ドイツ語アルファベットで30のお題
〜「流浪の吟遊詩人」編〜


ドイツ語アルファベットで30のお題〜「流浪の吟遊詩人」編〜
N die Niederlage 敗北・敗戦
"ハチのムサシは死んだのさ"
平田隆夫とセルスターズ


ムサシは、偏屈な奴だった。
ムサシは、意固地な奴だった。
ムサシは、奇体な奴だった。

矮小な蜂の身にありながら、その思念は壮大。
折に触れて吹くその大言壮語に、周りの者達は苦笑と憫笑を誘われずにはおられなかった。
しかしながら、それがとうとう大言壮語を飛び越えて妄想の類になった時に、
ムサシがその弱々しげな脚で指し示した怨敵は…天空に舞い上がる、太陽そのものだった。

あの日輪の巨大さを見ろ。
神々しく或いは禍々しく燃え盛るあの火の輪を見ろ。
視神経を焦熱する白光、羽を溶解させる熱波。
そして何よりも、我が物顔に空を支配している、あの倣岸さを見ろ。
私はそれが気に入らぬ。
天高くより、弱小たる者を見下すような、その目つきが気に入らぬ。
私は、奴に思い知らせたい。
願わくば、極限まで尖らせた我が針が奴の皮膚を一裂きでもせんことを―

向こう見ずにもほどがある。
仲間の蜂たちは、皆笑った。
何と言う馬鹿者なのだお前は、大池に突っ込んで頭でも冷やすがいい…と。
しかし、ある日突然。
ムサシは、唐突にその手前勝手な戦に打ち出でたのだ。
太陽めがけてその剣たる針をいきらせ。
戦いを挑んでいったのだ、
必敗たる戦いを挑んで死んだのだ。

燃える太陽は、灼熱の天球。
その羽が焼け落ちていく音を、ムサシは聞いたのだろうか。
だがムサシは真っ直ぐに、真っ直ぐに太陽に突き進んでいく。
加速度的に増していく熱は、やがてムサシの身体を突き抜け、ムサシのいのちを突き抜け、
ムサシの魂をも突き抜けた―
ムサシの身体は、燃え尽きながら砕け散った。
畑の陽だまり、土の上に、
ぱとり、ぽとり、と、ムサシだったモノのかけらが散る。
黒焦げのそれは、最早生きていたころの影すらなく。
その様を見た仲間達は震え上がった。
そして、なおさらに太陽への畏怖と恐怖を新たにする―

だが。
不思議なことに。
ムサシが逝ってからも、時折―
太陽に自ら飛び込んでいく愚か者が、時折現れるようになったのだ。
恋焦がれるがごとく、憎しみに己を燃やし、
あの強大な天日に突っ込んでいくのだ。
天球の支配者に戦いを挑む、そのように馬鹿げた行動が実を結ぶはずなく、
彼女達は皆、ひとりまたひとり地に堕ちて行く―

そして、
またひとりのムサシが焼け堕ちて。

後には、風にさわさわ麦の穂が揺れているだけ。
きらきら、きらきら、きらきらと―

(2010/1/1)