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◆ 鏡(冷たい抱擁)
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「ばざー?」
「そうそう」
問い返すリョウに、ベンケイが笑顔でうなずく。
待機任務外のため、自室でぼんやりしていたリョウをバザーに誘いに来たのはベンケイだった。
ジロンたちがバザーに行くのに便乗して、いろいろなものを見てまわろうというのだ。
「…そうだな、俺もヒマだしついてくよ」
「だろー?…なんかさあ、屋台がたくさん出るらしいぜー。…俺、全屋台制覇しちゃおうかなー」
「おいおい、喰う事ばっかりかよお前!」
能天気なことを言うベンケイの肩を叩きながら、リョウは微笑って部屋を後にした。

バザーが開かれている街の中心部…風車状の鉄塔が立った広場に、甲児たちが集っている。
「それじゃあ、ベンケイは俺たちと一緒に屋台めぐり行くんだな?」
「おおよ〜!ここんちの屋台を全部まわるぜ〜!」
ベンケイはやはり、甲児やボスと一緒に屋台めぐりに行くようだ。
「おいおい、お前、支給された金全部使っちまう気か?」
「いいじゃん、俺食べることが趣味なんだから」
リョウのツッコミにもあくまで明るく答えるベンケイ。
その様子を見て、思わずリョウは苦笑した…
「リョウ君はどうするの?」
さやかがリョウに問い掛ける。
「俺?…うーん、その辺ぶらぶら散歩してみたいんだ。なんか見てるだけで面白そうだし」
「えー?屋台制覇しねえの?」
「はは、そいつはお前に任せるよ、ベンケイ!」
そういってリョウはからからと笑った。
「それじゃあみんな、俺たちはウォーカーマシンにあうパーツ探してくるから、そうだな…2時間後に、またここで!」
「ああ!」
ウォーカーマシン・ギャロップに乗り込んだジロンに笑顔で手を振り、見送った後…甲児たちもそれぞれ、街のあちこちに散っていった。

活気あふれる街中を、リョウはふらふらと気の向くままに歩いている。
昔見た西部劇映画のような、どこか古い町並み…それでありながら、ウォーカーマシンと呼ばれるロボットが我が物顔に闊歩する。
そのミスマッチな印象を受けるバザーでは、様々なものが売り買いされている…
それゆえにたくさんの人々が一挙にこの街に集まってくる。
人いきれのするそんな雑踏の中では、この未来世界では多少変わった格好をしていることになるリョウになど、特に誰も目を留めることはない…
そのうち、リョウはとある店先に差し掛かった…
そして、ふとその店のショウウインドウに目をやった、その時だった。
「…?!」
驚きのあまり、思わず彼は立ち止まる。
一旦瞬きして、今目に映ったモノを確認するが…マネキンが着ていたそれは、やはり間違いなく「彼女」の服…本当に「彼女」の服によく似たモノだった。
刹那、ふっと頭をよぎる、過去の記憶…「彼女」の記憶。
(こんな、未来の世界で…あいつの服を、見つけるなんて…!)
それが欲しい、とリョウは思った。右手をポケットに突っ込んで、そこに入っていた通貨を全部つかみ出す。
「…」
その商品の下につけてあるプレートを確認する…
そこに書かれている値段が高いのか安いのか、それはこのゾラ…未来の地球世界…に来てあまり間もない彼にはピンとこない。
だが、その価格が、今自分が持っている支給された金と同じくらい…ちょっと少ない程度ということはわかる。
そのため、一瞬リョウは躊躇した。
せっかく支給された自由に使える通貨を、これで一気に使ってしまっていいものか…
しかし、やはり…「どうしても、これが欲しい」という思いは抑えられなかった。
リョウは意を決すると、そのよろず屋の扉を開け、中に入っていった…

「はいよ、それじゃあ確かにお代はいただいたぜ」
カウンターの上に出された通貨を数え終わった店主は、ぶっきらぼうな口調でそう言い、布袋に入れたそれらをリョウに手渡した。
「…どうも」
「…しかし、兄ちゃんよう…そいつぁ、あんたが着るのかい?そいつは女モンだぜ、わかってる?
…まあ、ちょうどあんたの体格ぐらいのサイズだけどよ」
まったく不思議そうな顔をして、店主がリョウに確認をとるように聞いた…
なぜなら、その客はどう見てもその商品を使うような人間…すなわち、女性には見えなかったからだ。
「…ふふ…」
店主の言葉に、軽い苦笑の表情を浮かべるリョウ。
彼はあえて何も言わないまま、ふっと彼に微笑み返しただけだった。

「!…あー、リョウ!遅かったじゃねえか」
「悪い悪い!待ったか?」
リョウが待ち合わせ場所に走ると、そこにはもうすでに他のみんなが来ていて彼を待っていた。
「ちょっとなー!…それじゃ、帰ろうぜ!」
「…ん?…リョウ君、何だいそれ?」
と、甲児が目ざとくリョウが肩に背負っている大きな布袋に目をつける。
「買ったのかよ?…でかい荷物だな。いったいそれ何?」
ベンケイも興味をひかれたらしく、重ねて問い掛ける。
「…はは、秘密…さ」
だが、リョウはそんなふうにあいまいな答えを返し…にやっ、と意味ありげに笑った。
「…?」
その返答を受け取った甲児とベンケイは、狐につままれたような顔をして首をかしげるのだった…

その夜、遅く。
時計の針はもうすでにずいぶん遅くを指している…
リョウは、わかってはいるがもう一度ドアの鍵を確認してみた。
ドアの開閉用のセンサーに手を触れる…
だが、ロックが施されたそのドアは、その旨を知らせる警告の電子音を小さく鳴らすだけで、開きはしなかった。
それでようやく、リョウは安堵した…
これでドアの鍵を確認するのは三度目だが、一応確認せずにはおれなかったのだ。
…何しろ、誰かに見られるわけにはいかないのだから…これから自分がやることは。
彼は、床に投げ出してあったあの荷物に目をやった…粗末な布袋に包まれたそれ。
リョウはその口を縛ってある麻紐を解き、中身をそっと取り出した…
そこで、彼は何を思ったのか、急に着ている服を脱ぎだした…
トレーナーを脱ぎ去り、その下に着ていたTシャツも脱ぐ。
…最後に残った、上半身を覆うサポーター…彼は、それもさっと取り去ってしまった。
サポーターの拘束が解かれると、そこには小ぶりながら形のいい乳房があらわれる…
彼が隠し通してきた、だがつい先日仲間たちに知られてしまった、彼の身体が「女性」であることの証。
リョウは下半身にまとっていたジーンズも脱ぎ捨てた。靴下も脱いでしまう…
それで、彼の身体を覆い隠しているのは、下着だけになった。
そして、彼は床に置いてあったそれらを、一つずつゆっくりと身につけはじめた…
まずは、ショートパンツ。
太ももの真ん中ぐらいまでの長さしかないそのショートパンツは、硬めの黒い皮で出来ている。
はじめ、ウエストが入るか少し不安だったが…その心配は無用だった。
すんなりした彼の腰に、それはぴたりとまとわりついた。
次に彼は、上半身を覆うビスチェタイプの皮鎧に手を伸ばす。
…同じく黒い皮で作られたそれは、胸部とわき腹を覆う形になっている。
リョウは頭からかぶるようにしてそのビスチェに身体を通す。
そして、位置を軽く調整して、編み上げるようになっている左側面部の皮紐をきゅっと絞める。
そして、左肩上部の、肩当て状になっている部分のボタンを止める…
すると、彼のなめらかな曲線を描く身体に、そのビスチェは吸い付くように張り付いた。
…あまりに身体にぴったりするので、まるで「自分たち」のためにあつらえられたのではないか、と思えるほどに。
そして、ショートブーツ。その黒い靴は意外に重い。
どうやら強度を持たせるために底部に鉛のようなものを入れてあるらしい。
(…毎日履いてたら、足が鍛えられそうだ…あいつみたいに足が速くなるかも、な)
そんなことを思い、リョウはふっと微笑ってしまった。
最後に、手甲(ガントレット)…やはり同じような、鈍く光る黒い皮で出来たひじまでの長さのそのガントレットを、彼は慣れない手つきながら何とか身につけようとする。
片手でそのガントレットを抑えながら、歯を使って紐をきゅっと絞めた…
それで、完成だった。
…全身を軽い寒気が襲う。
何しろ、身を覆っている部分より、露出している部分のほうが多いのだから。
胸元、二の腕、きゅっと締まったウエスト、彼のすらりとした脚…
全て黒で統一されたそれらがまとわりついている部分以外は、彼の白い肌がのぞいている。
「…」
誰も見ているはずはない、とわかっていつつ、彼は自分の顔が勝手に赤らむのを感じていた。
…特に、おへそが出ているのが、恥ずかしい。
彼女がどうしてそれを何とも思わずに(少なくとも、リョウの目にはそう見えていた)いたのか、不思議なほどだ…
リョウはゆっくりと振り返り、そばにあった少し大きめの鏡に手を伸ばした。
そして、両手でそれをつかみ、まっすぐに腕を伸ばして…その光る面を見つめた。
そこには、「彼女」がいた。
「……!」
一瞬、はっとしてしまうぐらいだった…そこに映っていたのは、「彼女」だった。
リョウの胸に、言いようのない感覚が一気に襲ってきた。
いとおしさ、懐かしさ、罪悪感、哀しみ…鏡の中の「彼女」が、その感情に顔を歪めるのが見えた。
鏡の中に、映る自分の姿。
リョウはじっとそれを見つめる…
今まで自分がしたこともない、とてつもなく女っぽい、セクシーな格好。
そして、「彼女」がいつもしていた格好。
…黒いビスチェ、ショートパンツ、ショートブーツ、ガントレット。
あのよろず屋のショウウィンドウで、偶然見つけたそれら…それらは、「彼女」がいつも身にまとっていた、あのバトルスーツに驚くほどよく似ていた。
だから、思わず買ってしまった。
「彼女」と同じ顔、同じ姿をした自分が着れば…それは、「彼女」をよみがえらせることになるから。
「…!」
リョウは、その大判の鏡を腕の中に抱きしめた。
鏡に映る、「彼女」を抱きしめるかのように…
肌に触れる、鏡のひやりとした感触が哀しい。
あの時、抱きしめた「彼女」の身体は、とてもあたたかかったのに…!
だが、そこに映っているのは「彼女」…少なくとも、この世で最も「彼女」に似通ったモノだから。
だから、リョウは鏡を抱きしめた。
…そして、とうとう彼はその名前を口にした…
「…エルレーン…!」
つむがれたその名前。彼の唇からもれたその言葉は、静かな部屋に霧散していく。
あれから、どれだけの夜を越えただろう。
どれだけの夢を見たことだろう。
恐竜帝国が滅んでも、彼の心から「彼女」が、エルレーンを救うことが出来なかった罪の記憶が消えることはなかった。
時折、その罪の記憶は鮮明なイメージ…「夢」という形でリョウを責めさいなむ。
夢の中のエルレーン。
もう二度とは会うことが出来ない少女…
その少女が、今…鏡の中に映っている。
抱きしめた鏡に映る、「彼女」に向かってそっと微笑いかけてみた。
すると、鏡の中の「彼女」もリョウに向かって微笑いかえしてきた…
だが、その微笑みには、どうしようもない哀しみが入り混じっていた。

…その時だった。いきなり部屋の扉が乱暴にどんどんとノックされる…
「?!」
あまりに突然だったので、思わずリョウは飛び上がってしまった。
抱きしめていた鏡も思わず取り落としてしまう。からん、と乾いた音をたて、鏡は床に転がった…
「…おーい、リョウ!」
「な、なんだ、ベンケイ?!」
扉の向こうから、そんなリョウの狼狽など知らぬのんきな声が響いてきた。
それはベンケイの声だった…慌てて返事を返すリョウ。
だがその声は…知らず知らずのうちに、少し上ずってしまっていた。
「あのさあ、ヒマだったら将棋しねえ?」
「…わ、悪い!…お、俺、もう寝ちまうところだったんだ!」
ベンケイの誘いを間髪いれず断るリョウ。
…こんなとんでもない姿をしているのだ、外に出るわけにはいくまい…
「あー、そうなの?早いなあ、まだそんなに…」
「す、少し疲れちまってな。それで」
リョウの返事を聞いたベンケイは、少し残念そうにそう言った…
だが、早いことこの会話を終わらせたくて仕方ないリョウは、なおもたたみかけるように早口で言葉を継ぐ。
「わかった!それじゃあハヤトでも誘ってみるわ…それじゃあ、おやすみ!」
やがて、明るい声がドアの向こうから聞こえてきた。
それと同時に、ベンケイの足音が少しずつ遠ざかっていく…
「あ、ああ…!」
それに応じるリョウ…と、彼はベンケイの気配がドアの前から消えるのを感じた。
途端に安堵のあまり一気に床にへたり込んでしまう…一挙に身体中の力が抜けてしまった。
ふうっ、と大きな吐息をつくと、高ぶっていた心臓の鼓動が少しだけ落ち着いた。
(…はは、ベンケイ…)
リョウの顔に、ふっと微笑みが入り混じる。
今しがた思いついたそのことが、おかしくて仕方ないといったような…苦笑混じりの微笑み。
(お前が、今の俺の…この格好、見たら…いったいどんなツラしやがるか、見ものだな?)
リョウは、そばに転がっていた鏡を手にし、もう一度自分の姿をみてみる。
そこに映る、自分の顔。そして、「彼女」の顔…
(でもな、ベンケイ…こういう格好した「俺」が、確かにいたんだよ…昔、な)
鏡の中の「彼女」が、哀しい目をして自分を見つめている。深い憂いが瞳に浮かぶ。
(もう、そいつはいないけど…もう、二度と会えないけど…でも、確かにいたんだ)
そして、再びリョウはその鏡を抱きしめた…
冷たいガラスの感触、硬い鏡の感触。
(エルレーン、っていう女さ…俺の、クローン。俺の分身…俺がかつて救えなかった、俺の…)
リョウは、そのままじっと鏡を…そこに映る自分自身を抱きしめたまま、動かずにいた。
心の中で、彼女のことを想い出しながら。
彼女の微笑み、彼女の声、彼女の言葉を思い起こしながら…
「エルレーン…」
今はもういない少女の名を呼び、リョウは鏡を抱きしめる。
その抱擁は、どうしようもなく冷たく…そして、哀しいものだったけれども。


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