ドッキドキ!ドクター・ヘルの羅武理偉(ラブリィ)三国志珍道中☆ (20)



城壁。
満月が冴え冴えとした光を天蓋から絶え間なく降らせる下に、俺は立っている。
城壁。
黒々と染まる影が、その上に立つ誰かの足元より延びている。

そして―
俺の真っ向には。

深紫の装束を纏った大志抱く策士、司馬懿殿。

「…世界の全ては、我が足下にあり!」

司馬懿殿の声が、空に散っていく。

容易くそう吼えるその野望の言葉には、それ故に深い己への確信があった。
そうして、彼は笑う。嗤う。哂う。
夜空の静けさを破り、笑う。嗤う。哂う―

―と。
彼は、俺のほうを振り向いた。
青白い月光に照らされ、それよりもなお青白く染まる、冷徹な軍師殿。

「来い」

その青白い光がそう見せるのか、浮かべた微笑は酷薄さを帯びていた。
他者を切り捨て踏みにじることも辞さぬ、邪悪なる軍師の姿がそこに在った。
だが、この曹操軍にて―
俺は、俺なりに、
我が身命を賭け、戦ってきた。
…司馬懿殿の下で。

が、その次に続く言葉は…心底に、俺を驚愕させた。

「我が高みに達することがかなう者…
それは、お前だけよ」
「…?!」

風の吹きぬける音。虫たちが何処かで歌う音。
だが、それらはまったく俺の耳に入らない。
高ぶる心音だけが、俺を包んでいる。
二の句もろくにつげずにいた俺は、きっと途方にくれたような情けない顔をしていたのだろう。
そんな俺を見て、司馬懿殿は。

胸を衝かれ、半ば呆然と見返す俺を。
俺を見つめ、司馬懿殿はまた…笑った。

壮烈な高笑いが、闇夜を裂く。
俺は、それをじっと見ている。


俺は―


尊大な、遠大な野望を抱く、我が主君―
だがしかし、その果て無き壮志の中に、
彼の人は、俺を望んでくれたのだ。

その思いがけぬ格別の厚誼に、驚き喜びながらも。
俺は、その場に立ち尽くしていた。

嗚呼。
だが、不思議だ―
何故だろう、何故俺は、こんなにも。
こんなにも、こころがざわついているのだろう。
まるで、この冷たい闇夜の空気、
この司馬懿殿の俺に対する強い期待、
その全てに対して、おののいているように。

おののいているように。
罪の意識で。
全てを、司馬懿殿を、
振り捨てて去らねばならない、その罪深さで。

そうだ。
俺は、「この世界」を旅立たねばならないのだ。
それは焦燥じみた確信であり、
得体の知れない必然のように思える。
こんなにも素晴らしい、そして俺を必要としてくれる、「この世界」。
「この世界」を捨てて、俺は往かねばならない。


―往こう。


俺を深く信頼してくれた、
俺を重く取り立ててくれた、
深慮に燃ゆる賢しき燕扇使い殿に、別れを告げることなく。

往こう。
新たなる、戦い渦巻く混乱の世界へと。
それが、おそらくは我が使命。

往こう。
全てのいとしい者たちに、別れを告げることなく。




再び平和を取り戻した、「この世界」を愛するが故に―





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