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◆ やがてくる「いつか」、だからその前に
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サイドカーで道を突き進むリョウ。もう終わりに近づいた夏の風が、彼の髪をもてあそんでいく。
道なりに寮へと走る彼。…すると、彼の視界に、あるものがぱっと入り込んだ。
「…!」
ブレーキをかけ、サイドカーを停止させる…
そして、今さっき見たばかりの人影の正体を確かめようと、それが見えたはずの方向に駆け出すリョウ…
「…あ…!」
やはり、それはエルレーンだった。
…なだらかな斜面になった草むらの中で身を横たえ、瞳を閉じている…どうやら、彼女は眠っているようだ。
「…」
静かに眠るエルレーンを起こさないように、そっとその隣に腰をおろす。
エルレーンは安らかに眠っていた。かすかな呼吸音が聞こえる。
(…俺も、寝てるときは…こんな顔してるのかな…)
彼女の寝顔を見下ろし、リョウはふとそんなことを思った。
…何か楽しい夢でも見ているのだろうか、かすかに微笑を浮かべて眠っているエルレーン。
身体を軽く胎児のように丸めて、静かな眠りの中にたゆたっている…
そっと、その前髪に触れてみた。自分と同じ少しくせっ毛の髪。
額からすっとその髪をくしけずるように頭をなぜると、エルレーンは少し反応し、かすかに何か寝言をつぶやいた…
満ち足りた子猫のような微笑を浮かべて眠るエルレーン。
…いつのまにか自分が彼女を穏やかに見守るような目で見つめていることに気づき、リョウは自分でも少し驚いた。
(俺も、もし…普通に育ってたら、こいつみたいになったのかな…エルレーンみたいに、無邪気で、明るくて、素直で…)
可愛い女の子、と続けて心の中でつぶやきそうになったことに、思わず慌てるリョウ。今しがた考えたことに、自分でも赤面してしまう。
…だが、決して悪い気分ではない。
リョウはエルレーンから目を離さない。…まるで、自分の小さな妹を見るようなやさしさのあふれる目で、彼女を見守っている…
そうして、どれくらい時間がたっただろうか。
ぴくり、とエルレーンのまぶたが動いた。そして、長いまつげに縁取られた瞳がすうっと開いていく…
「…リョ、ウ…?」
いつのまにか隣に座り込み、自分を見つめていた彼の名をつぶやく。
「ああ…」
「…いつの間に、ここに、いたの…?」
まだ眠いのか、目をこすりながら問い掛けるエルレーン。
「さっきから、だよ」
軽く微笑みながらそう答えるリョウ。
と、その時だった。…エルレーンのかわりに、エルレーンのおなかが派手に返事をした…
「…!」
そういえばずいぶん何も食べていなかったことにようやく気づいたエルレーン。
気づくなり空腹感が急に襲ってきたのか、両手をおなかに当てて少し困ったような顔をしている。
「!…はは、でっかい腹の虫だな」リョウも思わず、ぷっと吹き出してしまった。
…「腹の虫」という言葉の意味がわからないらしいエルレーンは、どうしてリョウが笑っているかわからずにきょとんとしている。
「腹が減ってるんだろ?…ちょっと待ってろ」
彼はくすくす笑いながらいったん立ち上がり、サイドカーの中に置きっぱなしにしていたバッグから、ごそごそと何かを取り出してきた。
その銀色の板状のものを、真ん中あたりで無造作に二つにぱきっと割る…そして、ちょっと大きめに割れたほうをエルレーンに差し出した。
「…?」
「チョコレート。…食えよ。ほら、半分やるよ」
リョウがエルレーンの隣に座り込み、エルレーンにそれをぽんと手渡す。
それを受け取ったエルレーンはしばらくそれをつぶさに観察していたが…やがて、おずおずとそれを口に運ぶ。
「!…うえ〜〜っっ?!」
かんだ瞬間、ざりっ、という何ともいえない嫌な感触が歯に響く。同時に鉄くさい味が口いっぱいに広がる…
あまりの不快さに、思わず顔がゆがんだ。
エルレーンは慌ててそれから口を離し、「一体なんでこんなものが食べ物なのか」という疑念いっぱいの目でそれをにらみつけている。
「…!…お、お前、銀紙ごと食ったらダメだろ!…ほら、これをこうして…」
エルレーンの妙な反応に驚いたリョウだが、彼女が外装の銀紙ごとチョコレートを食べようとしたのに気づいて、
慌てて彼女の分のチョコレートに手を出し、銀紙をむいてやる。
…少し涙目になってしまったエルレーンも、リョウがその銀色のまずいものの外側をむいて中身の茶色いものだけを食べていることにようやく気がついたようだ。
…一瞬ためらったが、もう一度勇気を出してそれをちょっとだけ口に入れてみた…
「…!」
その「チョコレート」というものは…とても甘かった。
口の中でなめらかに溶けていく不思議な物体。
心地よい歯ごたえと、噛み砕いた途端一気に口の中を駆け巡っていく甘さの快楽は、一瞬でエルレーンをとりこにしてしまった。
「…☆」
「美味いか…?」
エルレーンの表情がぱあっと明るくなる。
隣で自分の分のチョコレートをかじっていたリョウも、その笑顔を見てうれしそうに笑った…
「うん!…おいしいの!甘くって、すっごく、おいしい…!」
無我夢中でチョコレートを食べるエルレーン。
ひとかじりするたび、満足そうな笑顔が広がる。あまりにうれしいのか、両足をばたばたさせて喜んでいる。
…そして、彼女はあっという間にチョコレートを食べつくしてしまった。
うっとりしたような表情で、手で唇をぬぐった…そこにちょっとだけチョコレートがついていたので、思わずぺろっとなめてしまった。
「はは、そんなことするなよ、エルレーン…ほら、もっと欲しいなら、あげるから」
子供のようなエルレーンのその様子を見たリョウが、残った自分のチョコレートをまた半分くらいに割り、1個をエルレーンに差し出した…
こんなに無邪気に喜ぶエルレーンを見ていると、なんだか自分までうれしくなる…
「!」
自分の分をさらに分けてくれようとするリョウを見つめ、エルレーンはにっこりとうれしそうに微笑んだ…
「…はむっ。」
すると、いきなりエルレーンはそのチョコレートにかじりついた。
…それをもっている、リョウの指ごと。
「?!…うわ、こら、ば、馬鹿ッ!…お、俺の手まで食うなよッ」
慌ててエルレーンの口から指を離そうとするリョウ。一気に頭に血が上るのがわかった。
「…んー、んっ!…うふふ、甘くておいしいの…☆」
エルレーンはリョウの手からチョコレートだけを奪い取り、くわえていたリョウの指を離した。
そして、溶けたチョコレートのついたその指をぺろりとなめた…まるで猫みたいに。
どぎまぎしながらリョウは思わずその手を引っ込める。
「ま、まったく…お、お前は動物か!」
なんとか動揺した心を落ち着かせながら、リョウが少し怒ったようにそういう。
そして、残ったチョコレートを口の中に放り込んだ。…強い甘味。
「えへへー、おいしかったぁ…!…ねえ、これ…『ちょこれーと』っていうんだね、…不思議な、食べ物だね!」
「…はは、気に入ったかい?」
「うんっ!」
思いっきり首を縦に振るエルレーン。自分の分身のうれしそうなその姿を見たリョウの瞳に、ふっと笑みが混じる…
「…あ、あのさ…エルレーン」
いったん躊躇したが、リョウは思い切ってあのことを口にしてみることにした。
ムサシたちがかつて自分に提案したときはあんなに激烈に拒絶した、あのことを。
『お前…もし、恐竜帝国がそんなに嫌なら…こっちに来ても、いいんだぜ』
…だが、いざとなると、まったく口が動かない。
「なあに?」
エルレーンが笑顔で問い返す。
「あ、いや、その…お、お前、恐竜帝国で…」
「!…うふふ、恐竜帝国のことが聞きたいの?…それは、ダメだよ…だって、友達に、怒られちゃうもん」
リョウが恐竜帝国のことを探ろうとしていると勘違いしたエルレーンが、微笑を浮かべてそれを制した。
「と、友達…?」
「そう、友達」
彼女はくすくすと笑いながら続ける。
「…その、友達がいるから、私…一人じゃ、ないの。マシーンランドは、私、嫌いだけど…
でも、その人が、いるから、私、一人ぼっちじゃ、ないの…だから、怖くない」
「…」
それを聞いたリョウは目を伏せ、何事かを言おうかと迷っているようだった。
…だが、やがて心を決めたのか、エルレーンをしっかりと見つめ、切り出した。
「お前は、別に…一人じゃ、ないだろ」
「…?」
「…俺たちが、いるじゃないか」
「…!」
その言葉を聞いたエルレーンは、思わずリョウの顔を見返した。
…彼の表情は、真剣そのものだった。リョウはなおも続けて言う…
「…恐竜帝国にいなくたって、俺たちの…俺たちの側につけばいいじゃないか。…ハヤトの奴もムサシの奴も、お前が来てくれれば…きっと喜ぶよ」
「…」
「!…も、もちろん…お、俺だって…!」
そういうリョウの顔が、照れのせいかかあっと朱に染まる。
「…」
エルレーンはじっとそんなリョウを見つめている。
…自分たち「人間」の側に来いと言ってくれる自分の分身を。
自分に手を差し伸べてくれる、やさしい「人間」を…
彼女の心に、安堵にも似た安らかな気持ちが広がっていく。
…だが、その心のどこかで、やはり拭い去れないあの「事実」が、その冷たい刃をもってして安らぎの感情を切り裂いていく。
「自分は、ゲッターロボを破壊し、ゲッターチームを抹殺するために造られた、『兵器』だ」という事実が。
そして、友人…恐竜帝国での、たった一人の「友人」の顔がふっと浮かんだ…
彼女を置いて、「人間」のもとへいけるだろうか。
その答えは紛れもなく「ノー」だった。
二つの陣営、惑う心、愛しい人々。エルレーンにそのどちらかを選ぶことなどできるはずもなかった。
だから、彼女は微笑するだけ…悲しげな微笑を浮かべるだけ。どうしようもない迷いの荒れ狂う心を押し隠して…
「…ふふ、リョウ…」
「?!…お、おい、エルレーン?!」
いきなり、どさっとまっすぐ伸ばした自分の脚に頭をもたせてきたエルレーン。
ちょうどリョウが膝枕をしているような体勢になる。突然のことに戸惑うリョウ…エルレーンはリョウの太ももの上に頭を乗せてゆったりと草むらに身体を伸ばす。
「ば、馬鹿…いきなり何するんだ」
真っ赤になりながら、それでも彼女を振り払おうとしない…
と、仰向けになったエルレーンがそのまま自分の顔をじっと見つめていることに気がついた。
透明な瞳が、自分と同じモノでできた瞳が…見つめている。
「…ねえ、リョウ…」
ふっとエルレーンの顔が真剣なものになった。…その表情の変化にどきりとするリョウ。
「な、何だい…」
「…今、このまま…私の首を絞めたら、それだけで…リョウは、『人間』の『敵』を倒せるよ…」
「…?!」
そのセリフがリョウの心に染み渡り、意味を為すのに数秒かかった。
「だって…いつか、私は…リョウや、ハヤト君や、ムサシ君を…殺しちゃうよ?…だって、私、そのために『恐竜帝国』に造られた…」
静かにそうつぶやくエルレーン。
その声には、ある種の諦念じみた響きがあった。
「え、エルレーン!」エルレーンの顔は穏やかだった。
驚くほど、穏やかに彼女は微笑していた…すうっと瞳を閉じ、夢見るような口調でなおも言う…
「その前に…このまま、今、リョウが、私を殺せば…ふふ、私…そんなことしなくてすむ、かも」
「…!!」
「…リョウ、私、何もしない…わ。だから…」
「馬鹿!…そんなこと、できるわけないだろ?!」
リョウはいつのまにか、声を荒げていた。
「人間」の「敵」を…自分自身を殺せると、殺してもかまわないというエルレーン。
…彼女をこの手で殺すなんて、彼女の細い首を自分の手で絞め殺すなんて…想像したくもなかった。
いや、それ以前に…己の命の重さなどまったく何も考えていないらしい…
いや、考えさせられなかったのかもしれない…エルレーンが、彼女の言葉の一つ一つが、哀しすぎて仕方なかった。
「リョウ…?」
急に大声を上げるリョウに驚いたのか、エルレーンが身体を起こし、彼に困惑した視線を投げる。
…その彼女の身体を、はじかれたように突然リョウは抱きしめた…強く強く。
あまりに哀しい、その少女を…自分のクローン、恐竜帝国の「兵器」、エルレーンを…
「り、リョウ?!」
自分を強く抱きしめる腕の中で、エルレーンは戸惑うばかりだ。
「そんなこと言うな、エルレーン…!」
目にうっすらと涙が浮かんできた。
…エルレーンにこんなことを言わせるなんて、恐竜帝国の奴らは…どんな残酷にエルレーンを扱っていたんだ?!
「…リョウ…?」
エルレーンは戸惑ったまま、彼の腕に抱かれている。
リョウが何故哀しんでいるのか、わからないまま…
と、彼女はふっと微笑んだ…そして、リョウにそっとささやくように、こうつぶやいた。
「ふふ、リョウの身体は、あったかいねえ…『人間』だから、あったかいんだ…」
「…」
リョウは無邪気に自分に身体をすりよせてくるエルレーンを抱きしめながら、彼は自分の中で何かがはじけ、一気に広がっていくのを感じていた。
それは、最早否定することができないほど強い、エルレーンを思ういとおしさ。
自分の分身、にもかかわらず「敵」の恐竜帝国に「兵器」として冷淡に扱われる彼女への思い。
やがて規定された「死」を迎える彼女への思い…
「エルレーンを救いたい」そういう思いが、心の中ではっきりと生まれた。
彼女を恐竜帝国の酷薄な手から助け出して、自分たちのところへ連れ去って…
そして、終わりがくるまでの短い時間を共に過ごすのだ、エルレーンと一緒に…
恐竜帝国に対する怒り、そしてエルレーンに対する哀しみといとおしさ、その全てがないまぜになってリョウの心を駆け巡る。
彼はエルレーンを強く強く抱きしめた。
その感情が言葉にできないまま、だが彼女を抱く腕の力にそれを込めて…


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