496   シハベ ナワッソ
2001/07/05 20:27:38  ijustat   (参照数 15)
氷雨様、こんにちは。ijustatです。

私も質問に、一つ一つお答えします。日本語の誤用の指摘は、rkrtさんがしてくださったので、私は説明だけします。韓国語はカタカナ(とローマ字)で書きます。ちょっと変な感じがしますが、日本人にはこれがいちばん読みやすいと思うので、ご了承を。

> 韓国人に "相手の人が未婚かないかを聞いて見!"と言ったら
> ほとんど全部
> "あなたは結婚しましたか?"と聞く

韓国語では、「キョロン ヘッソヨ?(gyeol-hon haesseo-yo?)」といいますね。「キョロン ハゴ イッソヨ?(kgyol-hon ha-go isseo-yo?)」なんて聞いたら、「結婚しつつありますか」になってしまいますもんね。日本人(私を含めて)は、他にも「キョロン ヘ イッソヨ?(gyeol-hon hae isseo-yo?)」と言ってしまったりします。これをどう訳したらいいかわからないけれども、「結婚してありますか」と言ったら、その異様さが出てくるかもしれません。あるいは、「結婚して存在しますか」と言っても、変な日本語になります。

> 野球などの試合である人が今プレイしているってゆう表現を
> 日本語で言ってみろ!って言っても
> ほとんど全部
> "あの人が試合に出た"とゆう

「チョ サラミ シハベ ナワッソ(jeo saram-i sihab-e nawasseo)」ですね。日本語では、「あの人が試合に出てる」といわなければいけませんね。似たような表現に「チュゴッソ(jugeosseo)」があります。これは、場合によっては、「死んだ」にもなり、「死んでいる」にもなります。

これらは、完了を表わしている表現で、完了した結果が現在の状態であることを表わしています。実は、韓国語でも日本語でも、「〜して」という意味の言葉と「存在する」という意味の言葉が結合したとき、進行や継続の意味を表わすと同時に、完了の意味を表わすことがよくあります。そして、その完了の意味は、時代がくだるにつれて、徐々に過去を表わすようになります。

現在、韓国語で「ヘッタ(haedda)」(した)という言葉も、中世には「ハヤ イシダ」(している)で、過去を表わす言葉は別に「ハドラ(hadeora)」(した)がありました。今「ハドラ」といったら、自分が目撃したような言い方になりますが、昔はそれとはちょっと違っていたようです。

そのような意味の移行が絶えず行われているので、韓国語と日本語とで時制の用い方が表面上は違うように見えても、実際には原理的に見て対した違いがない場合がおおいようです。

> 考え方が異なるわけでしょうか
> 韓国人にとって作文するとき一番間違いやすい表現の一つです

そうですね。

> 日本語では過去に結婚して今も結婚したままでいるんだから
> "あなたは結婚していますか?"と言う
> "あなたは結婚しましたか?"と言ったらそれは今は
> 結婚していないってわけです

ん? これはちょっと違いますね。「結婚しましたか」は、“変化”を問題にしているのです。つまり、以前は結婚していない状態だった。そして、その人に、数年後に会った。今は、結婚している状態だろうかという疑問が起こったとき、結婚していない状態から結婚した状態に変化したかということを尋ねるわけです。それが、「結婚しましたか」です。

だから、初めて会った人に「結婚しましたか」というのは、論理的におかしいわけです。逆に、昔独身時代に会った人と久しぶりに会って、「結婚していますか」と聞くのも、以前の交友と何か断絶しているようで、どこかよそよそしさが感じられるかもしれません。

あるいは、「結婚しましたか」については、ある人と付き合っていた人に対し、「あの人と結婚しましたか」と尋ねることができます。これもやはり、“変化”の有無を問題にしているわけです。あるいは、「いつ結婚しましたか」のように、結婚した時点を求めるときにも、「しましたか」を使うことができます。

今結婚していない人に、結婚経験の有無を尋ねるときは(そんな質問、できるかどうか分かりませんが)、「結婚していましたか」とか、「結婚したことありますか」などと聞くと思います。でも、なるべくなら、こんな質問はしないでください。

> でも韓国語ではむしろ"あなたは結婚していますか?"と聞くと
> 変な表現だと思われます

日本語で書くと、日本語の意味で取ってしまうので、変に感じられませんが、上に書いたように「キョロン ハゴ イッソヨ?」と言ったら、すごく変ですね。変化が進行しているという意味だから、「結婚しつつありますか」と言うと、その可笑しさが伝わると思います。ほとんどありえない話です。式を挙げている男女を指差しても、“彼らは結婚しつつある”なんて言いませんから。

> 試合の場合も過去に出て今もずっと出ているんだから
> "試合に出ている"と言います
> "試合に出た"と言ったら過去には出たんだけど
> 今は出ていないってわけですね

あ、これは日本語の場合ですね。韓国語だと思って、あれ?と思いました。ただ、「シハベ ナワ イッソ(sihab-e nawa isseo)」も可能だと思います。この場合、「シハベ ナワッソ」のように、発見した驚き(?)を含む言い方ではなくて、現在グラウンドでゲームをしている様子を述べているような感じがするんですが、どうでしょうか。

あと、「出た」は“過去”を表わすこともあるけれども、完了も表わします。この場合、出る前との対比を表わしている点で、“結婚”と同じです。つまり、グランドに見えなかった選手が・・・何て言いましたっけ、選手が待機しているボックス・・・あそこから走り出てきたのを見たとき、・・・あれ、言うかな? 「出てきた!」かな。「出た!」が完了の意味で使われるのは、暗く寂しい夜道を歩いていたら、いきなり幽霊が! そのときは、「出たあ!」と叫んで腰を抜かすでしょうね。それ以外に「出た」が完了で使われる状況を、他の皆さんも考えてみてください。ちょっと思い付かないので。

> でもこの場合も韓国語では
> "試合に出た"と言ったほうがもっと会ってるって感じかな

そうですね。野球場に行ってみたら、ゲームに出るか出ないか気になっていた人がゲームに出ている。そんなときは、「シハベ ナワッソ!(“シャーベ ナワンネ”の方が自然ですか)」と言った方が自然でしょうね。日本語では、「試合に出てる!」と言う以外になさそうです。「試合に出た!」これは、ちょっとその状況では変です。

> 私の良く寄る日本式のCafeがあります
> そこのマスタさまが日本で9年くらい暮らしてたそうです
>
> 外国語(私にとっては日本語)を学ぶ時は
> 韓国式の日本語ではなく日本式の日本語を学べ!と言われたんですね

その通りですよね。これは、表現だけでなく、相手のある言動に対する反応も、やはり同じようにその国の人がやっているように真似るのが一番いい方法です。韓日辞典を引き引き逐語訳的に日本語の単語に合せていっても、それを読む日本人にたいへんな苦労を強いる結果になるし、意志も通じないことがよくあります。外国語の学習は、真似ることがいちばんの上達の秘訣です。

> 日本語ではなく他の外国語を学ぶ時も
> もっち同じでしょう

もっち同じです。