ドッキドキ!ドクター・ヘルの羅武理偉(ラブリィ)三国志珍道中☆ (11)






「…洛陽に?」
「そうだ」

「奴の懐に入り込み、何とか誘い出し…可能ならば、奪い去れ」
「それでは、やはり奴を?」
「ああ。我が配下に使えるならば、是非使いたい」
「…」

「では、行け…影よ」
「御意…!」






「ごめんくださぁ〜い」
それは、冬のある日。
紫の装束をまとった女が、戸口に立った。
「!」
扉を開いたブロッケン伯爵の目に飛び込んだのは、美貌の女性。
肩までの流れるような髪を風に遊ばせ、その瞳はまるで濡れたようにうるんでいる。
女の目から見ても、どぎまぎするような…
妖しいまでの美女が、そこに立っていた。
「あ、あんた…?」
「私?私…うふふ、ある殿方を探して、ここに来たの」
鼻にかかった、甘えるような声。
軽く首を傾けるそのしぐさからも、色香を発散しているかのようだ。
「私を倒した、とぉってもたくましくて男らしい殿方…」
そう彼女が言いかけた、その時。
「!…あ」
ブロッケンの肩越しに、彼女は見つけた…
その、お目当ての「殿方」を。
すいっ、と家の中に入り込み、にこり、と彼女が笑いかけたのは…
「…」
部屋の中央に立つ、この家の主。
袁紹軍校尉、ドクター・ヘルである。
「お前は、この間の?」
「ええ、そうよ…?」
どうやら、彼にもその突然の訪問客に見覚えがあったようだ。
微笑み返すその女は、流れ者の桜扇使い…
少し前、戦場にて合間見えた時に倒した女だ。
彼女が今、何故ヘルを訪ねてきたか…
理由は、察することが出来る。
つまりは、そう―志願、だ。
自分を副将として雇ってくれ、と、請い願いに来たのだ。
だが、しかしながら…
彼女の売り込みは、他の者たちとは一線を画していた。
「あなたの攻め方、すごかったわっ!…私のご主人様になってちょうだい?」
「…」
またもやすいっ、と動いたかと思うと、ヘルのそば、本当にそばまで近寄ってきた…
それこそ、ヘルの吐息が顔にかかるくらいの距離まで。
おねだりするようなその口調には、感傷的な響きを乗せて。
濡れた瞳は、じっ、とヘルを捉えて離さない。
長身のヘルを上目遣いで見上げるその姿勢は、彼女の豊満な胸乳を強調する―
「…ちょ、ちょっと!」
闖入者のその行動は、少女にはあまりにも強烈だった。
いらり、とした。
そして…不快だった。
何だか、それがとっても不快だった。
たまらず、ヘルの第一の副将である夏圏使いの少女・アシュラ男爵がヘルに駆け寄り…彼を引っ張って引き離す。
彼女から距離をとったところで、小声で…一生懸命に、彼女が抱いた疑念、懸念を伝えようとする。
「へ、ヘル様…な、何かこの人、アヤシイですよ?」
「アシュラ?」
「何か変にくねくねしてるし!ヘル様に変な目つきしてるし!」
「…」
「ていうかやたらとくっつきすぎですし!何か絶対アヤシイですよッ!」
「…ふむ」
アシュラの訴えを、最後まで聞いて。
くるり、と、ヘルは女桜扇使いに向き直る。
そうして、彼女に言ったことには―


「わかった。お前を俺の副将として取り立てる」
「ちょ、ちょーーーーーーッ?!」



「ななな、何を聞いてたんですかヘル様!私は、この人が…」
「俺は美しい者が好きだ」
「あああああああああああもおおおおおおおおおド阿呆変態お間抜けヘル様のバカバカバカ!」

「アシュラ、もう怒んなよ…アタシは最初からそんな気がしてたぜ」
「で、で、で、でも!!」
「別にいいじゃん、仲間が増えんだぜ?何怒ってるんだよ?」
「…!」

当たり前のことをブロッケンに諭されるも、アシュラの興奮は止む気配が無い。
一体何をそんなに激昂しているのか、目の前で怒りをぶちまけられているブロッケンは戸惑いしきりである。
しかし、彼女のなだめも効果なく。
アシュラ男爵の目の前で、ヘルと妖艶な美女はなおも話を続ける…
「それで、お前…『名前』は?」
「…『名前』?」
くすり、と、女は笑んだ。
それは、何処か自嘲めいた笑い。
「私の、『名前』…?ふふ、名前なんてとうの昔に捨てたわ」
そう告げ、新しい己の主君となった男を、熱っぽい瞳で見つめる。
「あなたが新しい名前を決めて…今、私は生まれ変われるの」
「ほう…わかった」
深緑の瞳が、すっ、と細くなる。
しばしの思慮の末、ドクター・ヘルは口にした…
彼女の、まっさらの「名前」を。
「では―」


「お前の『名前』は、『ヤヌス侯爵』…だ」
「!」


「『ヤヌス侯爵』…ああ、なんて素敵な名前なのっ!
ずっとあなたに尽くすってこの場で『約束』してあげるわ!」
そう言って喜ぶ彼女の頬に、うれしさのあまりか朱が射す。
新たなる副将に、銀髪の男はにこやかに笑いかけた…
と。
「そうか、よろしく頼むぞ!」
「うふん…」
「…」
そうして。
彼女はヘルに拱手し、つ、とそばに寄り。
そっと、ヘルの左腕に両手をやる。
色っぽい、実に色っぽいしぐさで…
まるで、全身で愁波を送っているような、しぐさ。
自然と、彼女の豊かな胸が、装束越しにヘルの腕に押し付けられる。
ヘルもそれにまんざらでもないのか、そんな彼女の姿をじっと熱いまなざしで見ている…(ようにアシュラの目には見えた)
「…〜〜〜〜ッッ!!」
「ど、どうしたんだよ、アシュラ…何をそんなにキレてんだ?」
「キレてなんかいません!私キレてなんかいません!
ヘル様がちょっと美人でおっぱいの大きな人にデレデレしてるのを見ても私ちっともキレてなんかいませんッッ!!」

「ちょ、待て、キレてる状態のお前マジで怖いから!」
「キレてないっていってるじゃないですかあああッ!!」

二人の蚊帳の外、その光景に半ば狂乱するアシュラ。
度を越したアシュラの暴れっぷりに、さすがのブロッケンもお手上げだ。
「暗黒大将軍さん!あんたもちょっとこいつなだめてくれよ!」
「…」
困り果てたブロッケン伯爵、今度はそばに立つ大斧使い・暗黒大将軍に助けを求めるものの。
帰って来たのは―無反応。
…様子が、変だった。
老爺は、不可解な表情をしたまま。
不可解な表情をしたまま、固まっている…
「あ、暗黒大将軍さん…?」
「…」
「…」
再度呼びかけても、揺らがない。
真剣な目で、彼は見ていた。
彼は、女を見ていた…新たにヘルの配下に加わり、「ヤヌス侯爵」となった女を。
銀髪の男に親しげにしなだれかかっている、女を…見ていた。


「…賊退治?」
「ええ、そうなの…ご主人様」
そんな出会いから、だいたい1週間がたったくらいの夜だった。
ヤヌス侯爵が、そんな話を持ち出してきたのは。
「私の友人が住んでいる村に、最近賊が襲ってくるようになったの。
たくさんで激しく攻めて来るものだから、私一人じゃどうしようもなくって…」
「それで、俺にそいつらを駆逐してほしい、と?」
「ええ」
彼女は今まで一人で友の村を蹂躙する賊たちと戦ってきたのだが、多勢に無勢。
やはり助力となるものが必要だと感じていた、と。
それを、新たなる主君となったヘルに求めるつもりのようだ。
瞳を意味ありげにうるませ、うっとりと銀髪の男を見つめながら、彼女は続ける。
「私を倒した時のあの激しさなら、きっと…あの賊どももいちころよ、ねぇ…?」
「だ・か・ら!何でいちいち触るんですかッ、フケツですッ!」

そう言いながら、まるで自分の情人にするかのように、意味ありげに右手をヘルの腕に這わせるヤヌス。
アシュラがそれを必死で払うも、彼女は全然それを聞いてはいない。
「ねえ、お願い…
私も一緒に行ってお手伝いするわ、だから私の友達をた・す・け・て…?」
「…別に、断る理由もないな。賊の討伐など、軽い仕事だ」
「!…それじゃ!」
何にせよ、賊が暗躍しているとなれば聞き捨てならぬ。
ヘルの快諾に、ぱあっ、と、ヤヌスの表情に喜びの色がさす(同時にアシュラの表情にはどす黒い何かがさした)
「よかろう。それでは、明朝に出発しよう。ヤヌス、お前が道案内を…」
「わ、私も!私も行きますッ!」
間髪いれず。
ヤヌスよりも速く返答返し、勢い良く手を挙げたのは、顔を真っ赤にしたアシュラ男爵だった。
突然話に割り行って来た彼女に困惑気味のヘルが優しくいさめるも…
「アシュラ?…だが、別にお前まで来ずとも」
「いいんですッ!最近全然お供してないですから!かまわないでしょ?!ねえヘル様!」
「あ、ああ、俺はかまわんが…」
その叩きつけるような勢いのまま、結局彼も押し切ってしまった。
…が。
お邪魔虫(?)が一人増えたとしても、彼女には関係ないらしい。
「あはっ、うれしい…!」
眉目秀麗たるその顔を、柔和な笑顔に変えて。
ヤヌス侯爵は、甘ったるい声でそうつぶやき、目を細め。
そして、うれしげに微笑む…
「それじゃ、三人で…仲良く、行きましょ?」
「…ッ!」
それは、余裕たっぷりの不敵な笑い…のように、アシュラには見えた。
若き夏圏使いは、そんな気に喰わない新入りに幼い対抗心を燃やす。
ヤヌス侯爵を愛らしい怒り顔でにらみ返し、懸命に無い胸を張って見せるのだった。


「それでは、行ってくる!」
「ああ、ブッチギッてきな!」
「…それでは、ご武運を」
「いってきまーす!」
次の日、朝早く。
馬を並べて出立するヘル、アシュラ、そしてヤヌス侯爵を、ブロッケン伯爵と暗黒大将軍は見送った。
…しかし。
「…」
暗黒大将軍は、やはり難しげな顔をしたままでいた。
何か胸中に抱くものがあるのか、何か釈然とせぬものがあるのか…
彼の目は、依然として新参の桜扇使い・ヤヌス侯爵に注がれたまま。
少しずつ小さくなっていくその姿を、彼は見やったまま―

「…」
「…!」
―と。
その視線を感じたか、ヤヌス侯爵が振り向いた。
馬の歩みを止めないままに。
彼女の目線が、暗黒大将軍のそれとかち合った―
「…うふっ、」
甘い声。
だが、その何処かに、それ以外の何かを込めて。
二人を見やり、ヤヌス侯爵はささやくように言った―
こう、最後に。
「じゃあ、ね…!」
やわらかく微笑した、その美しい彼女の瞳の中に。
暗黒大将軍は、見た。
その両の瞳の中に。
かすかに揺らぐ、それを…

「…」
「やぁれやれ、アシュラの奴もわけわかんねぇなあ。何だって…」
「…」
「ん?どした、暗黒大将軍さん?」
「…いえ、」
大斧使いの老爺は、無言のまま三人の背中を見送っている…
ブロッケン伯爵に声をかけられ、その面を向ける、が。
…その表情は、暗かった。
「私の杞憂であればよいのですが」
「何が?」
「…あの、桜扇使い…」
「…?」
しかし、その言葉の先は口にせずに。
彼はただ、三人の背中を見送っている、いや―
あの桜扇使いを、見ていた。


馬を進めること、数時間。
野を越え、川を越え。
思った以上の長い道のり。
道すがら、その村がどの辺りにあるのか、何度もヘルは聞くのだが。
ヤヌス侯爵は、笑ってそれを流すだけ。
そう。
結局は。


彼女は、
それについて言わなかった。
一言も、言わなかったのだ。


…そして。
馬のひづめが、じゃり、と、音を立て。
その歩みを止めたのは―
「…さあ、ついたわ?」
「?」
都・洛陽から遥か離れた原野の片隅、ひとつの村。
ヤヌスの友が住むという村…
の、はずなのだが。
確かに、いくつかの民家は点在しているものの。
しかしそこに人気はない―
洗濯物がそよいでいるわけでもなく、炊事の煙が上がっているわけでもなく、
人っ子一人、彼らの前に広がる視界には…ない。
ただ、そこには、びゅうびゅうと風が吹いているだけ。
それは、「置き去られた」と表現するのがぴったりくるような光景。
「おい、ヤヌス侯爵。…ここは、廃村のようだが?」
「ま、まさか、もう賊にやられちゃったとか?!」
「いいえ?」
が。
いぶかしむ二人の言葉に。
美しき桜扇使いは、何故かあっさりとそう言った。
そう言って、否定した。
ひらり、と馬から降り…あのなまめかしい瞳で、二人を見返す。
赤い唇が、ため息とともに吐き出した…
「…?」
「だぁって、ひとに見られちゃまずいんですもの…
まだ、ここは袁紹軍の勢力範囲内ですもん」
「な…ッ?!」
「うふ、だから…人目につかないところじゃあないと」
さらり、と、言ってのけた。
突拍子もないことを。
「ここは袁紹軍の勢力範囲内」だから、「ひとに見られちゃまずい」。
あまりに唐突過ぎて、ヘルもアシュラもその論理のつながりを追いきれなかった。
ただ、驚愕にこわばった唇が、意味のない台詞をつむぐだけ―!
「ヤヌス侯爵、あ、あなた…ッ?!」
妖艶なる桜扇使いは、にこり、と笑んだ。
麗しく艶やかで、そして、
酷薄なる笑み―!


「―かかれッ!!」


「?!」
ヤヌス侯爵の雄叫びとともに、動いた―
ざわり、と周りの空気が蠢いた次の瞬間、
二人に向かって飛び掛ってくる…
たくさんの雑兵たちが!
ヘルとアシュラは即座に馬を飛び降り、己の夏圏を構える!
「な、何ッ…?!」
「アシュラ!集中しろ!とにかく応戦だ!」
「は、はい!」
面喰らって混乱のきわみにあるアシュラを叱咤しながらも、ヘルもまた動揺していた。
誘い込まれ、何の目的かはわからぬが襲撃を受けている…
あの、桜扇使いの手によって!
そのことにはらわたは煮えくり返るが、ともかく今はこやつらを蹴散らさねば!
「はあああああっ!」
「う、ぎゃあああっ?!」
「うわーーーーーっ!」
投擲した円月圏が、ヘルに群がる男どもを吹き飛ばす…!
その戦いのさなか、それでもヘルは冷静に敵の動きを見抜いていた。
(この動き…相当に訓練されている?!)
ひとりが動けば、他の者がその刺客をかばうように動き。
ひとりが倒されれば、間髪いれず第二陣が切りかかってくる…
(賊などではない、こいつらは…ッ!)
盗賊風情がここまでに連携できるものだろうか、いや―
そうだ、単なる荒くれものの集まりにしては、整然としすぎているのだ!
彼の推測が導き出す、彼らの正体を。
しかし、そんな間隙など…無い!
何故ならば彼の思考を容赦なくひきちぎっていくものがあったからだ、
それは―


「きゃああああ!は、放してーーーッ!」
絹を裂くような、悲痛な乙女の絶叫―!


「?!…あ、アシュラ!」
ぐっ、と。
心の臓が、冷たい悪魔の手で握り締められたかのように、鼓動を…一瞬、止めた。
雑兵を蹴り払い顧みたドクター・ヘルの瞳に写った光景。
それは―
アシュラ男爵が三人の兵士に捕らわれ、身動きを封じられた姿!
男の豪腕で両腕を掴まれては、彼女も最早戦えない…!
「うふふ…!」
「ぐ…ッ!」
そして、その傍らに嫣然と立つのは、あの女…
ヤヌス侯爵!
「へ、ヘル様ぁ!」
「さあ、ご主人様ぁ…どうしますぅ?これ以上刃向かって、この娘を」
「ひ、ひぃッ?!」
「アシュラ!」
ぎらり、と。
太陽の光をはじいて輝くのは、短剣。
まっすぐ、アシュラ男爵の白く細い首筋にそえて。
刃の冷たさが肌を通し、アシュラを恐怖させる―!
「傷つけたくは、ないわよねぇ…?」
「…〜〜ッッ!!」
桜扇使いの脅迫の言葉は、いささかも凶悪ではない。
それどころか、彼女がいつも話すとおりの、何処か甘さと色香に満ちた言葉。
だから、だからこそ、それ故に恐ろしい…!
つまりは、混じりっ気なしの本気だということだ!
それを感じ取らざるを得なかった銀髪の男は、苦渋の決断を取る。
―ずさり、ずさり。
男の手のひらが力を失うと同時に。
その両の手に掴まれていた円月圏が、刃の重みで地面に落ち、大地に突き刺さる。
ぎりっ、と、その目つきが険しくなる。
せめてその視線に込めた殺意だけでも、奴の喉笛を切り裂かんと。
しかしヤヌス侯爵は、やはりそれをあだっぽい微笑で受け止めるのみ。
「…何が、望みだッ?!」
「うふん…ある御方が、あなたにお会いしたいといってるの。
…もちろん、来てくれるわよね?」
「…」
ある御方、と。
あえてその名を出さずに、ヤヌス侯爵は告げる。
ヘルは無言。
だが―
「…ね?」
「ぐ…う!」
そんな拒絶など、もう彼には許されはしない。
ちかり、と、また。
アシュラの喉元で光る。
深緑の瞳が、苦悩と憎悪でその色を変える。
しかし…彼にはやはり、選べる答えはそれしかなかった。


それは―屈服。屈辱的な、屈服。


「…わ、わかった!従う!…貴様に従おう!
だからアシュラを放せ!お前の狙いは俺だけだろう?!」
「それはダメね、ご主人様」
「?!」
嗚呼、それでも。
彼の敗北をもってしても、そのささやかな望みは却下された。
「本当は、あなた一人でよかったんだけど…
このまま帰したら、追ってこられちゃうわ。
だから、この娘も一緒に来てもらう」
「…ッ!」
ヤヌス侯爵の回答は、冷酷だがしかし妥当であった。
ヘルは、ついに言葉に詰まる…
もはや、為す術などない。何も。
目を伏せ、悔しげに唇を噛むドクター・ヘル。
そんな彼の有様が、敵の手中に捕らわれた夏圏使いの少女に突き刺さる。
「へ、ヘル様、ごめんなさい…!
わ、わたしが、私が勝手に馬鹿なことして、足手まといになって…ッ!」
「うふふ、アシュラ…あなたが来てくれて本当によかったわぁ」
「ヤヌス侯爵ッ!」
きっ、とねめつけるも、それが今や何の役に立つだろう。
少女の精一杯の殺意を余裕の表情を流しながら、魔は妖艶に微笑み、こう言い放つのだ―
「だって、こんな簡単に事が運ぶなんて…ふふ、本当に部下思いね、ご主人様!」
「う、うう…ッ!」
勝ち誇ったヤヌス侯爵の言葉が、彼女の耳朶を揺らすと同時。
こらえきれなくなった少女の涙が、とうとうぼろぼろと零れ落ちた―


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