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幻肢痛


「…よいか、ブロッケン。ゴーゴン大公は我らの大切な協力者…その足を引っ張ることをしてはならんぞ」
「…」
老爺の最後の言葉に、鋼鉄のデュラハン(首無し騎士)は言返さぬことによって己の不快を明確に示した。
ドクター・ヘルはその部下の態度に一瞬鼻白んだものの、それ以上何も言うことなく、黒色の外套を翻し…その場を去った。
かつううん、かつううん、と、老爺の靴が刻む硬質な音が、高い高い天蓋の闇に吸い込まれていく。
「…」
冷たい床に、ひざまずいたまま。
ブロッケン伯爵は、面を上げぬまま。
己の主がその場を辞していく様に、一切視線をやらぬまま、ただ強張った表情でうつむき立ち尽くしている―
…否。
ぎりッ、という、小さな音が、かすかにその場の空気を震わせた。
やり場のない憤懣に噛み締められた牙がきしむ、小さな怒りの表明。


ドクター・ヘルがその男の名を出したその時から、ブロッケン伯爵は言いようのない不信感を抱き続けてきた。
ゴーゴン大公と名乗ったその半人半獣は、得体の知れぬ男だった。
そのトーガをまとった上半身は、古代ローマの剣闘士を思わせる。そしてその身体を支える四肢は、凶悪な目をした黒縞の虎。
ドクター・ヘルが造る機械獣より、遥かにハイレベルな戦闘能力を持つ「妖機械獣」…
世界征服を目指す老科学者が欲したのは、ゴーゴンの志でも意気でもなく、ただその強力な兵器そのものだった。
そのためにゴーゴン大公を己が陣営に引き込まんとする老爺の努力は、傍で見ていても呆れ返るまでに露骨で哀れを催すほどだった。
確かに、あの獣人が何処よりか用意してくる妖機械獣は、あのマジンガーをあっという間に追い詰めるほどの実力を持っていた。
だが、しかし―
大公の、あの目。
ヘルを、そして自分を見るあの目が、何より気に喰わなかった。
…卑小な輩を見下す、傲慢なあの目。
そしてそれは、妖機械獣を従える態度にも。
「同志」―という言葉をもってドクター・ヘルは大公を称したが、伯爵の目に映る関係はとてもその様な対等なものではなかった。
(奴は我等の「仲間」ではない)
再三、老科学者に進言した言葉だ。そしてその度に退けられてきた言葉だ。
強大な戦力に目が眩まされた主は、それを聞き入れることなく…ゴーゴンの傍若無人な言動を幾度も許した。
ブロッケン伯爵が命を、誇りを賭けて挑んだマジンガーとの戦いにおいても。
ほぼ九分九厘勝ちを掴みかけていた、その時でも。
腹心の部下がそれほどまでに奮迅していた、その時でも。
ドクター・ヘルは己の部下を信ずることなく、ゴーゴン大公に助力を頼んだ…
自らを貶めるその仕打ちに、伯爵はとうとう耐え切れなかった―
戦闘を放棄し機械獣を放置して帰還した伯爵を、老科学者は臆面もなく面罵した。
それすらも、ゴーゴン大公と言うあの異形の「同志」の手前せざるをえなかった、ある種のパフォーマンスかもしれない。
だが、ブロッケン伯爵は、何も聞き入れなかった。
大公に対する不信は、それほどまでに重かった。
そして己の力を軽視された激怒は、それほどまでに強かった。
その尖った反抗が、その怒りの切っ先の鋭さが、あの老爺にわからなかったはずはない。
けれど、それをも―ドクター・ヘルは、わざとらしい見てみぬ振りでやり過ごしたのだ。
そうして、今日も同じ。
伯爵の説得を、圧倒的な力に幻惑されたマッドサイエンティストは否定した。




「…」
びょう、と、風が鳴った。
随分、時が経ってしまったのだろうか。
主君が去った地獄城の王座の間に、他に人気もあるはずもなし。
そのだだっ広い空間に立ち尽くしていた鋼鉄のデュラハンは、ようやく顔を上げた。
思わず口から漏れた吐息は、己の無力に対する嘆きか、それとも無防備で無理解な主に対する怒りか。
ブロッケン伯爵は、またも徒労に終わった説得に疲労を感じながら、その場を後にした。




地獄島は、漆黒の夜に包まれ、静寂の中で眠っている。
岸壁にさまよい出た伯爵を、静かな潮騒が出迎えた。
目の前に拡がる大海原も、黒く黒く濁って、その黒に染まった波がただ寄せては返し、寄せては返しを飽きることなく繰り返している。
ブロッケン伯爵は、ぼんやりとその彼方に目をやる。
何も見通せない闇を―
「…!」
その時。
わき腹に走る「痛み」のような感覚が、鉄で出来た脊髄を走りケーブルを逆流し、彼の脳で反響した。
思わず顔をしかめてしまう。思わず息を詰めてしまう。
それが、幻覚である事を十分に知っているのに―
「…ッ」
幻肢痛(ファントム・ペイン)。
断たれた四肢、ないはずの身体が悲鳴を上げる…
その幻覚に悩まされてきたのは、ずっと昔から。
だが、それでも、いつになっても…それに慣れることはない。
存在しないはずの痛み(だが、確実に在る…己の、脳の中に)。




今から十数年前。自分がまだ、確かに「人間」であった頃。
戦場を走るジープが踏み抜いたそれが地雷であったことに気づいたのが、最期の瞬間だった。
眼前を染める白光が眩しすぎて、思わず目を閉じていた―
だが。
その瞳を次に開いた時。
不可思議な光景を見た、記憶がある。
揺らめく世界。わずかな朱に染まった世界。
その更に向こう、分厚い強化ガラスに阻まれて。
不明瞭な視界の中に見たのは、白衣らしきものを纏った大柄な男の姿と、そして―
手術台のようなものの上に転がった、ばらばらになった、
腕、脚、手、胸。
その断面からパイプだの鉄片だのが飛び出た、造り物の…
自分の見ているものの意味を理解する前に、意識が再び飛んだ。
全てを悟ったのは、次に瞳を開いた時。
立ち尽くす、首のない機械の身体。
それが自分の新たな肉体であることを知った、その時。
呆れるほど馬鹿げた命運の中に投げ出されたことを、痛感した。




…あの化け物も、そうだった。
ふとブロッケン伯爵の脳裏に飛来したのは、かつての大敵であり戦友でもあった…あの化生の姿。
あしゅら男爵。
遺跡から発掘された夫婦のミイラから復元し、ドクター・ヘルの手先として甦った怪物。
だが、その外見は、まさに冗談としか思えないようなものだった。
男の半身、女の半身。
その異種がまったく溶け合うことなく、そのままにくっつけられ、一人の怪人となっていた。
夫婦者のミイラは、それぞれ半身がひどく破損していたため、そのまま二人を蘇生させる事は出来なかったのだ…
と、ドクター・ヘルは言っていた。
嗚呼、だが。
合理的、と言えば聞こえはいい。
だがそれは、最早それは彼らを「人間」としてではなく、ただの肉体の破片、部品、パーツとしてしか見ていない、ということだ。
…あの常軌を逸した老爺の精神の一片が垣間見えるような気すらした。
そして、その時、改めて噛み締めた。
あしゅら男爵と同じく、ドクター・ヘルによって組み上げられた―今の自分。
生身の部分は、脳と視神経の一部…いや、それすら何処までが機械に置き換わっているのか、それも定かではない。
そして、その脳が収められた造り物の頭蓋骨は、半重力装置が備え付けられ、空を舞う…
例えその顔が自分の物とまったく同じように作られていても。
例えその肉体が自分の軍服を身につけていても。
それは、精巧な模造品。
十分にそれを理解したうえで、あの老科学者はなおさらに…悪趣味な細工を施した。
…爆撃で断たれた首を、そのままに。
本来あるべき場所にそれを据えず。
かつて子供時分に聞いた、死をもたらす「首無し騎士」…不死者の魔物・デュラハン。
変わり果てた自らの姿。悪夢のようなその姿。
そして最早、「人間」とは呼べやしないほど奇異で奇怪な姿―




自分も、同じなのだ。
あのマッドサイエンティストに戯れに造られた、ただの玩具に過ぎないのだ。




また、頭蓋に響く疼痛。
鋼鉄で置き換えられた身体が感じるはずのない、裂かれた痛み。
あの、神にも悪魔にも為りうる巨人に、真紅の翼に切り裂かれた傷が、元通り修復されたにもかかわらず苦痛をもって叫んでいる。




闇に凪ぐ風が、わずかにうめき声を上げながら散っていく。
伯爵は、その不快な痛覚を噛み締めた。
己の苦痛を、苦悩を、苦渋を噛み締めた。




希望はない。夢もない。
望みもないし、大志もない。
あの老爺の操り人形と化した自分にあるもの、それは、最早―




妄執。
妄執、しかないではないか…!




マジンガーを、あのバケモノを倒す、と言う妄執。
何度も何度も自分に苦い敗北を味あわせてきたあの怪物を地面に引きずり倒し焼き尽くしたい、という妄執。
それしかないではないか。
他に何もないではないか。
存在するはずのない「人間」、もう死んでいないはずの「人間」。
そのくせに、まだ、この場所に在る―
あのしつこく繰り返す幻肢痛のように、
妄執だけが形を為して、ここに在る。




その妄執の塊が、今更無意味なプライドにすがりついていて、
どうなると言うのだ?!




伯爵は、ようやく気づいたその愚かしい矛盾に、自らを嘲笑した。
ゴーゴンと言う余所者が大きな顔をして自分たちの計画に入り込んでくることに不快を覚え、へつらう主に怒りを覚え。
愚かそのものだ。馬鹿そのものだ。
嗚呼、まるで「人間」みたいじゃないか―
こんな「バケモノ」に成り果てたくせに、まだ「人間」ぶろうというのか、この俺は!




不快げに、天が唸る。
墨で塗りつぶされた闇に暗雲が踊り、星も月も覆い隠してしまう。
鋼鉄のデュラハンは、崖の上に立ち尽くす。
睨み付けている。何も見えない、見通せない闇の中を。
妄執の塊でしかない己に、見出せる光明などない。
機械獣と同じく、あの老爺の道具でしかない己に、他に選べる道などない。




少しずつ狂っていく歯車を見据えながら。
少しずつ歪んでいく自分達を見据えながら。
鋼鉄のデュラハンは、自分の往く末そのものであろう暗黒をねめつけていた。





2010年、「サルード友の会」様の新刊にゲスト原稿として出させてもらったSS。
ブロッケン伯爵が大好きです。