ドッキドキ!ドクター・ヘルの羅武理偉(ラブリィ)三国志珍道中☆ (13)


―と。
ヘルたちが再会を喜んでいる一方で、蚊帳の外に置かれていた司馬懿。
成り行きは良くつかめていないようだが、ともかくヘルの副将がもう皆すでにこの場所にいる…ということはわかったようだ。
「…何やらわからんが、ヘルよ。望みはもうよいのか?」
「ふむ…俺の副将は揃った、しな」
「では…」
「!…待ってくれ、思いついた!」
いったん、満足しかけたかのように思えたドクター・ヘル。
しかし何やら頭に浮かんだのか、突然うれしそうな面持ちで告げた。
「何だ?」
「俺の希望は極力飲む、そう言ったな司馬懿殿?」
「ああ。二言はない」
問い返す司馬懿に、あえて念を押す。
その上で、彼の言質をとった上で…銀髪の男は、言う。


「では―」


「俺のために!新しい鎧をあつらえてくれ!」
「何だ、それだけか―」
あまりに謙虚で控えめな望みに、司馬懿が呆れた声を漏らす…のも聞かず。
ヘルは、更に続けてこうのたまった。
執務室中に響くような、でかい声で―


「俺のために!美しい南天舞踏衣を造ってくれッッ!!」
『なッ?!』


もちろん後から響いた短い仰天の叫びは、アシュラとブロッケンのものである。
だが、他方、
「な…?」
司馬仲達殿は、その鎧のことをよく存じ上げなかったらしい。
今市場に新たに出回り好評を博している、南方より渡り来た装飾…
南方の「女戦士」が舞う際に用いるという、豪奢で可憐、妖艶な鎧。
「なんてんぶとうい…?何だ、それは?」
「し、司馬懿様…!」
そばに侍っていた主簿が、即座に彼の下に駆け寄り。
耳元で、小声でその鎧のことを説明すると…
「うむ?…な、なにぃッ?!」
今度こそ、司馬懿も驚嘆の声を上げた。
普段より冷静冷徹な彼も、さすがにこのような方面にはうといのか。
それとも、銀髪の男の思考が、まったく理解できないのか。
「…へ、ヘルよ、本気…か?」
「本気に決まっている!もちろん、俺の体格に合わせてくれッ!」
一応何かの間違いではないかと思い聞き返してみるも、気迫のこもった返事が跳ね返ってくる。
ついー、と、軍師殿の額を冷たい汗が伝っていった。
「俺のためにあつらえてくれ」と、確かにこの男はいった。
いや、嗚呼、しかし、やはり…この銀髪の男は、
自分でその「女物」の鎧を着るつもりなのか…?!
わけのわからないことを抜かす新たな部下の言動に、口ごもらずにはおられない。
…が。
「し、しかし、それは…」
「先ほど『二言はない』と告げたのは偽りか、司馬懿殿!
ならば曹操軍の軍師とやらは随分とはったりばかりの…」
「な、何を!言ってくれるわ、凡愚めが!」
割と挑発に乗りやすい軍師殿、司馬仲達。
ヘルに多少悪口めいたことを言われると、真っ赤になって言い返し―
「い、意図はまったくわからぬが!あつらえてやろうお前の望みどおりに!」
「本当か!」
「ああ!」
とうとう、ヘルに望みどおりのものを与えることに同意してしまった(後ろのほうで「あーあ」という表情をしているアシュラとブロッケンには気づかずに)。
希望が叶い、歓喜するヘル。
そんな彼に、気を取り直し、改めて司馬懿は命ずる―
「で、では!これから我が策を担う剣として、その命捧げてもらうぞ、ドクター・ヘル!」
「御意…!」
司馬懿の言葉に、ヘルは拱手で答える。
その光景を、見守りながら…
「あ、あー…何か、安心したわ、アタシ」
「え…?」
妖杖使いの少女、ブロッケン伯爵は小声でアシュラにつぶやいた。
軽く笑って、
「何処にいようと、おっさんはおっさんだ」
こう言って、またあの銀髪の主君を見やる。
そう、何処にいようが。何処に在ろうが。
「それでいいんだよな、つまりは…さ」
「ええ、そうですね」
そうやって、少しだけ笑って。
それから…
「でも…」
ブロッケンが、ため息混じりに。
アシュラが、肩を落として。
「できれば、アレは断ってほしかったなあ…」
「そ、そうですね…」

二人の力ない愚痴が、小さくその場の空気に散っていった。
新しくあつらえられる南天舞踏衣の運命が、今から哀れでならなかった。


「どう、ここならいいでしょう…?」
それから。
ヤヌス侯爵に連れられ、ヘルたちは屋敷通りの一つの宅へと導かれた。
彼らが新しい家となるその宅は、意外と広いように思えた。
これは、司馬懿が彼らにかけている期待の大きさと比例しているのか…
…と。
まだ、がらんとした部屋の中、五人。
そのうち四人の視線が…残りの一人に、自然と集まった。
「…」
「…」
その視線には、隠されもしない非難の色。
それは当然だろう、彼女は裏切り者なのだから。
結果としてヘルたちは曹操軍にて戦う立場となったものの、そのためにとられた手段はやはり苛烈に過ぎた。
その実行者が彼女なのだから…

…ヤヌス侯爵。

「…なぁに?」
平然と、麗しい笑みを浮かべたままで答え返すヤヌス侯爵。
その態度がアシュラの癇に障ったのか―
夏圏使いの少女の眉間に、ぎっ、と数本の怒りじわが刻まれる。
「…あなたの任務はもう終わったんでしょう、とっととどっかに行ったらどうなんです?」
「?」
思いっきり、桜扇使いの女を指弾して。
彼女らしからぬ皮肉げな口調で激しく言い放つアシュラ男爵。
一方のヤヌス侯爵は、少し困ったような笑顔でそれを受け止める。
「ヘル様を曹操軍に引き込むことが目的だったんでしょ。
だったらもうそうなって任務も終わったんだから、あなたもどっか行っちゃってくださいよ」
「あらぁ…どうしてそんな怖い目で睨むの、アシュラ?」
「ふんっ!大体、私は初めからあなたが何か怪しいと思ってたんですぅ!」
「うふふ、でも…」
…と。
険悪な空気を、まったくものともしないで。
桜扇使いの女、司馬懿の間諜であった女は、微笑して言った―


「…私、何処にも行かないわよ、もう」


「え…?!」
「…貴様、まだ何か、」
「いいえ、違うわ」
動揺するアシュラ、気色ばむヘル。
彼らを見やりながら、ヤヌスは軽く手を振って否定する。
ふっ、と、その顔から笑みを消して。
やおら真剣な表情になった桜扇使いは、ヘルたちを見つめて、つぶやいた。
「…私は、『影』。司馬懿様の間者の一人、名も無き『影』が一人」
「影」、と、彼女は自分を呼んだ。
影は何者でもない、地面に這う顔も無き者の意。
「でも、私はもう『影』じゃない…だって、」
「影」、と、彼女はかつての自分を否定した。
それは過去だと、切り捨てたのだ。
嗚呼、何故なら―
彼女には、もう。


「私には、『名前』があるもの」


そして、うれしそうに。
本当にうれしそうに、また笑ったのだ。
「…」
「あなたが、私に『名前』をくれた。
だから、私は…『ヤヌス侯爵』。
あなたの忠実なる副将、『ヤヌス侯爵』」
うたうように言うその声音には、わずかな興奮が混ざりこんでいるように聞こえた。
嘘や演技のようには、とても思えなかった。
「…お前、」
「そうよ、ご主人様。
これからは、この場所で」
ヘルの視界の中で、ふわり、と、桜扇使いの女がいたずらっぽく笑う。
彼女は、真っ直ぐ彼を見つめている。
そうして、誓う―


「この、私が…身命を賭して、あなたをお守りしますわ?」


「…」
「…少なくとも、今は信頼が置けそうですね」
「暗黒大将軍」
一瞬、迷った銀髪の男に、老爺がすっ、と歩み寄る。
暗黒大将軍は、静かにこう言い添えた。
穏やかな笑顔を浮かべた老翁の眼力は、全てを見通す―
桜扇使いの女に感じていた、あの揺らぐ邪は、もう見えない。
「瞳の中の虚が消え去っている。彼女は本心を語っていますよ、ヘル」
「…ああ」
ヘルも、うなずいた。
彼の整った顔には、澄んだ微笑が満ちている―
…が。
この展開は、彼女の気に喰わなかった様子だ。
だん、だん!と足音も荒く、アシュラ男爵がヘルににじり寄る。
「ちょ、ちょっと!だだだ、ダメですよ!
だって一回この人にだまされてるんですよ?!にもかかわらずですねぇ…」
「んもぅ…アシュラ、そんなに冷たくしないでぇ?」
「うひいッ?!」
しかし、その時だった。
すっとんきょうな絶叫が、アシュラの喉から反射的に放たれた。
激しい剣幕で言い立てる夏圏使いの少女に、女は一歩歩み寄り…突如、彼女を背中から抱きすくめたのだ。
小柄な体格のアシュラは、すっぽりとヤヌスの抱擁の中に包み込まれてしまう。
「こ、こらぁ!はっ、放してくださいよ、ちょっとおおお!」
「私、あなたとも仲良くなりたいわぁ」
「え―」
必死に抵抗するも、抱きすくめたヤヌスの腕の力は存外に強く。
甘い吐息が、そう耳元ではじけた―
刹那。
ぐいっ、と、おとがいを持ち上げられたと思ったら、
やわらかい感触が、熱を伴って、
「?!」
アシュラの呼吸も暴言も反抗も飲み込んでしまった。
彼女が自分の唇を奪ったのだ、と気づいた時には、もう遅かった。
数秒の、間。
奪った時と同じように唐突に、ヤヌスは少女を解放する。
「…」
「うふふ…!」
怪しい微笑が、その赤い唇から漏れる。
へなへな…と、少女は力なく床にへたり込む。
魂まで吸い取られてしまったのか、それともあまりのことに思考が完全に止まってしまったのか、目を見開いたままアシュラは動かない…
ヘルたちも、予想もしない、とんでもなく強烈で衝撃的な展開に凍りつく…
が、ヤヌス侯爵はそんなことなどまったく気にかけず。
くすくす、と色っぽく笑いながら、今度はヘルに近づいて、
「それに、もちろんあなたとも…ご主人様」
彼の両肩に手をかけたかと思うと、
不意を突かれたヘルがそれから逃れんとする反応よりもずっと早く、
つい、と背伸びし、銀髪の男と顔を合わせた刹那、
にこり、と、目を細め―
「!」
―唇を、男のそれに押し付けた。
そのまま、そのあいまいで熱い感覚を愉しむように。
強張ったまま直立不動で動かない銀髪の男を、桜扇使いはしばし味わって…
「…」
「うあ…!」
あっけにとられている暗黒大将軍とブロッケン伯爵の前で。
その蹂躙は、今度は先ほどより少し長めに行われた。
さしものヘルにとっても、この奇襲攻撃は唐突かつ刺激的すぎたのか…
ヤヌス侯爵から解放されても、ヘルは動けないでいる。
だらり、と、力無くたらした両腕は、何の抗戦も出来ないままに。
先ほどのアシュラ同様、硬直したまま呆然と立ち尽くす。
…と。
「…………う、」
…と。
石化していた少女が、ぴくり、と動く。
ようやくアシュラの頭脳が、突如降りかかってきた天災を完全に理解したようだ、
今自分がこの女に何をされたのか、それが完全に頭の中で形を成したその瞬間、
少女の大きな大きな瞳に、あっという間に涙がうかびあがって―


「うわあああああああーーーーん!
もう、もうお嫁にいけないいいいいいい!!」



突然。
新宅の屋根を吹き飛ばすかのような凄まじい勢いで泣きじゃくるアシュラ。
乙女の純潔を汚された傷心は殊のほか大きかったのか、全身がたがたと震わせながら慟哭しきり…
「うあーーーーーーーん、うっく、
は、初めてだったのにいいいいいいいい!!」

尋常ではない泣きっぷりに、ブロッケンがなだめにかかった、その時。
「ちょ、アシュラ、落ち着けって、泣き止め、な?!」
「…ひっく、ぐすん…も、もう、お婿にいけない…」
「おっさんお前もかーーーーーーーーーッ?!」

しくしく響く哀しげな泣き声が、もう一つ。
気づけば銀髪の大男も、すっかり衝撃に打ちひしがれた様子で力なく床に座り込んでいる…
おまけに、ぽろぽろと涙を流しながら漏らすことには、
「は、初めてだったのに…
舌まで入れられた、ッ…ぐすっ、ううっ」
「いい年こいてんなことでビービー泣いてんじゃねええええええッ!!」

なよなよ泣き伏せるヘルに思いっきりツッコミを兼ねた怒号を叩きつけたブロッケン伯爵。
が…
またも、忍び寄ってくる、妖気。
「んもぅ、そんなに怒鳴っちゃダ・メ・よ…?」
「?!」
邪悪な気配が、背後に燃え上がった―
瞬間!
「と、とおっ!」
間一髪、背負った妖杖をぶん回すブロッケン!
反撃をひらり、と避けたヤヌス侯爵は、やっぱりあの妖艶な笑みを絶やさぬまま。
「あ、アタイはそんな趣味ない!そんな趣味ないからなッ!」
「ああん、待って?仲良くしましょうよぅ…」
「そういうのは違う!違う!何かおかしいからッ!」
「うわああーーーーー、うええええええええーーーーん!!」
「ひっく、ううっ…ぐすっ、えぐっ…」

必死に逃げ惑うブロッケン伯爵、自分の妖杖を懸命に振りかざして悪魔より逃れんと暴れ倒す。
しかしながらヤヌス侯爵も去るもの、桜扇で攻撃を打ち払いながら、なおも少女に詰め寄っていく。
そんなうるさい騒ぎももう耳に入らないのか、犠牲者二人。
びゃあびゃあ大声で号泣し続けるアシュラに、両手を顔で覆ってよよよと乙女風に泣きじゃくるヘル。
…ため息、一つ。
騒動から身を隠すように、すたすた、と老爺は部屋の片隅に避難した。
お互いの得物を取り出しての決闘となってしまったブロッケンとヤヌスの小競り合いを避けられる(それでいてヤヌス侯爵の魔の手が襲ってきても即刻逃げられる)場所に位置取りながら、
「…」
ため息一つ、暗黒大将軍。
どうやら、天佑が与えた新たなる命運は、こやかましいものになりそうだ。
そんなことをぼんやりと考えながら…
人外の術をすなる老爺は、新しい地平での出立に多少の不安を感じ取らざるをえなかった。


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