ijustatさま、みなさまこんにちは。
> >>思考は言語で行われるから、言語は思考と行動を規制していくのでしょうかね。 >>それとも思考が言語と行動を規制していくのでしょうかね。(笑) > >これはどちらともいえないと思います。両方が影響を与えているからです。二重言語使用者の中で起こるのだそうですが、同じ人間が、言語をスイッチすることで、価値観までスイッチしてしまうことがあると、『バイリンガリズム』という本で読んだことがあります。これは、言語がもっている大きな流れに思考が影響を受けていることを表わすでしょう。また、新しい外国語を学んである程度たつと、その言語の持つ論理的な構造が、学習者の頭の中に新しい思考の筋道を作ってしまうこともよくあります。おそらく、このクラブに来ている多くの人たちが、そのような経験をしているのではないかと思います。
イタリア語をやっていたころは、「文法構造」に思考が規定される部分があるのではないかなぁとぼんやり思っていました。(もちろん文法構造も言語の部分ですが) 「外国語上達法(岩波新書 千野栄一)」の語彙のところで、フランス語の話し言葉は千語で90%をカバーされるとの記載がありましたが、イタリア語においても英語との比較ですが少ない単語で用が足りるという感じがありました。 文法構造が意思を伝える役割を持っているので、単語が少なくても足りるということかなあということですが、私の印象でしかありません。 単語レベルで印象に残っているのは、イタリア語でもフランス語でも、「solidarieta`(連帯)」という単語が多用されていることでした。 英語でこれにしっくり見合う単語が思いつきません。 先日のイランでの地震の後も、ラジオ日本のフランス語のニュースのヘッドラインは「solidariete`」で始まっていました。
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