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◆ 不退転〜気高き龍は、退かない〜
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「え…」
見開かれたエルレーンの瞳は、ただモニターに落とされている。
それは、液体のように見えた。
キャプテン・ルーガの口元をつたって落ちていったそれは、明らかに汗とはいいがたい、尋常ではない量の液体。
それが、真っ青な「ハ虫人」の血液だと気づくのに、たっぷり三秒はかかった。
「…な、に…?」
キャプテン・ルーガですらも、一瞬何が起こったのか、とらえきれずにいたようだ。
美貌が軽い驚きに歪む。
だが、己の内側からこみ上げてきた膨大な量の血液を吐き出した途端、強烈に焼け付く喉の痛みと怖気を奮う感覚が彼女を打ちのめす。
膝を、鎧を、脚を、床を、自らの青い血が染めていく。無造作にまかれていくペンキのようなそれは、しかし…彼女の生命そのものだ。
「…くっくっく、ひゃあっはっはっはっはっはっ!」
邪悪な哄笑が響き渡る。
げらげらと笑うガレリイのかすれ声は、吐血に苦しむ彼女の脳漿に随分と堪えた。
「ひゃはは…きおったか、限界が!」
「!」
「ふん…いくら強靭な肉体を誇る『ハ虫人』、向かうところ『敵』なしの龍騎士(ドラゴン・ナイト)といえど!
その出血の量で、まともに意識が保てるものかッ!」
ガレリイの得意げなセリフと同時に、数発のミサイルがメカザウルス・ライア目がけて放たれた。
避けなければ、と思った瞬間、それらはすでに着弾していた。
「く…う、ううッ?!」
「?!…ルーガ、ルーガァッ!」
「ぐ…う…」
爆破の衝撃に、身を強張らせて耐える。
疲弊さえしていなければ、大量の吐血で体力を失ってさえいなければ、確実に回避できたはずにもかかわらず。
その屈辱的な事実が、さらに自分の力を奪っていくように感じた。
だが、響くエルレーンの悲痛な呼び声が、かろうじて彼女の闘志をつなぐ。
その瞳は、モニターに映る憎き「敵」に向けられている…
もはや己の勝利の凱旋を夢見ている、老人の高らかな宣告が鳴り渡る。
「そろそろ年貢の納め時だ、キャプテン・ルーガ!…その死に装束にふさわしく死ね、裏切り者があッ!」
「!…ほう…わかるか、ガレリイ」
「ふん、わからいでか!」
と、それを聞いたキャプテン・ルーガの表情が、かすかに変化した。
その謎めいた言葉の応酬に、不可思議そうな顔を向けるメカザウルス・グダの乗員たち。
「な…何だというのです、ガレリイ長官」
「お前たちには見えんのか…あの女が着ているモノが、何か!」
「?!…あ、あれは?!」
「そ…そんな…!」
「ぎ…」
「…『銀機甲鎧』…!」
「『銀機甲鎧』…?!」
不鮮明なモニター画像に目を凝らし、ようやくそれを見てとった彼ら…
その顔が、驚愕で歪んだ。衝撃で歪んだ。
それは、ある忌むべきジンクスをひきずった鎧。「ハ虫人」なら、誰もが古い物語の中に聞く…
だが、その視線の先にあるキャプテン・ルーガの表情は、逆に穏やかだった。
それは、異常と言えるくらいに。
「ふふ…そうだ。ひとつ、縁起でも担ごうかと思ってな。倉庫の奥から勝手に取ってきた…
死に装束くらい、いいモノが着たいからな」
「…?!」
「何…たあいもない言い伝えだ」
「死」という言葉が、エルレーンの胸をつく。
しかし、ごく穏やかに、笑みすら浮かべて彼女は語るのだ―
まるで、御伽噺でも語ってやるがごとくに。
「『銀機甲鎧』は…蒼を好む。
その白銀の鎧が、まとう者の末期の血で、鮮やかな蒼き鎧に変わる時…
その者に勝利をもたらしてくれる、という」
「…!!」
リョウたちの表情が、凍てつく。プリベンターたちの表情も。
だが、エルレーンが…言葉の意味がわからなかったらしい彼女だけが、取り残される。
「?…『まつごの』…『ち』?」
「ふふ…死に際の血、ということだ…」
「…〜〜ッッ?!」
そして、今度こそ。
彼女の顔も、恐怖と衝撃で塗りつぶされた。
それでも…キャプテン・ルーガは、微笑んでいる。穏やかに微笑っている。
己の死を語っていながらにして、微笑…
そのギャップがあまりに激しすぎて、まるで彼女が冗談を言っているのではないか、といぶかしみたくなるほどだ。
けれども、それは絶対に冗談なんかではない。
決して、決して、冗談なんかではないことは、明白だった。
「な…」
ハヤトが、何とか喉をかき鳴らした。
「何言ってるんだ、ルーガさんよォ!」
しかし、それは半ば悲痛な絶叫になっていた。
「エルレーンに『生きろ』って言うあんた自身が…
あんた自身が、生きることをあきらめてどうするんだ?!
…あんたも、俺たちと一緒に…!」
「…神隼人。お前も、忘れている」
だが、熱弁するハヤトの言葉を、キャプテン・ルーガの静かな声が断ち切った。
「な、何?!」
驚くハヤトを見返し、彼女は…淡々と、驚くほどに冷静にこう口にした。
「…私は、既に…死んでいる」
「!…だ、だがよ!」
「死んだものが再び生き返ることは、許されないこと。自然の摂理に反すること…神の意志に背くこと。
私は本来、この場に存在してはいけない者なのだ。
『魂』だけとなって、流竜馬の中に取り込まれても…生きていた、エルレーンとは違う」
「…」
その言葉には、生きることへの何の未練も感じとることができなかった。
その覚悟の重さ、堅さが…あまりにも決然としすぎていて、言葉を失うゲッターチームの面々…
「それに…私は、お前たちと行くことは出来ないよ」
「ど、どうして…」
「どうして、だと?!ふひゃひゃひゃひゃ!」
彼らを切り捨てるかのような、キャプテン・ルーガの言葉。
その意味を問いかけようとしたリョウの言葉尻を取り、心底おかしげに嘲笑うのは、ガレリイ長官。
「!」
「ふん、キャプテン・ルーガ!
その様子では、もうだいぶ進行してしまっておるようだのう?!違うか?!」
「…」
キャプテン・ルーガは、無言のまま。
だが、それが…問いへの肯定を示していることは、明らかだった。
「ど、どういうこと?!」
「知りたいかNo.39!…この時代はな、いまいましいゲッター線…
その力は、貴様らが生きていた時代よりはるかに強いのじゃ!」
「…!」
驚きに目を見開くゲッターチーム、そしてエルレーン…
愕然とする彼らの反応を面白く見たガレリイ長官の得意げな説明はなおも続く。
「あの時代ですら、我々の身体をじわじわとむしばむ力を持っていたゲッター線…
この時代では、総量はその約200倍!生身の『ハ虫人』に耐え切れるものではないわ!」
「あ…!」
「メカザウルスから出れば、擬装用外皮もない今!
…キャプテン・ルーガ、貴様はゲッター線障害で苦しみぬいて死ぬしかないのじゃあ!」
「…そうそう、その擬装用外皮なのだが、ガレリイ長官」
勢いづくガレリイ長官のセリフに、今度はその…死へ向かっているはずの当人、キャプテン・ルーガが、思い出したように言葉を付け加えた。
「?!」
「あれを着ていても、ゲッター線は防ぎきれなかったぞ…おかげで、私はこの有様だ。
あなたご自慢の科学力とやらも、たいしたことがないな」
「な、何じゃとぉっ?!」
皮肉られたガレリイ長官の顔が、怒りのあまりにかたく強張る…
その反応に、くっ、と唇の端を上げて微笑うキャプテン・ルーガ。
「…とはいえ、ゲッター線の塊のようなゲッタードラゴンや真・ゲッターに近づいていたのだからな…
外皮の防護機能にも限度があるということだろうな?」
「…!」
キャプテン・ルーガの言葉は、ゲッターチームに、そしてエルレーンに思い起こさせた。
そう、その事実は、つまり―
「そ、それじゃ…」
「俺たちの、ゲッターそれ自身が…」
「あの女(ひと)を、殺してしまう…!」
「そ、そんなぁっ…」
それは、すなわち。
自分たちが、ゲッターロボを駆る自分たちが、彼女を迎え入れることができないということ。
彼女を救えないということ―!
…そして。
ゲッターチームの小童どもが絶望に打ちのめされる様は、ガレリイ長官をいよいよ驕慢の絶頂に追い込む。
もはや常態を飛び越えた笑い声を立てながら、キャプテン・ルーガを指弾し―彼は、こう叫んだ。
「ひゃはははは!さあ、選ぶがよいわ、キャプテン・ルーガ!
降り注ぐゲッター線に冒され、じわじわとその身を壊されていく、苦痛に満ち溢れた死か…
今ここで、我がメカザウルス軍団に一思いに殺されるか!
…裏切り者の貴様には、ぴったりじゃあっ!」
「…残念だが、ガレリイ長官。私は、そのどちらも選ばないッ!」
しかし、キャプテン・ルーガは砕けない。
金色の瞳が、強い光を巻き込んできらめく―
それは闘志。それは意思。それは決死。
けれども、自ら死に向かうそれは、あまりに痛々しすぎた。
エルレーンの目には、あまりに痛々しすぎたのだ。
「ルーガ…でも、それじゃ、ッ」
「いいんだ、エルレーン。…私は、本来ならばすでに死んで、とうにいないはずの女だ。
死者に、『未来』などない…」
それでも、キャプテン・ルーガはエルレーンに微笑みかけてやりすらするのだ。
微笑みながら、己の決意を…涙を浮かべながらこちらを見つめる、いとおしい「トモダチ」に向けるのだ。
「だが、お前の行く道を多少なりとも切り開いてやることくらいはできる」
ゆっくりと、彼女は息をつく。
血の匂いの混じった吐息は熱く弱々しかったが、それでも彼女は微笑んでいるのだ…!
「お前の望む『未来』…それを、お前がつかむことこそ、今私の望む『未来』…!」
「…!」
「ふふ…それに、これは…償い」
「『つぐない』…?」
「そう、償い…お前を苦しませた、お前を哀しませた、お前を泣かせた…その償い」
「え…?!」
「はは…そうだな、エルレーン…自分を信じてくれる『トモダチ』を、裏切っては、いかんよなあ…?」
「ルーガ…」
自分の言葉に戸惑う友人…「人間」の友人に、彼女は笑んだ。
どこかおかしそうに、笑んだ。
「…楽しかった。お前と過ごした5か月間、そしてこの13日間…本当に、面白かった」
きっ、と、瞳が鋭くなる。
そして、叫ぶ―
己を鼓舞するかのように、叱咤するかのように!
「それを、思えば…この程度ッ!」
「ふ、ふん!強がりおってぇッ!」
吼えるキャプテン・ルーガに、ガレリイが命じたメカザウルスたちが一斉に攻撃を加える。
メカザウルス・ライアを、無数のミサイルが、爆弾が、爪が、牙が容赦もなく襲う。
その腕を、胴を、頭部を、脚を、尾を傷つけ、破壊し、燃やし砕く。
「…!」
「やああああああッ!ルーガあああッ!」
「…くうッ!」
エルレーンは泣き叫ぶ。泣き叫びながら、必死で彼女の「名前」を呼ぶ。
激しく画像が揺れ動くモニター画面に、ぼたぼたと涙がこぼれ落ちていく。
その向こうで、彼女が不自然に身体をのけぞらせ、コックピットシート上でがくり、と身を折ったのが見えた。
そして、開かれた唇から流れる青い何かが、また彼女の膝をぬらしていく。
美麗な銀色の鎧が彼女の血液を吸い、眩い蒼へとその色を変えていく―
「ひ、ひゃはははは!いくら格好をつけたところで、もはやまともに剣すらふれんではないか!」
「…くッ、これしきぃッ!」
ガレリイの嘲笑に怒鳴り返すキャプテン・ルーガの声は、それでもやはり疲労の色を隠しきれない。
大量の出血、そしてゲッター線障害は、すでに彼女の生命の息吹をも奪い去っているのだ…!
「ああああああああああああああああああああ!」
少女が絶叫する。泣きながら、両腕で思い切りゲッタードラゴンのコンソールを殴りつけた。
「え、エルレーンッ!」
「動いて!動いてよ、ゲッタードラゴンッ!」
泣き叫ぶ。そして、必死に懇願する。
マグネットアンカーウェーブに縛られ、指一本すら動かせなくなった愛機に向かって。
「エルレーン…!」
「お願い!お願いだから動いて!…今、今動かなきゃ!ルーガを助けなきゃいけないんだあッ!」
「く…!」
リョウが歯を喰いしばる。彼女同様に、彼も叩きつけるかのような勢いで、コンソールを何度も何度も操作する。
「り、リョウッ!」
「立て!立つんだ、真・ゲッター!…お前はこんな時に何も出来ないほど、役立たずなのかよォッ!」
「…!」
怒り叫ぶ。そして、必死に懇願する…!
そして、その思いはプリベンターの皆も同じ。
ガレリイの悪しき発明・マグネットアンカーウェーブに縛られ、動かぬ機体の中で切歯扼腕するのみ…
「ち、畜生ッ…」
「俺たちも、俺たちも、動けさえすればあッ!」
…だが、その時。
コン・バトラーVチームの天才小学生・北小介が突如大声を上げた。
「…ひ、豹馬さんッ!」
「何だ、小介ッ?!」
怒鳴り返すリーダーの豹馬に、彼は間髪入れず宣言する。
「少しの間だけ、コン・バトラーをいじりますッ」
「何ぃ?!」
「あ…そ、そうか!」
と、ボルテスVの剛日吉もまた、そのことに感づいたようだ。
彼の瞳に、光が走る。
「日吉君も!」
「うんッ!」
「な、何をするんだ?!」
困惑気味に問う健一に、二人は…天啓のごとく思える、そのひらめきを示してみせた。
「…このマグネットアンカーウェーブは、電磁の力を利用していると思われます!」
「なら!…超電磁のロボットなら!…ボルテスやコン・バトラーなら!」
「電磁力エネルギーの方向性をいじって、何とか…!」
そう、それは起死回生の作戦。
ガレリイが先ほど自分で披露したように、このマグネットアンカーウェーブが電磁波を利用していると言うのならば。
同じく、超電磁の力をエネルギー源とするスーパーロボットであるコン・バトラーVとボルテスVは、その超電磁力でこの特殊電磁フィールドを破ることができるかもしれない…!
「そ、そうかよ!」
「早く!早くするんだ!」
「うまくいくか、わかんないけどッ」
「で、出来る限りやってみますッ!」
そう言うなり、二人の小さな天才はすぐさまに作業に取り掛かった。
息を飲む間も惜しむかのごとく、その指を躍らせる。
走る、視線が走る、この現実を彼らの頭脳の中にある図式どおりに書き換えるために…
「頼むぞ、君たち…!」
「ああ…あ、ルーガ、ッ…!」
もはや、状況を打開できそうな可能性を持つのは、彼らしかない。
祈るリョウ。祈るエルレーン。
だが…その眼前で、なおも陰惨な公開処刑は続いている。
「…!」
爆撃と斬撃と打撃と衝撃が、メカザウルス・ライアを砕いていく。
わざと、パイロットがいるコックピットは砕かずに。
それはまるで、逃げることのできない無力な虫の脚を、一本一本千切っていく行為にも似ていた。
「お願い!お願い!動いて、早く…ッ!」
「まだかあッ、小介ぇッ!」
「も、もう…もう、少しですッ!」
「もうちょっとで、プログラムが…!」
その光景を横目に、「人間」たちは焦燥する。
「ハ虫人」の、誇り高き「ハ虫人」の龍騎士(ドラゴン・ナイト)を救わんと焦燥する…!
…と、その時、ひときわ大きい爆音が響き渡った。
「…ぐうッ!」
数十発のミサイルがもたらす破裂に、とうとうメカザウルス・ライアの機構は屈服した。
強烈な金属音とともに、傷ついた機械蜥蜴は肩から大地に墜落する…
もがくその姿は、もはや「満身創痍」という言葉では形容しきれないほどに破損している。
うちふるう尾もぼろぼろに砕け落ち、全身から青白い火花が散っている。
そして、その鋼の腕は根こそぎ消えうせていた…
ああ、天下無双の剣をふるうはずの腕すら、もはや彼女は持ち合わせていないのだ―!
「ひ、ひゃ、ひゃはははは…!みじめ、みじめよのう、キャプテン・ルーガ!」
醜悪な、吐き気を催すほどの傲慢な嘲笑。
ガレリイの笑い声が、戦場に高らかに響き渡る。
「あの、『鋼鉄の女龍騎士』が!…あの、無敵の剣士が…無様に地べたに這いつくばっておるわ!」
「…」
「ひひ…もはや、貴様には剣をふるう腕もない!そろそろ終わりじゃのおぉ、キャプテン・ルーガ?」
にたり、と笑む。
そして、高らかな死刑宣告。
「このまま、あの『出来そこない』の前で嬲り殺してくれよう!
…木偶の坊の『人間』どもよ、よぉぉぉぉぉく見ておるがいい!
我らが恐竜帝国は、祖国を裏切るような咎人(とがびと)を決して許さんのじゃあああッ!」
「…」
だが…その反吐が出そうな彼のセリフにも、キャプテン・ルーガは何も答えなかった。
ただ、彼女は…呼吸を整え、時に失いそうになる意識を必死に立て直し、目の前を見ている。
しかし、彼女と彼女の愛機に限界が迫っているのは明らかだ。
―もう、一刻の猶予さえ許されない…!
「ひ、日吉ッ!何とか動けないか?!」
健一が、必死に促す。
それに応えんと、小介と日吉は懸命にその作業のスピードを上げようとした…
が、まさにその刹那。
甲高いビープ音が、コックピットに鳴り響く警告音が、冷たく機械的に彼らに言い放った。
「…!」
「え、エネルギー、ゲインが…!」
「ど、どうし…う、ううッ?!」
赤いアラート表示は、無機質に搭乗者に警告していた。
指示された事象を…マグネットアンカーウェーブを構成する電磁力を制御下におく…実行するためには、現在の残存エネルギーでは到底足りない、と。
…すなわち、それは。
彼ら「人間」には、もはや…このマグネットアンカーウェーブの檻を砕くことはできない、ということだ!
「エネルギーが、足りない…?!」
「な…ッ」
「…!」
「ち…ちっくしょおおおおおおお!」
豹馬が、驚愕する。
健一が、絶句する。
リョウが、絶叫する。
―エルレーンの透明な瞳が、凍りついた。
…だが。
動きを止めた戦場の空気を―彼女が、破った。
「…るな」
「ん…?」
ガレリイは、耳をそばだてる。
モニター画面の中、血まみれになったその女龍騎士が―確かに、その唇を動かしていた。
通信機が、彼女の声を音声として再構成する―
「貴様が裁判官ぶるな、ガレリイ」
それは、ここまで追い詰められてもなお潰えぬ、キャプテン・ルーガの意思だった!
「な…?!」
「…私が倒すべき『敵』は貴様に他ならない、ガレリイ長官。
己の才に溺れ、己のみを愛し、己のことしか見えぬ薄汚い小人…誇り高き『龍』の風上にも置けぬ老爺よ」
これほどまでに打ち据えられても、金色の瞳はまだ死んではいない。
その闘志をたたえた瞳の強さに…一瞬、ガレリイは怖じた。
だが、彼は声を張り上げ、まるでそんな自分を叱咤するかのように…なおも彼女を罵る。
そう、この女龍騎士にもはや何ができるというのだ?!
「…は、はッ!死にぞこないが、ほざくではないか!…もはや剣もないに、何を意気っておる?!」
「…ふん」
かすかに、唐突に、彼女は笑んだ。
それは、嘲笑にも、憫笑にも、冷笑にも、苦笑にも、微笑のようにも見えた。
「!」
「る、ルーガ…!」
その笑みはあまりに奇妙で、エルレーンたちを戸惑わせる。
いや、エルレーンたちだけではなく、ガレリイ長官たちをも。
彼らの瞳に映る龍騎士は、なおも言う―
「『剣』…?」
ささやくように。うたいあげるように。
「まだ、あるさ」
顔を上げて。瞳を上げて。
何の憂いも苦しみも哀しみも浮かべぬ。
ただ穏やかさだけが、波風すらない湖面のような穏やかさだけが、彼女にある。
「な、に、」
惑うガレリイに、なおも言う―
「龍騎士(ドラゴン・ナイト)の…最大にして、真の『剣』は!」
天を貫くように!
地を貫くように!
「…己の魂、それのみよ!」
戦士の咆哮。金色の瞳が、炎に燃える。
同時に、それは飛んだ―
オイルと擬似血液と火花と鉄片を撒き散らしながら、スクラップ同然のそれは、
それでも高く高く高く高く空高く、もう一度だけ飛んだのだ―!
「?!」
「あ…ッ?!」
「る、ルーガさァんッ?!」




「…ルーガァアァアァァァァアアァッッ?!」




少女の絶叫を、その耳に聞きながら―
女龍騎士は、静かに胸のうちでつぶやいた。




(…エルレーン)

(これが、私が、お前にしてやれる…最後のことだ)

(後は…『約束』、を…)




「あ…」
「…え、ッ」
「…!」
ガレリイ長官の瞳に、奇妙なモノが映った。
ずたぼろになった機械蜥蜴が…バーニアを全開にし、飛んでいる。
まっすぐに、まっすぐに飛んでいる。
…そう、このメカザウルス・グダに向かって―!
その事実が理解できた途端、ガレリイの表情から一切の余裕が消失した。
「ひ、180度旋回!エンジン全開しろッ」
「な、何故、」
「わ、わからんのかあッ?!…あ奴は、あ奴は…ッ!」
ガレリイの瞳が、驚愕と恐怖で大きく見開かれる―
その瞳の中に、見る見るうちに迫ってくる、あの影。
あっという間に大きくなり、それは槍の切っ先のように―!
彼女の意図に、愚鈍なメカザウルス・グダの乗員たちが気づいた時には、もう遅かった。
瞬時に、グダのブリッジが暗くなる。
強化ガラスに、巨大な影が射したからだ。
その影は…微塵の減速すらせず、頭からブリッジに突っ込んだ。
「…!!」
崩壊するガラスの悲鳴。それに入り混じり、逃げ遅れた者の断末魔。
グダのブリッジの天井を、床を、危機を破壊し、メカザウルス・ライアは己の身をさらに傷つけていた。
疾走する火花が、もはや滅亡の時が眼前であることを示す。
「ああ、ああああッ…!」
エルレーンの頬を、止まらない涙が伝っていく。
メカザウルス・ライアからの通信…キャプテン・ルーガの姿が、まだ、在る。
銀色の鎧…『銀機甲鎧』は、サファイアのごとき蒼にきらめいて。
もう、意識すら保つのも精一杯にもかかわらず。
「…ああ…」
その美しい顔を、真っ青な鮮血に染めて。
「今度は、言える…」
どこかうれしそうな、満足げな表情を浮かべて。
「エルレーン…keine pleine Mrinzessinchen、」
彼女は、エルレーンの知らない言葉で、エルレーンに呼びかける。
モニターの中には、少女の姿があった。
彼女は、ふっ、と安堵した…
今度は、あの子の顔を見て―本当のあの子の顔を見て、逝けるのだ。
だから、キャプテン・ルーガは微笑んだ…
まるで、聖母のように、穏やかな微笑み。
彼女は、ボタンを押した。
全てを終わらせる、最後の一矢。
そして、解き放つ。
あの時は言えなかった、言えぬままでいた、別れのセリフを―




「さらばだ、エルレーン…!」




モニターの中のキャプテン・ルーガが、彼女に向かって笑いかけ…そこで通信が切れた。
「…!!」
見開かれたエルレーンの瞳から、彼女の姿が消えうせた。




そして、刹那。
業火の炸裂。
灼熱の太陽。
爆風の砂塵。
全ては、奇妙なオブジェ…メカザウルス・ライアとメカザウルス・グダを中心にして。
機械も。
生物も。
メカザウルスも。
「ハ虫人」も。
卑劣な老爺も。
高潔な龍騎士も。
溶かして、溶かして、燃やして、壊して―




あまりの強烈な爆発の衝撃は、一瞬エルレーンたちの意識を奪った。



そうして、
十数秒後の後。
再び彼らが意識を取り戻した時には、マグネットアンカーウェーブによって奪われていた全てのコントロールは復元されていた。
それを放っていた巨大な空母の姿は、もうそこにはなかったからだ。






だから。






静まり返った戦場を、少女の絶叫が貫いた。







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