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◆ 誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)〜risoluto〜
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「うおあああああああああああああ!!」
「あああ、うわあああ、恐角鬼ィィィィッ!!」
「来るな、来るなあッ、暗邪鬼ーーーッ!」
絶叫。絶叫。恐角鬼の絶叫。
通信機を砕くかのごとき仲間からの呼び声を、彼は絶叫で跳ね返す。
握り締めた操縦桿は汗でまみれ、喰いしばる歯はぎりぎりと音を立て、
己の命ごと敵を滅さんと猛る鬼の形相は、血と汗にぎらつき、
「こいつだけは!この、小娘だけは―俺が、道連れに!」
吼える咆哮が、彼の決意と覚悟を巻き込んで燃え上がる。
びしびしと揺らぎ悲鳴を上げる愛機の中で、彼は最早眼前の敵しか見てはいない。
「くっ、う、ああ…ッ!」
両腕をつかむメカ恐角鬼の豪腕は、いくらふりほどこうとしてもほどけない。
必死にエルレーンはそこから逃れようとするものの、どれほど操作しても―ミネルヴァダブルエックスは、その魔手を切り解く強力を持たない!
砕け散ったコックピットの強化ガラス。
肌に直に感じるその戦場の空気が、不吉な予感を運ぶ。
メカ恐角鬼との間に割り入り、自分の盾となってくれている機械獣デイモスF3…
ぐずぐずと内部からメルトダウンしていかんとするその凶悪な熱波を受けるデイモス自身のボディーにも、限界が近づき始めていた―!
「…!」
その危機は、バードスの杖を介して伝わる。
あしゅら男爵の表情に、苦悶の色。
神経細胞をぶちぶちと引きちぎられるような痛みが、あしゅらの頭蓋を貫く。
「ぐ…く、デイモスは…」
その中で直感するのだ、あしゅら男爵は。
自らが操る機械の獣、その一体は最早―
(もう、持たない…ッ!)
このまま、百鬼メカの自爆に巻き込まれる。
それを確信した瞬間、あしゅらは咄嗟にそのことに気づいた。
デイモスは無人機。自分が遠隔操作で操っているだけだ。
だが、そうではない―もう一体は、そうではない!
あしゅらの青い瞳、黒い瞳が、きっ、と険しくなる。
そして、その両の瞳はある男を射た―
それは、ジェノサイダーF9とともにメカ暗邪鬼を翻弄している、あの男!
(ぶ…ブロッケンッ!)
「?!」
脳裏に、突如響いた声。
まるで耳元で叫ばれたようなその声に、思わずブロッケン伯爵は周りを見回す。
だが―そこには誰もいない。
そして、その声の主は…
(き、…さま、あの…)
「あしゅら…ッ?!」
遠く離れた飛行要塞グールにいるはずの、あしゅら男爵!
振り返りグールのブリッジを見やるブロッケンの耳に、なおも飛ばされた思念が叫ぶ。
その思念は、かすれがすれに、とぎれとぎれになりながらも、こう告げたのだ…
(あの、小娘を…たすけ、だせ!)
「…!」
(もはや、デイモスも、ミネルヴァも…もた、ない、)
ジェノサイダーを、デイモスを同時に操りながら、その上さらにこちらに思念を飛ばすのは相当に精神力を使うことなのだろう…
そのあしゅらの声は弱々しく、その声からだけでも彼の陥っている苦痛が感じ取れるようだ。
だが、それでもなおその声はブロッケンを急かす、
(…早く!)
顧みれば、少し離れた場所に、百鬼メカロボット・メカ恐角鬼。
もうその四肢のあちこちから火を噴き、いくつかの装甲は小爆発を繰り返し剥げ落ちていっている。
その両腕は、鋼鉄の女神を掴み、決して離さない―
彼女をかばわんとする機械獣デイモスF3をも意に介することなく、ただただ己の自滅をもってして、その二者をもともに滅ぼさんと―!
「…ちっ!」
軽い、舌打ち。
意思を込める。
ブロッケンの脳が生み出す意思が、機構のスイッチを入れる。
望むがままに、鋼鉄の脚が大地を強く蹴る。
風よりも速く、常人の目には捉えられぬほど疾く。
機械仕掛けの伯爵は駆ける、戦場を。
疾風と化す、その距離を越えるのにも瞬くほどの間すら必要とはしない。
メカ恐角鬼のそばを駆け抜け。デイモスF3の脚をくぐりぬけ。
あっという間に、鋼鉄の伯爵はミネルヴァダブルエックスの足下にたどり着く―
そして。
息をつく間すらなく、彼はためらわず跳び上がった。
があん、と、女神の鋼鉄の肌を手荒に蹴り、再び駆ける。
そして再び高く飛び、跳ね、走り、捕らわれたミネルヴァの身体を駆け上がっていく…
「人間」なら到底出来もしないほどの運動能力が、それを可能にする。
膝。脚。腰。腕。肘。肩。
そのまま彼は真っ直ぐに目指す場所にたどり着く―
ミネルヴァダブルエックスの頭部、コックピット!
その中に飛び降りるなり、彼は少女の背中に向けて大声で叫んだ。
「…お嬢!降りるぞ!」
「ブロッケンさん?!」
背後から呼ばれ、エルレーンは驚いて振り返る。
見れば、気づかぬうちに…ブロッケン伯爵が、コックピット内にいた。
剥き出しになった操縦席に、危険がすぐそこに迫っている。
そのことを己の皮膚で感じられるほどまでに―!
「このままここにいては危険だ!脱出するぞッ!」
「で…でも!」
「…いいから!」
脱出する、と言うことは。
この鋼鉄の女神を放棄する、すなわちこの状態のままメカ恐角鬼と一緒に砕け散らせる…ということ。
そのことに、一瞬少女はたじろぐ。
だが…ゆっくり問答している時間など、ないに等しい。
「!」
「しっかりつかまっていてくれ…いくぞッ!」
少女の返答を、最早伯爵は聞かなかった。
彼女をその腕に抱え上げ、伯爵は飛んだ―
恐怖のあまり、少女は声も出せず…思わず彼にしがみつく。
景色が回る。流れる。
ブロッケンは、再度意思を込める―超高速での、疾走!
それと、ほぼ同時。
「く…ッ!」
爆発。爆発。爆発。
恐角鬼の在るコックピットでも、爆発。
燃える百鬼メカが、とうとう最期の時を迎える。
「ひ…」
「き、恐角鬼ーーーッ?!」
「百鬼帝国にいいいい、栄光あれえええええッッ!!」
耳朶を打つ、戦友・暗邪鬼の絶叫。
恐角鬼の雄たけびが、何処か哀しく響き渡った―
そして、それが終局の瞬間だった!
ブロッケンはエルレーンを抱えたまま、全力で駆ける。
鋼鉄の女神の身体を飛び降り、駆け下りていくその刹那にも、無数の爆発音が不気味に空気をゆるがせる。
燃える。メカ恐角鬼が燃える。
立ちはだかった、デイモスF3をも燃やして。
燃え上がる。歴戦の戦士をも燃やして。
「…!」
数秒の…だが、彼らには遥かに長い時間に感じられただろう…後、ようやく鋼鉄の伯爵の脚が、再び大地を踏む。
しかし、だからといって安堵は出来ない―
「ぶ、ブロッケンさん!」
「!」
少女の悲鳴に、伯爵は空を見上げる。
砕ける。メカ恐角鬼が砕ける。
デイモスF3も、そしてミネルヴァダブルエックスをも巻き添えにして―!
砕ければ、散るのは破片。
鋼鉄の巨人が、三体の巨人が、爆裂し続ける。
爆音が空気を鳴動させるたびに、その身体が破片となり、散る。
散っていく破片が、焼け焦げるような熱と凄まじい重みを持ったまま、雨のように降り注ぐ!
巨大な破片が。子細な破片が。
だがそのどれもが凶悪な矢になりかわって、見上げる二人に襲い掛かる…!
「くっ!」
彼の判断は素早かった。
エルレーンをいまだその腕に抱きかかえたまま、ブロッケン伯爵は走り出した。
駆け抜ける、その雨が地面に、そして自分たちの頭に落ちるよりも速く。
一刻も早く爆心地から、今なお爆発を繰り返すロボット群から離れねば―!


「…!」


その時、
視界がすっと暗くなる
大きな影が射し込んだのだ
ブロッケン伯爵は、はじかれたように上空へと視線を飛ばした―


刹那。


「!」


将校の瞳が驚愕に見開かれる
動揺に表情が歪む
だが、それでも、そのわずかな、ほんのわずかな瞬間だけで
彼は、反射的に、彼の為すべきことを為した。
彼の視線が少女に向いた―


「きゃ…!」


浮遊感。
放り投げられたなどと気づいた時にはすでに空を飛んでいた
手加減も何もない全力で投げ飛ばされたエルレーンの身体が宙を裂く
十数メートルほども吹っ飛ぶ少女の身体
威力はまったく死なないままに彼女は地面に背中から叩きつけられる
苦しさと痛みに透明な瞳が曇る
全身に拡がる鈍く重い痛みに少女の両目に涙がにじむ
そして跳ねる転がるはじけ飛ぶ
砂の大地が彼女の肌を斬りつけ痛めつける
それでも何とか我を取り戻し痛みをこらえ顔を上げた少女が見た光景は―
まばたきするよりも遥かに短いその刻に少女が見た光景は―


大地に半ばくずおれながらも自分に向かって右手を伸ばすブロッケン伯爵
自分を放り投げた右腕
そして
その頭上から重力に従って落ちてくる―
巨大な 破壊されたロボットの一片 鉄片 破片(フラグメント)
それは真下にいる機械仕掛けの伯爵よりずっと大きく重く強大な―


「…!」


伯爵の意図に気づいた
声をあげようとした
叫ぼうとした
けれど、何も出来なかった。


―激音!
相当なる質量を持った鉄片は強烈な加速度をもってして大地に突き刺さった
激突と同時に砂煙が巻き起こり、風となり、四方八方へと駆け抜ける
半ば衝撃波にも似たその疾風に、少女は恐怖で堅く目を閉じ身を強張らせる
ばらばらと砕けた細かな砕片が降り注ぐ
微細なそれはまるで雨のように
「う…」
だがやがてエルレーンは何とか目を開こうとする
ぼやけた視界の中、砂埃はゆらゆらと漂い全てを白く染めている
しかしそれもやがてうっすらと消え去っていく、ゆっくりとゆっくりと
そうして、薄もやのベールが徐々に失われていく光景の中で、少女が見たものは


「?!」


右腕。
先刻自分を放り投げた、伯爵の右腕。
深緑の軍服の袖、黒い手袋、鋼鉄の腕。
けれど、その右腕には、肩がなかった
あるべき場所から先は…なく、白銀の火花が散っている
ばちばち、ばちばち、ばちばち、と
そしてそのすぐ背後には…大地をえぐる鉄片が静かにそびえ立っている
まるで背景のように、静かに
―それだけだった


「あ、ああ、あああ…!」
恐怖と混乱に気道を締め付けられ、声帯はこすれた悲鳴を上げるのみ。
突き上げてくる衝動に、少女はこらえきれず歯噛みする。
両脚は力失せて萎え、立ち上がることすら出来ない
それでも動揺した心臓がめちゃくちゃに刻む鼓動が、狂ったように彼女の血液を全身に散り飛ばす。
迷走した思考をさらに加速させるように…
「ぶ、ろっけん、さん…ッ」
搾り出すようにして呼んだのは、あの機械伯爵。
だが、眼前に在るのは彼の右腕、
右腕、だけだ―!
そして、とうとう少女のショックが臨界を越えた―
「あああああ、うわあああああーーーー!」
かっ、と見開かれた瞳から、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。
頭を両腕で抱え込み、泣き叫ぶ。
こぼれていく涙は頬を伝い、伝い、地面に落ちて消えていく。
絶叫。少女の絶叫。
砕け散ったガラスの断末魔のような、絶望と恐怖の―


しかし、少女の精神が砕け散るその前に。
穏やかな、低い声が届いた。
少女の狂乱と鮮やかなコントラストを為すほどの、静かで穏やかな声。


「…何を泣くんだ、お嬢…」
「!」
エルレーンは、はっ、と息を呑む。
…じゃり、と、踏みしめられた砂が、泣き声をあげた。
地面を刺し貫く鉄片、その影から、
一人の男の姿が現れるのを、少女は見た…
「ぶ、ブロッケンさん、ブロッケンさんッ」
少女は立ち上がり、伯爵のそばに駆け寄る。
彼女の目に映るブロッケンは、平然と大地に立っていた―
全身を包む軍服は、埃にまみれ、そこらじゅうが切れ、傷だらけではあったけれども。
それでも、彼は両方の脚で立っていた。
吹き渡る鉄の匂いのする風に、髪をなびかせながら。
ああ、けれども。
けれども―
立ち尽くす伯爵の、その右腕。
徽章のついた右肩。その肩口。
―それは、傷口、だった。
あの鉄片が鋭い切り口で引きちぎったのだろう傷口。
そこからは、鋼鉄の機構が見える…
精巧に組み上げられた伯爵の身体。
上腕部で断ち切れたそこからは、黒いオイルが点々とこぼれおち、地面に小さな染みを作る
そして散るのは不吉な白い火花―
「…!」
止まったはずの涙が、また、こぼれだした。
後から後からあふれる涙が、全ての世界を歪ませていく…
まるで、残酷な現実を覆い隠してしまうかのように。
「ご、ごめ、ごめんなさ…いッ」
「…何故、謝る?」
「だ、だって!腕が、うでが、ブロッケンさんの、うでが…!」
涙にむせびながら、涙をぬぐいながら、エルレーンが発した謝罪の言葉。
それを、伯爵は…問い返すことで、拒絶した。
それでも、少女は詫びの言葉を口にせざるを得ない。
泣きながら、荒い呼吸を割るようにして、彼女は必死に言うのだ…
「ごめんなさい…!わ、私なんかを、わ、ッ…私なんかを、助けるために!」
「…」
伯爵は、ゆっくりと目を伏せた。
「…!」
エルレーンの泣きじゃくる声が、止まる。
少女の黒髪を、遠慮がちに置かれた手のひらが…やさしくかきなぜる。
それは、手袋に包まれた鋼鉄の手。
自責の念に押しつぶされそうな少女を、少しでも安らがせようと。
鋼で出来たその手のひらには、熱い血液が通わない。
だから、ひやりと冷たい感触が、手袋越しに少女に伝わる。
エルレーンは想った。
あの時の感覚を、あの女(ひと)の感覚を。
そうして、その鋼鉄の、機械仕掛けの、冷たい身体を持つ男は、
少し困ったような顔で、涙を流す少女を見て…ささやくように、こう言った。
「お嬢。…我輩は、まだ、死んではいない」
それは、自ずから確かめようとしているようで。
それは、自ずから認めようとしているようで。
ブロッケン伯爵は、こうつぶやいたのだ。




「まだ、死んでは、いないんだ」





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