ドイツ語アルファベットで30のお題
〜長編小説「暗黒戦隊ジャスティリオン」〜


"A"--die Antwort(答え)
第一話「参上!苦悩する戦士・ジャスティイエロー」



某府の北部に位置する中核都市・北塚市。
一見平和そのもの、といったこの街に、少し不思議な事件が起こり始めたのはいつのころからだったろう?
ひとであふれるこの街に、邪悪なる魔がひたひたと忍び寄ってきたのは。


だが。
案ずることはない。
夜には昼が、月には太陽が、闇には光が合い生ずるように、
「邪悪」には「正義」が必ず生じる。
そう、これは「物語」―
ある「正義」と「邪悪」の織り成す、ひとつの「物語」なのだ。


「さあ、スーパーエイダーきたつか店・開店10周年景品配布会場はこちらでーす!」
北塚市駅前。
商店街やアーケードなどがこの駅前を出発点として、放射線状に伸びている。
そのアーケード街の一角、少し大きめのスーパーがある…
と、そのスーパーの店頭で、大声を張り上げている少女がいた。
「当店開店10周年を記念して!ポインセチアの鉢植えを、先着200名様にプレゼントしてまーす!」
蒼い瞳に金色の髪。年若い、くりくりした瞳の美少女。
手には赤いポインセチアの鉢植えを持ち、かわいらしい声で道行く人々に呼びかける。
見ると、少女の立っている後ろには小さなテントが張ってあり、その下にあるテーブルにはポインセチアが所狭しと並んでいる。
どうやら、このスーパーの催し物のようだ。
「あら、タカギさん!ポインセチアをタダでくれはるんやって!」
「ほんまや!ノムラさんやマキノさんにも教えな!」
「いらっしゃいませー!」
と、めざとい通りがかりの主婦二人が、すぐさまそれに喰いついた。
ここぞとばかり、客引きの少女は笑顔で応対する。
にこにこと微笑みながら、ポインセチアを差し出した。
「お姉ちゃん、これホンマにもらってもええん?」
「はい、開店10周年記念のイベントなんです!是非お持ちください!」
店員らしき少女は、見た目からはまったく日本人のようには思われない。
が、彼女はすらすらと口上を述べてみせる。
それに感心したのか、思わず主婦はため息をついてこう言った。
「はーあ、アンタ日本語うまいなーあ!」
「ありがとうございます!これ、どうぞ!」
「いやーホンマ?めっちゃうれしいわあ…」
そうして、差し出された可憐なポインセチアの鉢植えを受け取る…
甘やかな花の香りが、鼻腔をくすぐった。
…と、もう一人の主婦は、何やら携帯で友人にでも知らせていたのか、かばんの中を探ってもたもたしている。
「タカギさん!はやくはやく!」
「今行くわー、待っててー!」
呼びかけられ、わたわたとテントに寄っていき…
「はい、どうぞー!」
「いやー、ありがと!」
同じように、ポインセチアの鉢植えを受け取った。
「ありがとねー!」
「いいえ!これからも当店をよろしくお願いしまーす!」
タダで鉢植えをもらい、上機嫌で帰っていく二人。
その二人を、これまた店員は笑顔でお辞儀し、見送った…
その時。
「…うふふ」
葉ずれのような、風の音のような、小さな声が空気を震わせた。
少女の微笑み。
薄く開いた花のような唇から…かすかな、闇が漏れる。
「キレイやわぁ、リビングにでも置いとこかしら…」
「ねー、ホンマやねぇ…」
一方の主婦たち。
両手に抱えたポインセチアの花をうれしげに見つめながら、しゃべくっていたが…
「ねー…」
「…」
やがて、何故かそのおしゃべりが…力を失っていき、
その意気揚々とした歩みも、少しずつ勢いを失っていき、
「…」
「…」
そのうち、二人とも静かになった。
いつの間にか、先ほどまであふれすぎるぐらいあふれていた元気さが立ち消えている。
主婦たちは、ぼんやりとした表情で、ゆらゆらと歩き続けていく…
明らかに、先ほどとは違っていた。
「うふふ…!」
少女の微笑み。
薄く開いた花のような唇から…かすかな、闇が漏れる。
ゆらゆら、ゆらゆらと、二人は揺らめきながら歩いていく。
ポインセチアの鉢植えを抱えて。
家族が待っているだろう自分の家庭へと…


その時だった。
胸をつくような勇猛な叫びが、拡がる蒼空を震わせた―!


「…アース・ニードルゥッ!」


「!」
「ああッ?!」
何処かより、鋭く尖ったガラスのようなつぶてが飛翔する…
そして、二片のつぶては、主婦たちの持っていたポインセチアの鉢植えに吸い込まれていき―
がしゃん!という音とともに、それらをすべて打ち砕いた!
その勢いすさまじく、主婦たちはそのままばたり、とその場に倒れてしまう。
少女の瞳がにわかに険しくなった。
愛らしい相貌に、怒りがにじむ…
怒れる少女の前に、声の主が現れる―
「…お、お前はッ!」
少女の前に、どこからともなく現れた影が在った。
全身をぴっちりとしたタイトな黒いスーツで…それは、戦闘スーツ…包み、頭部はこれまた黒いメットで覆われている。
黒いブーツ、黒いグローブ。黒いベルト、黒いエルボーパッドに黒いニーパッド。
すべてが黒づくめの男、だがその中で黒に染められていない部分。
彼の視界を覆うバイザー、そして…右手の甲に輝く、奇妙な黄色い石。
その透明な輝きは、黄玉(トパーズ)のきらめき。
黒と黄色に彩られた謎の男は、大音声でこう叫んだ―!
「罪も無い人を陥れる、『秘密結社エリュシオン』の手先め!…この俺が相手だッ!」
「くっ…やはり現れたか!」
憎々しげに、少女はその忌まわしい名前を叫んだ。
そう、それは…彼女たちに敵対する、呪わしいチーム!
「…『暗黒戦隊ジャスティリオン』!」
その叫びに、黒スーツの男は応えてみせた。
びしっ、と少女を指弾して、空に散らすのは彼の名乗り!
「そうだ…暗黒戦隊ジャスティリオン・ジャスティイエロー!参上ッ!」
「ジャスティイエローッ!」
少女の蒼い瞳が、ジャスティイエローと名乗った男を鋭くねめつける。
「いつもいつも私たちの邪魔をして、まったくいまいましい!」
「うるせえ!お前らが俺らの街で暴れんのが悪いんだろ!」
「何言ってんのよ!暴れてなんかいないってのよ!」
「嘘つけ!」
言うなり、ジャスティイエローは大きく右手で空を斬った。
左から右に。
その右手の甲に光る、大きな石…黄色い宝石が、ぎらり、と輝く。
そのまま手のひらを返し、右から左に。
宝石から生まれた光が、そのきらめきを増していく―
その光は凝固しひらめき、そして長大な槍と化した!
「ジャスティスピアー!」
顕現した長槍を手に、男はまっすぐに斬りかかっていく…!
「おりゃッ!」
「き、きゃッ?!」
大上段から振り下ろされた槍は、少女に向かう…!
思わず飛び退り逃げてしまう少女。
かと思いきや、彼の槍の切っ先は―その背後にあるテント、そしてポインセチアが立ち並ぶテーブルをぶった切った!
布が引き裂かれる音、鉢が砕け散る音、ばらばらとモノが落ちていく音…
まぜこぜになった不快な不協和音が、そこらじゅうに拡がる。
と、地面に散らばった鉢植えの中から、ジャスティイエローは一つをつかみ上げ、少女に怒鳴りつけた。
「…この、ポインセチア!ただのポインセチアじゃないなッ?!」
「…」
「あそこのオバチャンたちが、その何よりの証拠だッ!」
そう言って示した先には、魂を抜かれたようにぐったりと地面に伏す主婦の二人。
まるで、己の意思を奪われたかのように…
その原因を、男が問い詰める。
「このポインセチア…人格改造装置だろ?!」
「…」
少女は、薄く笑むのみ。
ジャスティイエローは、手にした鉢植えのポインセチアをぐっ、と握り、そのまま上へと引き抜いた―!
「!…やっぱり!」
目を見張る。
そのポインセチアは、葉や花こそ普通のポインセチアそのものだった。
だが…
「これが『答え』だあッ!」
突きつける。
そのポインセチアを。
…根が怪しげな機械で造られているポインセチアを!
「この装置で、みんなを改造しようってんだな!」
「…ふん、そうよ!」
男の詰問に、少女が吐き捨てるように答えた。
「このポインセチア型ブレインウォッシャーで、このスーパーに来る人間をみんな愛に満ち溢れる人に変えるつもりだったのに…!」
悔しげに息をつき、冷たい視線を男に投げる。
「まさか、こんなに早く感づかれるなんてね!」
「ふん、お前の手首についてる、その石がよ…」
ジャスティイエローは、その冷たい視線を真っ向から受け止め…同様の冷たさで対抗する。
黒い指が、少女の手首を指し示す。
乳白色の宝石が光る、銀細工の腕輪を。
そして…手首を翻し、己の石を示し、叫ぶ。
「俺のこの石に教えてくれるのさ、この『苦悩のトパーズ』にな!」
「…汚らわしい、『ジャスティジュエル』!」
しゃらん、と、彼女の腕輪が鳴る。
「いいわ、相手してあげようじゃない!」
その白い宝石が、光を増したような気がした―
「この『博愛のムーンストーン』、エリュシオンのリーベがお相手するわ!」
「うるせえ!早く帰れ!」
リーベと名乗った少女の目が、険しく光る。
素早く右手が空を斬る。
ムーンストーンが描く軌跡が、白く輝く光線となり…それは、白鋼の弓矢へと変わる!
「シオンボウッ!」
「…くッ!」
戦いが幕を切る。
少女が叫ぶのと同時に、白き光の矢が彼女の掌の中に生じた!
数本の矢を一挙につがえ、彼女は一挙に打ち放つ!
「リーベアロー・み・だ・れ・う・ちィッ!」
「う、うわ、うわわわわわッ?!」
光の矢はびょうびょうと音を立て、黒衣の男に降り注ぐ!
地面に転がり、初撃を辛くも避けたジャスティイエロー…
同時に、がしゃがしゃばりーん、と派手な音が鳴り渡る。
リーベの放った光の矢が、店のショウウィンドウをもれなく砕いたのだ。
きらきらと輝くガラスの破片が、しゃらしゃらと涼しげな音を立てて地面へと落ちていく。
「うおーお前何てことしやがんだよッ?!」
「うっるさぁ〜いっ!くらえ〜ッ!」
ジャスティイエローの非難にも応じることなく、リーベは次の矢群をつがえる―まさしく、矢継ぎ早に!
そして放たれる二撃…
その軌跡は、まっすぐジャスティイエローに向かう!
「う…アースシールドッ!」
「…!」
だが、その矢じりが彼を捉える前に…光の矢は、すべて折れはじかれた。
見ると、ジャスティイエローが両手を前に突き出し、魔力を放っている…
トパーズの色に染まったその魔力の塊は、まさしく盾となって彼を守っているのだ!
「ふひ〜…間一髪!」
「くうッ、まだ、まだ、まだ、まだあッ!」
ほっとするジャスティイエロー、なおも猛るリーベ。
質より量とばかりに、リーベは幾度も幾度も矢を放つ。
しかし、その全てはアースシールドに阻まれ、ばらばらと地面に落ちていくのみ…!
完全防御の盾に、ジャスティイエローはご機嫌だ。
「へっへ〜ん、いくらやっても無駄で…」
とは言え…
その防御力にも、限界がある、ということだろうか。
調子に乗ったジャスティイエローの目の前で、幾度もの攻撃を受けたアースシールドにひびが入り、
それに彼が気づいた、次の瞬間!
「…すぅ〜〜〜〜〜〜〜〜?!」
ばりばりがきーんっ!と、これまたド派手な音を立てて、すさまじい勢いでアースシールドは飛び散った!
四方八方に飛び散る魔力の破片にあおられ、そこらじゅうに砂煙が上がり―
「ぎゃふッ!」
すっ飛ばされた術者が、もんどりうって顔面から地面に転がった。
その様を見ていたリーベが、きゃらきゃらと意地悪そうに高笑う。
「おーっほっほっほっほっ!無様、無様、ぶっざま〜〜〜〜ッ!」
「う、うぎぎぎぎ…!」
歯噛みするジャスティイエロー。
すぐ立ち上がり、応戦しようとする…
しかし、その時。
彼は、そのまま地面に力なく伏した。突然に。
「あらあら?…もう、終わりなの?」
動かなくなったジャスティイエローに、勝利を確信したか…リーベが、ポインセチアを手に近寄ってきた。
「そう…それなら、あなたもこのポインセチアで、こころやさしい人間に変えてあげるわ」
「…」
しかし、彼はぴくりとも答えない。
気を失ったと見たリーベは、なおさらに勝ち誇った表情で歩み寄ってくる。
「うふふ…」
「…」
そして。
静かに、彼の元に、そのポインセチアを近づけ―
「さあ…!」
ようとした、その時!
「!」
突如、伏して動かぬジャスティイエローの影が―動いた!
「…えッ?!」
「来い!ジャスティスピアーッ!」
唐突に目の前から消えたジャスティイエロー、意表を突かれたリーベの顔に困惑とショックが浮かぶ、その彼女の耳に響くジャスティイエローの声、その声のほうに視線を泳がす、左、右、後ろ、前、いや―
「あ、ああッ!」
上…だ!
シオンボウを再び構えるが、時すでに遅し。
「行くぜ、ひっさぁつ!」
太陽の光の中、大きく振りかぶって、その槍を振り下ろす―
すなわち!
「スピアーラッシュ・ジャスティーーーースッ!」
「う、うわあああーーーーーーーーーーーーーッッ!!」
無数の槍撃!
あわててシオンボウで防ごうとするが、完全に不意を突かれたリーベに勝ち目はもはや無い―
がきいん、と甲高い音がして、シオンボウが跳ね飛ぶ。
武器を奪われたリーベの喉元に、ぴたり、とジャスティスピアーの槍先が当てられた。
「く、くうう…!」
「まだやるのかよ、とっとと帰れッ!」
じわり、と、大きな蒼い瞳に涙が浮かぶ。
ジャスティイエローの顔を悔しげに睨みつけ、ぶるぶる震えながら…
負け惜しみか、最後に彼女はこう言いまくった。
「ん、んもう!馬鹿ッ、間抜けッ、ジャスティイエローのアホーッ!」
「アホ言うなッ!」
「うあーーーーーーーんッ、シスターーーーーーーッ!!」
負けを悟ったのか、リーベは泣きながら突然走り去っていく。
あっという間にその姿は小さくなっていき、そして…捨て台詞だけを残して、何処かへと消えてしまった。
「…ふう」
敵の逃亡を見送り、勝利に安堵するジャスティイエロー。
…と。
「!…そうだ!」
はっとなった彼は、すぐに地面に伏した二人に駆け寄った。
そのうちの一人を抱きかかえ、揺さぶりながら安否を確かめる。
「オバチャン、オバチャン、大丈夫か?!」
「…」
「オバチャン!しっかりッ!」
「…う、う〜ん」
何度も揺さぶり、大きな声で呼びかけると…果たせるかな、彼女は気を取り戻したようだ。
ゆっくりとまぶたを開き、何回か瞬きをする…
「!…オバチャン!大丈夫?!」
「…!」
が。
彼女の視界がはっきりとしたその瞬間。
眼前に飛び込んできた男の姿を見るなり。
「いや〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
「…ッ?!」
おばちゃん特有の絶叫が、ジャスティイエローの鼓膜を貫いた。
思わずのけぞってしまう彼に、なおも主婦の追い討ちが重なる。
「何やの、何やのアンタ!何、一体何やねんな?!」
「え、あの、」
が…状況を説明する前に、こう決め付けられた。
もう一人の主婦にすばやく駆け寄り、抱き起こしながら…
なんと言うことか、彼女は…この恩人に対してこう言い放ったのだ!
「!…サトウさん!しっかり!変態やで、変態ーーーーッ!」
「え、えええッ?!」
「な、何や…?!う、うひょあーーーーーーーーッ!!」
もう一人の主婦も、覚醒して彼の姿を見るなり、狂乱。
おばちゃんのやかましい絶叫が、スーパーエイダーきたつか店前にこだました。
「へ、変態やで!逃げな!はよ逃げなッ!」
「だだだだ誰かー!誰かーーーーーーーッ!!」
「え、ちょ、ちょっと!ちょっと待ってよ、オバチャ…」
しかし、混乱しているのは彼女たちだけではない。
誤解されてしまったジャスティイエロー、何とか理解してもらおうと説明しようとするのだが…
さらに、追い討ち。
「う、うわああーーーーーーーッ!なんじゃこりゃーーーーッ?!」
野太い男の絶叫が、ジャスティイエローの背後から響き渡る。
「あ…」
振り返ると、そこにはエプロンをした男…
どうやらこのスーパーの店長のようだ。
バリバリに割れ砕けたショウウィンドウのガラスを前に、顔面蒼白だ。
と、ジャスティイエローのほうに、ぎっ、と視線を向け。
「!…お、お前かあッ、これやったの!」
こともあろうに、こう怒鳴りつけた!
「ち、違います!俺じゃない、俺じゃないッすッ!」
「言い訳すんなあッ!このガラス特注なんだぞ、どうしてくれるんじゃいッ!」
ジャスティイエローが懸命に否定するが、状況はどう見たって彼に不利だ。
恐怖と驚愕の目で男を見つめ、がくがく震えている主婦二人。
男の右手には、どう考えても「凶器」としか思えない槍。
それに加えて、全身を包むスーツに怪しいマスクで顔も見えず…
もう、どうひいき目に見たとしても、彼が犯人にしか思えなかった。
「あ、あああわわわ…」
泡を喰うジャスティイエロー。
周りを落ち着きなく見回しても、誰も助けてくれる人はなく…
つうっ、と、背中にいやな汗が伝っていった。
「ご…」
こもった声が、マスクの下から漏れる。
と、次の瞬間!
「ごめんなさいいいーーーーーーーーーッッ!!」
「?!…ま、待てやこらーーーーーーーッッ!!」
絶叫と同時に、ジャスティイエローは脱兎のごとく逃げ出した。
その背中めがけて、スーパー店長の怒号が叩きつけられる…
ガラスを割った(と思われる)犯人を捕らえるべく、ダッシュする店長。
後ろすら振り返らずに、ジャスティイエローは必死で逃げる、逃げる、逃げる…
どたばたと大地を揺らすやかましい足音が過ぎ去ると、そこには…ぽかあんと立ち尽くす二人の主婦のみが残された。
怪しい黒スーツの男、それを追いかける店長の小さくなっていく後姿を見送りながら。


「…っはあ、はあ、はあ、ッ」
走って、走って、走って、走って。
幾つもの通りを駆け抜け、幾つもの角を曲がって逃げまくる。
通り過ぎる人たちが、自分の姿を見て驚いているのがわかる。
けれど、そんなことに今はかまってられない。
とにかく走って、走って、走って、走って…
やがて、人通りの少ない商店街の路地に差し掛かり、すぐさま彼は細い細い裏道に飛び込んだ。
そこでしばし息を整える…
角から首を出し、そっと様子を伺ってみる。
…そこには、追いかけてきた店長の姿はもうない。
どうやら、無事に逃げ切れることができたようだ…
それを確信して、ようやく彼にも安堵の気持ちがわいてきた。
―すると、彼の全身をほのかな暗い光が包み込む。
その光は鈍く輝き、彼の頭からつま先までをくるみこむ。
そして、その光がゆっくりうせていくと…そこには、黒スーツの男はもういなかった。
立っているのは、学生服を着た高校生らしき少年。
短く刈られた髪に、軽く日焼けした肌。
快活に笑えば、かなり魅力的に映るだろう容貌だが…如何せん、今の彼にはそんな余裕はなかった。
「ふう…」
大きく深呼吸して、荒々しい動悸を少しでも抑えようとする少年。
2、3回息をつくと、だいぶ呼吸も穏やかになってきたが…
「う…」
その分。
今度は、不覚にも…じわり、と涙が目尻ににじんできてしまう。
「お、俺じゃないのに…俺、いいことしたのに…」
今しがた自分の身に降りかかった不幸に、理不尽な不幸に唇を噛む。
吐き出された言葉は、どうしようもないやるせなさに満ち溢れている…
「何で、俺のほうがいっつも責められるんだよぉ…?!」
そして、彼はまた重苦しい台詞を口にする。苦悩にあふれた台詞を。


すると。
彼の右手の甲に在る、深い黄金色をたたえた宝石が―
ぎらり、と、その輝きを少し増したのだ。