ドッキドキ!ドクター・ヘルの羅武理偉(ラブリィ)三国志珍道中☆ (26)
小説・特務「路峰を救え!」(2)
「…」
「…ちっ」
黙して座り込んだままの少女と、不快げな顔をして軽く舌打つ青年。
かつては堅牢なる要塞があったその場所は、今は悪逆非道の山賊団「黒衣団」の張梁跋扈する隠れ家。
もともとは戦のための砦であったがために、容易には落ちぬ難攻不落の陣地と化してしまった。
しかしながら、悪漢どもにいつまでも好き放題させておくわけには行かない―
「黒衣団」の壊滅に送り込まれた孫権軍が衛将軍、エルレーン。
そしてその従卒、偃月刀使いの車弁慶。
…が。
「遅いねぇ」
「ふん!馬鹿にした話だ」
共に戦うと望んでくれた、あの銀髪の男。
孫権軍が雑号将軍、ドクター・ヘル…
二人は、彼を待ちわびたままでいる。
約束した時間からもう小一時間も経とうというのに…
苛立った偃月刀使いが、何やらぶつぶつ言い出した。
「だいいち、あいつは雑号将軍と言うではないか…
ぽやぽやして頼りないとは言えど、お前は衛将軍。
身分が遥か上の者を待たせておくとは…」
「!…あっ」
―と。
その時、草原の向こうから…二つの人影が、軽やかに駆けて来た。
大斧を背に負った老爺・暗黒大将軍。
そして…
銀髪の夏圏使い、ドクター・ヘル。
彼は、少女の姿を認めると、にこり、とゆるやかに微笑した。
「おお、我が桃花。ご機嫌麗しゅう」
「あ、えっと、うん…」
しかしながら、今日のその姿は…昨日、そしてあの時戦場で見た異装ではない。
剛健に鍛え上げられた、均整の取れた見事な肉体。
その胸を誇らしげにさらけ出す、上等な布地で造られた服飾は…遥か西より伝わる異国趣味溢れる西方服。
勇壮さと、そして男の色香が否応なく発散される、その服装。
銀色の髪が飾る怜悧で端麗な容貌にもよく似合う―
その男ぶりに、思わず魅入ってしまう宝剣使いの少女。
「き、今日は…ちゃんとした格好なんだね?」
「俺は美しいものが好きなのだ…何でもな。
南天舞踏衣をまとった俺はもちろん美しいが、
この陸戒西方服に身を包んだ俺も美しかろう?」
「う…うん、すごく…素敵」
「ッ?!」
自己陶酔に満ちた銀髪の男に問いかけられた彼女は、馬鹿正直なのか、素直に感嘆の言葉を漏らした(と、同時に、彼女の副将がものすごい顔をした)。
少女のうっとりした視線を心地よさげに浴びながら、銀髪の男は蟲惑の瞳を返し。
「お前も相変わらずに可憐だな、可愛らしい桃花よ」
「…あぅ」
女なら誰でもくにゃくにゃにとろけてしまいそうなことを、臆面もなくささやいた。
少女の頬が、あっという間に真っ赤に染まる。
こういうことにからっきし免疫のない小娘は、美男子の思惑通り、魂を吸い取られたかのように銀髪の男から目を離せない…
「…ッ?!」
またもやこんな不愉快(!)な場面を目の前で見せ付けられている偃月刀使いは気が気でない。
つかつか、と足音も荒く二人のほうに歩み寄り、
「ば…馬鹿娘ッ!そんなあからさまな世辞にでれついている場合か?!」
「な、何よぉ!弁慶先生!」
「まあまあ、それはともかく…本題に入りましょう」
夢心地の娘っ子を、妖しい男から無理やり力任せに引き離す。
乱暴に扱われたことに、子どもっぽい怒りを向ける宝剣使いの少女…
が、若者たちのじゃれあいは、大斧使いの老爺が苦笑しながらとどめた。
そう、ここはもう既に敵地。
遊んでいる暇など…ない。
「それで…黒衣団の本拠地と言うのが?」
「うん、あの辺一帯の拠点と兵糧庫、全部」
ヘルに問われ、透明な瞳の少女はこくり、とうなずき。
そして、眼前に広がる風景…その中に点在する拠点群をゆっくりと指し示す。
「何…?これほどまでに広い範囲を?」
「そう」
軽い驚きを見せるヘル。
どれほど人数が多くとも所詮は山賊どもの集まり…と内心たかをくくっていたが、どうやらそんな程度をずっと超えているらしい。
これは、一筋縄でいきそうもない…
想像以上の勢力の大きさに、その表情にかすかに緊迫感がみなぎる。
「人数も、相当いるはず…ちょっとした軍並みにね」
「だからこそ、殲滅を狙うのではなく。
首領を見つけ出し、そ奴を捕らえ一気に山賊団の崩壊を狙うのだ」
「うむ、わかった」
エルレーンと車弁慶の説明に、得心したといった風情でうなずくヘル達。
有象無象をひとりひとり叩き潰すことは、こちらの気力をそぐだけ。
黒衣団を根絶やしにする最も有効かつ最短の手は、その頭を奪うこと―
すなわち、首魁。
首魁を捕らえることこそ、最善の策なのだ。
「それと…彼らに捕らわれたという、路峰とかいう行商人は?」
「うん、それなんだけど…」
しかし、ヘル達にはそれとは別に、頼まれていた依頼がある。
黒衣団の手に落ちたと言う、酒場の常連・路峰…
今なお彼らの手中にある行商人のことも、衛将軍の少女は聞き知っていた。
「数日前、あの…あそこの拠点に、黒衣団に捕らえられた人が送られた、っていう情報があるの。
だから、それがその人なんだと思う」
そうして指差したのは、ここより最も離れた場所にある…小さな拠点。
随分と外れたところにあるその拠点に目を向けた誰もが、自然と難儀そうな表情になる。
「大分離れた場所にあるな…そ奴の救出に向かう者も必要なわけだな」
「かといっても、相応の多勢を相手にするわけですから、かなり骨ですね」
「人質として使われても困るな…」
その数数百を超えるとも言われる圧倒的数を誇る賊ども、そして救わねばならない男もあり。
いくら彼ら四人が幾多もの戦場をくぐりぬけて来た歴戦の勇士であったとしても、それはたやすいことであるはずもなく。
「そう…あのね、だから考えたんだけど」
衛将軍の少女は、その透明な瞳をめぐらしながら言った。
「私と…ヘル、あなたのどちらかが、囮になって敵をひきつけましょう。
それで雑兵たちをたくさんそっちにひきつけられれば、あの拠点の警護も手薄になるはず」
敵の分断、それこそ兵法の基本。
特に敵が自分達より多勢であるならば―
「成る程、明快だな!」
「そうですね、それがよろしいでしょう」
「それでは、二手に分かれるということでいいのだな?」
どうやら、仲間達にも異存はないらしい…
ならば、問題は、「誰がその危険な役を担うのか」ということになる。
卑しくも衛将軍たる地位につく少女は、勇敢にもそれを申し出んとする…
「じゃあ、私が囮に…」
「何を馬鹿なことを言っている、我が桃花」
が、銀髪の青年に制された。
妖艶な美男子は、いとおしげな目で少女を見つめ。
そして、眉一つ動かさずに、まったくの真顔で、こんなとんでもない言葉を吐いてみせるのだ―
「愛らしい、花のようにたおやかなお前が、そんな血生臭いことにその手を染める必要はない。
お前にそんな危険な役目をさせられぬ…」
「は、はぅっ…」
その右手のひらがさも当たり前かのように少女の頬をなでているのは、果たして計算なのかそうでないのか。
少なくとも、この純情な小娘には、それはあまりにも強烈過ぎた。
耳まで一気に血が昇ったのか、最早少女は真っ赤な顔で口をぱくぱくさせて震えるばかり…
衛将軍の位も形無しである(そしてまたものすごい顔になる、彼女の偃月刀使い)。
「俺が行こう。俺が彼奴らをひきつける。
それに…この俺の美しい形貌(なりかたち)は、彼奴らの目を惹かずにはおれまいよ」
「な…ッ、何を馬鹿なことばかり抜かしておるか、気持ち悪い!」
しかしながら、その己の美貌に思い上がったその台詞(そして彼の主君に対する度重なる不埒な言動)は、さすがに硬骨漢には看過しかねたようだ。
軽蔑の色を思いっきりその顔に浮かべ金切り声を上げたのは、やはり堅物の偃月刀使いであった。
「べ、弁慶先生ッたらあ!」
「だいいちお前一人でどれだけの敵が倒せると言うのだ、自惚れおって!」
エルレーンの制止も何のその、ヘルを罵倒する車弁慶の勢いは衰えない。
尖った悪意を突きつけられた、夏圏使いの雑号将軍。
しかし、彼はその悪意に何ら反論することもなく。
ただ、微笑ってこう言い返したのだ―
「ふん、ならば…お前も来るがいいさ、桃花の従者」
「…はあ?!」
思いもよらぬその言葉に、間の抜けた声を上げる偃月刀使い。
が、ヘルは、当惑している彼にはかまうことなく、
「暗黒大将軍。お前なら、何が起ころうとも打ち払えるだろう。
我が桃花についてやってくれ」
「御意」
「ま、待て!何故俺が、こんな変態と…」
己が副将に衛将軍殿の警護を命じている。
それに、反論を挟まないところを見ると、どうやら彼女も異論はないようだ。
自分の意思を置いてきぼりにして進んでいく事態に、戸惑いと抗議の声を上げる車弁慶。
…と。
銀髪の男が、いたずらっぽい瞳で彼を見返す。
そうして、冷やかすような口調で言う。
「ほう?自信がないのか、従者」
「?!」
「それほどの腕しかないのか、偃月刀使い殿?」
揶揄混じりの挑発が、さらに彼に浴びせかけられる。
無骨な彼が、聞き流すことなどできぬ類の台詞…
そう、彼は必ずこう言い返してしまうだろう台詞。
「な…ぶ、侮辱するつもりかッ?!そんなはずなかろうが!」
「そうか。ならばよかろう」
「…」
売り言葉に、買い言葉。
あっさりと本人の承諾を得た銀髪の男は、にっこり、と笑う。
上手く乗せられたことに本人が気づいても、後の祭りだ。
何事か言い返そうにももう遅い…
そんなわけで、とうとう不服げな硬骨漢も、反撃することをあきらめざるを得なかった。
「そ、それじゃ、決まりだね」
まあ、何にせよ。
話は決まった―
ならば、あとは動くだけ。
「まずは、ヘルと弁慶先生が敵をひきつける…
私と暗黒大将軍さんは、路峰さんを助けられそうな好機を待ってるよ」
「ああ、頼んだぞ」
互いに、視線を交わしあい。
そして軽くうなずきあう―
あたかもそれが、何かの合図のように。
少女と老爺が、踏み出でる。
「それでは…我々は、人気のないところにしばし隠れていましょう」
「き、気をつけてね!」
「任せろ!」
短い言葉の応酬。
それだけ残して、彼らは何処かへと消え去っていく―
ざざあ、と、風が草むらを撫ぜていく音。
…その場にとどまったのは、桃花の従者と銀髪の男。
果たせるかな。
主君の少女の姿が見えなくなるや否や、すぐさまに…
「ちっ…何故貴様などと共闘せねばならんのだ!」
露骨な敵意を叩きつける、偃月刀使い。
狼が気に入らぬ相手に牙を剥くがごとく、開けっぴろげなその辛辣な反感。
ドクター・ヘルは、その悪意を苦笑しながら受け流す…
「つべこべ言うな、従者」
「も、元はと言えば貴様が…ッ!」
しかし。
黙ってその敵愾心をぶちあてられているのも、面白くない話で。
「ふふん、不満か?」
「何?」
それに、第一…この男の態度は、直裁的過ぎるのだ(たとえ言動がそれを必死に押し隠そうとしても!)。
だからこそ、面白すぎる。
面白すぎるから、人はからかいたくなってしまうのだ。
鼻で軽く笑って、ちらり、と深緑の瞳を投げて。
意味ありげに、おちょくるかのように、うたうように―銀髪の男は、すらり、と述べてやった。
「…桃花の少女に付き従っていられないのが」
「…ッ?!な、ッ、そ、そんなことは!」
ずばりの言葉に射抜かれて、瞬時男は絶句した。
頬どころか額まで一気に紅潮していく様は、彼の動揺振りを如実に示す。
だが、口先では何とか否定の言葉を紡ぎだす偃月刀使い。
容赦のない夏圏使いは、それでも彼を逃さない。
にやにやと意味ありげな笑みを浮かべながら、なおも執拗に喰い下がる。
「酒場で見た時も思ったが…お前は随分とあからさまだな?」
「あっ、な、何が…」
「ほう、そうやって恥じ入る様は主君とよく似ている」
「かっ…からかうなッ!」
混乱と羞恥で絶叫する(その声でむしろ敵に気づかれそうなものだが)偃月刀使いを見やりながら、銀髪の男は穏やかに微笑する。
そして、言うことには。
「まあ、いいのではないか?
俺のように、いとけなく愛らしい桃花を見て愛でる者もいれば―」
そこで、にいっ、と笑って。
あまりにもわかりやすい、何でも顔に出てしまう男に、茶化すように笑って言う―
「その花を手折って自分だけのものにしたがる、そんな者がいても…
お前のように、な!」
「…〜〜ッッ?!」
見透かされた。見破られた。
己が外面で懸命に否定しているそのことを正面きって言い放たれたその瞬間、偃月刀使いは動けなくなった。
両の目を大きく見開き、真っ赤に顔を染めたまま、雷に打たれたかのように硬直している…
あまりにもわかりやすい、何でも顔に出てしまう男。
そんな不器用な男を見やって、夏圏使いは…
「あっはっはっは!」
からからと明るく、楽しそうに…実に楽しそうに笑った。
少年のような毒気のない笑い声が、ひとしきり草原に流れ―
「…さて!」
ぱぁんっ、と。
打ち合わされた両手が、乾いた音を立てる。
鳴り渡るその音を合図に、はっと我に返る車弁慶。
いつの間にか、ヘルの表情に不敵な笑み。
深緑の瞳に、闘志がみなぎっていく…
「行こうぞ、従者!」
「あ、ああ!」
「さあ、派手に騒ぎ立てようぞ!」