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◆ 誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)〜appassionato〜
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廊下を駆け抜けていく、一陣の風のように。
「…はっ、はっ、はっ…」
けれども昂ぶり続ける疲労と緊張が、その呼吸を乱してしまう。
やがて、少女は―とうとう、その走りの速度を緩めてしまう。
そして、周囲に人の気配がないことを確認すると…彼女は、ようやくその脚を止めた。
「…」
静かに、肺から息を吐き出し、再びゆっくり空気を吸い込む。
興奮する心臓を押さえつけ、何とか荒い呼吸を整えた…
「ふう…」
ブリッジから隙を見て一人逃げ出したエルレーン。
彼女は、何者かが近寄ってこないように周囲に最低限の注意を向けたまま、自分の思考の中にもぐりこんで入った。
これからどうすればいいのか…一体どうすべきなのか、を。
何をすれば、この飛行要塞グールから逃げ出し、リョウたちにこの事実を告げることができる?
…自分のおかれた状況の悪さに、エルレーンは思わず軽く歯噛みする。
「人質」とされているのが自分だけではない―
その事実が、何より重くエルレーンにのしかかる。
元気はいまだ、彼奴らの手の中に在るのだ。
もちろん、あのブリッジで戦い、元気をつれて逃げ去ることもできたかもしれない。
だが、その選択肢は即座に捨てた。
何故なら、あのブリッジには…あまりに、「敵」の数が多すぎた。
あの鉄の仮面で顔を覆った兵士たち、ヘルメットをかぶった兵士たち。
「あしゅら男爵」と名乗った、「敵」の首魁。
それに―
自分たちをあそこに連れて行った、「ブロッケン伯爵」という、あの男。
彼も、底知れない。
表向き自分たちには穏やかに接してはいたが、それでも―剣を向けた時の、あの態度。
眉一つ動かさず自分を見据え返してきた…椅子に座ったまま、何の武器も構えずに。
そして、自分が逃げ出した、あの時も。
両腕を組んだまま、ただ見ていた―
自分が逃げ行く様を。
(あそこへは…戻れない。戻っても、仕方ない)
そのような連中の渦巻く本拠地にもう一度乗り込み戦いを挑む、それは自殺行為に過ぎないだろう。
エルレーンの中で、緊迫した思念が、それでも冷静に走りぬける。
(…だったら)
少女は、顔を上げる。
がむしゃらにここまで逃げてきたわけではない、あの兵士たちの追撃よりも遥かに速く自分は走り抜いてきた。
一度見たモノを忘れない彼女の脳が、命じたままに駆け抜けてきた。
まるで、今来たばかりの道のりを逆送するかのように。
あの場所へ。
この劣勢をひっくり返せる、一発逆転の手を打つために必要なものがある、あの場所へ、と。
そして…
その場所は、すでにもう眼前だ。
都合のよいことに、人影もない。
聞こえるのは、忙しく機械やクレーンが働きまわる音…
軽く胸に手を当てると、もうとっくに心臓も呼吸も落ち着いていた。
静かな闘志だけが、ちりちりと頭蓋で燃えているのがわかるだけ。
エルレーンは、静かに…その扉を、開いた。

格納庫。
広大な空間に並び出陣の時を待っているのは、四体の巨大なロボットたち…
人目につかぬよう垣間見るその姿は、やはり強大であった。
…悪魔のような羽を頭につけた、人型のロボット。
先端に奇怪な顔をつけた、長大な翼を持つ飛行機型のロボット。
鬼のようなツノを頭に生やした、両手が鞭のように尖ったロボット。
そして、その中に…その三体とは趣向の違ったロボットが、一体だけあった。
それこそが、エルレーンの求めたモノだった。
―あの、鋼鉄の女神!
元気とはじめにこれを見た時は、ただのあいまいな想像に過ぎなかった。
だが、あのあしゅら男爵の狙いが光子力研究所の壊滅とわかった今、はっきり理解した―
このロボットは、光子力研究所の主力ロボットである「マジンガーZ」を模して造られた、女性型の「マジンガーZ」なのだ!
奴らが研究所攻撃の為にこれを用意したことは確実だ。
だが、もし…このマジンガーZをかたどって作られたこのマシーンが、その設計思想もマジンガーZと共通のものに基づいていたとすれば?!
見た目が明らかに女性的に変えられていることからも、単純なコピーではないことがわかる。
何故そのようなことをしたのかも検討がつかないが、それでも、もし―
その予感に突き動かされ、ここまで逃げてきたのだ。
少女は、開いた扉からまっすぐに伸びる細い通路を駆ける。
格納庫の空を縦横に貫く通路は、ロボットたちの頭上を通り抜けている。
「…」
エルレーンは鋼鉄の女神に駆け寄り、通路から彼女を見下ろした。
…その頭脳の部分、マジンガーZでは「ホバーパイルダー」がドッキングするその部分を見下ろす。
そこは、この鋼鉄の女神を操るためのコックピットとなっている。
彼女は必死に目を凝らす、そして記憶の中の映像を探し出す。
かつて、皆が「未来」の世界に飛ばされてしまった、「未来」の世界で戦っていた頃。
メカニックのアストナージを手伝って、ロボットたちのメンテナンスをした時の記憶。
彼女の消えない記憶が、やがてその映像を見つけ出し…目の前の風景と重ね合わせる。
そして―重なる。ほぼ、ぴったりと。
…それは、彼女がかつて見たマジンガーZのそれと、ほとんど寸分の違いがなかった!
(…やった!)
エルレーンの顔に、会心の笑み。
見たことがある。仕組みも、きっとマジンガーZと同じ。
メンテナンスの過程で知ったマジンガーZの仕組みは、きっとこの鋼鉄の女神と同じ―
つまり。
(この、マジンガーに似たロボット…きっと、私操縦できる!)
他にも三体巨大ロボットはあるが、もし戦闘となれば…うまく操縦できなければ、負けてしまうだけだ。
しかし、この鋼鉄の女神ならば、多少自分にも利があるのだ。
マジンガーと同じ見た目。同じコックピット。
ならば、おそらく操作方法もそう違わないだろう…
後は…マジンガーZと同じように動作するであろうことを祈るだけだ!
(待っててね、元気君―!)
意気猛る少女が、そのコックピットに飛び移ろうと身構えた…
その瞬間。
「そこまでだ」
「―?!」
低く押し殺した声が、格納庫の空気を震わせた。
虚を突かれたエルレーンは、反射的に一歩飛び退る―
と。
「ブロッケン、さん…」
「そこまでだ、お嬢」
そこには。
深緑の軍服をまとった、貴族将校が立ちはだかっていた。
右腕に自らの首を抱えた、闇のデュラハン(首無し騎士)。
抱えられた首は、細い通路の向こう側から、自分を冷たく見返している…
「ど、どうして…?!」
「…お嬢のやろうとしていたことなど、見え透いている」
動揺した少女に、将校は淡々と、冷静に、無表情なままで言い返した。
つまらなさそうに、淡々と…
「この飛行要塞グールから逃げようというなら、脱出するための機体を奪おうと思うのが普通だからな」
「ぐ…」
「…あきらめろ。おとなしくしておけ」
そして、一歩。
将校は前に出る。
少女は、さらに一歩飛び退る。
「ブロッケンさん…『どうでもいい』って、言ってたのに!やっぱり、あの人の味方するんだ!」
「…別に、そういうつもりは毛頭ない。…だがな、お嬢」
敵意が、じわじわと少女の声音に混ざりこんでいく。
ブロッケンを責める言葉に、それでも彼は何の感情も浮かべず…ただ、つまらなさそうに言い返すだけ。
「我輩の飛行要塞グール、そしてその機械獣『ミネルヴァダブルエックス』…破壊されたり、奪われたりするわけにもいかんのだ」
「…」
少女は、それには言葉を返さなかった。
その代わりに、再び…その両手にナイフを握る。
闇を裂く銀色の軌道。殺意の軌道。
エルレーンの瞳に滾り始めた闇に、伯爵は少し顔をしかめた―
「やめておけ、お嬢。…傷つけたくは、ない」
「それは、こっちの、セリフだよ…!」
だが、いったん高まり始めた闘気には、消え滅ぶ兆しなどない。
少女の全身に力がこもっていくのが、伯爵の目に見て取れる。
―軽く、舌打ちする。
説得して理解させるのは、やはり無理か。
その時、新たな気配があらわれた…下方から。
「…あっ、あれは?!」
「う…!」
視線を走らせる。
通路よりずっと下から、兵士たちが数人こちらを見上げ、騒いでいる。
どうやら、逃げ出した少女がここにいることにも気づいたようだ…
剣を抜き放つ者、こちらに向かってこようとする者もいる。
「やめろッ!」
「…ッ?!」
ブロッケンは、すかさず彼らに向かって怒鳴りつける。
上司の命令にひるむ兵士たち。
なおも、彼は言い放つ…
眼前に立ちふさがる、ナイフを構えた少女から…決して、目をそらすことなく。
「お前たちは退け」
「し、しかし…」
「…いいから、退け」
「…」
兵士たちはなおも退くように命じられ、とうとう所在無く立ちすくむほかなくなった。
だが、それに代わるさらなる命令を待ち続けても、ブロッケンの命令は落ちてこない…
それどころではない、それどころではないのだ、彼は。
少女が―ついに、一歩、前に歩み出た。
大きく。
銀色の軌道が、空間を裂く。
脅しの斬撃。挑発の初撃。
「邪魔しないでよ…邪魔しないでよ、ブロッケンさんッ!」
「どうしても、やるつもりか…!」
「元気君を助けて、研究所に戻るんだ…」
「…!」
もはや、自分の言葉を聞き入れる余地などなさそうだ。
彼女の透明な瞳はらんらんと輝き、いつ自分が決定的な隙を見せるのか見定めている…
短い、吐息。
伯爵の左手が…動いた。
腰に帯びていた剣の柄を握り締め、鞘から解き放つ。
細身の剣は、真っ直ぐに。
真っ直ぐな銀が、その切っ先をエルレーンに突きつける!
「仕方ない…少し痛い思いをしてもらうぞ、お嬢!」
「…ッ!」
同じく戦いの姿勢をとった伯爵。
少女と剣を交える、その覚悟。
彼に向かい、エルレーンが雄たけびをあげ突進しようとした、その時だった。




天空遥か高くに在る地面が、激震した。





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