A War Tales of the General named "El-raine"〜とある戦記〜(43)


小説・撃破蛟龍!(1)

一氷が示した邪敵は、川に住む。
「…その名を、蛟龍(こうりゅう)」
この数十年以上もの間、都を狙い続けてきた…幾多もの人で溢れ、活気と熱気に包まれた場所。
その全てを手中に収め、さらなる強大な力を得んと欲してきたと言う…
だが、その邪龍を今まで遠ざけてきたもの。
それこそが、呂家が長年大々的に行なっていた節句の儀式だったのだ、と。
「…申しわけ、ないのですが、私には、戦場へ、行く、力が、ない」
彼女はそう言い、己の無力に唇を噛んだ。
「ですが、蛟龍を倒せる、のは、邪気が弱まった、今…!
このまま、では、あの蛇に、押し切られて、しまう!」

「だから、将軍様!街を救ってください、呂葉様を、呂真様を―」
「…わかってる」

女宝剣使いは、短く答える。
闘志に満ちたその透明な瞳に、赤い怒りの焔を燃え立たせて。
彼女の脳裏に一瞬よぎるのは、彼の姿…
あの禍々しい龍の化身のそばに侍っていた、彼女の部下の姿!
「やるしか、ない…!」

「?!」
ばん、と悲鳴を上げながら開いた扉の向こうには、屈強そうな男が二人立っていた。
身につけた鎧、筋骨隆々たる立ち姿、それは明らかに武人。
そんな武人達が、農民である自分の家に何の用があり訪ねてきたのか…
阿狗の表情に、怯えの色がありありと浮かんだ。
「…あなたが、阿狗…か?」
「そ、そうだども…」
「!…ひょ、ひょっとしたら、あんたがたは都から?!」
「…」
双錘使い・神隼人は、彼の問いに無言でうなずいた。
…射抜くような視線で、阿狗より目を外さないまま。
哀れな農夫はその鋭さに怖じ、そして逃げ場所がないことも同時に悟る。
はあー、と、大きくため息をつき、がくり、と膝からくず折れる。
二人に頭を垂れ、涙混じりに吐き出した。
「そ、そうか…わ、わかっちまったんだなあ。
おらぁ、やっちゃいけねえことをやっちまったんだもんなあ…」
「…そう、か」
「許してくだせえ、本当に、本当に申し訳ねえ…!
おらがあれを盗んじまったせいで、今年はまだ厄払いの儀式が出来てねえって聞いた。
そのせいで、街の様子がおかしい、ってよお…」
元々善良な男だ、罪の意識に苛まれていたのだろう。
ぼたぼた、と大粒の涙をこぼしながら、彼は頭を抱え込む。
「けど、けど、おら、意気地がなくって、おら…!」
「…その話は、後です」
蛮拳使いのキャプテン・ラグナは、だが。
彼の懺悔の言葉を一旦止め、問うた。
「何処にあるのです」
「あ、」
そうだ、急がねばならない。
一刻も早く、それを見つけねばならない―!
「…菖蒲は、何処に?!」


「…劉芳なる者は何処だ!」
懸命に資料の整理をしていた文官たちの耳を、荒げた男の大声が貫いた。
唐突な侵入者に、ざわめき戸惑う彼ら…
じろり、と文官たちを睥睨し、幻杖使いの流竜馬は返答を待つ。
やがて…
「り…劉芳は私ですが」
「よし、出ろ」
名を呼ばれた小男が、そそくさ、と前に歩み出た。
そして、促されるままに外へ出る…
ぴしり、と後ろ手に扉を閉めた流竜馬が、劉芳を冷たく見据える。
「さて…」
「な、何なんですか?!私が何を…」
…やましいものがある者は、目を必ずそらす。特に、男は。
きょときょとと落ち着きないその文官は、彼らに決して目を合わせない…
「何をしたか…は、お前自身がよく知っているだろう?」
「?!なっ…」
劉芳が、下らぬ言い訳を口から出そうとした、その瞬間。
白刃が、きらめいた―
「?!ひ、ひいぃ?!」
「すまぬが、時間がない…
だらだら尋問している暇などないのだ」
そして、劉芳の首に、突きつけられる一対の刃。
双戟使いのキャプテン・ルーガは、己の頑双戟の剣呑さにて応じた。
たまらず縮み上がる小男に、彼女は言う。
「言え」
「な、なな、何を…?!」


「お前が隠した、五色の糸の在り処!」


『主よ!少し急き過ぎではないか?!』
「どうして、神龍剣?!」
一方、その頃。
一直線に魔の住む川へと向かうエルレーンは、全力で軍馬を疾走させる。
狼の神龍剣もその背に一氷を乗せ、その巨大な体躯で空を駆けるがごとく走る。
しかし、主君の後先も考えない無鉄砲に、魔狼は異を唱えた。
『攻め入るのは、奴らに菖蒲と糸を取り戻させ儀式をし…蛟龍を弱めてからでもいいのではないか!』
「…ううん、駄目!」
けれども、女衛将軍はそれを否定する。
何故なら、時間が余計にかかれば…おそらく、敵にそれを感づかれる。
そして、感づかれたならば…
「気づかれたら…逃げられるかもしれない、」
ぎりっ、と、表情が険しくなる。
「…弁慶先生を連れたまま!」
『くっ…あの木偶の坊め!』
苛立ちを吐く神龍剣。
そう、行方知れずになっていたあの偃月刀使いは…どうやら、邪龍の手に落ちていたようなのだ。
一氷の見せた、あの光景。
人の姿に成り代わった、禍々しい龍のそばで立ち尽くしていたのは…確かに、あの偉丈夫だった!
『まさか敵の傀儡と化していたとはな、余計な手間をかけさせるわ!』
「ともかく!みんなが早くあれをなんとかしてくれさえすれば…!」
「はい、きっと!」
エルレーンの言葉に、一氷が和す。
そうだ、あの菖蒲と五色の糸…
彼女の副将たちが、それを取り戻してくるまで、それまでの時間を…
「それまでの時間は、私が稼ぐ!」
少女の全身に漲るのは決意、悲壮な決意!
都を、人々を、そして彼女の大切な部下を救うという決意…!
「…ぐっ?!」
「一氷さん!」
と、その時、苦痛の色が一氷の顔に浮く。
まるで溺れるかのように、荒ぶる呼吸を必死に抑えながら搾り出す。
「じゃ…きが、濃い…ッ」
『近いぞ、主!』
「…!」
神龍剣もそれを感じ取っているようで、彼の声音にも緊張感が昂ぶっている。
どんどんと風景は緑を増し、木々がうっそうと茂る林へと変わっていく。
そして、眼前に…流れ続ける川が見えてくる―
その刹那だった…
エルレーンの鼓膜を、悪意に満ちた女の笑い声が揺さぶったのは!
(ははははは…)
「!」
ざざっ、と、音を立て、周りの木々が揺れる。
女の嘲笑を奏でる、あちらからそちらからも!
(それほどまでに殺意をみなぎらせておる故、何者かと思って来てみれば…
何のことはない、大層な具足を纏っただけの場違いな小娘か!)
「く…」
周囲を見回すも、そこには木々がざわついているだけ。
姿の見えぬ邪悪に、衛将軍は叫び返すことで応じた―
「姿を現わせ、都に害なす化生!」
ざさあっ。枝に止まっていた鳥たちが、驚愕とともに四方八方に飛び去る。
気迫に満ち溢れた怒りが、たたきつけられる相手を見つけられず霧散する。
だが―
「この私、蜀軍衛将軍…エルレーンが退治せんッ!」
(くくく…言ったな、木っ端が!)
返答が、返って来た。
邪気が、形を成した。

はっ、と、三人は川面を見やる。
そこには、先ほどまではいなかったはずだ、
女が、立っていた―
水面に、波紋も立てず。
過去の中で見た、そして一氷が見せたあの光景にいた…あの女!

「…!」
その邪気を感じているのか、神龍剣が不快げなうなり声を上げた。
「ほぅ…そちが我の邪魔をしおった人間か」
褐色の女は、傲岸不遜な笑みを浮かべ、あくまで余裕たっぷりにその敵意を跳ね除ける。
当然だ…それは、人間ではない。
邪心を固め、邪気を纏い、邪悪にて飾り立てた、まさに…邪神。
蛟龍。
それが、その名だ。
邪まなる人外の視線にねめつけられた途端、少女の背筋に走る…恐ろしいまでの圧迫感と、恐怖感。
「それに…くくっ、犬ころと、嫌な匂いのする娘。
そうか、お前だな…
我の送る気を打ち消しておった忌々しい元凶は」
「…」
冷たい視線を、今度は神龍剣と一氷に巡らし。
その恐怖に、一氷は思わず顔を伏せ身を震わせた。
それでも。
敵が、如何なる相手でも。
退くことは出来ない、だから少女は懸命に己を奮い立たせ叫ぶ…
「都から手を引きなさい!
もうこんなことをしても無駄よ、そうすれば―」
「笑止!!」
だが、瞬間!
邪龍の一喝と同時に、強烈な衝撃波が飛び散る!
「?!きゃ、きゃあっ?!」
まるで突風に吹き飛ばされたかのように、地面に転がるエルレーンたち。
ちっぽけな彼らを見下し、蛟龍は嘲け笑いながら言った。
「何を言っておる…やっとのことで、もう少しで全てが為るのだ。
あの都を、そしてそこに集まる莫大な人間の魂を。
その全てを喰らい、我は龍となる!」
ぎらぎらと輝く女の目は、蛇の瞳。
青白い気が、ゆらゆらと女の全身から立ち昇る。
「今まではあの鬱陶しい払いの式が、我を都より遠ざけた…
だが、とうとう!とうとうその恐れも皆無となった!」
それは、その邪悪が長い長い間待ちわびていた瞬間なのだろう。
呂家の毎年の習いが知らずに退けていたはずの…
しかしながら、めぐらされた策略はもはや完遂も直前。
昂ぶる蛟龍は、勝利を宣言するかのように吼えた!
「お前のような卑小なヒト風情が止められるものではないわ!!」
「くっ…やるしかない!」
もとより、話が通じる相手ではない―
ならば、打ち払うしかない!
「うおおおおおおおおおッ!」
抜き払うは真覇道剣、黄金の輝きを放つ太刀!
女衛将軍は雄叫びとともに、蛟龍に向かって突撃する…!
「…!」
人たるものが神に抗おうなど…勝算は、ないに等しい。
だが、一氷が語る、この蛟龍の正体。
齢を経た大蛇が知恵をつけ、魔を得た…
しかし、それだけならば、多少の術を心得た妖怪に過ぎない。
これほどまでに強力なのは、ひとえに邪払いされぬままにいたがため!
完全な龍に成り切っていない今ならば、倒せる余地があるかもしれない…!
一縷の望みをかけ、エルレーンは宝剣を振りかざす!
「…ぬるいわ!」
「?!」
しかし。
蛟龍の瞳が、金の輝きを放った―刹那。
少女の身体は、見えぬ強烈な打撃にはねつけられた。
「あうッ?!」
『主!』
「ぐ…う!」
狼が慌てて助け起こす。
念力で加えられた打擲の痛みが、エルレーンの全身に走る。
「龍である我に勝とうなぞ…身の程を知るがよい!」
勝ち誇った妖怪の言葉が、追い討ちのように降って来る。
だが…彼女とて、幾多の戦場を、無碍に駆け抜けてきたわけではない。
ふらつく両脚に叱咤を加え、女将軍は立ち上がる…!
「ま…まだまだ!」
「!ほう…あきらめぬか。けなげよのう」
そのか細い抵抗に、邪龍はふふん、と鼻を鳴らした。
しかし、あまりにも無力なそれに自らがかまうにも飽いてしまったようだ…
「だが、矮小な小娘風情に我が出張ってもおもしろくない…」
蛇は、狡猾な笑みを浮かべてこう言った。

「そうさな、人間は人間同士で戯けるがいい」
「?!」

その言葉の意味を、エルレーンたちが理解するその前に。
…ぱんっ。
乾いた音を立て、両手を打ち合わせる。
それに応じたか、がさり、と、気配が立ち上がった―
背中に負うのは大偃月刀。
金色の短髪を深紫の冠で覆い、鍛え上げられた肉体を同じく深紫の衣で包んだ武人、
それは他でもない、彼女の副将―!
「べ…弁慶先生ッ!」
驚愕するエルレーンの絶叫が、木立に響く。
「…」
が…彼には彼女の声が届いていないのか、凍りついたような無表情のまま、立ち尽くしているだけ。
開かれた瞳は、塗りつぶされたような光のない黒。
「…ほう?知り合いか!」
明らかに動じる少女の様を見て、蛟龍は楽しげな声をあげた。
「ふははははは!これは愉快だ!」
「う…!」
「都で拾った、我と波長が合う玩具だが…
思いのほか面白く舞ってくれそうだな!」
「…」
邪龍はそう言い放つと同時に、何やら右手で印のようなものを空に描く。
すると…偃月刀使いが、動いた。
背にした大偃月刀をその屈強な両腕が掴み、構える―
ぴたり、とその切っ先が向けられたのは、彼の主たる少女…!
「べ、弁慶先生!正気に戻って!」
「…」
突きつけられた殺意に、少女は怖じる。
今まで信頼しあっていた部下が、自分に、刃を向ける―
これまで決して在り得なかった異常な事態が、少女の精神を激しく揺さぶる。
「私だよ、エルレーンだよ…ねえ、聞いてよおッ!」
「…!」
エルレーンは必死に叫ぶ、彼を呼び戻さんと。
だが―洞窟のように空っぽなその瞳に、涙を浮かべて懸命に語りかける彼女の姿など映っては…いない。
「きゃ…?!」
大偃月刀が、空を裂いた。
鋭い刃が通り抜けたそこは、間一髪で逃れなければ―エルレーンの喉元をかききっていたはずだ。
それは、「殺す」という、明確な意思。
エルレーンの瞳に、絶望が射す。
『駄目だ、主!彼奴の耳には届いておらん!』
魔狼が叫ぶ声が、エルレーンの頭蓋で空転する。
『倒せ!今の奴は、ただの操り人形に過ぎん!』
「け…けど!」
けれど、だからと言って―嗚呼、彼は、部下なのだ。
その姿かたちの何一つ変わらぬ、自分の大切な…!
涙が、我知らず溢れ出た。
斬ることなど出来るはずがない、だって彼は自分の―
「弁慶先生…ッ!」
嗚呼。
けれども。
邪龍の手先と化した偃月刀使いは、少女の想いなど…見えていやしないのだ。
だから、その武を振るうだけ。
碌に抵抗などできるはずがない、己の主君に向けて―
「…〜〜〜ッッ?!」


視界が、真っ白に染まった。
痛みなど感じるそのずっと前に、少女の意識は飛んでいた。
世界が消失するその寸前に彼女が見たもの、それは、




己が副将の―冷たい、闇色の瞳。





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