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The devilish Heaven or The angelic Hell(悪魔の天国/天使の地獄)(3)






「―やりますぞ!」




柿小路専務の絶叫が、スタジオを揺るがした。
それに続いて、わあっ、と盛り上がる観客たちのどよめきが跳ね返ってくる…!
「せせせ、せぇんむ〜?!いいんですか?!」
「いいも何も、専務が決めたことだ!なあに、専務ならやってくれるさ!」
一か八かの博打に出た専務の背後では、小心者の木下が常務にたしなめられている。
「おお、これは勝負に出ましたね〜!」
「そらそうよ!ここまで来たら、バーンといったらな!」
司会の陀和と立古も調子を合わせ、否が応にも高まる会場のテンションをさらに高ぶらせる。
その中で、専務は…ただひたすらに、直立したまま。
きっ、と、覚悟に満ち溢れた表情のまま、正面に据えられたビデオカメラを見返している。
(大丈夫だ…私は、やってみせますぞ!)
皆のために。皆のために。
後ろで自分を見守ってくれている社員たち、そして…
ぱっ、と、一瞬。
専務の視線が、横にそれる。
小学六年生にしてはやや小さい体躯の、だが心意気は誰よりも大きな若社長。
いたずらっ子そのものと言った明るい顔つきで、こちらににっ、と笑いかけてくる…
「がんばってね、専務!」
「はい!」
武者震いか、わずかに返答がうわずった。
白髪の老人は、口を真一文字に引き結び、挑む。
まばたいたその暗闇の中に、彼はかつての記憶を見た―



それは、一年ほど前。
竹尾ゼネラルカンパニーの先代社長…竹尾道太郎が事故によって大怪我を負い、治療の甲斐なく間もなく亡くなってしまった時。
残された自分たちが選べた選択肢は、一つしかなかった。
…それは、彼が命をかけて作り上げた…いや、彼の生命だけではない…彼の妻の献身と、まだ幼い子どもたちへの想いと、そして自分たち四人の社員との思い出と。
その全てが詰まった、小さな小さな零細企業…そう、竹尾ゼネラルカンパニーを終わらせる、ということだった。
「…あの人とつくり上げたものが、こんなふうになくなってしまうのはシャクだけど」
ため息とともに、「無理なものは無理だものねぇ…」と。
そんな風に決断を下したのは、道太郎の妻の、加代。
いつも太陽のように明るい肝っ玉母ちゃんが、それでも、寂しそうに笑っていた。
大黒柱の社長を失って、それでいて、どうやって会社を続けることができよう?
だから、自分たち社員も、何も言えないままだった。
残務の処理をし、ロッカーの中も引き出しの中も、全ての荷物を片付けて。
殺風景なオフィスが、なおさらに殺風景になって―
最後に、加世とワッ太に、別れを告げる。
夕焼け空がやけにぎらぎらとぎらついていた。それこそ、網膜が焼けてしまうくらいに。
だから、誰もかれもうつむいたままで。
自分も。常務も。木下君も。都絵君も。
それぞれ手に大荷物を持って、しょぼくれた表情で下を向いていることしかできなかった。
せめてもの感謝の気持ちを表そうと、思いっきり腹の底から声を出したつもりだが…それはむしろ、悲壮に聞こえてしまったのかもしれない。
『…今まで、お世話なりました!』
その勢いのまま、頭を下げて。
誰からともなく、踵を返し…慣れ親しんだ社屋を離れていく。
最後に、ちらり、と、視界の端に…自分たちをまっすぐににらみつけている、ワッ太の姿が映った―


「ま…」


「…待ってくれよッ!」
ざわ、と。風にあおられた少年の絶叫が、鼓膜を震わせた。
ワッ太が必死に走って来た、そして回り込み、自分たちの前に立ちはだかるようにして、両手を広げる。
まるで自分たちに挑みかかるような目をして、彼は言ったのだ…
「…これから、どうするんだ?」
「…。」
「…。」
誰も、答えなかった。
私は、ただ目を伏せたまま、首を横に振った。
12人の子供がまだいる身だ、働かねばならない。働かねばならない。
…けれども、本当にこれから先、再就職先を見つけられるのだろうか?
そのことを思えば、腹の奥底にどろどろと澱んで渦を巻いている不安が、また喉からあふれ出しそうになる。
それはきっと、常務も木下君も都絵君も同じだろう…
情けないことに、自分の身に突然降りかかった不幸に怯えるばかりで、混乱するばかりで。
その時の私たちは、まだ幼い…小学5年生でしかない、しかも父を無くしてしまった彼の心境を慮ることすらしなかった。



だから。
少年が、あまりにふがいない私たちを、その小さな身で…かばおうとし、救おうとしたのだ。



突然のことだった。
飛び掛かってきたワッ太が、自分たちの手のかばんや風呂敷包みを、乱暴に奪う!
「ぼ…坊ちゃん?!」
うわずった困惑の声を上げる常務を、きっ、と見つめ返し。
彼は、怒鳴るように言った。泣き出しそうな顔で、言った。
「あ…あそこはみんなの会社じゃねえか!」
重い荷物を、その細い腕で必死に持って。
職を失ってしまう自分たちの命運を、懸命に抱えて。
今でもその時の彼の表情を忘れない。
少年は、嗚呼まるで今は亡き彼の父のような頼もしい瞳で、凛と言い放ったのだ―
「俺が、トライダーに乗れば…仕事は続けられるんだろう?!」
大人であっても危険で尻込みしたがる仕事。
それが「宇宙の何でも屋」、竹尾ゼネラルカンパニーが請け負ってきた仕事だ。
廃棄物処理に物資運搬…時には避けがたい事故も襲ってくる。
その仕事が、彼から父を奪ったというのに。
その仕事が、彼から平穏を奪ったというのに。
それでも竹尾ワッ太は、真っ直ぐな目をしてそう宣言したのだ。
「坊ちゃん…!」
郁絵君の瞳から、こらえきれない涙がこぼれ落ちる。
「だったら…俺が!俺がトライダーに乗る!」
そうして、少年は…「社長の坊ちゃん」ではなく、「若社長」になったのだ。


「俺が、父ちゃんの代わりに…社長になるッ!!」


その言葉の通り。
それから、ワッ太は…社長は、逃げなかった。
地球を、宇宙の基地を襲ってくる、目的不明のメカロボット。
奴らとの戦闘でも、普通の子どもなら(いいや、大人ですら!)恐怖に泣き喚いたっておかしくない状況でも、社長は逃げはしなかった。
まだ、遊びたい盛りだろうに。
まだ、責任を負うには小さすぎる身体で。
それでもあの日自分たちに誓って見せたとおりに…!
だから、自分たちは決めたのだ。
「甘えちゃいけない」、と。
社員として。竹尾ゼネラルカンパニーの新社長・竹尾ワッ太のために。


(―けれども)
専務の瞳が、かすかにうるんでぼやける。


自分自身が十二人もの子を持つ「親」だから。
子どもたちが成長していくのを見てきた、そして見ていく「親」だから。
だからこそ、ワッ太には…「小学生」でいてほしかった。


仕事が入れば、自転車に乗って幾度となく授業中の彼を会社に連れ戻しに行った。
学校の教師に嫌味を言われるのにも慣れてしまい、何とも思わなくなってしまうくらいに。
野球の試合があるんだと楽しみにしていた彼を、試合の最中に引き抜いてしまったことも。
…ワッ太少年が「少年」であるために必要なことを、仕事の名のもとにぎりぎりじりじりと削っている。
そのことの罪深さを誰よりも感じ取っていたからこそ。
柿小路が何処か露悪趣味さえ感じさせるこの番組に出場し、100万円を勝ち取ろうとしたのは、ただひたすらにその一心だった。
誰もが楽しみにしている、修学旅行。
小学校行事の中でひときわ大きいこのイベントを、社長がトライダーのパイロットとしてではなく、ただの小学生の一人として心ゆくまで楽しめるように!


問題カードが、音もなく舞台装置につけられたスリットから出てくる。
その小さな紙片を手にした立古が、高らかに告げる―
「…それでは、参りましょう!」
それを合図に、すっ、と、専務のまわりの照明が落とされる。
常務も、木下も、郁絵も、ワッ太もその闇の中に消える。
スポットライトの中に、柿小路専務一人。


「広辞苑クイズ、第一問」


伝えられたクイズの形式は、広辞苑の説明文より該当する単語を答える「広辞苑クイズ」…
100万円チャレンジにおいては、全部で3問の問題に答えなくてはならない。
一問たりとも外すことができない、語彙力が必要とされるクイズだ。


警察に事件などを通報する時の電話番号。
警察緊急通報用電話。
比喩的に、電話での相談・要請に応ずる組織を表す接尾語としても使う。



「…さあ、何でしょう?!」
文章を読み上げ終わった立古が問いかける、
専務は矢継ぎ早に答えかえす!
「110番ッ!」
「…正解ッ!」
てぃろりろりろーん、という能天気なジングルが鳴り渡るが…会場は静まり返ったまま。
まるで、専務の緊張感が、その場にいる全員の精神を縛りつけているような―


「第二問」


1、イカを割り開き、内臓などを除去して乾かした食品。
祝儀にも用いる。
2、するめいかの略。



「…するめ、ですぞ!」
「正解!」
場違いなジングルだけが、ご陽気に歌いがなる。
第二問も、難なくクリア。
あと一問で、夢にまで見た100万円…!
あと、たった一問だ。
いいや、だからだ、だからこそ。
張り詰めた使命感と緊迫感が、もう若くもない柿小路を責め立てる。
弱った心臓が、どくどく、どくどくと無茶な拍動のリズムを刻む。
(社長…私はやります、やってみせますぞ)
無理やりにでも自分を鼓舞しようと、思いきり深呼吸。
やり遂げてみせる、いや、やり遂げてみせろ!
そのためにここまでやってきたのだから…!
身じろぎもせず、相変わらず直立不動の姿勢のまま立ち尽くす専務を、皆ひたむきに見つめている。
陀和も、立古も、最早茶々を入れることすらしない。
観客席は、水を打ったように静まり返ったまま。
竹尾ゼネラルカンパニー社員一同も、ただ、ただ、黙って見守っている…
幾多の視線をその細長い身体に一身に浴びながら、最後の一問に専務は挑む!


「…第三問!」


1、演劇または集会の席などで、当座の事柄に巧みに機転をきかし喝采を博すること。
2、その場の思いつきで当てこみをねらうこと。『―の発言』『―的な方策』



「…?!」
その時、はっきりと…専務の表情が変わる。
今までの二つは即答できた。だが…今回のこれは?


かつうううん、かつうううん、かつうううん、かつうううん、


当たり前だが、どんな言葉にも「類語」というものはある。
同じような意味で別の言葉…
嗚呼、だがどれが正しい?


かつうううん、かつうううん、かつうううん、


ぐるぐると似た意味の言葉が脳内を巡る。
どれが正しい?どれが間違いだ?


かつうううん、かつうううん、


だが、専務の惑いなどクイズは待ってくれない、
彼に与えられたのはたったの10秒間、


かつうううん、


「専務…!」
少年が思わず漏らした小さな声。
その声に背中を押されるようにして、柿小路は答えを出した…!


「は…」




「はったり!」




少しばかり、尾を引いて。
専務の答えが宙に散る。
問題カードを覗き込んだ立古の表情が、わずかに動いた―




「…残念ッ!!」




「?!」
「ああっ…!」
驚愕に目を見開く専務、背中で聞こえた嘆息は一体誰のものか。
ふわっ、と、照明が白転。同時に哀しげなジングル…
そう。
専務は、この問題に不正解だった…
正答は。
「いやあ、残念…答えは、…『場当たり』」
「ああ…」
立古からの答えを聞いた専務の顔に、「なんだそっちだったか」と言う落胆が色濃く浮かぶ。
失望のみならず、今までの緊張がどっと解けたのか…がっくりと肩を落とす老爺。
「残念やったねえ…」
陀和も心底残念そうに、ねぎらいの言葉をかけてくる。
それにあいまいな笑みを返しながらも、彼の心はまたすまなさに塗りつぶされてしまう。
「しゃ、社長、すみません…もう少しだったのに」
傍らの仲間たちに、頭を垂れる専務…
だが。
ここまでがんばりぬいた専務を、責めるはずなどない。
「ううん、すごいじゃん専務!だって、こんなとこまで来れたんだから!」
むしろ、笑顔で。
健闘を褒めたたえる、ワッ太社長。
「いやあ、最後までよくがんばったじゃないか!今度はわしもやってやろうかな!」
笑顔で拍手しながらうなずいている、厚井常務。
「専務、ボク感動しちゃいました!67万はちょっと惜しいですけど…今夜はパーッと行きましょう、パーッと!」
相変わらずの軽口で励ます、木下係長。
「お疲れ様でした、専務…!本当に、お疲れ様でした!」
優しい微笑でいたわる、郁絵君。
そして、観客たちも…
何処までも自分の小さな上司のために頑張りぬいた専務に、惜しみの無い拍手を送り続けている。
拍手の雨の中、頃合いを見計らい。
陀和が舞台端にスタンバイしている、姓名判断師の在庵先生に話を振る。
「先生、何かアドバイスでも…」
「うん、」
紫の着物姿の在庵先生が、傍らの資料を元に調べた姓名判断の結果を伝える。
「あのね…専務さん、そんなに心配しなくてもいいですよ」
「はっ…」
「何故かと言うとね、竹尾ワッ太君…彼のね、エネルギーはものすごいの」
「えっ?そうなんだぁ…」
当の本人は、急に名前を呼ばれて目をぱちくりさせている。
「確かに人生の最初の方では、人が経験しないような苦労もするかもしれない…
けれど何がすごいかと言ったら、それを苦労とも思わず、自分の確実な力にしていくところ」
「…。」
専務はその言葉を、かみしめるように聞いていた。
そうして、説明の最後に。
人を安堵させるような、落ち着いた口調で…在庵先生は笑顔で、太鼓判を押してくれた。
「だから、大丈夫…彼は必ず、立派な大人になりますよ」
「…はいッ!」
勢いよく返事をした途端に。
ぼろぼろっ、と、抑えきれなかった大粒の涙が、専務の両目からこぼれ落ちた。
恥を忍んで、この場所にやってきて。
社長や社員たちにもバレてしまって。
その挙句に、1円たりとも持って帰れない。
…けれども。


「ワッ太君、専務さんのためにも…勉強も仕事も、しっかりがんばってな!
しんどいこともあると思うけど、応援してるで!」
「はいっ!俺、がんばります!ありがとうございます!」
激励する陀和キア子に、にこやかな笑顔ではきはきと答えている、ワッ太社長。
これからも、会社のために、社員のために、
そして何よりも若社長、彼のために全力で働き続けよう。
その強い思いを再確認できたことは、きっと収穫なのだろう。
だから、立古からかけられた最後の言葉に、ひときわに大きな声で、
「今回は惜しかった!是非またよかったら、応募してくださいね!」
ひときわに胸を張って言えるのだ、雪辱を晴らすことを約束して…!


「…はい!そうして、今度こそ、100万円取りますぞ…我が社、竹尾ゼネラルカンパニーの発展のために!」


カメラに向かって、専務が誓う。
わああああっ、と、観客席がどよめく。陀和も、立古も、拍手する。
常務が、木下が、郁絵が、
そして、若社長が笑う…!
これが、今回の…彼の挑戦のエンドマーク。
『零細企業ビンボー』柿小路梅麻呂は、善戦虚しく獲得賞金は0。
それでも、彼はあきらめない。
ワッ太が修学旅行中に例え仕事が入っても、火の車の会計を何とかやりくりして、本懐を遂げるのだろう…




そうだ。
これは、不幸せかもしれない。
けれども、幸せも不幸せも、コインの表裏のようなもの。
やじろべえのように、ゆらゆらとどちらにでも揺れ動くもの。
不幸せを幸せに出来るのは…きっと、心の強さ。
ゆらゆらと傾きながら、泣き笑いしながら…竹尾ゼネラルカンパニーの一同は、
これからも、元気よく、強く生きていくのだろう。




多く笑う者は幸福であり、多く泣く者は不幸である
ショーペンハウエル