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◆ 夢見たのは世界、それはもう一つの世界
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そこは、緑にあふれている。
今から考えれば、それは太古の世界の姿。そして、「ハ虫人」たちにとって、世界のあるべき姿。
恐竜帝国マシーンランド・基地エリア。
その中に設けられた休息所は、緑にあふれている。
シダやソテツの生い茂る、それは「ハ虫人」のこころに奇妙な感慨と安らぎをもたらす光景…


その中に、いる。二人で。


「ねえ、ルーガ!あのねえ、今日もね、剣の練習するのぉ!…いい?いいでしょ?」
少女は、懸命に女剣士に話しかける。
「ああ、わかっている…仕事が終わったら、訓練場で待っていろ。すぐにいくから」
女剣士は、微笑をたたえた瞳で、少女に答える。
奇妙なことに、少女は…「ハ虫人」の世界に在りながら、「ハ虫人」ではない。
白い肌、黒い髪、鋭い爪も長い尾も尖った牙もない、なよやかですらある二足歩行動物。
そう、それは「人間」。
少女は、「人間」だった。
しかし、そんなことなど意にも介していないかのように、二人は楽しげに話し続ける。
憎み殺しあう異種族、「人間」と「ハ虫人」が―語らう。


と、そこに。
もう一人、「ハ虫人」の青年がやってきた。


「ルーガ先生。こんなところにいたのですか?」
「…ああ、ラグナか」
長身の青年は、女剣士に対し、慇懃な態度と言葉遣いで話しかけた。
対する女剣士も、やわらかな笑みでそれに返す。
すると、少女がぱたぱたと青年のほうに駆け寄っていく。
「ラグナー!」
「おお、ちびもここにいたのか。またルーガ先生にわがまま言って、困らせてたんだろ」
青年は、自分よりも小さな…とはいえ、少女とて「人間」の女にしてはそこそこ長身なのだが…少女の頭をぽんぽんと軽く叩きながら、からかい口調でそんなことを言った。
いつも通りにおちょくられて少女はむっとしたらしく、そのかわいらしい口をとんがらせて抗議する。
「ち、ちがぁうもんッ!ルーガとぉ、剣の練習する『約束』してたんだからぁ!」
「おいおい!ルーガ先生はお前の持ち物じゃないんだぜ。何独り占めしようとしてるんだ?」
「い、いいじゃない、たまには…ラグナだって、この間…」
「あーもーうるさい!黙れこのちびエルめッ!」
「う、うにゃー!やったなああああ!」
「おいおい、お前たち…いい加減にしないか!」
言い争いが高じ、半ば取っ組み合いのようになった二人のじゃれあい。
さすがに、苦笑まじりでそれを止めさせる女剣士。
「あ…」
「る、ルーガ先生…」
師匠にたしなめられ、にわかに居ずまいを正そうとする青年。
少女も多少頬を赤らめながら、おとなしくそれに従った(それでも不服げに青年を横目で睨んだりはしているが)。
その二人の様を穏やかな笑みを浮かべつつ見る女剣士は、やはり優しい口調でこう言ってやる。
「ラグナ、お前も来たいなら来ればいいさ。別に、拒む理由もない…だろう?エルレーン」
「う、ん…」
「何だ、嫌なのか?」
が、少々歯切れの悪い答えを返す少女。
めざとく青年が口を挟む。
「何ぃ、お前俺と訓練やるってのが嫌なのかよ?」
「…ふーんだ、いじわるなラグナなんて、嫌いなんだから」
「…ふん、何すねてんだよ」
「すねてなんかない…」
少しは悪いと思ったのか…青年は照れ隠しまじりにそんなことを言いながら、少女の頭をくしゃくしゃとなでてやった。
それでも、その口調はぶっきらぼうに過ぎたが。
少女もすねたような顔でそううそぶきながら、それでも自分の頭をなでる青年の手をはらわない…
まるで本当の兄弟のような、「兄弟子」と「妹弟子」の姿。
そんな二人を見つめる女剣士の瞳は、何処までもやさしい…
「まあまあ、そのくらいにしておけ二人とも…」
「…」


少しずつ、女剣士と青年の声が遠くなっていく。
それにつれて、彼らと語る少女の声も。
音が消え、景色が消え、豊かな緑の世界が消える。
まるで、はじめからなかったかのように。


そして、まぶたの奥で広がっていた世界が、完全に消失する。
瞳を開けば、そこはいつもの…自分のベッドの上。
時計に視線を走らせれば、すでに午前九時を回っている。
今まで自分は眠っていたのだ、また、あの夢を見たのだ…と、エルレーンがはっきり認識するまでに、数秒かかった。
そうだ。
そうだった。
あの後、さすがに緊張の糸が切れ、疲れがどっと出てしまい…
夜、リョウの部屋に戻るなり、すぐさまベッドにもぐりこんだのだ。
そこまで思い出すにつれ、なおさらに先ほど見た夢の中身が奇妙な感触を持ってよみがえる。


だんだんクリアになり、そして明らかに現実にあった記憶とかけ離れていく、それは夢。
自分が今見ていた、ありえなかった過去を思い起こしながら、エルレーンは…
胸の奥に生じた居心地の悪さ、そしてどこか拭い去れない気持ち悪さに、軽くため息をついた。


と、その時だった。
…音もなく、扉が開く。
その向こうから、リョウが姿をあらわした。
「…リョウ」
「ああ、エルレ…げほ、ごほッ」
「だ、だいじょぶ?」
「ん…ああ」
エルレーンに笑みを向けようとするが、彼は苦しげにせきこんでしまう。
そのせきはなかなか止まらず、こんこんと彼は何度もからぜきを繰り返す。
…昨日から少し気になっていたが、リョウはどうやら風邪でも引いたのではないか。
彼の頬にはいつもより赤みがさしているし、微熱でもあるのか、その瞳はうっすらと涙でうるんでいる。
「昨日からずっとだね、そのせき…しんどいの?」
「いや、大丈夫だから。それより…」
が、心配そうに彼を見やるエルレーンに軽く笑ってみせた後、にわかにリョウはまじめな表情に戻る。
「?…なあに?」
「うん…」
そこで、数秒の…奇妙な、間。
不可解な静寂が、二人の間を埋めた。
それを、急にリョウが破る。
「エルレーン」
「?」
「お前…」
言いかけて、そこでまた言いよどむ。
彼自身、どうそれを言葉にしていいか迷ったように。
「なあに?」
「…」
「?…リョウ?」
「…ん、」
彼の中にある惑いが、わずかにリョウの目に浮かぶ。
それを見てとったエルレーンが、不思議そうに首をかしげる…
…が、その果てに。
―リョウは、笑った。
エルレーンに向かって、突如彼は笑いかけたのだ。
「…エルレーン、お前…今、困っていることとか、ないか?」
「え…?」
突然の言葉に、エルレーンは虚を突かれる。
リョウの瞳は、あくまでもやさしい。
「何か、つらいこととか。大変なこととか」
「リョウ…?」
なおも、謎めいた言葉が、重ねてエルレーンに降り注ぐ。
リョウの声は、どこまでもやさしい。
そのやさしい声で…そして、率直な事実を述べる言葉を注意深く避けながら、リョウは言った。
「あのな、エルレーン」
あくまでもやさしい瞳でエルレーンを見つめ、どこまでもやさしい声でエルレーンに言った―
「お前は、もう一人じゃないんだから」
「…」
「一人じゃないんだから、何か…つらいことがあったんなら、俺たちに頼っていいんだからな」
「…」
「俺も、ハヤトも、ベンケイも。他のみんなも…」
「…」
その言葉は、はっきりとそれを彼女には告げない。
彼の懸念を彼女には伝えない。
それでも、リョウの口からこの言葉が出たあまりの唐突さは、むしろ鈍感の域にすらあるエルレーンにでも、否応なく感じ取らせた。
だから、エルレーンは黙っていた。
黙って、リョウの言葉を聞いていた。
「いつもいっしょにいる。いつだって…」
「…」
リョウは、穏やかに笑んでいる。
穏やかな笑みで、言外に何かを彼女に発信している。
だから、エルレーンは黙っていた。
黙って、リョウの言葉を聞いていた。
リョウにあいまいな笑みを返しながら、それでもエルレーンは…こころの底で、何か割り切れないものを確かに感じていた。
こんなにもやさしいリョウ。
こんなにもやさしい、「人間」の「仲間」たち…
にもかかわらず、毎晩のように見るあの夢はなんなのだろう?
自分にはありえなかった世界…「ハ虫人」が、キャプテン・ルーガ以外の「ハ虫人」ですら自分にやさしくしてくれる、あの夢の世界は。
「…」
彼女が表情をかすかに歪めたのに、リョウは気づかなかった。
自分の中によどむ、「何か」。
あの夢はその「何か」のあらわれなのか、それとも神経細胞が見せた幻惑なのか。
…いずれにせよ、その夢はエルレーンを混乱させる。
そして、何より彼女を惑わせるのは…




その夢が、彼女にとって決して不快な夢ではないという、否定できない感情だった。





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