ドッキドキ!ドクター・ヘルの羅武理偉(ラブリィ)三国志珍道中☆ (7)


臥龍の挑戦:1


「…!」
それは、夜。
素朴な家の中、揺らめく燭台の炎の元で。
届けられた書簡を読むその瞳が、驚きと喜びで見開かれる。
軽く頬を上気させそれを読み入っている少女は、その新たな「名前」をアシュラ男爵と言う。
袁紹軍・張コウ将軍に仕える校尉・夏圏使いのドクター・ヘルが副将の一人である。
「おい、アシュラ」
「!…ブロッケンさん」
そんな彼女の背中に、ややはすっぱな娘が声をかける。
短髪の髪を軽くはねさせたその娘もまた、ドクター・ヘルの副将…
妖杖使いのブロッケン伯爵だ。
彼女がアシュラに言うことには…
「何でもよ、ヘルのおっさんが諸葛亮に会ってきたらしいぜ」
「えっ…あ、あの高名な?!」
「ああ」
アシュラがはからずも仰天の声を上げてしまったのも、無理はない。
諸葛亮…字は孔明。
「臥龍」と呼ばれるのは、その秘めたる才の故。
多くの武将に軍師として望まれながら、未だ誰にも仕えることをせずに、草庵をかまえて晴耕雨読、学問をたしなみ物静かに暮らす…
それ故に、「未だ天に昇らぬ龍」として、既に名を馳せていた。
その風変わりな知者と、彼女たちの主君は何を語ったというのか…
「それでよ、その諸葛亮から何でも特務を請け負ってきたんだってよ」
「特務…」
「でさ、明日出発するみたいだから、アタシとお前とどっちがついてくか決めようぜ?」
「あ…はい」
どうやら、何ごとかの特務を与えられたようだ。
しかも、その出発は次の日だという…
…ところが。
「どうする?…正直、アタシは面倒くさそうだから嫌なんだけどさ」
妖杖使いの少女は、気が乗らない風だ。
肩を軽くすくめてそう言うブロッケン伯爵。
ちなみに、今現在ドクター・ヘルの副将は、彼女とアシュラの二人だけ。
そして、彼女が行かないのであれば…
「そ、それでは、私が参りましょう」
「そうしてくれっか?悪いな」
「いえ…」
結果としては、アシュラ男爵が行かざるを得ない。
多少すまなそうな風を見せるブロッケンに軽く首をふりながら、アシュラは微笑する。
と―
おもむろに立ち上がり、戸口に向かう。
「ん…?」
それを見咎めたブロッケンが、彼女の背中を呼び止める。
「もう夜だぜ?何処いこうってんだ、アシュラ?」
「ええ、ちょっと…」
だが、アシュラはあいまいな言葉とあいまいな笑みを残すだけ。
そのまま木戸をからからと開け、するりと夜の街に歩み出でていった。
「…?」
…家に残されたのは、首を傾げる少女が一人。
かたり、と音を立てて閉まった木戸を、ぽかんとした表情で彼女は見ていた…


「囲魏救趙(いぎきゅうちょう)」
未だ眠れる龍、「臥龍」の二つ名で知られる男が口にしたのは、三十六計中の勝戦計の一つであった。
敵を動かしめ、疲弊させてから各個撃破を行う作戦である。
その名を冠した、諸葛亮の挑戦とは…一体如何様なる物なのか?
「要するに、だ」
己が得物・円月圏を手にした長身の男は、吐息混じりにその説明をこう締めくくった。
「布陣を理解し、如何に敵の拠点を落とすか…その力点はやはり、『敵の虚を付く』ことにある」
今を遡ること五百有余年。
戦国時代に斉と魏の間で争われた「桂陵の戦い」…
魏の大軍に囲まれた趙都を救うため、手薄であった魏都を斉の軍勢が急襲したと言われる戦。
その戦では、強大な戦力を誇る敵軍とぶつかるのではなく、敵の弱点である警護の弱い都市を落とすことによって戦況が大きく変化した。
それを名して「囲魏救趙」と呼ぶのである。
「まあ、あの変人で有名な諸葛亮のことだからな…何があっても驚きはしないが」
「そ、そうですね」
ふっ、と苦笑しながらそう呟く己が主君に、アシュラ男爵は微妙な笑みを浮かべて和した
(もちろん、内心では「お前が言うな」と叫んでいたことは言うまでもない)。
道を歩んでいく、二人の夏圏使い。
太陽の柔らかな光が、きらきらと草原を照らし出す。
そして…
「…おや、やってきましたね」
やがて、彼らの行く先に。
白い装束をまとった男の姿が、ぽつり、と現れた。
そう。
彼こそが、諸葛亮―
羽扇を手にし、不可思議な薄い笑みをその唇にたたえる、底知れぬ賢者。
「それでは、ドクター・ヘル」
「…」
「私の指示に従い拠点を制圧し、敵に包囲された味方を救うのです」
じゃり、と、踏みしめられた土が小さな泣き声をあげる。
銀髪の大男と、愛らしい少女を前に。
諸葛亮は、その扇にて戦場を指し示す―
見下ろす先には、彼が用意したこの特務の舞台が在る。
いくつかの拠点が点在する、広い草原。
「指定された拠点を時間内に制圧するのです。
結果次第ではあなたの名を序列に加えてもよいでしょう」
「ふん…そんなものはどうでもいい」
諸葛亮の言葉に、ドクター・ヘルは軽く笑い返した。
そのような風評や名誉など、彼にとっては何の意味もなさない。
彼にとって最も大切なのは、「美」そのもの―
それ故、彼は鼻で笑うのみ。
そう、彼が目指すのは―
「だが」
ぎらり、と、その深緑の瞳に、妖しい光が宿る。
にいっ、と、その赤みの差した唇が、不敵な笑みを形どる。
「挑まれたからには、最善を尽くさねばな…!」
「その意気です」
彼が目指すのは、「美しい」勝利。
猛りはじめたドクター・ヘルを前に、臥龍もまた謎めいた微笑で応酬した…
「では―」
そして、その時がやってくる。
「敵味方の布陣は確認できたましたね?」
穏やかに促す諸葛亮に、ヘルは無言でうなずいた。
「今回の敵勢の要は1番・5番・7番の拠点です」
「!」
「私が指す拠点をできるだけ早く落としてください」


<1番・5番・7番の拠点を できるだけ早く制圧せよ!>



放たれた命に、刹那、ヘルの表情がかすかに曇る。
それもそのはずだ…
ただ、拠点を落とすことなら楽勝だ。何の問題もない。
だが…彼は、こう命じたのだ。
「できるだけ早く」。
それこそが、この特務を「美しく」達成する上での何よりの条件なのだろう…
…しかしながら。
これほどまでにお互いに離れた拠点。
そこまでたどり着くだけでも、相当な時間を要するだろう…
如何にして三つの拠点を落としていくのか?
ドクター・ヘルは、円月圏を手に、駆け出す。
深緑の瞳の中で、彼の思考がめまぐるしく錯綜する―!
「ど、どうされますか、ヘル様!な、なんか、すっごいばらばらなんですけど…」
「…」
いきなり走り出した主君の後を、アシュラも慌てて追いかける。
その広い背中に叫ぶも、ヘルは振り向きさえせずに真っ直ぐ駆け抜けていく。
「ま、まずは手近な7番でしょうか…」
「アシュラ」
「は、はい!」
―と。
その疾走を止めぬままに、ヘルが口を開く。
あくまでも、冷静に。
「…お前は俺についてこなくてもいい」
「え、ええッ?!」
予想もしない命令に、悲鳴じみた声を上げるアシュラ。
しかし、ヘルが矢継ぎ早にこう続けるのを聞くと、彼女にも彼の作戦が理解できた―
すなわち。
「そのかわり、5番の拠点に走れ!」
「!」
「そして、拠点を半壊させろ!それがすんだら、1番拠点に!」
「わ、わかりました!」
こくこく、と何度もうなずく少女に、ふっ、と銀髪の男は笑いかける。
疾走する二人の夏圏使いの眼前には、もうすでに7番拠点がそびえ立っている…
「俺もすぐに後を追う!…アシュラ、お前の動き次第で成果が変わってくる、頼むぞッ!」
「はいッ!」
そして、
二人がほぼ同時にその拠点に飛び込むと―
「!」
「兵士拠点―!」
そこは、多くの兵士たちが待ち構える兵士拠点だった!
闖入者の姿を認めるや否や、彼らの間にざわめきが走る。
次の瞬間には、槍を手にしたその雑兵たちが、一挙にヘルへと雪崩れかかってきた―!
「くっ!」
「へ、ヘル様!」
ふり抜いた円月圏が、かろうじてその第一陣を払いのける。
しかしそれにもこたえずに、十数人もの兵士が次々にヘルを襲う!
「俺にかまうな!手筈どおりに!」
「は…はいッ!」
主君の危機に足を止めてしまうアシュラを、ヘルは戦いながら叱咤する。
鋭い叫びに後押しされ、少女は再び駆け出した…
そのまま7番拠点をくぐりぬけ、戦場をひた走っていく!
7番拠点に、残るのはただ一人。
そう、ドクター・ヘル、ただ一人だけでいい…!
「…ふん、雑魚どもめ!俺の行く手を阻めると思ったか!」
まるで、舞うように。
空中を凪ぐ、その両腕。
軽やかに、羽のごとく。
だが、それは死の舞だ…
壮絶な笑みを浮かべた夏圏使いの、それは死をもたらす凶刃の舞踏!
「?!」
「ぐ、ぐぎゃあああッ!!」
「だが、貴様らは幸運だ―」
切り裂かれ、切り抜かれ、血と汗と絶叫が散る。
その舞踏の舞い手は、あくまでも冷静に。
赤い血煙を浴びて笑う銀髪の男の舞踏は、凄惨なまでの美しさ!


「この、超絶に美しい!美しい俺の円月圏によって散ることが出来るのだからなあッ!」


「てい、はあッ、たあッ!」
一方、5番拠点に滑り込んだアシュラ。
果たせるかな、この拠点も同じく兵士拠点…
百人の雑兵が守るその中で、少女もまた懸命に己の夏圏を振るい戦っている。
「ほう…予め、副将によって拠点に損害を与えようというのですね」
そして、その光景を遠所より眺めしは…諸葛亮。
真白の羽扇で空をゆるりと撫でながら、彼は一人ごちた。
「なるほど…これは、思った以上に速く成るかもしれませんね」


<袁紹軍 ドクター・ヘルの活躍により挑戦軍の拠点を奪取!>


「!…次に行かなきゃ!」
拠点の制圧報告に、少女ははじかれたように飛び上がる。
次にヘルが向かうのは、この5番拠点…
ここを落とすのは自分であってはならない、彼でなくては特務は成らない。
だから少女はすぐさまにその拠点を飛び出る―
残された1番拠点に向かって、一目散に駆け出した!
彼女を追撃せんと、残された拠点兵たちがこぞって飛び出さんとする。
だが…
「…!」
彼らの行く手に、黒き影。
円月圏を握った美しい悪魔が、鷹のごとくに舞い降りた―!
「よし…いいぞ、アシュラッ!」
予測どおり、アシュラの奮迅によって拠点兵の数はもう数名しか残っていないようだ。
ならば、一瞬で落とせる…
ドクター・ヘルの円月圏が、風斬り音をたてて躍動する!


<袁紹軍 ドクター・ヘルの活躍により挑戦軍の拠点を奪取!>


そして―
「ヘル様!」
「上出来だ、いい娘(こ)だぞアシュラ男爵!」
最後に走り込んだ1番の拠点も、最早崩壊寸前だ―
すなわち、投擲された円月圏が残兵どもを一掃し!
そして…成る!


<袁紹軍 ドクター・ヘルの活躍により挑戦軍の拠点を奪取!>


「これは…私の計算以上の早さです」
彼らの奮戦を見ていた諸葛亮の口から、感嘆の声が漏れた。
一個ずつ落としていくのではなく、時間差で拠点を襲う…
相手の虚をつく、まさにそれは「囲魏救趙」。
しかし―
最後の一手には、後一歩。
「では 兵糧庫も落としてもらいましょうか」
「何?!」
「せっかくですから完全なる勝利を目指しましょう」
平然とそう言ってのける諸葛亮の言葉に、少し鼻白んだような顔をしてみせたものの。
「…ふん」
銀髪の偉丈夫は、すぐに不敵な笑みを取り戻す。
「確かに、そうだな」
そう、彼が求めるのは、圧倒的な美しさ。
ならば…「完全なる勝利」ほど、武人として美しいものはないに違いない!
「完全なる勝利か―確かに、そちらのほうが遥かに美しい!」


<できるだけ早く敵兵糧庫を制圧せよ!>
<残り時間が5分を切った!>



「合わせるぞ、アシュラ!」
「はいッ!」
兵糧庫に飛び込むなり、
ヘルが叫ぶ。
アシュラが応じる。
二人の夏圏使いが、まったく同時に「それ」を仕掛ける…!
「荒ぶるぞ―!」
裂帛の気合が閃光となり、二人の間に飛び散った―
二人の武が絡み合い、敵を殲滅する…
それこそが、秘奥義…激・無双乱舞!
「ぐわああああああ?!」
「ぐほっ…!」
二迅の夏圏が、縦横無尽に舞い狂う!
その凶悪かつ美麗なる舞に、武将たちは抗うことすら出来ずに地に伏した―!


<袁紹軍 ドクター・ヘル 鬼神のごとき活躍で兵糧庫を奪取!>


「素晴らしい成果です…序列に加われるかもしれません」
「…ふん」
「計算以上の働きです。
あなたならば、百万の敵に追われようとも、民を守って逃げ延びることができましょう」
戦いが、終わり。
諸葛亮が前に戻り、その言葉を受ける二人。
臥龍の賞賛の言葉に、ドクター・ヘルは鼻先でちょっと笑っただけだった。
「以後も「囲魏救趙」にならい、戦場では常に周囲の状況に気を配り敵の虚を突くことを心がけるのです」
「言われずとも」
「ふふ…」
あくまで傲岸不遜な態度を貫くこの校尉に、諸葛亮は最早苦笑いするしかなかった。
と、その時。
彼は思い出したように、二人に向かってこう言った。
「これは記念です。受け取ってください」
そうして、諸葛亮が羽扇を高く掲げ、何事かつぶやくと―!


<「/pigeon」とチャット入力すると鳩が飛ぶエモーションができます>


「…!」
それは魔術か、幻か。
一斉に現れ舞い上がる白い鳩の群れ。
四方八方に散って消えていく、蒼空に鮮やかな残像を残して―
「わあ、素敵…!」
「お気に召していただけましたか?」
思わず感嘆の声を上げ、白い幻惑に見とれるアシュラ。
素直にその光景に喜ぶ少女に、諸葛亮は目を細める…
…が。
「…」
「…おや?」
当のドクター・ヘルは、何故か複雑な表情。
少し渋い顔をしているあたりを見ると、あまりそれが気に入っていない様子だ。
そして、口を開いて言うことには…
「…諸葛亮よ」
「何か?」


「鳩ではなく…孔雀は、出せんのか?」


「…」
「…」
「…」
「…」
奇妙な、空白。
思わず無言で見つめあう三人。
しかし、あくまでこの銀髪の男は真剣らしい…
それが証拠に、ドクター・ヘルの表情は何処までも真顔だ。
…それ故に。
「…やれやれ、」
諸葛亮は、その羽扇で口元を覆い。
軽く眉をひそめ、あくまでも当人には聞こえぬほどの小声で、こう呟いた…


「随分、趣味がお悪いようで…」


「…」
その光景を、見ていた者がいた。
小高い丘から、見ていた者がいた。
それは、鋭き目をした老人。
彼は、一部始終を見ていた。
諸葛亮の挑戦に立ち向かう二人を、最初から最後まで。
…いや。
彼は、ドクター・ヘルを見ていたのだ。
その老人は、銀髪の偉丈夫を見ていたのだ―
最初から、最後まで。


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