ドイツ語アルファベットで30のお題
〜マジンガー三悪編〜


"O"--der Orden(勲章)

「う…うぐうううううううううううううッッ!」
喉が焼かれる。熱く、激しい呼吸が私の喉を焼く。
うめき声をあげるだけで、頭をがんがん響く痛みが貫いていく―
だが、それでも私は叫ぶことを止められない。
この内腑をえぐり去るかのような激痛…叫んで少しでも外に吐き出さなければ、精神ごと身体が壊れてしまいそうだ。
「う…ぎ、あっ、ああああッ…」
「奥様、空気を吸ってくださいまし。そうしなければ、赤子が死んでしまいまする」
しかし、その程度の自己防御すら、今の私には許されなかった。
のたうち、苦痛の声をあげる私を、産婆が静かな声でとどめた。
「…っ、はっ、はっ、…っ」
産婆の一言は残酷ながら、私に大切なことを思い起こさせた。
私は随分無理をして、息をしようと努めた。
深呼吸など望むべくもない、痛みの合間を縫って、まるで盗むかのように、短く短く息を吐き、吸う。
しかし、すぐさま私を襲う、地獄のような激痛。
痛みに全身は強張る。急激に視界が丸く広がる―思わず、私は力いっぱい目を見開いていた。
その中で、私の両脇を抱えるようにして支えている産婆たちが、私の顔を覗き込んで口をぱくぱくさせていた。
何かを言っているんだろう、と思う。だが、何も聞こえない。
あまりに痛みが激しいせいか、それとも己の絶叫のせいか…ともかく、私は聴覚までおかしくなってしまったのかもしれない。
ああ、わかっている。呼吸をしろというのだろう。叫ぶなというのだろう。
そうしないと、子どもによくないのだろう。
朦朧としてきた意識の中で、私は幾度も幾度も繰り返された彼女たちの叱咤を聞いている。
しかし、それに従い、懸命に呼吸しようとするその中で…間断なく続くこの責め苦に疲れ果てた私の意識は、またそぞろ浮遊し始める。
…何故、こんなに苦しいのだろう。
今まで人間が、女が…絶えることなく続けてきた、自然な営みではないか。
にもかかわらず、何故こんなに私は苦しい?
これは罰か?…何に対しての?
それとも、神の与えたもうた試練…?
試練だというのか、この子を、この世界に送り出すことが?
いのちがこの身に宿ったことを知ってから、もう半年以上も経つ。
はじめは信じられなかったが、そのうち…宿った新たなる生命は、脈動というかたちで私に伝えてきた。
己の存在を。己の生命を。
そして、私に対しては、「母親」になるという覚悟を。
それからずっと、私はこの子とともに生きてきた。
いつも抱きかかえ、いとおしみ、愛で…そうして、生きてきたはずなのに。
にもかかわらず、何故…?
何故、お前は私から離れようとするのだ?
このままでいいではないか。このままで。
そうすれば、私はずっとお前を抱いていてあげる。
お前を養い、私の中で愛してあげる。
それでは不満なのか?
お前は、そんなにこの世界が欲しいのか?
お前の母の中の世界は、お前の望むこの世界などより、もっと―
「…〜〜ッッ!!」
連綿と続く無意味な独白は、強烈な閃光によって断ち切られた。
全身を砕く衝撃に、びくん、とはねる身体を、産婆たちが無理やり抑える。
自らの意思に反して暴れる自分の肉体を制御できないまま…私は、必死で息をする。
呼吸の合間で、無数の思考がひらめく。矛盾だらけの雑多な思いが、脳裏でひらめく―




…もう、いいではないか。
あきらめなさい。
抱いていてあげるから。護ってあげるから。いつも、いっしょにいてあげるから。
助けてよ、エンデュミオン、この子が、この子が、私から去っていくんだ。
助けてよ、この子が、私を、捨てようとする。
抱いていてあげるって言うのに、守ってあげるって言うのに、いつもいっしょにいてあげるって言うのに。
ああでもお前は何も出来ないエンデュミオンお前は私を助けられない
この部屋のドアの向こう―ただ、待っていることしか出来ない私の夫
助けて逃がさない待って許さないいかないで渡さないここにいてお願い
おかあさんがこんなに言っているのにおかあさんがこんなに頼んでいるのにおかあさんがこんなにお前を愛しているのに




お前は こんな反乱まで 起こして それでも 生まれたい のか?




「…!」
その途端だった。
今まで私をさいなんでいた全ての苦痛が…雪が太陽の光によって溶けてなくなるかのように、すうっ、と消え失せてしまった。
そして、いくばくかの空白。
その空気を奮わせる、弱々しくもこころを奮わせる泣き声―
それは、勝利の雄たけびのようであり、絶叫して詫びる謝罪のようでもあり、天からふりおろされる裁きの声のようでもあった。
「奥様…!」
「おめでとうございます、…元気な女の子ですよ」
産婆たちがささやく。
一人は全身脱力した私をそっと支えながら、もう一人は何かを湯につかわせ、うれしげに洗いながら。
その光景を、かすんだ瞳で呆けたように見つめながら…私は、何も言えぬままでいた。
赤子の鳴き声が、私の鼓膜を揺らがせる。
その音の中で、私は何も言えぬままでいる…
産婆が、私にそっと差し出した。
白い布にくるまれたあたたかなそれを受け取るべく、私は何とか両腕を動かす。
伸ばされた両腕に、そっと託された、小さいもの…
そのあたたかさだけが、やけに強く感じられた。
赤子の鳴き声が、私の鼓膜を揺らがせる。
血と羊水で濡れたそれは主張する。己の存在を、己の生命を、私が「母親」となったという覚悟を。
それは、高らかな勝利宣言だった。
「…はは、ッ」
ため息みたいな笑いが、勝手に口からこぼれでた。
…エンデュミオン。
こころの中で、私は夫に向かってつぶやいた。
私は、負けたよ…この無敵の姫将軍・ラオダメイアは負けたのだ。
必敗の戦など、するものではないな。
だが、何としたことだ…何故か、無性にすがすがしい。
この、あたたかな、小さいもの。
この子に、私は負けたのだ…
泣き喚く我が子を…そう、この子は既に私の身体の一部ではないのだ…私は、そっと胸に押し付けてみる。
人形のような小さな手が、私の胸にさぐるようにくいこむ…対抗する爪もないくせに。
…よかろう、今回はお前の勝ちだ、我が娘よ。
まだ言葉すら聞かないだろう我が子に、私は胸のうちだけで呼びかけた。




今回は、お前は私の中から上手く逃げおおせた…だがな。




我知らず、私は微笑んでいた。
きっとそれが、母親の微笑みと呼ばれるものになるのだろう…








だがな、我が娘よ。
私は、容易にお前を離しはしないぞ。
私が、お前を抱いていてやる。護ってやる。いつもいっしょにいてやる。
こんな立派な「勲章」を、誰が手放すものか―
悪いが、覚悟をするんだな。
お前の母は、随分とさみしがり屋なのだよ。









マジンガー三悪ショートストーリーズ・"The invincible Couple(「無敵の二人」)"より。
その後の物語、これはその一つ。