pdca様、こんにちは。
>昔は私も英語で話しているときは英語で考えていると思っていたのですが、それはひょっとしたら、日本語で考えていないというだけのことではないかと最近思っています。 >マルチリンガルの人はそうしないと思考エリアがたくさん必要になりますね。 > >最近考えているのは、以下のようなことです。 >ちょっと長くなりますが。 > >二段の跳び箱をイメージしてください。 >上の段には1と書かれており、下の段には2と書かれています。 >日本語だけの環境の時は、1の部分で情報を受け取り、それを2に渡して理解します。
> >1は言語のインターフェース、2は理解する部分。
お話の内容は面白そうなのですが、「インターフェース」の意味でつまずいてしまいました。辞書によると、次のように出ています。
「〔interface=境界面〕電子計算機が、周辺装置・測定器または他の計算機との間でデータをやりとりする・こと(方式)。また、それらの接続部にあってデータのやりとりをつかさどる電子回路。」(新明解国語辞典)
この辞書の説明では、お話の内容とのつながりが分らなかったので、英語ではどうなのかを“interface”で見てみました。
“1
surface forming a boundary between two regions. 2 means or
place of interaction between two systems etc.; interaction
(the interface between psychology and education). 3 esp.
Computing apparatus for connecting two pieces of equipment so
that they can be operated jointly.”(The Pocket Oxford
Dictionary of Current
English)
辞書の説明から想像できる「言語のインターフェース」の意味は、目なり耳なりを通して受け手に届いた言語記号を、その人の心の中の言語記号に変換するモデムのようなものです。私の理解は合っているでしょうか。
で、その上でやはり理解できないわけですが、それは、どうやら私が言語を理解するシステムについて考えているモデルが、pdcaさんが考えておられるモデルとかなり違うためではないかということです。
なぜ分らないのかといえば、私が知っている言語記号を意味に変えるプロセスというのは、音声を認識して、そこから有意味な言語記号を自分の持っている様々な知識と照らし合わせて見つけ出し、それをもとに文全体とその意味を“作り出す”というものです。つまり、理解というものがなければ、言語記号を形として受け入れることすらできないというのが、私の知っている言語能力です。
もし“理解”を後回しにするならば、pdcaさんのおっしゃるインターフェースは、私の知っているモデルには存在しないことになります。また、もし私が考えているプロセスすべてをインターフェースとするならば、情報を受け取ること自体が高度な理解作業なのに、それをさらに理解する部分に受け渡すというのはどういうことか、想像がつきません。そんなわけで、おっしゃる内容がのっけから分らないという事態に直面したわけです。
で、音声信号を言語として認識し意味を生成するシステムについて、もう少しpdcaさんの考えておられることを教えてくだされば、ありがたいと思います。
>また、日本語訳して理解していると言う人は、1の部分は二つに分かれているものの、2の部分が日本語用のものしか無いという状態です。 >ここではまず英語(1-B)で受け取ったものを日本語(1-A)に渡し、その後日本語を理解する2に引き継ぎます。 >ここでは和訳という作業が発生するので時間が掛かります。 >2の部分は日本語のインターフェース(1-A)からしか情報を受け取れません
今私が思っている言語能力のモデルでこのことを考えると、英語を日本語で受け入れるという作業は、pdcaさんが考えておられる以上に複雑で危なっかしいことになります。聞いた英語を日本語にいちいち置き換えて解釈しているわけです。もちろん、引き継ぎはないことになります。
>しかしながら、私がイメージしているものはやや違います。 >跳び箱の2の部分は語学に縛られないのです。 >1のところは語学の数だけいくらでも分けられ、そのいずれからも2は情報を受け取り、理解します。 > >同時通訳をしている人は1のところで一つの語学から別の語学に翻訳しているのではなく、1-A
から入ってきたイメージを、1-B からアウトプットしているのではないかと思います。 >この場合1-A と 1-B
の間でデータが流れることはありません。
私が思っている(思い込んでいる?)モデルでは、この部分はまったく理解できないことが理解していただけると思います。
>欧州などで複数言語が飛び交っている環境では、話の内容に意識を集中していると、終わってから何語で話をしていたか覚えていないことがあります。 >そこでは、1の部分は語学のインターフェースでしかないのです。 > >もちろん、実際には二段の跳び箱ほど簡単なものでは無いと思います。 >ある言語では出てくる発想(言葉ではなく)が別の言語では出てこないということもありますし、文法構造に思考が規定されることがあるのではないかと思います。 >そうなると跳び箱は三段か、四段になるのでしょう。
ここまできて、私は完全に道に迷ってしまいました。pdcaさんなら、私の知識や理解の仕方のどこに問題があるのか指摘してくださると思います。
何か反論めいた言い草になってしまったかもしれませんけれど、そうではなく、面白そうな話だけれど基礎的な部分で理解できないので、それが知りたいと思ったのです。おそらく語学友の方々のうち何人かも、私と同じように、pdcaさんのおっしゃる内容の基礎的な部分が理解できずに全体が理解できないでいると思います。
というわけで、いきなり難しい授業を取ってしまったijustatでした。
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