Now you are in the Website Frau Yudouhu's "Gag and I."
TOP「ギャグと私。」>第六章


 フィジカル一発ギャグ〜言語学的アプローチ〜



今回取り上げるのは『フィジカル一発ギャグ』である。
例示するならば志村けんさんの『アイ〜ン』、即ち、アクションと
せりふが一つになってそれ自体ギャグとみなされるものである。
われわれ一般人にとってもっともわかりやすい『ギャグ』のありさまではないだろうか。
事実、『ギャグをかます』といえばお笑い芸人さんのギャグを真似ることだとお思いになる方も多いに違いない。
そこでこのフィジカル一発ギャグがどのような構造をなしているのかを、言語学的な見地から検証してみたいと思う。
まず、見出されるのはその動きとせりふの間に何の関連性もないことである。
いや、ただしくいうなら、『たとえ別の言葉でもギャグとして成立しうる』ということである。
たとえば『アイ〜ン』でいうならば、『めふ〜ん』でも『ぱぱらっきょ』でも別に支障はない。
別段『アイ〜ン』である必然性は存在しないのだ。すなわち、この二者の間柄は恣意的であるといえる。(関係が直接的にはないこと)
このあたりをさらに詳しく見てみよう。
このギャグは『アイ〜ン』というせりふと、『右手を水平に折り曲げ顔の前に置き、口をややアゴだしの形にし、
中腰の体勢に移行する』というアクションが一体となってできている。
構造主義的言語学に習って、このせりふをシニフィアン、そして動きをシニフィエと呼ぼう。
このシニフィアンはいくらでも交代可能である。ではどうやってギャグとみなされるようになるのか?
第一にいえるのはシニフィエの奇妙さである。
『アイ〜ン』『コマネチ』などを見てわかるようにこれらはかなり妙な格好である。
すなわち人はその動きをみて笑い、それをギャグとして認識するのだ。
第二にいえるのは、繰り返しによるおなじみギャグである。
何度もその行動を繰り返すことによって、『ああ、これはギャグだ』と認識されるようになる。
西川のりおさんの『知り合いでっか?』などがこの種類に属すると思われる。
つまり、繰り返すことによって『知り合いでっか?』というシニフィアンと『相手のほうを向いてたずねる』というシニフィエが、
一つの記号(ギャグという性質をもつ)シーニュになるのだ。
後は記号化されたそれが一人歩きするというわけである。

今回はフィジカル一発ギャグの構造について述べた。
引き続き、その作成面を重視して述べていきたい。