ドイツ語アルファベットで30のお題
〜「流浪の吟遊詩人」編〜


ドイツ語アルファベットで30のお題〜「流浪の吟遊詩人」編〜
E die Erinnerung 記憶 回想
"Eleanor Rigby"
The Beatles


「ジョン」
神父が俺に、どこか不安げな、だが不遜でもある態度でそう言う時は、必ず何か頼みごとをしたがっている時だ。
「はい」
「明日」
そこでいったん区切り、神父は灰色のため息を吐く。
それは無意識なのか、彼は一日何度も何度もため息を吐く。
「午後に、埋葬を。手伝っていただきたい」
「はあ」
「白い花を適当にみつくろって買ってきてほしい。いいかね?」
「はい」
「彼女は身寄りのない人でね。昨日、ここでふいに亡くなられたから…
葬儀をしたいのだが、私ひとりでは手に余ってね」
神父は、淡々とものを話す人だ。必要のないことは語らない。
まるで感情が静まり返ってしまったがごとくに。
「わかりました。何時に?」
だから、俺も淡々と返す。
どのみち、俺はこの教会の墓守なのだから、それは当然の職務だ。
…けれど。
俺は、胸のうちでひとりごちた。
(誰も来ない、葬式なんて―)

「これでよし、と」
神父はぱんぱん、と手を払った。
その音がやけに派手に響くほど、他に人気もない墓場は静まり返っている。
祈りのことばを捧げ、花を捧げ、棺を大地に下ろし、埋葬した。
まくりあげられた袖に、跳ね飛んだのか泥がついている。
「神父、袖が」
「…ああ」
俺が言うと、彼はのろのろとそれを拭った。
黒い服に、白く薄汚れた泥の跡。
「それにしても…」
墓所に、生ぬるい風が吹いた。
空は青く澄んで晴れ渡っているのに、むしろここの空気は暗く澱んでいる。
「このばあさん、本当に…誰も、いなかったんですね」
「ああ」
俺の脳裏に、ばあさんの生前の姿がふと浮かんだ。
ばあさんはこの教会の掃除婦だった。
結婚式が終わったあとの教会。
誰もいない、ひっそりした空間。
いつものように祈りを捧げに来たばあさんは、ばらばらと床に散った祭りの後…ライスシャワーの残滓に気づき、それを拾っていた。
一粒、一粒。
ばあさんは己を語らない人だった。
俺も、あいさつぐらいしかことばを交わしたことがない。
けれど、これくらいのことは察することができた―

孤独な人、だと。

この世に別れを告げる時となっても、見送りに来た人もなく。
「哀しい、な」
神父が、ぽつり、とつぶやいた。
「誰もこない葬儀というのは」
俺は、無言でうなずいた。

…けれども。

だが、俺は。
どうしてもそう思わざるを得なかった。

ぼろぼろの教会。
朽ち果てつつある墓地。
人はこの場所で祈ることを忘れ、
そして、神父も。

誰も来ないミサのための説教を書き、
夜もたった一人、一人で過ごす。
やがてその時が来たら、あなたはばあさんと同じように
今日と同じように、孤独のうちに葬られるのではないか―

あなたもそうじゃないか。
あなたも孤独で、哀しいんじゃないのか。
そして、俺は―

嗚呼。
青い空の下、小鳥の歌だけが聞こえる。
ここには、
墓守の俺と、マッケンジー神父と、そしてばあさんしかいない。


エリナ・リグビーの淋しい葬儀が、終わった。


(2011/1/9)