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◆ Forget-Me-Not(「私を忘れないで」)
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その時は、突然に訪れた。
「…」
本当に、何の前触れもなしに…少女のまぶたが、すうっと持ち上がっていく。
そして、そこからガラスのような瞳が姿をあらわした。
「あ…!」
思わず声を上げる者がいる…
リョウ、ハヤト、ベンケイ…その少女、No.0が横たわるベッドの脇に並んで立ち、彼女を見守っていた者たち。
…いや、正しくは、彼女ではなく…彼女の中に在るだろう、あの少女を呼んでいた者たち…
「…!」
「…気がついたか、…No.0」
「!」
…だが、察したリョウが呼んだのは…「No.0」というナンバーだった。「エルレーン」ではなく。
はっとなるハヤトたち。
だが、驚きの声は無理やり飲み込んだ。No.0に気づかれないように。
No.0の手をそっと握り、発されたリョウの気づかいの言葉…
それは決して、失意の色を表にまとってはいない。リョウは、実に注意深くそれを隠した。
「…」
しかし、その奥底に流れるモノを、No.0はふっと感じ取った…
わかる。伝わってくる。彼女たちは、同じモノだから。
自分の手を握ってくる彼の手のひらを、振り払う事もなく…彼女は、けだるげに唇を開いた。
「…ながれ、りょうま…」
「!…何だい、No.0…?」
「流竜馬…ふふ、お前が、」
皮肉な調子でもなく、その冷酷な質問は淡々と発された。
「…お前が、今…本当に、目覚めて欲しかったのは…エルレーンなのか、それとも…本当に、俺、なのか?」
「…!」
言葉を失うリョウ、ハヤト、ベンケイ。
だが、No.0はやはり穏やかに微笑したまま…答えを促してくる。
「どうなんだ?流竜馬…」
「う…」
「…」
リョウは、一瞬…「答え」を惑った。答えるべき「答え」を惑った。
オリジナルの瞳が所在無くさまよう様、口ごもるその様を見るに至り…No.0は、かすかな苦笑をもらした。
「ふふ…嘘も、ついちゃあくれねぇんだな、お前は…!」
「!…ご、ごめん、No.0…で、でも!」
動揺が顔に出ないよう必死で取り繕いながら、リョウは大声で間髪いれずこう口にする。
医務室中に響き渡る、大きな声…
まるで、大きな声であればあるほど、その裏にある真意がかき消されるとでも思っているかのように。
「でも、俺が、俺たちが、お前を救いたいって思ったのは本当だ!」
「…」
だが、No.0はもはや全てを悟っていた…
彼女は、ゆっくりと首を横に振った。
「な、No.0…」
「それも違う。…お前らは…俺の中に、あいつを見ていただけだよ。…エルレーンを、見ていただけだ」
「…」
「俺じゃない。お前らは、俺のことなんか見てなかったもの…」
本当に穏やかな口調で、No.0はそうつぶやいた。
あきらめや哀しみすら通り越し、あるのはただ…その酷薄な事実を受け入れるこころだけ。
…リョウも、ハヤトも、ベンケイも。
三人とも、彼女のあまりに静謐な、そんな姿を正視することすらもう出来なかった。
肯定したわけではない。だが、完全な否定も出来なかった。
「No.0…」
「お前らが、救いたかったのは俺なんかじゃない…結局は、エルレーンなんだ…」
「…」
自分たちが救おうとしていた少女は、ただただ、淡々と…少しばかりの哀切がこもった口調で、そう述べるだけ。
…確かに、そうだったのかもしれない。
自分たちは、はじめから…「エルレーンと同じ状況に在る」から、「No.0」を救おうとしたのかもしれない。
いや、もっと言えば…彼女が、「エルレーンと同じ顔をしている」から、だったのかもしれない。
それは否応なく、同じ悲劇の舞台の上に投げ出されたあの少女を思わせるから。
しかし、No.0自身がそれを望んだのか?そして、自分たち自身は彼女を望んだのか?
結局、自分たちは…エルレーンの姿を、勝手にNo.0に重ね合わせていただけではないのか…
No.0自身を、見ることなしに。
己を省みるこころ、己を責めるこころ…己を恥じるこころ。
リョウたちの心中に、重く苦々しい薄雲がよどんでいく…
しかし…少女は、微笑を浮かべてそんな三人を見つめる少女は…彼らを責める事などしなかった。
そして、かわりにこう言ったのだ…
「…ふふ…でも、いいさ…それでも」
「え…?!」
「もうすぐ、『どっち』でも、関係なくなるんだから…!」
その謎めいたセリフに、怪訝な表情を浮かべるリョウたち。
意図を問おうとしたまさにその時、医務室の扉がばたん、と開いた。
「No.0ッ!」
「No.0は?!リョウッ、No.0は…ッ?!」
そして、そこからなだれ込むようにして四人の少年少女が押し入ってくる…
ガロード。ジロン。チル。ティファ…
相当急いで駆けて来たのだろう、誰の息も荒い。
だが、肩で呼吸をしながらも、彼らはすぐさま彼女の姿を探した。
…目と目が、あった。
すると、その途端…少女のガラスのような瞳に、ぱしっと明るい輝きが宿った。
「…!」
「な…」
「No.0ッ!」
目覚めている彼女を見つけるなり、どたばたとその脇に駆け寄ってくる四人。
リョウたちが陣取っているのとは反対のベッドサイドに押しかける。
「No.0〜ッ!!」
真っ先に…チルがベッドサイドに走りより、そのまま白いベッドの上にその小さな身を投げ出した。
小さなもみじの手でシーツをぎゅうっ、とつかみ、涙で潤む瞳をNo.0に向けてくる…
「…チル…」
「馬鹿!馬鹿ぁ!…No.0、何で逃げようとしたんだよぉ?!何で、そんな馬鹿なことしたのぉ?!」
「…」
「そんなにアタイたちが嫌なのか?!いいじゃん、もう…!
もう、リョウたちを殺す必要もないし、ロウだってアーガマにいるんだよ?!
なのに、何で逃げる必要があるんだ…ッ?!」
慌てたジロンに制され、ベッドから降ろされながらも…なおも手足をじたばたさせ、No.0に対してやりきれない思いを叩きつけるかのように怒り続けるチル。
半泣きになりながら自分を叱るチルを、不思議そうな目で見ていたNo.0…
と、その表情が、ふっと柔和なモノに変わった。
「うん…ごめん、チル」
「…!」
「な、No.0…それじゃあ!」
「うん…」
穏やかに、少女は微笑んだ。
「…俺は、これから、ずっと…お前たちと、一緒にいるよ…」
「…!」
それを聞いた瞬間、四人の表情がぱあっと明るくなる。
「そ、そうかよ!…ちっくしょう、それでいいんだよNo.0ッ!」
「そうだぜ、No.0…!…へへッ、そうさ、これで何も問題なし、ってね!」
安堵の言葉にも、喜びという感情の高ぶりが存分に入り混じっている。
ジロンなどは飛び上がらんばかりの勢いだ。
ティファもほっとため息を漏らし、ガロードとうれしそうにうなずきあっている…
「うふふ…そんで、」
…しかし。
彼らの喜んでくれる姿を見つめながら、No.0は軽く笑んで…その笑顔のまま、不思議な事をつぶやいたのだ。
「…そんで、これが…お前たちと会う、最後、だよ…」
「…?!」
その奇妙なセリフに、彼らの笑みが固まって…次に、いぶかしげな表情に変わる。
…刹那、ティファの胸を、それが貫いた。
だから…彼女は、ジロンたちよりも先に、その言葉の意味を知る事になる。
あまりに哀しく自己犠牲的で、痛々しさすら感じさせる…だが、どうしようもなく幸福な、彼女の選択を。
ティファが哀しみで眉を寄せた…その瞳に、透明な涙が浮かんでくる。
「え…?…No.0、それ、どうゆうこと…なの?」
「チル…俺は、ずっとお前たちのそばにいる。お前たちの事を、守ってやるよ…だけど、これで終わりだ」
「…?!…ず、『ずっと』なのに、『終わり』…そ、それって、どういうことなんだよ、No.0?!」
「…!」
「!…てぃ、ティファ…?!」
ガロードが困惑を隠しきれず、すぐさまNo.0に問い返す…
が、すぐに彼は驚きの声を上げる。
隣に立つティファは、いつの間にか泣き崩れていた…
両手で顔を覆い、その細い肩を震わせて。
「ティファ…どうして、泣くんだ…?」
「な、No.0…あなたは、あなたは…!」
泣く彼女を、哀しそうな視線で見やるNo.0。
だが、ティファの唇からは意味を成さぬ言葉が、嗚咽とともに漏れ出でるだけ…
「な、何で泣くのさ、ティファ!…No.0ぉ、アタイわかんないよ!No.0は、一体…何のことを言ってるのッ?!」
「…流竜馬」
「!…何だい?」
チルの混乱に直接答えることなく…No.0はその言の先を、ガロードたちとは反対側のベッドサイドにいる己のオリジナルに向けた。
「お前は、とっくに気づいてるんだよな…」
一瞬の間。そして、彼女は冷静に言い放った。
「…エルレーンは…今は、俺の中に、いるってこと」
「?!」
「え…エルレーンが、お前の…」
「ああ…何でか、わからないけど。
さっきの時、だろうか…あいつに、捕まえられた時…俺の中に、エルレーンが入りこんじまったんだ…」
「ほ、本当に…?!」
「そう…だから、」
唐突な、突飛な彼女の告白…にわかには信じがたいその内容に泡を喰うガロードたち。
しかし、No.0は穏やかに続けた。驚くべき決意を。
「流竜馬、俺は、お前に返そうと思う…エルレーンを」
「!」
「か、返すって、どうやって?!」
「…返すよ、エルレーンを…それに、これは…俺が、エルレーンにしてやれる、『礼』でも、あるんだ…」
「れ、『礼』…?!」
困惑しているのはガロードたちだけではない。
リョウやハヤト、ベンケイも、彼女の意図する事が理解できず惑っている。
…だが…彼女の次の一言が、否応なく彼らに全てをはっきりと認識させた。
彼女は、微笑みを浮かべたまま…吐息とともに、こうつぶやいた。
「そうさ、返すよ…あいつを、…俺の、身体ごと」
「?!」
一瞬、医務室の空気が水を打ったように静まり返る。あまりに唐突な、そのセリフに。
だが、それもつかの間…驚きで強張った唇を無理やり動かして、今聞いた言葉の内容を問い返すジロンたち。
「か…」
「身体ごと、って、」
だが、彼女は相変わらず、ごく穏やかにこうつぶやくだけ。
「そう、身体ごと。…俺の身体も、俺の力も…」
「…?!」
「俺は、みんな、みんな、エルレーンにあげるんだ。俺の持っているモノ全てを。
…俺には、そのくらいしか、あいつにしてやれる事がない…!」
「?!」
「そ、それじゃあ…」
「No.0、お前は…お前は、どうなっちまうんだッ?!」
ジロンたちは、すっかり混乱をきたしてしまっている。
今、自分の身の内の中に在るエルレーンを、「身体ごと」リョウたちに返す、とNo.0は言う。
だが、では…その身体の本来の持ち主、No.0は一体どうなるのか?
その身体をエルレーンのモノとしてリョウたちに返すというのならば、No.0自身は…!
「ふふ…」
「!…な、何で、何で笑ってるんだよ!…だ、だってよ、それって、それって…」
ガロードが、つまりながらも発したセリフは…その場にいる者全ての懸念そのモノだった。
「…お前が、消えちまうってことじゃねえだろうなッ、No.0…ッ!」
「ふふ…違うよ、ガロード」
しかし、No.0はおかしそうに…くすくす、と笑むだけ。妖精のような、愛らしい…どこかいたずらっぽい微笑。
そこには、リョウたちが見たあの狂女はいない。その影すらなかった。
その代わりに在るのは、自分の分身のために…エルレーンのために、その身体と精神を捧げんとする聖女だけ。
そう、白いベッドの上に横たわり、ガロードたちを見つめているのは…もはや、あの狂気の女戦士ではないのだ。
「え…?!」
「俺は、消えるんじゃない…俺と、あいつは、同じモノ…だから、俺は…『帰る』だけだよ」
「!」
「俺の、『帰る』場所…生まれる、前に、戻るんだ…」
「No.0…」
「きっと…まちがってる。…でも、俺は…『帰る』んだ…!」
夢見るような口調でなおも言う…
そうつぶやく彼女の瞳は、もはや一切揺らぎはしなかった。
誤っているとわかりながら、それを選ぶ。
No.0の顔は穏やかだった。
驚くほど、穏やかに彼女は微笑していた…
しかし、その決意の奥に秘められたモノが如何様であれ…
少なくとも、彼らにとって、それはNo.0という少女との永劫の別れである事には違いがなかった。
「う、ううッ…うえええぇえぇえええぇん…!」
耐え切れなくなった幼子が、とうとう嗚咽の声を漏らした。
ぼたぼたと大粒の涙をシーツの上にこぼし、No.0の腕にすがりつく…
まるで、そんなことをさせない、とでもいうように。
哀しみとショックで泣くチルを、少し困ったような顔で見るNo.0…
彼女を慰めるかのように、静かにチルを諭す。
「チル…泣かないで。ちっとも、哀しくなんかないよ…俺は、消えちまうんじゃないんだぜ?」
「で…でも、でもッ…」
「だいじょうぶ…うふふ、俺は…『エルレーン』になるんだから。
そうしたら、俺…お前らと、ずっと一緒にいれる。
俺よりずうっとずうっと強いあいつになれば、俺は…お前らを守ってやることが出来る…!」
「…!」
「な?ずうっと、一緒だ…だから、さびしくはないよ、チル…」
「な、No.0ぉ…」
「それに、俺は…見つけたよ、…俺の欲しかったモノ、みんなみんな…!」
「…」
うれしそうに語るNo.0の表情。そこには、何の憂いもなかった。
「エルレーンになれば、俺は…それを全部、手に入れられるんだ」
「…No.0」
「ふふ…やっぱり、地上は、いいなあ…『空』の下には、何だってあるんだから」
「…」
何だか、どこかおどけたような口調で…No.0は、あの時とまったく同じセリフを口にした。
「そして、これからは…」
そして、その言葉に続くのは…
「エルレーンが、俺の、蒼い『空』…!」
「…!」
…と、その時、少女の顔から笑みが抜け、すっと真剣な色が浮かぶ。
ティファたち四人のほうに顔を向けたまま、彼女は言った。
「だけど、その前に…最後に、どうしても、お前らに会いたかったんだ」
「!」
「会って、どうしても…お前らに、してもらいたい事があったんだ。
…最後に、もう一つだけ。俺の、頼みを…聞いてくれないか…?」
「な…何だよ、No.0ッ」
「何でも言えよ、ほら、で、できることならさぁッ、お、俺たち、何でもやってやるんだからな…ッ!」
先を急かすガロードたち。その声色が、かすかに震えている。
彼らを見つめていたNo.0は…一回、ゆっくりと息をついた。
「…俺の」
玻璃の瞳が、涙でさざめいた。
「俺の、『名前』を、呼んで…」
「!」
驚きに目を見開く一同。彼女は、なおも言う。
「エルレーンが、俺にくれた…俺に、『名前』をつけてくれたんだ」
「…!」
「へへ、だから、俺…もう、『No.0』じゃないんだ。…俺には、もう…『名前』が、俺の『名前』があるんだ…!」
「…な、何て言うんだい、その『名前』…?」
「俺の、『名前』は…」
自分だけの「名前」。自分だけのモノ。
彼女は、誇らしげに、静かな…だが、凛とした声で、はっきりとそれを告げた。


「…『エルシオン(El-sion)』…!」


耳をくすぐっていく、心地いいその響き。
「…!」
「える…しおん…」
「うん…!」
チルが、その言葉をなぞって発音した。
医務室の空気に散っていった、彼女の「名前」という音の連なり…
それを聞いたNo.0は、…いや、「エルシオン」は、心底うれしそうに笑った。
「…ああ、いくらだって呼んでやるよ!そんで、忘れない!…お前の『名前』は…エルシオン!そうだろ?!」
「エルシオン…はは、いい『名前』じゃん?!なあ、ティファもそう思うだろ?!」
「ええ…!私もそう思うわ、エルシオン…!」
「うふふ…ありがとう…!」
「…」
口々に、ティファたちが彼女の「名前」を呼ぶ。
もうおそらく彼女にむけては呼ばれることのないだろう、その「名前」を。
だからこそ、力を込めて呼ぶ…!
「エルシオン…エルシオン、」
「…」
そして、チルも。
彼女は連呼する。その「名前」を。己が「トモダチ」を、真摯な瞳で見つめたまま…!
「エルシオン、エルシオン、エルシオン!…何回だって、呼んだげるよ!アタイが呼んだげる!」
「ありがと…ちる」
「える…ううっく、ううっ…!」
だが、やがてその言葉も涙に飲み込まれてしまう。
自分を押し流していく哀しみで呼吸すらままならなくなったチル。
頭を垂れ、泣きながら必死にそれを押さえつけようと苦慮する…
…その時。
白い腕(かいな)が二本、すうっ、と彼女のほうに伸びてきた。
「!」
涙でびしょぬれになった、自分の両頬。
そこにそっと触れた手のひらは、やさしく表面をなでていく…
それは、あの時とまったく同じあたたかさ。
顔を上げると、そこにはエルシオン。
半身をこちらに向け、ぐったりと横たわったまま、綺麗な微笑みを浮かべたまま…その両手で、チルの顔を包み込むようになでている。
ふっ、と、その瞳にいたずらっ子のような光がともった。
「ふふ…まんまる。…かわいい…」
「ま、まんまるって、言うなって、言ったじゃん…!」
「うふふ…」
だから、チルも笑った。泣きながら笑った。
…と、エルシオンがゆっくりと一つ、息をつく。
改めて、彼ら四人を見つめる…
そのガラスのような瞳から、とうとう涙がこぼれ落ちてきた。
「俺…お前らに、会えて、…よかった。
…お前らのおかげで、俺、信じられた…
『人間』が、やさしい…本当はやさしいイキモノだって、信じられた…!」
「エルシオン…!」
「ティファ。ガロード。ジロン。チル。…忘れないで」
「な…何をだよ?!」
「俺が、いたこと」
「…!」
「それだけで、いいんだ。俺が、確かに、生きていたってこと…忘れないで」
「忘れない!忘れないよ、エルシオン…!」
「忘れるもんか!…忘れられるもんか!」
「…!」
息せき切って答え返すガロード。まるで、怒鳴りつけるように答え返すジロン。
抑えきれなくなった感情が、涙となって目からふきだす。
はばかることなく、泣きじゃくる…
ティファやチルは、もう言葉すら発する事が出来ない…
だが、声を殺して泣きながら、それでも…何度も何度も、うなずいた。
ベッドに横たわる少女は、それを柔らかいまなざしで見つめている…
「ああ…」
長い、嘆息。彼女の顔には、確かな充実感と安堵の色。
「これで、もう…十分、だ…!」
エルシオンは、至極満足そうに…本当に満足そうに、そうつぶやいたのだ。
「う…」
チルが、喉の奥で不服の言葉を飲み込んだ。
その名残が、くぐもった音として彼女の喉を鳴らしたが…それでも、口に出すよりはずっとましだ。
何故エルシオンがいなくなってしまわねばならないのか、それが本当にしあわせなのか、と。
だが…エルシオンは、心の底から、真剣に…それを望んでいるのだ。
自分のとどめる言葉なんて、彼女を、もはや困らせるだけだ…
「…いくのね、エルシオン」
「うん…」
涙を浮かべながら、それでも微笑うティファに…No.0は、そう短く答えた。
その時、チルが再び…ぽんっ、とベッドに飛び乗った。
エルシオンの顔のすぐそばに、自分の顔をもっていく…じっと、見つめる。
エルシオンの、ガラスのような瞳…
透き通っているけれども、時折真白に曇り、光を反射し、彼女の内面を見えぬように覆い隠してしまう…それは、玻璃。
チルは、その中を覗き込んだ。エルシオンは、かすかに笑んだ。
「消えないんだよね、エルシオンッ」
「うん…」
「絶対に、絶対に本当だよねッ?!」
「…うん…『やくそく』するよ、ちる…」
「…!」
急かすような口調で、そう問う自分に…彼女は、笑顔で答えた。
その瞳は、透き通っていた。
だから、チルは確信した。それが、少しは自分を安堵させてくれた…
ジロンに無言で促され、チルはベッドから降りる。しかし、視線はエルシオンに向けたまま離さない…
「…それじゃあ…これで、永遠に、さようなら…だ。…そんで…また、会おう…?」
それが、最期の彼女の言葉だった。
矛盾だらけで、明確で…それでいて、どこまでも彼女らしい別れの挨拶だった。
小さな声で、ぽつり、とそうつぶやいた後…彼女は、先ほどからずっと自分を呼び続けている、睡魔に似た感覚にようやく身を任せた。
そして、だんだんと身体が感覚を失っていく…
奇妙な浮遊感が、ふわりと全身を包み込む。
だんだんと薄れていく意識の中、それでも彼女は瞳を閉じないままでいた。
エルシオンが、その瞳の中に映していたモノ…ベッドサイドで自分を見つめてくれている、四人の「人間」たち。

ティファ。
目にいっぱい涙浮かべて、それでもやさしく俺に微笑んでる…ティファ。
俺の傷のことを心配してくれた、やさしい女の子。
お前は、俺があんな奴だって知ってて、それでも傷の手当てをしてくれたんだよな。
それに…自分がつけてた「いやりんぐ」まで、俺にくれた。
わかんない…どうして、お前はそんなにやさしいんだ?
ティファ、俺…俺、お前にあんなひどいこといったけど…
だけど、本当にうれしかったんだ。お前がしてくれた事が。
だから、俺…絶対絶対、お前の事を守ってやるよ。あの変な奴らから、絶対守ってやるからな…!
ガロード。
さっきから泣きそうになってるくせに、それでも俺をじっと見ている…ガロード。
お前は言ってたよな、「トモダチ」が間違った道にいっちまおうとしてるんなら、それを止めてやるのが「トモダチ」だって。
お前は、必死になって止めようとしてくれた。流竜馬たちを殺そうとした俺を。
俺の事を、俺なんかのことを、お前は…本当に、「トモダチ」だって思ってくれてたんだな。
死ぬ気になって、俺を止めてくれた…その言葉どおりに。
また、今度…「きす」して、あげる。
そんな「礼」じゃあ、お前のしてくれた事には全然足りないかもしれないけど。
そしたら、また…俺のこと、「かわいい」って、言ってくれるかなあ…?
ジロン。
ぼろぼろ流れてくる涙を何度も何度も手でぬぐいながら、それでも俺から視線をはずさない…ジロン。
俺、お前の言ったことを、きっと一生忘れないだろう。
お前は言ってくれた…俺の望む「自由」なんて、どこにもないんだって。
自分の「お兄さん」を殺してまで手に入れる「自由」など、どこにもないんだって…
俺たちは、はじめから「自由」なんだ、と。お前はそう言ってくれた。
…わかるよ、俺…嫌でもわかるさ、お前の言葉から。
お前が、とてつもなく強くってすごいこころの持ち主なんだってこと。
だけど、俺はそんなに強くなかった…強く、なれなかったんだ。
でも、これからは…俺も、強くなる。強くなるよ。お前に負けないくらいにさあ…!
チル。
おっきな目からぼたぼた大粒の涙をこぼしてるくせに、それでも俺に向かって笑いかけようとする…チル。
ちっちゃくって、まんまるな、かわいい…俺の、「トモダチ」。
お前は泣きながら、あの緑のマシンに乗ってたな。
ちっちゃな「子ども」のくせに、俺みたいなむちゃくちゃなやつを止めるために、懸命になって。
お前はあの時、俺の「トモダチ」になってくれるって言った。
そのまんまるな顔中を、たくさん、たくさんの笑顔にして…
…だから。
「約束」するよ、チル。「トモダチ」のお前を、俺は決して裏切ったりはしない。
俺は、絶対に消えはしない。
エルレーンになって、俺より強いエルレーンになって、俺がお前を守ってやる…!

四人の、素敵な「人間」たち。何より大切な、自分の…「トモダチ」。

ああ。
ありがとう。
俺、お前らのこと…大好きだよ。
…大好き…!

…そうして、少女は瞳を閉じた。静かな微笑みを浮かべたまま。
彼女の意識は、ゆっくりと暗がりの中…自分の中へと堕ちていった。
リョウたちが、ジロンたちが見守る中…ことり、とも音のしないほど静まり返った医務室、そのベッドの上で。
それが、「No.0」と呼ばれた少女…「エルシオン」となった少女との、今生の別れ。
そして、また新しいはじまりになるだろう瞬間だった…


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