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An der Universitaet, meiner "Fremdspracheuniversitaet Osaka"
〜我が母校、「大阪外国語大学」に寄す〜


An der Universitaet, meiner "Fremdspracheuniversitaet Osaka"

ぼんやりと、思っていた。
どうせ大学に行くなら、何か「身につく」ことができるところにいこう、と。
高い学費を払うのだ、せっかくなら…
そう思った私は、単純に「外国語とかならちょうどいいんじゃないかな?」と思い
進学先を決めたのだった。本当に、それだけだった。
選んだ大学は…「大阪外国語大学」
日本でただ二つの、「外国語」のみを扱う、東京外国語大学と並ぶ国立単科大学のひとつ。
選んだ専攻言語は、ドイツ語。「中学生の時にかじったことがある」その程度の理由。
そういう、浅薄な高校生だった。

けれど、その進学先で私を待っていたのは…予想を遥かに超えた厳しさだった。
「え?代返?何それ、おいしいの?」状態。授業は数回休んだだけで単位が失われる。
「え?手加減?何それ、おいしいの?」な専攻語の授業。
「予習?復習?当たり前じゃん、しないでくるつもり?何しにこの大学に来たの?」
高校時代の英語の授業より遥かに厳しい、誰だ「大学生になったら遊びまくれる」とか言ってた奴。
毎回授業で必要になる教科書と辞書は重く、肩にかけた鞄がずっしりと喰い込む。
それに加え、専攻言語に関連した文化などの授業…
「とびぬけた語学の才能」か「それに見合った努力」かがない限り、進級すらも安心ではない。
結果として、そこは、「勉強する大学生(!)」があふれる場所であった…
そういう大学だった、私の選んだ大学は。

そして、その大学を私が卒業し、去り、早数年―

2007年10月1日、「大阪外国語大学」「大阪大学」と合併し
「大阪大学外国語学部」となる。
長い歴史を誇る「大阪外国語大学」が、消えるのだ―

だが。

それでも、その理念は、その魂は、消えない。
この世界が存在する限り!
この世界に、幾多もの「言語」が存在する限り―!

「外国語を学ぶ」ということは、「他者を知ろうとする」ことだからだ!

北の国、南の国、東の国、西の国、
山の街、砂漠の街、海の街、草原の街、
熱風が吹く場所、吹雪がすさぶ場所、疾風が切り裂く場所、
旧い村、新しい村、死んだ村、甦った村、
世界中の様々な場所で、たった一つの種族が、「人間」という種族が
それぞれに造り上げた最強の武器―「言語」。
剣よりも斧よりも槍よりも弓よりも鉈よりも銃よりも
「人間」を強く在らしめたモノ…
それが「言語」。
この地球上に千数百―その数は数えることが出来ない―散らばる、人類の至宝。
みな、それぞれが、それぞれに。
生み出し、練成し、発展させ、継承してきた、生きた宝石。

しかし、その「言語」の違いは、人々の間にずれを生み、争いをも生んできた。
バベルの塔のたとえをひくまでもなく、「言語」の違いは溝を作り出す元凶のひとつだった。

だから、人々は学ぼうとしてきたのだ。
自らの「言語」とは違う「言語」、「異言語」を。
互いを知る為に。溝を埋める為に。
新たなる地平を得る為に。


そう、「人間」はいつだって学ぶ、学ぼうとする。
自分たちとは違うモノから、学ぼうとするのだ。

もうそうでなくなったならば、その人々の精神はその時に停止し、強張り、古びて朽ちていく。
自分たち以外のモノに目を向けなくなった時、
自分たち以外のモノから学ぼうとしなくなった時、
その国は崩壊する。ぐずぐずと、内部から腐り落ちていく。
学ぼうとしないということは、自らを完全であり最高であるとみなしたということだからだ、
驕り高ぶった醜い精神の行き着く先だ。

だが、ありがたいことに。
この世界は、まだそこまで腐っちゃいない!
みな、それぞれが、それぞれに。
それぞれの理由を抱え、自らのモノとは違ったモノ―「異言語」を学び続けている。

みな、それぞれが、それぞれに。
たった一つしかないこの地球の上で、たった一つの大地の上で、
それぞれの地平から見つめている―
たった一つの世界を。
おそらくそれは、まったく同じでありながら、みな違っている―
千数百の地平から見つめる、たった一つの世界。
そして、もし、
自らのものではない地平から、まったく別の地平から、この世界を見ることが出来たなら、
その風景はどんなに違って見えるだろうか!
「異言語」の地平に住む人々の知恵はどんなに素晴らしいのだろう、
「異言語」の地平から見たこの世界は、一体何が変わって見えるだろう、
それを伝えたくて、次世代の子どもたちに伝えたくて、私は今も立ち尽くしている…!



そう、「千数百の地平、たった一つの世界」
それはなんて凄まじいロマンなのでしょう、貴方もそう思いませんか!
ねえ、司馬遼太郎「先輩」―!