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◆ Die schlafende Schoene(「眠り姫」)
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「…リョウ!」
「リョウ君…」
リョウが寝かされた搬送用ベッドが、ガラガラと音を立てて集中治療室に運ばれていく。
その傍らをムサシやハヤト、ミチルたちが心配げな顔でついていく…
あれからリョウはすぐに街の病院に搬送され、治療を受けることになった。
…見た目にはまったく外傷がないにもかかわらず、彼はまったく目を覚ます気配がない…
もしかすると脳に深刻なダメージを受けているのかもしれない。
もしそうならば、一刻も早い措置が必要だった。
「…では、早乙女博士」医師が集中治療室の扉に手をかけ、博士に声をかけた。
「ええ、よろしくお願いします…」
博士の言葉に、医師は無言でうなずいた…
そして、集中治療室の扉がばたりと閉まる。
扉上部に備え付けられた「治療中」のランプが、赤く点灯した。
「…リョウの奴、大丈夫かな…」
「ムサシ君、そんなこと言わないで…きっと、きっと大丈夫よ」
ミチルが、まるで自分に言い聞かせるように言う。
「…」
ハヤトも無言で、うなずいた。
彼らはじっと、赤く光るランプを見つめつづけている。そのランプが消えるのを、今か今かと待ちながら…

…それから、数十分もした頃だろうか。
「…!」
ムサシの目に、ふっと「治療中」のランプが消えたのが映った。
と同時に集中治療室の扉が再び開き、そこからまたリョウの寝かされた搬送用ベッドが運び出されてきた。
「り、リョウ!」
思わずそばに駆け寄ろうとしたムサシたち。
だが、ベッドに横たわるリョウは彼らの声にまったく反応しない…
「病室に患者を!」
「はい、ドクター」
医師が手短にベッドを運ぶ看護婦たちに指示した。
彼女たちも手短な返事を返し、すぐにベッドを病室に運んでいく。
ムサシやハヤト、ミチルも慌ててその後を追う。早乙女博士も一緒に病室に行こうとした…
「…早乙女博士、ちょっと」
だが、医師がその背中に声をかけた。
「…何か…?」
ふりかえった博士の目に、医師の真剣な表情が映る。
彼の表情は、深刻な何かを伝えねばならない苦悩に満ちていた。
「患者のことで、お話しなければならないことがあります。…ちょっと、こっちにきていただけませんか」
そういいながら、彼は手近の診察室に入るよう促した…

「…なんでしょう、お話とは…」
「早乙女博士。…あの患者の容態なのですが…」
博士の真向かいに座った医師が、言いにくそうに口の中で何事がつぶやいた。
その言葉はよくは聞こえなかったが、リョウの容態…それも、芳しくない内容らしい…ということぐらいはすぐに察することができた。
「…!…あまり、よくないのですか…?!」
「…ええ。このままでは…時間の問題でしょう」
「…?!」
早乙女博士の顔色がさあっと変わる。
信じられない、信じたくない宣告だった。
「そ、それは本当なのですか?!」
「え、ええ…た、ただ」
医師はそこで、何故か困惑したような表情を浮かべた。
「まったく不可解なのですが…」
「…?」
医師の思いがけない言葉に、耳を澄ます博士。
「外傷もなく、脳波も正常そのものです。…それにもかかわらず、脈が…少しずつ、弱まっていっているのです」
「み、脈が…?!」
「ええ、つまり…心臓が、少しずつ…」
「…!!」
博士の目に絶望の色が走る。
「まったく原因がわからないのです。…だから、対処も立てようがない…!」
「な…何ですって」
「これから強心剤を投与しますが…これでも、いつまで持つかどうか…」
「…」
「あとは、彼女の体力次第です」
医師が最後に、ため息をつくかのように沈痛な面持ちでいった。
だが、彼の言葉のある部分が、博士の心に引っかかった。
「…?…『彼女』…?…今、何とおっしゃいましたか?!…『彼女』と…」
「…?!」
早乙女博士の妙な反応に、医師も驚いたようだった。
慌てて付け加える。
「え、ええ。…あの患者さんですが…」
「ど、どういうことです…?!」
「…!」
早乙女博士がなおも混乱しているのを見た医師。
…と、彼は突然はっとそのことに気づいたようだった…

「…あ、博士…!」
早乙女博士がリョウの運ばれた病室に入ってきたのは、それから数分後だった。
…病室の真ん中にあるベッドの上にはリョウが寝かされている…先ほどと同じ、まったく目を覚ます気配がない。
そのベッドの周りはハヤト、ムサシ、ミチルが取り囲み、心配げにその姿を見守っている…
「…?…どうしたんです、博士?」
思わずハヤトが声をかけた。
…早乙女博士は病室に入り口に突っ立ったまま、困惑がありありと浮かんだ顔で…眠るリョウを見つめていた。
「!…い、いや…なんでもない…」
博士はそう取り繕い、ベッドの傍らに歩み寄ってきた。
…だが、その口調は弱々しい。
「お父様…お医者様は、何ですって…?」
ミチルのその問いに、博士は答えられずにいた。
ただ黙って、リョウを見ている。
長いまつげに縁どられたまぶたは、一向に開く気配がない。
彼は人形のように、ぴくりとも動かないままでいる。
リョウの胸の上にかけてある毛布が規則的にかすかな上下を続けていることで、ベッドの中に寝かされた彼がまだ生きていると言うことがわかる程度だ。
「博士…イーグル号は」
ハヤトが耐え切れない不快な沈黙を破るように口を開いた。
「イーグル号はひどく破損していた…だが、思ったよりも早く修理はできそうなんだ。
ジャガー号とベアー号がほぼ無傷だったから、全力をイーグル号の修理にかけることができる」
「そうですか…」
「メカザウルスは、ゲットマシンが一機欠けている今をチャンスと見て、また襲ってくるだろう…その前に何とかせねば」
その時、がちゃりと病室のドアが開いた。医師が医療器具の乗ったワゴンを押しながら入ってくる。
「せ、先生!りょ、リョウは?!」
ムサシが彼に駆け寄ろうとした。
だが、医師は無言のまま手でそれを制し、ベッドサイドにワゴンを置いた…
黙り込んだまま、彼は細い針のついた注射器で、小さなガラス瓶から何か薬液を吸い上げた。
そして銀の消毒用のポッドからピンセットで脱脂綿を取り出す。
彼はリョウの体にかけられた毛布を、そっと腰のところで折りたたんだ。
あの戦いのときに着ていたパイロットスーツから白いシャツに着替えさせられた彼の右腕を、医師がとって、そのすそをまくる…
「…?!」
その作業をぼんやりと見つめていたムサシの目が、とんでもないものを映した。
…そこに、あるはずのないもの、あってはいけないもの…
「は、ハヤト…」
「何だ、ムサシ」
「お、オイラたち…オイラたちは、確かに、『リョウ』を助けたよな?!」
「…?!…お前、何言ってるんだ?!当たり前だろうが!」
「そうよムサシ君。何をいまさら…」
「い…いや」
ムサシは目をこすり、もう一度確認するようにじっとそれを見つめる…
「で、でも、じゃあ、何で…あの『リョウ』に、胸があるんだ?!」
「?!」
ムサシのその言葉に、ハヤトとミチルもはじかれたようにリョウの胸部に視線を向けた。
…静かに上下を繰り返すそこは、確かになだらかな凸型のカーブを描いていた…
確かに、目立って大きなものではない。
だが、明らかに男のものよりははっきりとしたカーブだ。
それははっきりと、その場所にやわらかな乳房があることを示している…
「…ど、どうして?!…わ、私たち、エルレーンさんのほうを助けたの?!」
「い、いいや、そんなはずはない!…俺たちは確かにイーグル号からリョウを引きずり出したはずだ!」
「で、でも!」
困惑しきったミチルが言い返す。だがそれもうまく言葉にならない…
「じゃ、じゃあ、どうして…?!」
「そうか…やはり、君たちも知らなかったのか」
患者のその「部分」を発見し混乱する彼らを見た医師が、リョウの右腕にすっと消毒用の綿をこすりつけながら、ぽつりとつぶやくように言った。
「せ、先生!どういうことです?!」
「…つまり、エルレーン君は…」
そのやり取りを聞いていた早乙女博士が、目を伏せたまま低い声でいった。
「リョウ君の『女性型』クローンではなく…正真正銘の、リョウ君のコピーだったということだ…」
「お、お父様?!どういうことなの?!」
「…この子は、女性だよ」
「…?!」
その医師の言葉を聞いたハヤト、ムサシ、ミチルの顔に、隠し切れないショックが浮かぶ。
「り、リョウが…」
「女、だって…?!」
「う、嘘…!」
三人の目がいっせいにリョウに注がれる。瞳を閉じたまま眠りつづける、リョウの姿に…
「…身体的にも何の異常もない、女の子だよ…服の下にサポーターをつけていたから、わからなかったようだけどね」
「…」
ハヤト、ムサシ、ミチルは呆然と彼の言葉を聞いている…
だが、それがまぎれも無い事実であることを、眠るリョウ自身の身体が証明している。
エルレーンと同じ、彼の身体…
彼らは今まで、そんなことをまったく思いつきもしなかった。
…特にハヤトとムサシには、まったくそれは青天の霹靂以外の何物でもなかった…
なぜなら、彼らは浅間学園寮でリョウと同じ部屋に暮らしていながら、そのことに微塵も気づかなかったのだから…
「は、博士…りょ、リョウはなんでそんなことを?!」
当然の疑問がムサシの口をついて出る。
「わしにはわからんよ…それは、彼から…リョウ君から、直接聞くほかない。…だが」
博士も首を横に振る…
その表情が、ふっと暗い影に襲われた。
「このままでは…それを聞くことはないかもしれない…」
「?!…ど、どういうことです?!」
「…」
医師も無言で、それにうなずいた。
「…そ、そうだよ!そんなこと、どうでもいいんだ!…せ、先生!…リョウの奴、助かるんですよね?!」
はっとリョウの容態のことを思い出したムサシが、医師に再度詰め寄る。ハヤト、ミチルも同様だ。
「…」
しかし、医師はそんなムサシたちを哀しげな目で見るだけだ…
「先生!」
「…怪我もない。脳波にもまったく異常はない。まるで、眠っているだけのようだ…」
「な、なら…!」
「…だが、確実にこの患者は…死にかけている」
医師は、その宣告を彼らの目を見ないままに言った。
「?!」
「少しずつ心音が弱くなっていく…心臓の鼓動が、弱まっていっているんだ…」
「…!」
医師の言葉一つ一つが、彼らの心に空虚に響く。
信じたくないその宣告を、彼らは呆然と聞いている…
「まったく原因がわからんのだ。だから、打つ手がない…あとは、こんなことぐらいしかできん」
そういいながら、医師は彼の腕に細い注射針をすっと入れた…透明な薬液が、静かに彼の血管の中に送り込まれていく。
「それは…」
「強心剤だよ。…これで、少しはもたせることができる。…だが…それでも、後どれくらいもつか…」
針を抜き取りながら、医師は深刻な顔つきでそう言った…その口調からは、もう終わりをただ待つという絶望しか感じられない。
「そ、そんな…!…せ、先生!何とかしてくれよッ!」
「何ともできん…!…私たちにも、わからないんだ…!…まるで」
どうすることもできない、というフラストレーションが、医師の口調のはしばしにあらわれる…
とうとう、彼は思いのたけを吐き捨てるようにいった…!
「まるで、死神に『連れて行か』れてしまうかのようだ…!」
「…!」
その言葉を聞いた瞬間、ハヤトの胸に彼女のあの言葉がよみがえる…
夕暮れの草原で、彼女が自分たちにいった、あの言葉が…!
「…そうか、そういうことか…!!」
ハヤトの口から、震える声が漏れる。
自分たちは、エルレーンのあの言葉の意味を勘違いしていたのだ。
エルレーンは、リョウを恐竜帝国に「連れて行く」つもりだったんじゃない。
はじめから自分の道連れにする、道連れに「連れて行く」つもりだったんだ…!!
「…!」
ムサシもはっとそのことに気づいた。
そして、彼の両目からどっと涙があふれだす…
「エルレーン…こういうことか?!こういうことだったのかよッ?!」
ハヤトがやりきれない感情をほとばしらせるように言った。今はもういない少女に。
「…う、うわぁあぁぁぁっっ!」
がばっ、とムサシはリョウのベッドに取りすがり、シーツを握りしめて泣く…
涙でぼやける視界の中に、リョウが…今の今までとんでもない「秘密」を隠し持っていた彼の仲間が、エルレーンに「連れて行か」れてしまうリョウがいる。
「…エルレーン…!…やめてくれェッ…リョウを…リョウを、『連れて行か』ないでくれよォォォォッ!!」
彼の叫び声が白い病室に反響する。
真っ白いベッドの上、目を閉じたまま穏やかに眠るリョウ。
深い眠りの中にたゆたう彼には、ムサシの必死の呼びかけなど聞こえはしなかった…


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