ドッキドキ!ドクター・ヘルの羅武理偉(ラブリィ)三国志珍道中☆ (4)
「たのもー、たのもーう!」
朝。
己が主君、ドクター・ヘルの居に足を向けた副将・夏圏使いのアシュラ男爵は、その家の戸の前で人影を見た。
「…?!」
何やら大声で呼ばわりながら、どんどんと戸を叩いている…
それは紫の衣をまとったすらりとした少女で、どうやらヘルに用がある模様だが…
アシュラは、少し惑ったが、彼女に声をかけてみることにした。
「あの、この家に何か…」
「おっ、あんた、ここん家の人かい?」
すると、呼びかけられたことに驚いた風な顔をしながら、少女が振り返る。
短く切りそろえられた髪が頭にかぶった帽子から軽やかに踊る。
「あっ、はい…私、この家の主にお仕えしています、アシュラ男爵と申します」
「おう、そうかよ」
結構にぞんざいな言葉遣いでそう応じる少女は、見れば自分と同じくらいの年代のようだ。
にやり、とこちらに笑んでみせる蒼い瞳の奥に、幾分かの子供っぽさが浮かぶ。
「アタシはブロッケン伯爵。そういやあんたの顔も見覚えあるな。
…アタシのこと、覚えてるかい?」
「…?」
すると、意外なことに…彼女はそんなことを言ってくる。
自分を覚えているか、と問い掛けられ、アシュラは首をひねる…
「…」
首をひねる…
ひねる…
…そして。
「…あ、あっ!」
「思い出したかよ?」
ぱちり、と記憶が思い浮かんだのか、アシュラ男爵の顔に明るい輝き。
そう思い起こしてから改めて彼女の顔を見れば、確かにそうだ…
彼女とは会ったことがある、確かに。
「あの時の…」
それは数日前だったか、戦場にて。
一人の妖杖使いの少女が、ヘルたちに挑んできたことがあった。
ヘルの振るう夏圏が、彼女を軽く一蹴したのだが…
「そう、あん時アタシを負かしたあの男。あいつの部下にしてもらおうと思ってね。
こうして探してやってきた…ってわけだ」
「はあ…」
己が得物である妖杖を背負った少女は、そう言ってまた不敵に笑う。
どうやら部下志願のようだが…
「で、あいつはここにいるんだよな?」
「ええ、そうですが…」
「じゃ、ちょっくらあがらしてもらうぜ!」
「あ、あの、あの!」
止める間もなく、ブロッケン伯爵はさっさと木戸に手をかけた。
まごつくアシュラにかまうことなく、彼女は思い切り力を込めてそれを横に引く…
「たのもーう!」
がらっ、と、勢いよく戸が滑り開く。
…が。
そこからは、何の返答もない。
開いた入り口から入るまぶしい日の光が、薄暗い室内に射し込んでいくだけ。
「…」
「…?」
いぶかしむブロッケンが、一歩その中に入り込む。
遅れて、アシュラもそれに習う。
しん、とした家の中。動く物の気配は、感じられない。
と―
少女たちの耳に、規則的な呼吸音が聞こえる。
寝台に目をやれば…そこには、寝具をかぶって寝ている銀髪の偉丈夫の姿があった。
この家の主、そしてアシュラ男爵の主君、ドクター・ヘルだ。
歩み寄れば、ぎし、と、安普請の床が音を鳴らす。
その音にもまったく反応しない。
その上、突然の闖入者があるにもかかわらず、静かな寝息が乱れる様子もない。
穏やかな寝顔はいささかなりとも崩れるふうもあらず、その深緑の瞳は閉ざされたまま。
…どうやら、彼はいまだに本格的な眠りの中にいるようだ。
ブロッケン伯爵と名乗った少女が、いくらか苦々しげな表情で、小さく舌打ちする。
「…んだよ、せっかく人が訪ねてくりゃあ、まだ寝てやがるってか」
「へ、ヘル様!ドクター・ヘル様!」
憮然とした客人の表情にうろたえるアシュラ男爵、急いで彼を起こそうと寝台に駆け寄る。
ゆさゆさと揺さぶり、やや強めの声で呼びかける。
「ん…」
「あ、あの!ご来客が!起きて下さい!」
「…」
アシュラの呼び声にいったんは反応したものの、くぐもった声らしきものを漏らしたきり、ドクター・ヘルはまた瞳を閉じて動きを止めてしまう。
まだ浅い夢の中にでもいるのか、再び眠りに落ちていかんと…
「ヘル様!ヘル様!」
「…うるさい」
言い返す声も、かすかで不愉快げ。
どうやらドクター・ヘルは、低血圧気味で朝は苦手のようだ。
「ヘル様!お眠いとは存じますが、お客様なのですから!ほら頑張って」
「わ…かった、わかったから!」
わあわあと言い立て主を急かすアシュラに、ただでさえ寝起きの弱いらしいヘルは顔をしかめながらうなずいた。
そして、弛緩しきった身体に無理やり力を入れ、何とか寝台から身を起こす。
「まったく…朝っぱらから、うるさい奴だ」
はさり、と、衣擦れの音とともに、身にかけていた寝具が落ちる。
ぶつくさ言いながら、ゆっくりと首を回し、彼は大きく背伸びした―
『?!』
が。
少女たちの目が点になる、
次にその顔が真っ赤に変わる、
その視線の先は、「一点」に集中していて、
「き…」
アシュラの驚きに大きく開いた口からほとばしるのは…
「きいいやあああああああああああああああッッ!!」
絹を裂くような乙女の悲鳴だった。
鼓膜をつんざく衝撃波に、さしもの寝惚けたヘルの頭にも、多少は正気が戻ったようだ。
「…〜〜ッッ?!や、やかましいわ、朝から叫ぶな…!」
「な、なんで、なんで、なんれ、」
ヘルの弱々しい抗議など、動転の局地にいるアシュラには聞こえない。
驚きのあまり、ろれつもろくに回らない。
ぶるぶると震える指で「その一点」を指し示し。
声の限りに彼女は糾弾する―
「ななななんれへへへへるさま、はははだはだかなななんですかッ?!」
「?…ああ、」
乙女の非難を、平然と受け流して。
窓から射しこみきらきらと輝く、朝の清らかな光に全身(本当にもう全身余すところ無く)さらして。
鍛え上げられた、均整の取れた戦士の美しい肉体…と言えば聞こえはいいが、状況からしたら何処からどう見ても変態である。
さわやかな笑顔を浮かべ、その彼が言うことには…
「…俺は、寝る時…詩屋音流(しやねる)の五番しか身につけないことにしておるのだ」
「古い!ネタが古ぅぅぅぅぅぅいッッ!!」
アシュラのツッコミを兼ねたわめき声が、朝の清廉な空気を乱暴に引きちぎった。
…と、思い切り絶叫したその次の瞬間、彼女は客人がいたことを思い出し、ぎくり、となる。
主君のあまりにお見苦しいモノ…じゃない、姿を、客人が…しかもこれから彼の配下として働くべく遠路はるばるやってきてくれた少女が目の当たりにしてしまい、どう思ったことか。
果たせるかな。
呆れた、というよりは、度肝を抜かれてしまったか…
ブロッケン伯爵と名乗った少女は、軽く首をふりながら…半ば、ため息みたいにこうつぶやいた(もちろん、明らかにあられもない格好のヘルから目をそらしていることは言うまでもない)。
「…うっわ、変態かよ…しくったかもしれねぇ」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいね?!いいいままともな格好させますから!」
慌ててその場を取り繕おうとするアシュラ。
こちらは泡を相当に喰いながらも(慣れもあるのか)何とかこの気まずい雰囲気を変えるべく、主君を激しくせっつきはじめる。
「ほらヘル様!とっとと服着て準備してください!お客様に失礼でしょう?!」
「本当にやかましいな、アシュラは…」
何とか主の「その一点」から目線をはずすようにしながら、それでもヘルにいつもの装束を身に着けるよう追い立てるアシュラ。
その勢いに押されたか、ヘルもぶつくさ言いながらも、不承不承服飾箪笥を開く。
「ああわかったわかった、衣装を身に着ければいいのだろう…」
そして、その中からいつも使っている、翠鮮やかな孔雀の羽で出来た冠、孔雀羽冠(くじゃくうかん)をその銀色の髪が飾る頭にはめ…
「…よし!」
「『…よし!』じゃあないいいいいいいいッッ!」
真っ裸(まっぱ)に孔雀の羽頭だけ身に着けて、やたら満足そうなヘルの顔。
それが余計に癇に障ったアシュラの声も限りの絶叫は、木の壁も扉も貫いてご近所中に鳴り渡った。
「そんな、そんなものよりも!とっとと下はいてそのぷらぷらさせてるものを一刻も早くしまうべきでしょうがああああ!」
「な、何を!尊い男子の象徴を『ぷらぷら』ゆうなぁぁあああ!」
「目障りです目の毒です目に付くんです!あああああああもおおおおおお!!」
怒りといらつきで激しく足を踏み鳴らしながら怒鳴りつけるアシュラ男爵、
その攻撃に、なおも的の外れまくったわけのわからない反論をするドクター・ヘル、
二人のやかましいにも、馬鹿馬鹿しいにも程がある言い争い。
客たる少女は、脇に追いやられたままそれを唖然と見ている…
「ま…」
そして。
次は、ブロッケン伯爵の絶叫が、ご近所中に鳴り渡る。
「マジ、パネエェエエエエェェエエエッッ!!」