1187   Re^5:ギリシャ語どうしの対訳
2002/09/15 15:14:26  yudouhu   (参照数 13)
これは 1186 [ギリシャ語どうしの対訳] への返信です

ijustatさんこにちわ!ゆどうふです。

>昨日は歯医者に根の治療に行ってきました。大して痛くないのに、恐怖におびえるのがストレスになって、治療が終わった後は、とても疲れていました。妻は「根の治療」の「根」を、頭高型ではなく、なぜか「音(ね)」と同じ平板で言うので、“精神の治療”に聞こえるのですが、実に神経治療は、私のふやけた精神を鍛えるのにぴったりな、“精神治療”かもしれません。

うう、身につまされます^−^;私も歯に痛みを感じ、この間歯医者にいったのです。
でも「穴あいてません」といわれ、すごすごと引き返してきました。
しかもこういうの、初めてじゃないんですよね。二回目です。…気にしすぎかっ?!
「ねのちりょう(下がるところなし)」が必要なのは、私かも。

>ところで、きのうはまた、私の“ギリシャ語の先生”が勤務されるギリシャ正教の教会に初めて行って、原典のコイネー・ギリシャ語と現代ギリシャ語(カタレヴサ)とが対訳になった聖書をもらいました。高いものだろうに、これで私がギリシャ語をモノにできなかったら、本当に恩知らずになってしまいます(笑)。

をを、それはそれは素敵なものを手いただきましたね^^
将来立派にギリシャ語をしゃべるシーンを見せて、先生を泣かせてみませう!
先生冥利に尽きる瞬間って、やっぱりその辺にあると思います。

>原典と現代語とが全く同じ部分は、あまり難しくない部分に多いようです。難しい語は、ほとんどが、語形が違ったり、理解しやすい構造に変わっていたり、または、全然別の単語を使っていたりしています。初めの予測では、私にとってカタレヴサは、コイネー・ギリシャ語よりも難しく感じられるのではないかと思ったのですが、二つを比較して感じた印象は、漢文で言えば、周や漢の時代の漢文と、清の時代の漢文とを比較するような感じでした。つまりどういうことかというと、前者よりも後者のほうが、明瞭で読みやすい感じがするのです。

うーむ、やはり難しいところが簡単なほうへ簡単なほうへと変わっていくのですね。
別の単語による言い換えや構造自体を変えちゃうとか…
みんな難しい事は心底嫌いなんでせう。で、大きな変化を起こしていく、と。

>実は私は、このような同系言語の対訳の本をいくつか持っているのです。日本の古典とその現代語訳が対になった教材もその一つです。また、漢文の原文に現代中国語訳が添えられているものも持っています。しかしそれらは、“解釈”や“説明”が強く、原文よりもかなり冗漫です。

古典―現代語訳のそういえばその一つになるんですね。
高校のとき、友人がどこからか入手してきたあんちょこ本(教師用で、訳も単語説明も全部書いてある本。普通書店じゃ売ってないはずなんですが…どこから持ってきたんだ、友よ^−^;)を
みせてもらったことがあるのですが、確かに
「日常でこういうもののしゃべり方ってしないだろうな」と思うような訳でした。
「〜〜というのがありましたので、…」といった文章で、文中の言葉を逃さず訳した感じで。
通常なら、そういうのはわかっているけどあえて書いたりはしないもののような気がします。
…ああ、上手く書けません^−^;

>私はその対訳聖書をじっと観察しながら、シュリーマンが100年前に外国語を勉強していたときのことに思いを馳せていました。シュリーマンは、言語のパラディグマティックな関係には必要以上に関心を払わず、ひたすらシンタグマティックな関係に集中して学習した人だと思います。私も、ひょっとしたら、そんなシュリーマンの外国語習得の秘密が、また少し分かるのではないかと、期待しています。

シュリーマン式って、かなり力押しのように思われている方法ですけど、
私個人的にはそんなに悪くはないと思っています。
「『超』勉強法」を書いた野口由紀雄も、英語の勉強法としてこれをあげています
(英語は教科書を音読して暗記しろ)
…まあ、「英語が最優先。他の言語は旅行言語と割り切れ」といわれてもいるので、
そいつを聞くと哀しくなりますが^−^;
しんたぐまてぃっくな面を見ても興味深いと思うんですけどね…複数言語の学習。
ところで、シュリーマンさんは何ゆえにそんなにたくさんの語学を勉強したんでせうね。
…純粋な趣味でしたっけ?だったらすごいですなあ^^

でわでわ!
ゆどうふ。