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◆ 夢見たのは世界、それは決して在り得ない世界
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そこは、緑にあふれている。
今から考えれば、それは太古の世界の姿。そして、「ハ虫人」たちにとって、世界のあるべき姿。
恐竜帝国マシーンランド・基地エリア。
その中に設けられた休息所は、緑にあふれている。
シダやソテツの生い茂る、それは「ハ虫人」のこころに奇妙な感慨と安らぎをもたらす光景…


その中に、いる。一人で。


いつもどおり…
その長身のまわりに、静やかで、それでいて凛とした空気をまとわせて。
涼しげな金色の瞳には、穏やかさで隠した激情と強い意志をたたえて。
美しく整った顔は、剣を握った時に見せる凄まじい闘気など微塵も思わせぬほど、


それが、自分の剣の師匠。
五つの奥義を全て受け継いだ恐竜剣法の伝承者であり、憧れの星であり、目標であり、そして…


「…ラグナ。どうしたんだ?今日は訓練はない日のはずだ。私に何か用なのか?」


唐突に声をかけられ、思わず身が強張った。
いつもながら…ルーガ先生の前にいると、我知らず全身が緊張する。
いや、それだけではない。
先生には見られたくないほど、情けない顔をしているのだろう…そんなことすらわかる。
心臓は勝手に跳ね回り、下手をすれば胸から出てしまいそうなほどだ。
自分でもどうしようもない、それは…偉大なる剣術の師匠に対する、単なる畏怖ではなく…


「あれぇ?ラグナ!ラグナ、そんなところにいたんだぁ!」


…青年の甘い当惑をぶち破ったのは、遠慮のかけらもない、天真爛漫な少女の声。
青年の視線が、そのはた迷惑な闖入者のほうに向く。
その視線の先、にこにこと罪のない笑顔を振りまきながらこちらにやってくるのは…同じくキャプテン・ルーガの弟子、「エルレーン」。
青年はため息をついた。
…こいつ相手には、何を言っても無駄だ。
彼は、自分の妹弟子の性格をよく知っていた。
だが、せっかく師匠と二人きりで話せるチャンスを邪魔したのは、少し腹に据えかねた。
「…うるさいな、ちびエル。俺がここにいたら、そんなにおかしいか?」
「ち、ちびって言うなあぁ!ちびって言うなって言ったじゃんかぁ!」
「ちびをちびっていって何が悪いんだよ、ちびすけ」
思わず、そんな気持ちが口から素直に出てしまった。
案の定、自分の軽口にむきになって突っかかってくる少女を軽くあしらいながら、なおもNGワードを連呼する。
「む、むーっ!」
「…おいおい、よすんだな二人とも」
…と、さすがにそばで見ていた師匠が止めに入った。
「うあーん、ルーガぁ!」
少女がすかさずその師匠に走り寄って、泣きつきにいく。
「ラグナ、いじわるだねぇ?私をいっつもいじめてぇ…」
「…お前なあ!」
恥ずかしげもなく女剣士に甘える少女をとがめる青年の声は、ひょっとしたら嫉妬心が混じってはいなかっただろうか?
だが、こんなやりあいもいつものこと。
女剣士は、苦笑しながらそれを仲裁するのだ…
「お前たち…いつもいつもけんかばかりして。『兄弟子』と『妹弟子』同士、もう少し仲良くできんのか?」
「んもー、私悪くないもん、ラグナがぁ…」
「エルレーン、お前も…」


少しずつ、女剣士と少女の声が遠くなっていく。
それにつれて、彼女らと語る青年の声も。
音が消え、景色が消え、豊かな緑の世界が消える。
まるで、はじめからなかったかのように。


そして、まぶたの奥で広がっていた世界が、完全に消失する。
瞳を開けば、そこはいつもの…自分のベッドの上。
身体を起こす。耳に聞こえる、静かな…自分のものではない寝息。
隣に眼を走らせれば、妻のキルナの姿。
今まで自分は眠っていたのだ、また、あの夢を見たのだ…と、キャプテン・ラグナがはっきり認識するまでに、数秒かかった。
そうだ。
そうだった。
地上への偵察任務を済ませ、バット将軍に詳細を報告した後…
緊張と疲れのあまり、自宅へ帰りシャワーを浴びるなり、自分はベッドにもぐりこんでしまったのだ。
そこまで思い出すにつれ、なおさらに先ほど見た夢の中身が奇妙な感触を持ってよみがえる。


だんだんクリアになり、そして明らかに現実にあった記憶とかけ離れていく、それは夢。
自分が今見ていた、ありえなかった過去を思い起こしながら、キャプテン・ラグナは…
胸の奥に生じた居心地の悪さ、そしてどこか拭い去れない気持ち悪さに、軽くため息をついた。
「…!」
…と、気配を感じたのか、隣で眠っていた妻の瞳がうっすらと開く。
どうやら自分のせいで目を覚ましてしまったらしい、こんな深夜にもかかわらず…
「…あなた?」
「すまない、起こしてしまったか」
「いいえ…」
そうささやきながら、目をこするキルナ。
「あなた、随分疲れてらっしゃったわ…任務が大変だったのでしょう?」
「何、たいしたことはない…」
再びベッドに身を横たえながら、ラグナは薄く笑んだ。
…ふと、妻の瞳が好奇心の色を帯びる。
少しばかり子どもじみた表情で、キルナはラグナに唐突に問いかけてきた。
「ねえ、あなた…地上は、どんなところでして?」
「ん?」
「地上…どんなふうでした?タイヨウの照らす世界、一体どんなふうでして?」
「ふ…む」
まるで童子のように、興味津々といった顔で自分を見つめるキルナ。
その妻の様子に、思わずラグナは笑みを誘われた。
…地上。我ら「ハ虫人」にとって、永遠の憧れの地、かつて祖先の住んでいた楽園…
「ハ虫人」の誰もが、その地に神聖とも言えるほどの希望を持っている。
タイヨウの照らす世界はどのような場所であろう、と。
どれほどの光に満ちあふれた天の国なのであろう、と…
しかし、その真の姿を目にできるものは、地上への偵察任務を得たごく一握りの軍人しかいない。
そして今日、自分自身も晴れてその一員となったわけだが…
あごに手を当て、ラグナは一人ごちた。
「やはり、環境の激変は凄まじかった…噂どおり。
『人間』どもが起こした戦争のせいで、な。無機質な砂漠ばかりが延々と続いていたよ」
「まあ…」
あえて、ラグナは己の目にしたままの光景を口にした。
嘆息するキルナ。軽く見開かれた瞳には、失望の色。
「海も、空気も、かなり汚染がひどい。それをした『人間』どもですら、悪影響を受けているようだ」
「愚かなことですわね…」
「ああ…」
そう言って、二人は…どちらともなくため息をついた。
が、ふと、ラグナの瞳が、追憶に和らいだ。
「そうだな、それでも…美しい森を見た。さまざまなイキモノが満ちた、すばらしい場所だったよ」
「そうですの?」
「そして、あの空。…あんな蒼は、見たことがない」
「『ソラ』、ですか」
今まで見たこともない、神話や御伽噺でしか聞かないその言葉。
ラグナが発したその言葉を、キルナはいぶかしげに口にした。
「そう。透き通っていて、澄んでいて…タイヨウの光が散りばめられた、美しい蒼だった」
「ハ虫人」がかつて我が物にしていた、そして今は望んでも手に入らない、それが「空」。
愚かなる「人間」が奪い独占し汚し、しかしそれでも清廉なる蒼を崩さない、偉大なる天空―
ラグナが生まれて初めて見た、大半の「ハ虫人」が見ることなく死んでいくその空は、彼らの憧憬を浴びるにふさわしく美しかったのだ―
「ああ。思うに、あれが…祖先たちがいた、正しい世界のあり方なのだ」
「…うらやましいですわ」
「ん?」
と、空の美しさを語るラグナに、キルナが多少の嫉妬まじりのセリフをつぶやいた。
「うらやましいですわ。あなたばかり」
「はは、すねるな…そのうち、お前たちにも見せてやれる」
ラグナはそんな妻に、笑いながら答えた。
「そうだ、お前たちにも見れるときがやってくる。あの地上で、光あふれる地上で暮らせる日がやってくる…」
「…」
「そのために、私はいる…」
「…あなた」
静かに語る壮年の男の瞳には、やはり静かな決意。
己が目にした聖域(サンクチュアリ)を、再び己の手に、己の同胞たちのために。
そのために戦う、龍騎士(ドラゴン・ナイト)の瞳は―堅い意思に満ちていた。
―かちゃり。
「…!」
不意に、寝室のドアが金属音を鳴らす。
ぎいい、とかすかなきしり音をたて、薄く開く―
その隙間から、小さな影。
眠い目をこすりながら、小さな影が…二人の眠るベッドに駆け寄ってくる。
「サイラ?まだ眠っていなかったの?」
「…おとうさま、まってたの」
妻が声をかけると、影は…ラグナとキルナの一人娘、サイラ…ベッドサイドに手をかけ、ラグナを見つめる。
「ん…?」
「おとうさま」
サイラは、まっすぐな瞳で父を射た。
「おとうさま、ちじょうをみたのでしょう?」
そして、懸命に問う。
「ハ虫人」の憧れの大地を、憧れの天空を目にした父に。
「おとうさま、ちじょうって…いったいどんなばしょだったの?」
「…はは」
「ねえ、ちょっとでいいからきかせて、おとうさま!」
幼き子の瞳に映るのは、太古の楽園に対する「ハ虫人」の飽くなき好奇心。
その小さな目に、あふれるほどの期待と希望の輝きを詰め込んで、幼子は問う―
おそらくは、「ハ虫人」の誰もが心に抱く、その問いを。



「ちじょうは…タイヨウのあるせかいは、いったいどんなせかいなの?!」




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