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腕(かいな)を持たぬ海神は、悪なる人間(ひと)を裁かない




(来るな)
俺は心の中でそうつぶやいた。
(来るな)
何度も同じことばかりつぶやいた。
(来るな、来るな、来るな)
それはまるで、俺の背後にそびえ立つ巨大な石像に祈るように。


来るな、来るな、来るな、来るな、来るな。


俺は祈っていた。
祈っていたのだ、セドナ・ブルーに。


セドナ・ブルー。
ブルーランドの、深海猟師たちの守り神。
我がシリコニアン帝国が、その溢れんばかりのプロトン鉱石の鉱脈に目をつけ接収した、小さな、だが自然豊かな島…
それが、このブルーランドだ。
その際、ブルーランドの住民を人工島・メガフロートノアに移住させた…
住民の間から当然のごとく湧き上がった我々に対する反抗感情を押さえつけるため、当局が取った対応。
ハーベン親衛隊隊長が提案したアイデアが、このセドナ・ブルーの移設だった。
深海漁を営む住民たちの心の支えである守護神・海神セドナ・ブルー。
この女神像を、新たな生活の場となるメガフロートノアの中央に据えたのだ。
そして…
その見張り番を任されたのが、俺だった。


来る日も来る日も、女神像の入り口で銃を携えて立ち尽くす。
この巨大な像には入り口が在り、中に入れる構造になっているらしいのだが…ハーベン隊長の命令で、俺たちシリコニアン兵は中に踏み込んではいけないこととなっていた。
よそ者が女神を汚すようなことがあっては、また住民たちの感情を不用意に逆撫でしかねないからだ。
だが…正直、初めのころは、俺はこの仕事が嫌で仕方なかった。
毎日毎日、ぼーっと女神像の前で立ち尽くす。
自分の勤務時間が終わるまで、ずうっとずうっと…
あまりの退屈さとやりがいのなさに、最初はもう朝が来るのが憂鬱で憂鬱で仕方なかった。
けれど、そのうち考え直してみた。
他の仲間たちがやっているような…街を巡回して不穏分子を見つけるだとか、シリコニアンに歯向かう革命団の追跡だとか、そういうきな臭い仕事よりは、ずっとよいのかもしれない…と。
少なくとも、そういうことの嫌いな俺には、ずっと向いてるような気がする。
そんな風に考えなおして、まあ暇な仕事だがそれなりにやり通そう…
そう思い始めたころだった。


赤い洗濯ばさみ。
最初に目に付いたのは、そのムスメが頭につけていた赤い洗濯ばさみだった。


ある、晴れた日のことだった。
白いワンピースの女の子が、俺と女神セドナ・ブルーの前に現れたのは。
茶色い髪をツインテイルに結ったところに、赤い洗濯ばさみ。
そして胸元には、皮ひもで吊り下げた真っ青なオカリナのペンダント。
ずいぶんイカれたファッションだ、と最初に思ったのを、今でも俺は覚えている。
ムスメは、「ジョゼット」と名乗った。
今度、このメガフロートノアに引っ越してきたのだ…と。
どうやら、深海猟師として働きながら、一人で生活しているらしい…
まだ年若い…というより、「子ども」そのもの、といった感じなのに、ずいぶん感心なことだ。
俺は、素直にそう思っていた。
ムスメは、眼前の女神像に釘付けになっていた…
どうやら、女神ブルーが一目で気に入った様子だった。
両腕が無い、胴体(トルソー)だけの、だが美しい微笑を浮かべた女神。
このブルーランドの猟師たちのために、わざわざメガフロートノアまで運んでやったのだ…
自分がやったわけでもないのに、あのムスメに向かってとくとくと話したっけ。


そう。
こんなこともあった。
俺が、緑のコートを着た小僧っ子に、「セドナ・ブルーの中に猟師以外の人間が入ると『バチ』が当たる」と聞かされた時。
ちょうどその場に通りがかったムスメに、それを教えてやった時のこと。
「この中に猟師以外の人間が入ると、『バチ』が当たるらしいぞ!」
「…『バチ』?」
「どうだ?おっかないだろう?」
「…『バチ』って、お花のミツを吸う…」
「それは、『ミツバチ』!」
「じゃあ、汚いんですか…?」
「…それは、『バッチイ〜』!」
「あ!7番目の次の…!」
「それは、『8』!」
「…?」
「…バカにしてるのかッ!」
「きゃっ?!」
…あのムスメ、シリコニアン兵をからかうとはいい根性をしている。
あかんべーまでしてきたので、追っかけて一発喰らわせてやった…
しかし、それでも性懲りもなく、ムスメは毎日このセドナ・ブルーを見に来るのだ。
毎日毎日、飽きることもなく。
そうして、女神ブルーを見上げるのだ…
本当に、うれしそうに。
赤い洗濯ばさみのムスメは、相当にこの女神像が気に入ったらしい。
その笑顔を見ていると、何だか俺まで少しうれしくなった…
変わったムスメだが、けれど決して悪い気はしなかった。
退屈極まりない任務が、ちょっとだけ楽しくなった気さえした。
俺は、少なくともそのムスメが嫌いじゃなかったのだ。


ああ。
なのに。


今朝、唐突に連絡が入った。
俺だけじゃない、ブルーランド本島・メガフロートノア駐屯の兵全員に。
尋常じゃないその命令の内容は、思いもしないものだった―


青いオカリナのペンダントをして、赤い洗濯ばさみを頭につけたムスメ…
その「ギジンのムスメ」を探せ、一刻も早く捕らえよ、と。




俺の頭に思い浮かんだのは、あのムスメしかいなかった。




あのムスメは、ただのムスメじゃなかった。
あいつは、「人間」ですらなかった―
機械…ロボット。
その身体のすべてが、ネジで、歯車で、ワイヤーで、ケーブルで、
人工物で造られている、「ギジン」だったんだ。
知らされた事実に俺は驚愕せざるを得なかった。
だって、あいつはあんなに―うれしそうに、微笑っていたじゃないか。
女神ブルーを見上げて、微笑っていたじゃないか!
あの笑顔も、みんな機械が造っていたものだと言うのか?!
信じられなかった。
いつもその笑顔を見ていたから、なおさらに―




…だが、ああ、畜生。
だからと言って、俺に何が出来る?
俺はシリコニアン帝国の兵だ、ならば―
やるべきことは、一つしかない。




(来るな)
俺は心の中でそうつぶやいた。
(来るな)
何度も同じことばかりつぶやいた。
(来るな、来るな、来るな)
それはまるで、俺の背後にそびえ立つ巨大な石像に祈るように。


来るな、来るな、来るな、来るな、来るな。


俺は祈っていた。
祈っていたのだ、セドナ・ブルーに。


祈りながら、俺の脳は空転する。
考えても考えても答えの出ない疑いに、空回って加熱する。


ああ。
畜生。
あのムスメが、一体何をしたっていうんだ?
あのムスメが「ギジン」だからなのか?
あのムスメが「ギジン」であることが罪だって言うのか?
いや、ひょっとしたら、それ以外の理由が何かあるのかもしれない。
上がこのムスメを捕らえようとしている理由―
けれどそんなことを俺が知る由もない、
俺はただ下された命令を…「ギジンのムスメ」を捕らえろという命令を実行する、
実行しなくちゃならない。


けれど、
その結論に達しそうになる度…俺の心臓が、苦しくなる。
誰かに冷たい手でぐっ、と掴まれたように。
見たくない。
俺は、見たくないのだ。
決定的な瞬間を、この目で見たくないのだ。
他ならぬ俺自身が、あのムスメを捕らえる…
それだけは、絶対に。
だから俺は必死で祈る、女神セドナ・ブルーに祈るのだ、
あのムスメがここに来ないように、と、
俺の目の前に現れないように、と―


(あっ―)


ああ。
それなのに。


女神は、俺のそんなささやかな願いすら聞き入れてはくれなかった…
この島に土足で入り込み平和を奪った薄汚いシリコニアンの手先の願いなど、聞き入れてはくれなかった。


太陽の照りつける道を、青空の下を、
こちらに向かって歩いてくる人影が見えた。
小さかったその影はだんだんと大きくなり、女の子の姿に変わる…
頭に赤い洗濯ばさみをつけたシルエット。


(ギジンのムスメだ…)


俺の胸中に絶望感があふれる。
何でだよ、という行き場の無い怒りすらふきこぼれそうになる。
そんな俺の気持ちなんか知りもしないで、あのムスメが歩いてくる。
…俺を見て、笑いかけているのがわかる。
かわいらしい、「子ども」らしい明るい笑顔。いつもそうするみたいに。
にこにこ笑いながら、こっちに歩いてくる。いつもそうするみたいに。
女神像を見ながら、俺を見ながら歩いてくる。昨日もそうしたみたいに。
俺の気持ちなんか、知りもしないで―


…俺は、知ってる。
ギジンのムスメの仲間は、あのコルロ島のギジンたちは、
みんな、みんな、みんな、みんな、
「ギジン兵」にされたんだ。
そして、このムスメも、もし俺たちに捕まったならば―


浮かんだ考えのおぞましさに、俺は身の毛がよだった。
この、ムスメを、兵器にする―?
身体をバラバラにして作り変え、人を殺すモノにする
火薬と硝煙で薄汚れ、そして壊れ壊されるモノにする
このムスメを―?


かあっ、と、鼻の奥が熱くなるのを感じた。
こみ上げてくる何かを、俺は必死でこらえた。
俺は思わず、心の中で絶叫していた…


(―ああ!何だってんだ上の奴等はよ、畜生!
こんなムスメをとっ捕まえて、一体何をしようってんだよ!
こんなただのムスメをよ…!)




けれど、その時だった。
俺は、自分の中から自然にこぼれ出たその考えに、はっとなった。




そうだ。
そうじゃないか。


俺は、気づいたのだ。


こいつは、「ただのムスメ」だ。
俺をからかって遊ぶような、
深海猟師としてがんばっている、
そうして、この女神ブルーが大好きだった―


「ただのムスメ」だ、


少なくとも―
俺にとっては、そうだった!




そして、俺は決めた。
間違っているかもしれないけれど、
正しくないかもしれないけれど、
それでも、俺はそう決めた。




ムスメが、俺のすぐ前にまで近寄ってきた。
何を疑うことも無く。
俺は、まっすぐにムスメを見つめかえし、口を開く。


「ムスメ!ここに来ると―」


俺は、ムスメをにらみつけ、
にわかに険しい顔をつくって、
厳しい口調で叩き付けた―


「ここに来ると『バチ』が当たるから、二度と来るなッ!」


「えっ…?」


目の前のかわいらしい、あどけない表情が、凍りついた。
きょとん、とした、驚いた表情。
その次に、不思議そうな顔に変わる。
ああ畜生、見ろよ、見てみろよ。
まるで「人間」じゃないか。
まるで「人間」そのものじゃないか。


「二度と?…急に、どうして?」


だから、俺はこいつを「人間」だと思った。
こいつを、このムスメを、「人間」だと思った。
こいつは、このムスメは、「ただのムスメ」。
知らない。
「ギジンのムスメ」なんて、俺は知らない。
俺は知らないんだ、畜生―
そう、知らないんだ!


(―だから、早くここから行っちまえ!)


「聞こえなかったのかッ!!」
「きゃっ?!」
大声を張り上げた俺の剣幕に、ムスメは短い悲鳴を上げる。
昨日まで、つい昨日まで普通に接してくれた相手の、突然の豹変。
いきなり冷たく断ち切られたことに湧き上がるショックが、ありありとムスメの顔に浮かび上がる。
その表情の変化に俺の胸は痛んだが、それでも仕方がない。
俺は、とりつくしまもない、冷徹な兵士の態度を崩さない―
どれほどムスメが、蒼い瞳に悲痛な色をたたえていても。
俺をひたむきに見つめる哀しげな目を、俺は絶対に見なかった。
絶対に。
そして口を閉ざす、何も言わない、何もしゃべりかけない、
前みたいには話さない、ムスメに何も話さない…
…無言。
気色の悪い、耐え難い、無言の空白。


―やがて。
あきらめたムスメは、くるり、ときびすを返す。
しょんぼりと両肩を落とし、しくしくと泣きながら、立ち去っていく。
赤い洗濯ばさみが、ゆらゆらと泣いている。


(ムスメ、無事に逃げるんだぞ)


ぽつり、ぽつり、と、少しずつ遠ざかって行く哀しそうな背中に、罪悪感も感じながら。
俺は心の中だけでつぶやいた。
あのムスメに聞こえるはずもない。
それでも、それはあのムスメへの、最後の言葉。
最後の応援。最後の激励。
そして最後の祈りの言葉。


(お前が好きだった女神ブルーも、きっとお前を見守ってくれるはずだ―!)


女神セドナ・ブルーの足元で。
俺は立ち尽くす、立ち尽くす、立ち尽くす、
今までやってきたのとまったく同じとおりに。
何の変わりも変哲もない任務。退屈な任務が、今日も続いている。
そう振舞おうとしたのだ。
だから。
俺は、歯を喰いしばった。
きつく、きつく、歯を喰いしばった。
必死に、平静を装おうとして。
俺は何とかまともに呼吸をしようと、無理やり肺の中の空気を搾り出す。
今更ながらに、自分のやった行動に…そして、その結果起こるだろう「未来」の予測に、俺の身体はおののいていた。
こんなところを見られていたら、軍法会議送りは間違いない。
いや、下っ端の一兵卒に過ぎない俺など、そんなことをするまでもなく処刑か…
そんなことが冷静に思い浮かんできた途端に、心臓が跳ね回るように異常な動悸を打ち出す。
両方の脚が、勝手に震えている。
馬鹿みたいだ。まったくもって、馬鹿みたいだ。
俺は馬鹿だ。俺は馬鹿だ。俺は馬鹿だ。
そんなことで死ぬかもしれないなんて、こんなことで殺されるかもしれないなんて、本当に馬鹿みたいだ。


…けれども。


俺は、それでも思ったのだ。


俺は、間違ってないんだ、と。
俺の知っているあのムスメは、確かにこの島で生きていた、
女神セドナ・ブルーが大好きだった。
あのムスメが「ギジン」…「人間」じゃなかったからって、
そのことには何の変わりもない。
何の変わりも、ないのだから―


そうして、俺は。


あのクソガキの、
「ギジンのムスメ」の無事を、祈った。




俺は祈っていた。
祈っていたのだ、セドナ・ブルーに。




あのかわいそうなギジンのムスメにさしのべるための両腕の無い、
俺たち罪深いシリコニアン帝国兵を裁くための両腕の無い、
静かに、あのムスメを、俺たちを見下ろす、見守っている、ただそれだけの
だが美しい慈愛に溢れた微笑みを持つ
あの女神、セドナ・ブルーに―




「ギジンは 人に 傷つけられても 人を 傷つけては いけない」





女神セドナ・ブルーは、本当は革命団のアジトとなっているのですが
そのことを知らず、「彼」はずっと立ち尽くしていました。
そして、ジョゼットがシリコニアン兵に追われた時、
「彼」はジョゼットを捕らえることなく、彼女を恫喝して遠ざけました―
自らも、シリコニアン兵であるにもかかわらず。

その「彼」が、あまりに印象的だったので。
名前もないキャラクター、シリコニアン兵の「彼」の物語を、書いてみたくなったのです。