ゆどうふさんこにちわ!ijustatです。
>それは、 >日本語文として変というよりは、日本人が発話すると変 >ってことなんでせうか。
ああ、私は何か読み間違いをしていたようです(汗)。普通の日本人だったらこの場面でこの本に書かれているセリフをそのまま言ったら、ちょっと無理があるかなって思ったのです。でもそれがどこのどういうセリフだったかは覚えていません。ちょっとバタ臭かったというだけなのです。
>ちなみに、私がこの本で「不自然」と思ってた文はこんなんです↓ >「実は、そんな風には考えていなかったのですが―おそらく私の間違いでしょう。 >私はよく間違います。間違っていましたら改めたいと思いますので、 >一つ事実をよく考えてみましょう」 >何が変、ってはいえないんですよ、文法変なわけじゃないし…
うわ、何だかとても変ですね。ざっと読んで私は気がつかなかったのですが、たぶん英語ではちょっとユーモラスに書いた部分なのでしょうね。それを日本語に訳すと、何となく変な言い回しになってしまう。
>つまり、日本人には日本人独特の自我があるので、その自我が異文化交流を阻んでいるということでせうか。 >私には昨今の日本語教育の知識がないので、どのようなことか想像つきにくいですが…
ああ、今度は書き方が曖昧で、『幻想の未来』が日本語教育の本みたいになってしまいましたね。ごめんなさい。この本は、心理学者が書いた心理学の思想書です。こういう本の分野をどう言うんでしたっけ。『自由からの逃走』とか、『悪について』みたいに、心理学者が研究成果を発表した著書なのだけれども、専門家も一般人も読めるジャンルの本があるじゃないですか。『幻想の未来』もそのような本です。
>まあ、今度また図書館行ったときにその本を借りてみようと思います。 >ijustatさんべた褒めですし(笑)
たしかに、べた褒めであることは確かです。こんな本は今まで読んだことがありませんでした。結論としては、悲観的な自我の現実をさらけ出しただけで、何のバラ色の代案を示してもくれない、実に素っ気無い本なのですけど、読みながら、自我について、今までもやもやしていたものが、かなり気持よく整理されるので、非常に知的喜びを感じさせるのです。
著者は、自分がいちばん心血を注いで書いたこの本が売れないのを不思議に思っていますが、しかし韓国の出版界に「心血を注げば注ぐほど本は売れない」という格言があるように、この本は読者を敬遠させるようなハードさが(たとえば、各段落が非常に長いことなどや、一つの章も長くてそのタイトルから結論が見えにくいなど)あるのでしょう。
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