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◆ すれ違う心、通わぬ言葉
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「…」
アーガマの食堂。その壁に設置された掲示板の前にたたずみ、張られた告知をじっと見ているものがいる。
…流竜馬。
そう、今は「リョウ」だ。
彼が見つめているものは、ブライト艦長の出した告知…
その大判の紙には、こう書かれていた。
「…各人、エルレーン君に対しては『誠実かつ真摯な態度』(傍点付き強調文字)をもって、節度ある対応を取ること…」
(「誠実かつ真摯な態度」…?…どういうことだろう。…あいつ…なんかしでかしたんだろうな)
その意味がよくわからないリョウは首をかしげている。
その告知は、あの「『あいさつ』事件」の後に張られたものなのだが…その事件のことを知らされていないリョウは、当然その意味がわからない。
彼はふいっと身をひるがえし、コーヒーのソーサーを片手に近場のテーブルにつく。
「ふう…」と、ため息をつく彼の肩を、ぽんと誰かが叩いた。
「あ、エルレーンさん!…っと、違った…リョウ君、のほうね?」振り返ると、そこには弓さやかが立っていた…
だが、彼の顔を…正しくは、彼の表情、雰囲気を見てすぐ「人違い」だと気づいたらしい。
ちょっとばつの悪そうな顔をするさやか。
「…ああ」苦笑しながらうなずくリョウ。
…誰かが、自分を「エルレーン」と勘違いして声をかけてくる…こんなことにも、もう慣れてしまった。
「あはは、ごめんなさい!…そっか、もう眠っちゃったのね。じゃあしばらく待たないと」
「…あいつと、何か?」
「うん、ちょっと洋服のことで。いいわよ、また今度エルレーンさんが起きたときに直接渡すから。…それじゃね、リョウ君!」
「…ああ…」さやかはそういうだけ言って、どこかへ駆けて行ってしまった。
その後姿を見送るリョウ。
「…」コーヒーカップを手にし、少しだけそれをすすった。彼の好みの、苦みばしるブラックコーヒー。
そこから白い湯気が立ち上っている。揺らめく黒い水面に、かすかに自分の顔が映る。
…エルレーンと、同じ顔。
と、その時、背中からいつもののんきなでかい声が聞こえた。
「!…おー、いたぜハヤト」
「お…『リョウ』に戻ってるみたいだな」振り向くと、ベンケイとハヤトがいた。
彼らはリョウと同じテーブルの向かい側に席を取る。
「ああ…さっき、目が覚めた」
「『眠い〜』って言ってたからな。やっぱ寝ちまったか」
「あいつ…恐竜帝国について、何か新しいこと言ってたか?」
「んー、それがさあ…今日はあんまり長く起きてられなかったみたいで、ミーティング始まって15分ほどで『もうだめぇ、寝ちゃうのぉ…』って言い出してさあ。だからあまり進まなかった」
ベンケイがオレンジジュースを飲みながらそうリョウに報告してやる。彼女のセリフの部分は、ご丁寧にエルレーンのまねまで付け加えて…
「そうか…」
だが、そのベンケイのおどけた調子にものってこず、何故かリョウは急に口ごもってしまう。
無言のまま、カップの中を見つめている…
「…」
「…どうした、リョウ?」黙りこくるリョウを見やるハヤト。
その表情は、どこか沈痛さを漂わせている…
「…なあ、ハヤト…」一瞬の間の後、リョウは再び口を開いた。
「何だ?」
「わがままだよなあ、俺って奴は…よ?」自嘲するような口調で、彼はそう言って片目を閉じて見せる。
「…何がだ?何でだ?」しかし、ハヤトには彼がそういう理由がわからない…
それは、ベンケイも同様だ。彼も不思議そうな顔をして、リョウを見ている。
「はは…」軽く微笑い、リョウはふうっとため息をついた。その途端、彼の顔に哀しみが浮かぶ。
「…はじめは…あいつが、エルレーンが生きてるってだけで、うれしかったのに…それだけで、よかったのに」
「…?」
「今は…それだけじゃ、なんか…」
「…」
「俺だけだ…」
「…ん…?」
「俺だけなんだよな、考えてみれば…」
「…?」ぽつり、ぽつり、とつぶやかれるリョウの言葉。
彼が何を言いたいのか、まったくわからない二人…
しかし、次にリョウがこう言った時、ようやく二人は理解することが出来た。
「…エルレーンの声が、聞けないのは」
「…!」ハヤトとベンケイの顔に浮かんだ表情の変化を見て、リョウはふっと苦笑した。
そして、手にしていたカップをテーブルにおかれたソーサーに叩きつけるように乱暴に置いた…
かちゃん、という硬質な音が響く。
中のコーヒーがその勢いで少しこぼれおち、真っ白いカップに琥珀色の筋をなす…
「はは…!…笑えるぜ、こんなことってあるかよ?!…よりによって、俺だけが!…あいつと同じモノのはずの、俺だけが!」
突然、ひきつったような笑い声を上げるリョウ。
だが、すぐにその声は困惑と戸惑いに彩られた、悲痛な言葉になる。
「…」
「何でだ…畜生。…だって、昔はよ、俺…あいつの心、何も言わなくても感じることが出来た。
触れれば、そこから…直接あいつの感情が伝わってきた。…それぐらい、同調してた」
やりきれなさを叩きつけるように、どんどんとその口調が激しさを増していく。
今まで押し込めていた感情があらわになる…
「なのに…畜生、一体何でなんだ…?!俺とあまりに近いモノだったから、精神だけが俺に同化したっていうなら…
何で俺にはもう、あいつの声が聞こえないんだ?!…なんで、俺はあいつのこと、気づいてやれなかったんだ?!」
「リョウ…」
「エルレーン…どうしてだ?俺は、どうしてお前の声を聞いてやれないんだ…」
「…それは、あいつにもわからなかったんだ。だから、心が通じないこと、お前に声が届かないこと…そのことに、お前と同じように絶望して…
あいつは、自分のことをお前には秘密にしてくれって言った」
「ハヤト…前もそう言ってたな。…だけど…そいつは、ひどすぎるぜ…」ハヤトの言葉に、弱々しく微笑って首を振るリョウ…
「お前ら…知ってて、俺には何も…」
彼は、それだけ言って…また、目を伏せて黙り込んでしまう。
「…」だから、ハヤトとベンケイも何も言えないまま…
しばしの空白が、三人の間に漂う。
「…なあ、ハヤト、ベンケイ!」
「!…な、何だ?」だが、突然リョウは顔を上げ、明るい声で目の前の二人に呼びかけた。
その急激な口調の変化に困惑しつつも、答えるハヤト…
「あいつは、元気にしてるのか?」リョウは、笑顔を浮かべて二人にそう問うた。
まるで、長年会っていない旧友の様子を問うように。
「あ、ああ…!」
「あいつは、相変わらず訳のわかんないことばっかり言ってるのか?」
「ま、まあそうだが…相変わらず、『○○って…なあに?』って言ってるぜ」
「はは…それで、あいつはみんなを困らせてるんだろ?」その答えを聞き、さぞおかしそうに笑いながら、なおもリョウは問う。
「うーん、ちょっとそうかも…でも、みんなあいつのことおもしろがってるよ。本当に無邪気で、子どもみたいだから」ベンケイも笑顔で答えてやる。
「ああ…そうだろ?…ふふ…そうだろ、ベンケイ…」その答えを聞き、何度もリョウはそう言った…
いつのまにか、彼の顔に浮かんでいた笑顔が、少しずつ変化していく…どこか、哀しげなものへと。
そして、また彼は口を閉ざしてしまった。目を伏せて黙ってしまう…
「…リョウ…?」そんな彼の様子に戸惑うベンケイ…
「なあ…あいつは」
「?…何だい?」
「あいつは、笑ってるか?」
再び顔を上げたリョウが、最後に二人に投げかけたのは、そんな問いだった。
「!」
「昔みたいに、明るく笑ってるか?」リョウはハヤトとベンケイを見すえ、なおも問う。
「…」
「楽しそうに、笑って…もう、苦しんだりしてないんだよな?!」真剣な目をしたリョウが、何度も何度も確認するように必死で問い掛ける。
彼には見えないから。エルレーンの笑顔を、決して見ることは出来ないから。
「…あ、ああ…!もちろんだ!」そのリョウのあまりの真剣さに…ハヤトは慌ててうなずき、きっぱりとそう言ってやる。
隣に座るベンケイも、何度もうなずいて同意を示している…
二人の返答を受け取ったリョウは…安心したように、微笑みを浮かべた。
「…そうか…それなら、いいんだ…」そういうなり、彼は椅子の背もたれによりかかり、天井を仰ぎ見る…
うっすらと浮かんできた涙がこぼれないように。
「…」
「…でも…」そして、天井を見上げたまま…リョウは、ぽつり、とつぶやいた。
「…」
「俺にも、あいつの声が聞けたらな…」小さくその言葉が響く。
いつも人影の絶えることのない、ざわめいた食堂で…そのさみしげな告白は、ハヤトとベンケイにだけ聞こえるほどに小さく発された。
そして、そのままリョウは、天井を見上げたまま…目を閉じ、ぼんやりと自分の思いの中に沈みこんでしまった。
「…」ハヤトとベンケイは、そんな彼にかけてやる言葉を思いつかなかった。
だから、彼らも黙ったまま…
それきり、彼らの間で会話は止まってしまった。
カップの中のブラックコーヒーは、いつのまにかすっかり冷めてしまった…


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