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◆ another Side of the Moon(...and few know it.)(2)
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「この釣り針をなるべく遠くに放り投げるんだ。…で、あとはじっと待つ」
「待つ…?」
「魚がかかるまで、さ」
「…ふうん」
うなずきながら、渡された釣竿を握りしめ…No.0は、じいっと動かなくなった。
釣りの簡単なレクチャーをジロンから受けたNo.0は、ガロードやティファの隣に座り込み、言われたとおりに…ただただ、じいっと待っている。
そこは、ちょっと張り出した岩場になった海岸沿い。
月光に照らされきらきらと照り返す夜の海を前に、四人の少年少女は座り込んでいる。
No.0に釣竿を貸してやったので、手持ち無沙汰のジロン。その視線は自然、No.0に向かう。
ティファとガロードも、隣に座り込む彼女の様子を見つめている。
ごく真剣な顔で、まさしく彫刻のように固まり、じいっと動かず水面を見つめている…
その「子ども」のような真面目くさったポーズが何処かかわいらしくて、ティファたちの微笑を誘った。
…と、その時。
ホバギーのエンジンの唸り声が、遠方から闇の空気を震わせてくる。
そして、甲高い女の子の呼び声が、彼の「名前」を呼んできた。
「ジーーーーローーーーーーンッ!!」
「!…お、チル!」
「ひとりで釣り行っちゃうなんてずるいー!アタイも混ぜてよッ!」
出迎えたジロンのまん前でホバギーを停止させ、ぴょん、と元気よく飛び降りてきた幼女…アイアン・ギアーはサンドラッドのちびっこ隊員、チル。
わたわたとあわただしい動きで、ホバギー(背の低い彼女が運転できるよう、木で出来た特製踏み台が装備されている)にくくりつけた釣り具をとりはずそうとしている。
ロープをほどこうとしてほどけないその不器用な手つきをみかねたのか、ジロンが手伝ってやった。
にこにこと明るい笑顔を浮かべながら、彼女はちっちゃな両腕に釣り具を抱えて、ひょいっ、と身をひるがえした…
その時だった。
…どさっ、ぼさっ、という音。
ティファたちが、その音でこちらを振り向いた。
チルの手から落ちた釣り竿やバケツが、砂浜に落ちて軽く沈み込む。
チルは、金縛りにあったがごとく、身体中を強張らせ動けなくなっていた。
瞬時に顔面蒼白になったチル、彼女の視線の先にあるモノは…
No.0。
チルだって知っていた、それがどんなに恐ろしく、危険なモノであるか、ということを。
彼女だって見ていたのだ、あの戦いの様を…アイアン・ギアーから、恐怖と驚愕に震えながら!
…と、チルの視線に気づいたのか、半身ひねってこちらを見ていたNo.0が、すっくと立ち上がった。
釣り竿を隣のティファに託し、こっちに向き直る。
天空から照らす月光が、彼女の青い影を砂の上に落とす。
そして、No.0は…まっすぐ、こちらに向かって歩いてきた。
「…わ、わわ…ッ…?!」
「!…チル…だいじょぶだ、心配すんな」
「し、しんぱい、すんな、って…」
ジロンが小声でなだめるが、そんなものでチルの怯えは収まるはずもない。
そうこうしている間にも、彼女はゆったりとした足取りで…確実に、こちらのほうに向かってくる!
ざくっ、ざくっ、という、砂を踏む音が、驚くほど空疎に響いた。
そして、彼女は自分の前で立ち止まる。
見上げるチルの、恐怖で大きく見開かれた瞳に映る…あの狂える悪魔が、自分を見下している!
ひょいっ、と、軽くかがみこむ。その二本の腕が、動く。
すうっ、と音もなく、その腕は自分に向かって突き進んできた…!
「…」
「…!!」
びくうっ、と、チルの全身が恐怖で震えた。
目をぎゅうっ、と硬く閉じ、何をされるのかと怯えるあまり、その身体を石のように強張らせている…
しかし、数秒の後。
彼女は、奇妙なことに気がついた。
…そのNo.0の両手は…そっと、チルの両頬をなぜるようにやさしく動いていくのだ。
その手のひらから伝わるあたたかさ。
思わず、チルはもう一度目を見開いた。
…目の前には、No.0の顔…リョウと、エルレーンと、同じ顔。
何処か不思議そうな、興味深そうな表情がそこには浮かんでいる…
少なくとも、あの時…真・ゲッターに乗っていた時、彼女が見せていたような狂気は…まったくその中には存在しなかった。
「…??」
「へえ…お前も、顔が、まんまるだなあ…何だか、かわいいぞ?」
「え、えと…」
「No.0!…こいつ、俺の『仲間』の、チルってんだ。…ほら、チル、あいさつはどうした?」
「う、うん…??…あ、アタイ、チルだよぉ…」
No.0のあまりの毒気のなさに、何だかあっけにとられてしまったチル…
あの時の様子からはとても想像できないような、邪気のまったくないNo.0…
そのギャップのものすごさに混乱してしまっている。
それでもジロンに促されるままに、彼女は自分の「名前」を名乗った…
「ちる…?…ふうん、それがお前の『名前』か…お前も、ジロンみたいに、まんまるだな!」
「ま、まんまる〜ッ?!…むーっ!」
まんまると言われた途端、それを悪口ととってしまったチルの顔が怒りでぷうっ、と膨らむ…
だから、余計に丸い顔がまんまるくなってしまうのだが、彼女としては真剣だ。
が…No.0のほうは、やっぱり彼女の怒りの理由がわからないでいる。
「?…何で、お前も怒るんだ?…だから、かわいい、って言ってるのに」
「…」
そう言いながら、やはりほっぺをなでなでする(ジロンにもそうしていたところを見ると、これが彼女特有のかわいがり方なのかもしれない)。
なでなでされてちょっと照れたのか、赤い顔でその腕をそっと振り払うチル…
とてとて、とNo.0から逃げるように離れ、ジロンのそばに寄っていく。
彼の右腕をぐいっ、と引っ張って、顔を自分のほうに近づけさせる…
そうしながら、ひそひそとごく小さな声でささやく…彼女に聞こえないように。
「じ、ジロン…ねえ、この人ってさ、こないだの…」
「…ああ。リョウたちが説得しようとして、失敗してた…」
「で、でも…何で?…な、何か、あの時と…全然、違うよ?」
「うん…」
ジロンは、穏やかにうなずき、ちょっと笑った。
チルはその笑みの意味がわからず、眉をひそめる。
「チル?」
「ひゃ、ひゃいッ?!」
その当人にいきなり「名前」を呼ばれ、両手を放り出して飛び上がるチル。
「…お前も、釣り、するのか?」
「う、うん…釣り竿も、持ってきたし…」
「こっち来いよ、お前も。…何か、こうやって…待ってれば、いいらしい」
「…」
そう言いながら、No.0は軽く手招きし、チルを誘う。
唇の両端を持ち上げ、軽く目を細めて。
その表情は、確かに…チルの目にも、笑顔に見えた。
…まるで、エルレーンみたいな…おっとりした、かわいらしい笑顔のように。
…だが、この人は…
「が、ガロード、ティファぁ…」
「…んな顔すんなって、チル!…ほら、お前も釣竿持ってるんだろ?」
「う、うん…」
どうしていいかわからず完全に混乱してしまったチルが、ふにゃあと両眉を下げて、助けを求めるようにガロードたちを見やる。
そんなチルに、ガロードがあっさりとした笑顔で答えてしまった。
(…なんか、おかしいけど…なんか、やだけど…ジロンたちがへーきみたいだし、…だ…だいじょぶ、だよね…)
結局、彼女は逆らいきれず…釣り具をもう一度両腕で抱えなおし、とぼとぼ、と彼らのほうに歩いていくのだった。

「…」
「…」
「…」
「…」
静かな波が寄せる音。
No.0は、相変わらず真剣そのものといった顔つきで、釣り竿をその手に握りしめ、ただただひたすらに水面を見つめている。
その隣で、見るとは無しに星空を眺めているティファとガロード。
ジロンも、チルから釣り竿を借り、糸をたらして魚がかかるのを待っている。
その代わりに、チルはあぐらをかいたジロンの足の間にちょこなんと座り込み、海面をぼーっと見守っている。
少しそこから離れた場所には、メカザウルス・ロウ。
胸の辺りまで海水につかりながら、背中を丸めた楽な姿勢で安らっている。
ちゃぷん、ちゃぷん、というさざなみの感触が心地よいらしく、時折…るるん、るーん、というような、何だか子犬が居眠りでもしてるみたいな規則的で穏やかな鳴き声をもらしている。
静かな波が寄せる音。
しかし、やがて…釣り糸を見つめていることにさすがに飽いたNo.0が、口を開いた。
「…ティファ」
「!…何かしら、No.0?」
「これ…いつ、魚がかかるんだ?」
「いつ、って…さあ、それはわからないわ」
ティファの返答に、No.0はその大き目の瞳をぱちくりとさせた。
「わからない…?…わからないのに、じっと待ってるのか?このまま?ずうっと?」
「No.0ぉ、『待つ』ことも釣りの楽しみの一つだぜ〜?」
「…?」
無意味に思えるこの待機時間、しかもそのキリのめどは立たない…その不可思議で理解できない「釣り」というモノに疑問を呈するNo.0。
そんな彼女に、ジロンがまるで太公望気取りでのんびりと諭してみせる。
「こうやって、釣り糸を垂らしながら魚を待ちつつ…己の人生に思いを馳せたりするんだよ!」
「…ぷぷっ!似ぃ合わないだわさ〜、ジロン?!」
「あ、こら、チル、お前!失礼なことを!」
が、チルにけらけら笑われ、すぐさま反撃に移る太公望らしからぬジロン。
No.0は小首をかしげ、やはり不思議そうに二人を見ていたが…
その時…両手に、つん、という、妙な感触。
思わず、手の中に握っているモノに目をやってしまう。
「…」
「…ん、どした、No.0?」
「…」
「な、No.0…?」
「…何か、動いてる」
「え?」
No.0がぽつりと漏らした一言に、ガロードが目をやると…
「!」
No.0の釣り竿が、くん、くん、と連続して揺れ動いている。
釣り糸が何者かに引っ張られている…それも、かなり短い間隔で!
「ひ、引っ張るんだよ、No.0ッ!」
「え、え…?!」
魚がかかっているにもかかわらず、ぼーっとそれを見ているばかりだったNo.0は、ガロードに叱り付けられるように急に怒鳴られ…きょとん、として、かわいらしく困っている。
それを見かねたガロードやティファが慌てて彼女のそばによる。
すぐさまティファがNo.0の後ろからその竿に手を伸ばし、魚が逃げないように、引っ張るのを手伝ってやる。
ガロードもティファの肩越しに竿に手を出し、それに加わった。
「ほら、こうやってぇ…ッ!」
「う、うんッ…!」
よく状況が理解できないながらも、ともかく今はこの棒みたいなものを思い切り引っ張ればいいのだ…
そう納得したNo.0も、一生懸命体重を後方にかけ、ティファたちと一緒に全身で魚の抵抗に立ち向かう。
「チル!バケツ、バケツ!」
「はいよッ!」
ジロンとチルはすばやくそのサポートに回る。
「…!」
そして、見えない魚と少年少女たちの攻防がしばし続いて…
拍子抜けするほど突然に、そのときはやってきた。
「!」
急に、釣り竿に響くほど感じていた彼奴の抵抗が…ふっ、と無くなった。
その途端、しゃがみこんで懸命に踏ん張っていたNo.0たち3人は、勢い余ってそのまま後ろへどすん、とすっ転んでしまった。
「うわあッ?!」
「いでッ!」
「…いたた…」
三者三様の悲鳴。折り重なるようにして倒れこんだ彼女たち…あまりの突然さに面喰らい、目を白黒させている(とっていた体勢上、現在はティファとNo.0の下敷きになっているガロード…彼は別の意味で目を白黒させている)。
「No.0ッ!」
「…!」
ジロンの声に、No.0が視線を上方に向けた…
きらり、と月光にきらめき、空を舞っているモノがあった。
そのモノの先端につながっているのは、月の光の中で光る釣り糸のテグス。
空を飛ぶその物体は、いくばくかの間の後…
どさっ、と音を立て、No.0の足元に落ちてきた。
健闘むなしく敗れたその魚は、何だか悔しげに…せめてもの抵抗だ、とでも言うように、全身をくねらせ、ぴちゃぴちゃと水滴を跳ね上げている。
砂を払って立ちあがるNo.0…その目は、その物体に釘付けだ。
「おおッ、でっけええ!やったじゃん、No.0!」
「わあ…すっごおい!」
ジロンたちの歓喜の声に、ようやく彼女も気づいた…
どうやら、自分の「釣り」はうまくいったのだ、ということに。
「…」
「よかったわね、No.0…!」
「う、うんッ…!」
ティファの賛辞に、はにかみながらNo.0はうなずく…
そっと、砂の上でぴちぴちと跳ねるその魚を手にとってみた…
海水にまみれた魚鱗が月光を照り返し、ぎらり、ぎらり、と白くまたたいている。
その美しい魚を見つめる彼女の表情に、照れたようなうれしそうな笑顔が浮かんだ…
まるで「子ども」のような、あどけないと言えそうなくらいに幼さの目立つ笑顔。
そんな彼女を…チルは、見ている。
「…ねーねー、ジロン…」
「何だ、チル?」
チルはジロンに問いかける。
「この子…本当に、こないだのあの子なのかあ?」
「ああ…あの腕の傷見りゃわかるだろ」
「で、でも…何か、本当に、全然違うっていうか…」
「…ああ、そうだな。…いいじゃないか、チル。…つまり…」
ティファたちと一緒に、水を入れたバケツに泳ぐ魚に見入っているNo.0…
彼女を横目で見ながら、ジロンは何処かおどけたような調子でこう言った。
「No.0は、本当は…こういうところもある女の子だった、ってことさ。…それで、いいんじゃない?」
「…」
ジロンの言葉に、ぽかあんとした表情を浮かべるチル…
あっけにとられたとでもいうように…ちょっとだけ、首をかしげた。
「…それとも、チルは…そんなあの子は嫌いなのかい?」
「う、ううん…!…そーじゃない、そーじゃないよ!…へへ、そっかあ…」
「…何だい?」
だが、ジロンがそう問いかけると、彼女は慌ててぶんぶんと首を振る。
そして、何だか世紀の大発見でもしたような、驚きと喜びに満ちた表情で…湧き上がる興奮で頬を上気させながら、こう答えたのだ。
「そっかあ、本当は…かあいい女の子だったんだねえ。
…あの時は、頭がどうかしてるんじゃないかって思っちゃったけど、…だけど…そっかあ、そうなんだ…!」
心底納得した、というように…チルは、何度も何度も笑いながら自分でうなずいている。
そんなチルを見て、ジロンは…ただ、無言で薄く笑んだ。
「…よおし、俺たちも負けずに釣りまくろうぜ!」
「よっしゃあ!」
どちらともなく、にいっ、と笑みを交わしたジロンとチル。
再び釣り竿を手に座り込み、力いっぱい振りかぶって、釣り針を海中へ投げ入れた。
「!…へへ、言ってる間に来たぜ!」
…と、それから数秒もしないうち、早速反応がきた。入れ喰いだ。
があん、と勢いよく引っ張られる感触。
ジロンは両手に気合を入れ、渾身の力で引き戻さんとする。
「…く、くうッ…こ、こりゃ、デカいぜ!」
ががん、と釣り竿を通して腕に伝わる、激烈な魚の抵抗。
ジロンはすぐさま立ち上がり、両足をしっかり踏ん張ってそれに対抗する。
が…彼の相手は、いささか強大すぎたのだ。
二段、三段。引きがどんどん強くなる。
踏ん張っているはずのジロンの両足が、少しずつ…前へ、前へと引きずられていく。
「?!…え、え?!」
「じ、ジロン…?!」
ぎゅいん、と、釣り竿が大きくしなった…次の、刹那。
「…のわーーーーーーーーッ?!」
「じ、ジローンッ?!」
…哀れ、ジロン・アモス。
途方もない引きを喰らった途端、彼の身体は…魚の強烈無比な引きとしなう釣り竿の反動を受け、空中高くに舞い上がっていた…
そう、彼は空を飛んでいた。
あっという間に、ジロンの姿は闇の夜空に吸い込まれていき…そして、ある一点でぴたり、と静止する。
…と思った瞬間、今度は重力の法則に従って、彼は…勢いよく、夜の海へと突っ込んでいく…
「ふんぎゃあッ」
そして、じゃっぱああん、というド派手な音と高い水しぶきとともに、ジロン・アモスの姿は海原の中に消えうせてしまったのだった。
「…!」
ぱっ、と海面にそびえる背中に目を向けるNo.0。そして、短く彼の「名前」を呼ぶ。
「ロウ!」
…と、すぐさまその呼び声に答え、その巨大なしっぽを海中にずぶり、と突き刺すメカザウルス・ロウ。
すると、数秒後…それを探り当てたロウのしっぽは、再び海面に浮上した。
「…げほっ、げほ…へ、へへ…」ロウの尻尾に引っ掛けられるようにして引き上げられたジロン。
飲み込んでしまった海水を何とか吐き出した全身濡れねずみの彼は、何だかばつが悪そうに弱々しく笑う。
「大丈夫かよ、ジロン?!」
「ああ、何とかね…お世話かけます」
ガロードたちに力なく手を振り、自分を海中からすくい上げてくれた恐竜にも礼を述べる。
ロウは、るうううん、と満足げに低くうなって、ゆっくり彼を岸辺まで送り届けた。
ずうん、という重みのある音とともに、ロウの尾の先端が砂浜に降りる…
ジロンは億劫そうにそこから地面に降り立ち…一発、でかいくしゃみをして、身体をぞくぞくと震わせている。
「うひゃああ、すごいねえ…!この恐竜ー!ちゃんとNo.0の言うこと聞くんだぁー!」
海水に濡れ、きらきらと輝く彼の尻尾をぺちぺちと叩きながら、チルが感嘆の声を上げる。
メカザウルス・ロウは、「そーお?」とでも言うように、少し誇らしげに…るううん、と鳴いて応えた。
「ふふん…!当然だぜ、ロウは俺の…たった一つの『トモダチ』だからな!」
同様に、己が友を誇らしげに語るNo.0…
しかし。
そのセリフの中の、ある一節が…チルの心にひっかかった。
「?…たった、一つ?…No.0は、他に…『トモダチ』、いないの?同じ『人間』の『トモダチ』はいないの?」
「ち、チル?!」
「う…」
疑問に思ったことをそっくりそのまま、No.0に向かって真顔で問うチル。
「子ども」らしいと言えば「子ども」らしいのだが…あまりに率直過ぎるその質問は、No.0にとって残酷なモノでしかない。
…果たせるかな、No.0は…何も言えずに、眉根をひそめて、うつむいてしまった…
もどかしげに開かれた唇が、だが何の返事も生み出せないまま、無念そうに再びつぐまれた。
そんなNo.0のつらそうな様子を、チルは…じっと、そのまんまるい目で見ていた。
一瞬の間。
チルは、その短い時間で、「子ども」らしい即断即決、ストレートな情感をもってして…それをすることに決めたのだ。
「ふぅん、だったら」
にぱっ、と音がしそうなくらいに、愛らしい笑顔を浮かべた。
そして、彼女は言ったのだ…こともなげに、いとも率直に。
「…だったら、アタイがなったげるよ、No.0の『トモダチ』に!」
「!…え…?!」
思わぬ申し出に、No.0は一瞬言葉を失う。
困惑する彼女に、にこにこと笑みながら…やはり素直に、まっすぐに、チルは問いかけてくる。
「ね?アタイじゃ嫌か、No.0ー?」
「い、嫌だなんて…!で、でも、な、何で、お、俺なんかの…」
「『トモダチ』は多いほうがいいじゃんか、ねー、ジロン!」
「…!…ああ、そうだな!」
「せっかくこうして会えたのも何かの縁、ってことさ…だろ、ティファ?」
「ええ…!」
No.0同様、最初はチルの言葉に驚いていたジロンたちも…やがて、それに和する。
「そ、それじゃあ…お、お前ら、」
No.0は興奮のあまりか、ごくん、と息を呑んだ。
驚きで瞳を大きく見開いて、あふれかえりそうな感情に震える声で…
「お前ら、俺の…俺なんかの、『トモダチ』に…なってくれる、って、いうのか…?!」
四人は、にっ、と笑ってうなずいた。
その「答え」を受け取った彼女の表情が、まるで太陽のように明るい満面の笑みに変わる…!
「…わあ…!…『人間』の『トモダチ』が、一度に四人も出来るなんて…!」
内側から突き上げてくる、たまらない歓喜の波。
ガラスのような彼女の瞳は、意図せず浮かび上がってきた涙でうっすらときらめいている。
きらめく玻璃の瞳に映りこむのは、ティファ、ガロード、ジロン、チル…
生まれて初めて出来た、自分と同じ…「人間」の「トモダチ」。
ちょっとばかりの恥ずかしさ、だが…なんて、甘美で素敵な心地なんだろう!
今にも飛び上がらんばかりの興奮の様を見せるNo.0…
両手を胸の前でぎゅうと組み合わせ、あふれ出る喜びをこらえきれず、はああっ、と陶酔したため息を吐き出す…
忠実な彼女の友…恐竜の「トモダチ」もまた、頭をゆっくりとめぐらし、うれしそうに…るううううん、と鳴いている。
空に振り上げられた尻尾が、ぱたぱたと左右に振られている。
その様子を見る四人の顔に、笑顔が勝手に浮かんできた。
ふつふつと、こころの中に湧き上がってくる…
それは、ほのかな…いや、それははっきりとした、彼女に対する親愛の情。
「トモダチ」が出来た、と喜んでいるNo.0…そんな彼女の笑顔は、彼ら自身のこころをもうれしくさせてくれる。
素直で、無邪気で、ちょっとばかり世間に無知な…だが、とても愛らしい女の子。
もはや、彼らのこころにあの日のNo.0の残像は無かった。
全て塗り替えられてしまった…彼女自身によって。
「で、でも…お、俺なんかの、『トモダチ』になってくれるなんて、何か…」
「何言ってんだい、せっかくこうして会えたんじゃん!」
「あ、ありがと、ガロード…!」
笑いながら肩を親しげに突くガロードに、はにかみながら、うれしそうに彼女は礼をつぶやく…
「!…ふふ」
…と、何かを思いついたらしい。明かりがぱっとともるように、彼女の表情が変わる。
微笑を浮かべたまま、すっ、とガロードに近寄る…彼女の吐息が、頬に感じられるほどに。
No.0の白い手が、ガロードの肩に触れる。
突然そばに身を寄せられ、ガロードの心臓が高鳴りだした…その、刹那。
No.0は、そのまま…自分の唇を、そっと、ガロードの右頬に押し当てた。
「…?!」
「おわー、No.0、ダイタンだわさぁ」
ガロードは瞬時に石化した。ジロンとティファの目は点になる。チルの反応だけが、やたら冷静だった。
そして、その…数秒後。
思わぬ「攻撃」を受けたガロードは、があっと頭に血が上り…見事なくらいのパニックに陥った。
「?!…お、あ、あ、あ、な、な、No.0ッ?!」
「…?!」
…が、驚いたのはガロードたちだけではない。
真っ赤になって大混乱するガロードを見たNo.0もまた、びっくりしたような顔をして…大きく見開いた瞳で、彼を見返している。
「お、おま、お前、な、何すんだよッ、いきなり…ッ」
「や…やっぱり、嫌…なのか?…あ、あのオッサンもそうみたいだったし…やっぱり、ありゃ嘘だったんだ…?!」
「な、何のことよ?」
わけのわからないことをぼそぼそとつぶやくNo.0に聞き返すガロード…
すると、彼女は、何だかうつむき加減になって…恥ずかしそうに、やはりぼそっと口にした。
「れ、礼のつもり、だったんだが…い、嫌か?『きす』されんの」
「…へ?」
「む、昔、ちょっと…本で読んだことがあるんだ。
…お、女がこういうふうに、男のほっぺに…ちゅっ、てすると、それがうれしくって男は喜ぶ、って。…や、やっぱり、ち、違うのかなあ?!」
自分が書物で学んだ知識がどうやら誤りのようだ、と推測した彼女、困ったような顔でガロードに思い切ってそう聞いてみる。
「い、いや…」
「!…そ、それとも…原因は、俺…なのか?!お、俺じゃ、ダメなのか、ガロード?!」
どう答えていいか、ガロードが惑っているうちに…彼女は、今度はその原因を自分自身に求めはじめた。
かあっ、とNo.0の顔が真っ赤に染まり、彼女は哀しげにそう訴えてくる…
あのおっさんも、このガロードも、自分の「礼」に喜んではくれない…それはひとえに、自分がダメだからではないか、と。
「そ、そんなことないよ!…た、ただ、びっくりしただけだよ!いきなりそんなことされたからさあ!」
「そ、そうなのか…?お、俺のせいで、嫌なんじゃないのか…?」
「そうじゃないよ!だって、…お前、すっごいかわいいし!」
「?!…かわ…いい…?!」
目を見開くNo.0。
まったくかけられたことのない形容に、その表情が見る見るうちに変わっていく…
「あ、ああ。かわいいし、きれいな顔してるし、すっごくスレンダーだし」
「…お、俺…そ、そんなこと、言われたの、はじめてだ…」
再び、かあっ、と、No.0の頬が真っ赤に染まっていく…今まで一回もかけられた事のないほめ言葉に…照れるあまり、かすかに身をよじらせる。
「そうなのか?…いやあ、そりゃお前の周りの奴らに見る目が全然なかっただけだって!」
その反応がかわいらしかったので、ガロードはさらに彼女を誉めそやす…
雨あられと降る賛美に、No.0は戸惑いながらも…やはり、嬉しそうなはにかんだ笑みを浮かべている。
「…そ、そう…なの、かな…?」
「そうそう!」
「なあ…ガロード…うふふ、もっと言って…?」
「?!…え、あ、あの…」
「…」
…と、にわかに彼女の表情が変わる…
とろん、とした目でうっとりとガロードを見つめ、もっとそう言ってほしいとおねだりしてきた。
色っぽい表情で見つめられ、急にどぎまぎしてしまうガロード…
そんな彼の様子を、ティファが無言で見つめている。
「てぃ、ティファさん?!…な、何でそんな目で見るんだよ?!」
「…別に」
その視線に気づいたガロードが、大慌てするが…彼女は無表情気味にすぱっと言い放つ。
…が、言葉と裏腹に、ティファの視線は冷たい。マジンガーZの冷凍ビームよりも冷たい。
「ちょ、ちょっと?!ねえ、ティファ?!」
「…」
そして、彼女はとどめに…話すことはない、とばかりに、ふいっとガロードから顔を背けてしまった。
「ありゃー、あらららららー」
「ふんっ、しょおせん男なんてこんなモンなんだわさー」
思わず無意味な驚きの言葉を口走るジロン…
それに応じるように、「所詮」のところに奇妙なほどに豊かなイントネーションをつけて、チルが大人びたセリフを口にする。
「…?…ティファ、どうしたんだ?」
「んもう、No.0ったら、悪女なんだからー」
「『アクジョ』…?何だ、それ?」
「んふふ…」
が、その根本原因を作ったNo.0は、どうやらまったく事の本質を理解していないらしい。
チルのからかいにも、不可思議な顔をして眉をひそめるだけだ。
「なあ、何なんだ、それ?なあ、ティファ…何でお前、怒ってるんだ?」
「…別に…怒ってないわ」
「う、嘘だぁ…」
理解が出来ないNo.0が、ティファのそばに寄り、率直にそう問うた…
ティファはすぐさま、真顔で淡々とそう答えたのだが。
ガロードの口から思わず漏れたそのセリフ…それが、本当のところだろう。
「あっち行きましょ、No.0」
「てぃ、ティファ…?!」
「わ〜ん、ごめんってば!ごめんって!…許してよ、ティファ〜ッ!」
半泣きになりながら、ティファの背中を追いかけるガロード…
そんな彼をからかうように、ティファはさっさとその追跡を振り払う。
彼女に手を握られ連れ回されているNo.0は、やっぱりわけがわからないようで、困ったような顔でそれについていく…
「ぷぷぷ…ガロードったら、慌ててやんの〜」
「…」
「ん?…どったの、ジロン?」
その(ハタから見ている分には)面白いアトラクションに笑いをこらえきれないチル…
が、隣のジロンが不服げな表情をしたまま黙り込んでいることに気づき、何故かと問いかけた。
「…俺は…?」
「へ?」
「俺だって、男なのに…なんで俺には、『礼』してくんないんだよ…?!」
ぶすっ、とした表情のまま、不機嫌そうにそう言い放ったジロン…
それを聞いたチル、一旦きょとんとしたものの…すぐにしたり顔になり、彼を気安げに叩きながら、こう言ってのけた。
「…んもー、ジロォン…そんなの、決まってんじゃない」
「…何だ?」
軽く首を振りながら、チルが言ったことには…
「カオに決まってんじゃない、カオ!」
「…」
そして、数秒の間。

「いでッ?!」
ごきゃん、という、ちょっと硬めの音が、波音に混じって夜空に響いた。


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