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◆ Have sweet Dreams, Honey.
  (アーガマでの日々―
   「炎ジュン」の瞳に映る、エルレーン)
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「…おーい、エルレーン!そろそろ寝ようぜ。もう遅いぞ」
リョウがミーティングルームで話し込んでいたエルレーンにそう声をかけたのは、もう夜もかなり更けた頃…時計の針は既に11時半をすぎている。
「えー…」
だが、それにふりむいた彼女はどうやら不服そうだ。もう少しおしゃべりに興じていたいらしい。
「そうだニャー、オイラたちももう眠いニャ」
「また明日なのニャー」
しかし、そのおしゃべりの相手、マサキのファミリアのシロとクロは片目をつぶってリョウに同意を示した。
エルレーンにつかまってしまって、先ほどから喋りづめで少し疲れてしまったのだ。
…ねこ好きのエルレーンは、まだまだ彼らを離したくない様子だったが…
それでも相手が「眠い」と言っている以上無理強いはできない。
「そっか…わかったの」
少し残念そうな顔をしながら、渋々うなずいた。
「それじゃ、おやすみなの、シロちゃん、クロちゃん!」
…と、彼女はひょいっ、とシロとクロをその手に抱き上げる。
…そして、ふわふわの毛皮に覆われた彼らの額に…軽く口付けした。やわらかい唇がシロとクロの額をくすぐる。
「ニャ?」
「何だニャア?」
「うふふ…いい夢が見られますように、っていう…『おまじない』、なの」
そう言いながら、そのキスの意味を説明するエルレーン。
「ニャー、そうニャのか?」
「じゃあ、お返しだニャー」
「!…きゃはは、ありがと…☆」
すると、シロとクロも微笑ってエルレーンの肩に手をついて身体を伸ばし、彼女の額にキスをした。
ちくちくするひげが当たってくすぐったいのか、微笑いながら軽く顔をしかめるエルレーン。
(…ふふ…)そのほのぼのした光景を微笑いながら見つめているのは…「炎ジュン」だ。
周りにいる他の者たちも、そんなほほえましい彼女をやさしい目で見ている…
「お…おい、エルレーン!」
「エルレーンさん!」
「?…なあに、甲児君、健一君?」
…と、シロとクロをそっと床に降ろしたエルレーンに、意を決したように声をかける男が二人。
…甲児と、健一だ。
目が「何か」でぎらぎら燃えている…のは、はたして気のせいだろうか。
「俺にも一発、いい夢が見られるようにそのまじないかけてくれよッ!」
「も、もしよかったら俺にも…(どきどき)☆」
…一瞬の空白が、その場に漂った。
…二人のあまりの恥ずかしげのなさに、思わずぽかーんとしてしまう周りの一同。
照れもせずにリクエストする甲児、無理なお願いごとをする時のように、半ば懇願する健一…
だが、どちらも結局意図することは同じである。
…ねこにだけして、「仲間」である「人間」にはしないという理屈はないだろう。
そうとでも思っているのか、期待感いっぱいの、わくわくした顔でエルレーンを見つめる二人…
「えー?」
「おまじない」をそんなものほしげな男二人におねだりされたエルレーンは、ちょっと困ったような顔で微笑った…
だが、完全に拒絶しているわけではないらしいことを見て取った甲児は、なおもアプローチしようとする。
「なー、いいだろーエル…げッ?!」
が、いきなりその頭をガシッと誰かの手につかまれ、硬直する…
恐る恐る見上げた先にあった、その手の主は…
「あ、ああ、リョウさん…」
…穏やかな微笑みを浮かべたエルレーンの「保護者」、リョウだった。
…だが、顔は笑っているくせに、彼らの頭をプロレスラーばりにつかんでいる手の力はいっこうに緩めない。
その分、余計怖い。
「…はっはっは、そぉんなにいい夢が見たいのかい甲児君健一君」
「い、いで、いでで…」
感情を抑えているせいか、口にするセリフはまるでヘタな役者のように棒読みだ。
ぎりぎりとアイアンクローで頭を締め付けられ、悶絶する甲児と健一…
「そんなに見たきゃ、こうしたらもっといい夢が見られるんじゃ・な・い・か・な・あッ?!」
…と、その笑顔のままリョウは、思いっきり両腕を引き寄せ、つかまれている二人の顔を近づける。
一瞬、甲児も健一も彼の意図することがわからないでいたが…
わかった途端、必死になってお互いから離れようとわたわたと暴れだす…
だが、頭にキメられたアイアンクローは、本来は女性のものとは思えないほどの力で彼らをホールドしているため、外れてくれない…
そうこうしているうちに、甲児の目の前に健一の顔が、吐息すら感じられるほどに近づいてきた…
お互いの唇が触れてしまう「禁断の瞬間」まで、あと4、5cmといったところだろうか。
「ぎ、ぎゃーーーー!!」
「や、やめてくださーい?!」
ミーティングルームに二人の情けない絶叫がこだまする。
「はっはっはっは…!!」
しかし、容赦なくリョウは全力で彼らを押さえ込む…
その笑顔が、怖い。怖すぎる。
「ごめんなさいッほんの冗談だったんですぅ!出来心ですぅ!」
「い、いやだーーー!すみませんリョウさんッ!もう言わないから許してくださいぃいいぃッ!!」
野郎どうしのキスだけは避けたい二人は、必死になってリョウに謝罪する…
いい年をこいた男二人が、もはや半泣き状態だ。
「…アホだ…」
「け、健一の馬鹿…」
ギャラリーは半ば呆れながら(しかし怒れるリョウを止めるでもなく)その光景を見ていた。
…エルレーンにアホなことをすれば「保護者」が黙っていないだろうことに、何故彼らはいい加減気づかないのか…いや、悟らないのか。
「まったく…さ、行こう、エルレーン?」
半分泣きそうになりながらひたすら詫びた二人を、ようやくリョウは呆れ顔で解放してやった…
そして、エルレーンに部屋に戻るよう声をかける。
彼女のほうにふりむいた途端、表情と口調がころっと変わったのを甲児たちは確かに見た。
「うん!…じゃあね、おやすみなの!」
今までの成り行きをぼーっと見ていたエルレーンも(彼女には甲児たちが何故リョウにアイアンクローを喰らっていたのかわからなかったようだ)、
彼の呼びかけに答えてうれしそうにリョウに近寄っていく。
ぱっとふりむき、床に座り込んだまま、アイアンクローのダメージに頭を抱える甲児と健一に笑顔で手を振った。
「お、おやすみぃ…」
「うぅ…エルレーンさぁん…」
弱々しいながらも、それに返事を返す甲児、いまだ未練ありげな健一…
とはいえ、なんとかキスだけは回避できたので、半泣きの顔に安堵にも似た表情を浮かべている。
…と、一連の出来事を見ていたギャラリーの中、「炎ジュン」は…口元を抑え、こみ上げてくる笑いを抑えようとしている。
だが、先ほどの甲児や健一、リョウのやり取りを思い出すと、くすくすと抑えきれない笑いがこぼれてきた
(…はは、流竜馬…そう言いながらも、お前はきっとその「おまじない」をしてもらってるのだろうな)
先ほどのリョウの剣幕を思い起こしながら、彼女はふっとそんなことを思った。
(そうか…覚えていたのか、エルレーン…)
「炎ジュン」も、その「おまじない」の事を知っていた。
…いや、知っていて当然だ。あの「おまじない」は、他でもない彼女自身がエルレーンにしてやったものなのだから…

あれは、あの子が生まれてどれくらいたった時のことだろう。
…ある日の訓練が終わった後、すでに夜も遅かったため、エルレーンを自室まで送り届けた時のことだ。
『…それじゃ、おやすみなの、ルーガ…』
質素なベッドにもぐりこんだエルレーンは、小さな声でそうつぶやき、微笑んだ…
訓練ですっかり疲れきってしまったのだろう、今にも両まぶたがくっついてしまいそうだ。
『ああ。疲れたろう?ゆっくり休むといい』
そんな彼女をいたわるように、そっと頭をなでてやる…
と、ベッドに横たわるエルレーンを見ていると、ちょっといいことを思い出した。
…昔、自分の母親がしてくれたこと。
『…』エルレーンの前髪をすくうようにちょっと右手であげ、その額に…そっと、唇を近づけた。
触れた唇から、エルレーンのあたたかさが伝わってくる…
『…え?何するの、ルーガ?』
額にキスされたエルレーン。不思議そうに自分を見上げる。
『ふふ…何、ちょっとしたおまじないだ』
『…<オマジナイ>?』
『お前がいい夢が見られるように、な…』
『そうなの…?これで、楽しい、いい夢…見られるの?』
『ああ…そういう、<おまじない>だ。…それではな、エルレーン。おやすみ…』
そう言って、もう一度エルレーンの頭をなぜてやった。やわらかい髪の毛の感触が心地いい…
『うん…!…おやすみなの、ルーガ…!』
頭をなぜられた彼女は気持ちよさそうに目を細め、そう言って瞳を閉じた…

そして、それはその次の日のことだったと思う。
…その日はくだらない残務処理に追われ、やっとのことで仕事を終えることができた時には、すっかり遅くなってしまっていた。
『ふう…』
全身にのしかかる疲労感と倦怠感に、思わず弱気なため息が出る。
つまらない、意味のないような細かな仕事が、こんな遅くまでかかるとは思わなかった。
あまりに神経を使いすぎたせいだろうか、多少の頭痛すらする。
…とにかく、早くベッドに入って眠りたい…
『ん…?』
…と、自分の部屋の入り口のそばに、誰かが壁を背にして立っているのが見えた。
『!…ルーガ!』
その人影は、自分があらわれたのに気づくなり、ぱっと笑顔になってこちらに駆けて来る…
それは、エルレーンだった。
『お前…こんな遅くにまで、どうしたんだ?何かあったのか?』
まだ寝ていなかったのか、という思いが去来し、多少苦々しい気分になる。
いつもの彼女なら、とっくに眠っているはずの時間だ。
何か問題でもあって自分に用でもあるのだろうと思い、問いただす。
『ん…そういうわけじゃないけど…』
だが、どうもエルレーンの答えは要領を得ない。
上目づかいで自分を見上げ、なんだかもじもじとしている…
『じゃあ、どうして…』
疲れとストレスのせいか、気が多少立っていたらしい。少しとげのある口調になってしまった。
目の前のエルレーンの表情が、少し怯えたものになるのが見えた。
…慌てて、表情をとりつくろう。
『あ、あのね…』
何故か、しばらく彼女は自分を見上げたままだったが…
いきなり、エルレーンの両手が自分の顔に向かってすうっと伸びてきた。
その手が頭をそっと抱き、エルレーンのほうに少し引き寄せる…
『…?!』
唐突に頭を引き寄せられ、少し戸惑った。
目の前に、エルレーンの顔が近づく…
そして、きゅっ、と彼女が背伸びをした途端だった。
…額に、何かあたたかいものが触れた。
それは、エルレーンの唇…かすかに触れる程度の、やさしい口付け。
『…!』
『えへへ…<オマジナイ>、なの…』
エルレーンの両手が、ぱっと自分を放す。
頭を上げた時、目に入ったのは…なんだか恥ずかしそうな笑いを浮かべてこっちを見ている、エルレーンの姿。
『!…エルレーン』
『一生懸命、頑張ってるルーガが…いい夢、見られますように、って…』
そう言いながら、にっこりと微笑いかけてくるエルレーン…
彼女は、わざわざそのためだけにここで待っていてくれたのだ。
『…ふふ…ありがとう、エルレーン…それじゃあ、私もお前に…』
『…!』
…だから、自分も…お返しに、彼女の額にキスをしてやった。
いとおしい少女に、「おまじない」のキスを。
『…お前が今夜、いい夢を見られるように…』
『…!…ありがと、ルーガ!』
少し照れているのか、赤い顔をしながら…礼を言うなり、エルレーンはくるっとターンして、廊下をぱあっと走っていく。
そして、その途中でふりかえり…かわいらしい笑顔を見せながら、手を振るエルレーン。
『…じゃあね!おやすみ…!』
『ああ…また、明日…!』彼女に笑顔で手を振り返した。
…すると、エルレーンはまた身をひるがえし、ぱたぱたと足音を立てて自分の部屋に帰っていった。
…部屋のドアを開けて、中に入る。
時計の針は、ずいぶん遅くをさしていた。
(…あの子は、あれだけのために…
私がいい夢を見られるように、と「おまじない」をしてくれるためだけに…部屋の前でずっと待っていてくれたのか…)
そう思うと、ふわっと胸に何かが込み上げてきた。
彼女のやさしさが、思いやりが…胸を満たしていく。
「…!」
壁にかかった鏡に、自分の顔がちらっと映って見えた時、あまりのことにどきっとしてしまった。
…いつのまにか、そこには内側からあふれ出るような…喜びに満ちあふれた表情が浮かんでいる。
満面の笑みがそこに浮かんでいた。
慌ててほおをぴしゃぴしゃと叩き、気を引き締めて落ち着こうとするが…どうしても、その顔が緩んでしまう。
どうしても、顔が笑ってしまう…
もう、否定できない。
…うれしくて、仕方ないのだ。
あの子が自分にしてくれたことが。自分を思いやってくれたことが。
自分だって、眠くてたまらないにもかかわらず…いい夢を見られる「おまじない」をしてくれようと、部屋の前の廊下でずっと待っていてくれた。
…なんてかわいいことをしてくれるのだろう、あの子は!
ベッドにもぐりこみ、目を閉じた。
だが、どうやら…気が高ぶってしまったらしく、疲れていたわりにはすぐに睡魔が襲ってこない。
…いや、もはや疲れなど感じていなかった。
不思議なことだが、溶けて消え失せてしまったかのようだ。
あの子のやさしい心、エルレーンの「おまじない」が、それをあっという間に溶かしてしまった。
(今夜は、きっといい夢が見られるだろう…)
そう思うと、ふっとおかしくなってしまった。
(…当たり前じゃないか、あの子が「おまじない」をしてくれたのだから…!)

あれから、時折…エルレーンが眠る前には、必ず「おまじない」をしてやったものだ。
そうすると、彼女も自分に「おまじない」をしかえしてくれる。
それは、二人だけのささやかな儀式のようなものだった…
そのことを思い出すにつけ、「おまじない」のことが懐かしくなってきた。
エルレーンのやさしさ。彼女の口付けのあたたかさ。
…今、彼女に「おまじない」をしてくれるように頼んでも、おそらくはだめだろう。
「炎ジュン」はそう思った。
(まあ、仕方ないか…ふふ、多少残念ではあるがな…文句を言うわけにもいかないな)
軽く苦笑しながら、「炎ジュン」はそう心の中でひとりごちた。
(何しろ、私は…あの子の「おまじない」を5ヶ月も独り占めにしていたのだからな!)


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