出勤途中の電車の中で、NOVA
の広告を見ながら考えたこと。
「講師がネイティブでなければならない」というネイティブ信仰の誤りについての記述はあちこちにあるので、ここには書かない。 ただ、講師がバイリンガルネイティブであることの有効性はシュリーマンも認めていたし、テキストがバイリンガルに書かれていることの必要性はロンブ・カトーも書いている。
「ただのネイティブではない。外国語教育の教授法を学んだネイティブである」 外国語学校のこのようなフレーズには、恥ずかしながら私も少しは心動かされていたのであるが、「より良い外国語学習法を求めて」(松柏社 竹内理)を読んでからは考えがちょっと変わった。 この本には、ESL
と、EFL が区別されている。 アメリカにおいて、スペイン系などの移民に対して英語を教えるのはESL(English
as a Second
Language)。その国に住んでいるのであるから、母国語の他に周囲で共通の国語として使われている英語を第二外国語として教えるものである。 これに対して、日本など日常的に英語が使われていない地域で英語を教えるのはEFL(English
as a Foreign
Language)。 当然ESLとEFLでは、平時の英語へのエクスポージャーも異なるし、結果として学習者側の負担・ストレスも違ってくる。
「米国で語学講師の資格を持っているネィティブです」と言った時に、それがESLだったとしたら、やっぱりあまり効果は無いのかもしれない。
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