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vsゆどうふ 第三試合 <vs抜け毛>
人は生まれた瞬間から老いていく。その人体のメカニズムは、驚くほど巧妙かつ残酷である。
老いることをとめることはできない。だが、せめて、せめて理性あるものとして、抵抗ぐらいは許されるべきではないか。
そう、いまや様々な人々が様々な方法に頼り、あの現象と戦っている。
それは、抜け毛である。
笑うことなかれ、明日はわが身。多かれ少なかれ人が老いて朽ちていくものである限り、これはいつかはやってくるものなのだから。
だが、人類の英知を持ってすれば、何らかの勝機は見出せるはず。
これは、そんなある戦いの記録である。
私はそれを知ったとき、軽いとまどいと吐き気を覚えたことを覚えている。
落ち着け。確かあの雑誌には『一日に抜ける毛が100本程度なら心配は要らない。それは自然現象だ』とかいてあったではないか。
しかしそんな慰めをしてみてもこの不自然な動悸はいっこうにおさまらなかった。
それは私が中学三年のころ。購入した雑誌のヘアケアのページだった。
『Q,僕は抜け毛がひどいのですが、どうしたらいいでしょうか』そんな質問が書いてあったと思う。
そこに私はなぜかシンパシーに似た感情を覚えていた。なぜなら私も多少その問題について不安を抱いていたからだ。
私の髪の毛はまるで己の根性のように,細く,コシがなく,へにゃへにゃしており,しかも量が少なかった。
友達と一緒に、道であった薄めの人や,ちょっと兆しが現れ始めた先生のことをこともなげに「ハゲ」とののしりながらも,
その一方ではその忍び寄る影におびえていたのだった。
その質問に専門家の人が答えて曰く,『100本くらいならおーけー」だったのだ。
おそらくそれは同じようにそれにおびえ,質問のはがきまで出した『彼』に対しては心安らぐ福音の鐘になると思ったのだろう。
だが、私は違ったのだ。風呂に入った時抜けたものをふと数えてみると,それは109本あったのだ。
わかっている,たかだか9本がどうだということも,まだ子供なんだから大丈夫だということも,女の子だからもっと大丈夫だということも!
だがそのような知識は私の動揺した心を落ち着かせることはできなかった。
私は,もしそうなったら織田無道さんを見習ってスキンヘッドにしようと心に決めたのだった。
私の髪の時限爆弾はまだ破裂してはいないようだ。
だが,友人と比べて異常に速い髪の伸びるスピードが,あのことを思い出させ少し憂鬱にさせるのだ。