。




俺にとっての「敵」、そうあの愚鈍な盲目の神
奴の創造物を完膚なきまでに焼き尽くす、それは十分に愉快なことだろうな?
そうすれば奴も思い知るだろうか、己の無力さに
全知全能を高らかに誇りながら、あいつらを救えなかった、その間抜けさ―
それでいながら、俺のような悪党をのうのうと生かし続ける、その愚かさ―



思い知らせてやろうか、神よ。
邪悪なこの男の手先となって、お前の愛するこの世界を、矛盾だらけの、薄汚れたこの世界を
俺は壊し、砕き、焼き尽くしてやる。
お前はあの時と同じように、ただただその尊き清き場所から見下ろしていろよ。
見ていることしか出来ない、見ていることしかしない、非力で傲慢な神よ―




それが、俺に出来るせめてもの復讐。
馬鹿らしい、無意味な、陰々滅々とした、何も生み出さない破壊―




だが、俺にはもうそれくらいしか残ってはいないのだ。
まともに死ぬことすら出来ず、こんな「バケモノ」に成り果てた俺には。




ならば、「バケモノ」は「バケモノ」らしく
「バケモノ」にふさわしいことでもやるさ。




…俺は、魔人の契約を受け入れた。




「いいか、ミヒャエル・ブロッケン大佐。お前は…」
…だが。
先ほどから、たった一つだけ…気に喰わないことがあった。
だから俺は、老人に向かい、こう冷たく言い放った。
「…ぶな」
「?…何?」
聞き取れなかったらしく、問い返すドクター。
俺は、もう一度セリフを繰り返す。やはり、冷淡に。
「俺の『名前』を呼ぶな」
「な…」
「俺の『名前』を呼ばないでもらいたい、と言っているのだ、ドクターヘル」
「名前」を呼ぶな、という俺の言葉はよほど奇妙に聞こえたのだろう、老人の表情がいびつに歪んだ。
しかし、俺はそんなことを意にも介さず、なおも言い放つだけ。
「いいだろう、ドクター。あなたの望みどおり、俺を部下として使うがいい。
俺は、あなたの命令どおりに動き、あなたの望むようにやってやろう」
「…」
「だが、俺の『名前』は呼ぶな、ドクターヘル」
恭順の意を示してはいるが、なおも理解の出来ないことを言い募る俺に惑う老科学者。
「し…しかし」
「俺を、呼ぶのなら」
俺は、告げた。




「…『ブロッケン伯爵』と呼んでくれ。それだけでいい」




そう、
あの女が、あの男が呼んでくれた、
いとしい人々が呼んでくれた俺の「名前」は、最早二度と口にはしない。
「ミヒャエル・ブロッケン」は、死んだのだ。
あの時、あの瞬間、爆撃の中で燃え、砕け、焼け死んだのだ。
だから、ここにいるのは―それとは違った、「バケモノ」なのだ。
全身を鋼鉄で支配された、首すら胴から切り離された、いのちを殺し、破壊するためだけの機械人形―
だから、俺は切り離す。切り捨てる。
「人間」として、戦場の中砕け散った「俺」、その「俺」のそばに、そっとその「名前」を置いていく。




「俺の名は、今日から…『ブロッケン伯爵』。それでいい」




「ミヒャエル」と言う、俺の「名前」。
俺の愛した者たちが、情愛をこめて呼んでくれた、俺の「名前」。
それだけは、今からはじまる無限の血煙で汚したくはなかった。
「バケモノ」の俺が巻き起こす、俺を汚す、罪無き人々の怨嗟と血―
それから遠く引き離す。もう、誰にも呼ばれることはない場所へ。




…そのくらいの感傷くらいは、許されてしかるべきだろう?
そんなことをふと胸のうちで思ったが、すぐに己の阿呆さに気づき、軽く吹き出した。




この期に及んで、俺は…一体「誰」に許しを請うているというのだろう?!




唐突に薄く微笑んだブロッケンを見たドクターヘル。
ますます不可思議だ、というような表情で、何か恐れまじりの視線を彼に注いでいる。
その視線の先、在るのはもはや「ミヒャエル・ブロッケン大佐」ではなく―




残虐非道、悪辣非情、冷酷無比な鬼将校。
狂気の科学者・ドクターヘルに付き従う、地獄の死者―




そう、「ブロッケン伯爵」と呼ばれることになる男だった。





マジンガー三悪ショートストーリーズ・"Zwei silberne Ringe, ewige Liebesbande"より。
誕生、「ブロッケン伯爵」。
そうして、新たなる役者が物語に加わった―