ドッキドキ!ドクター・ヘルの羅武理偉(ラブリィ)三国志珍道中☆ (10)


「と、いうわけで、今度は火計です」
「あのさあ、あんたに前から言おうと思ってたけど、勝手にひとんちに入るのはよくないことだぜ?」
「今までの特務をこなしてきたあなたならば、きっとできるはずです」
「うわーやっぱ聞いてねえし」



これが、いきなり家に入り込んできて諸葛亮が言った言葉である。
ブロッケン伯爵の突っ込みも、相変わらずきれいに聞き流していた。


臥龍の挑戦・3


「火計?」
「そうです」
問い直す袁紹軍校尉・夏圏使いのヘルに向かい、諸葛亮は微笑で応えた。

古来より火計は水計に勝ると言います
これは敵戦力を奪うという点において
火計がより効率的だからです
特に自由に動き回れない水上戦では
火計の運用が戦の勝敗の鍵を握ると言っても過言ではありません
しかし、だからと言って
誰もが自在に火計を使いこなせるとは限らないのです
いわく「火を以(もっ)て攻を佐(たす)くる者は明なり」
計算高い将のみが火計を操れるわけです
いかがでしょう
あなたにも火計を扱えるかどうか
私が用意した特務に挑んでは?


諸葛亮から特務を持ちかけられるのは、これが三度目である。
拠点を落とす「囲魏救趙(いぎきゅうちょう)」、弓矢を集める「敵に食む」。
その両方において優れた結果を残してきたヘルであるが、なにやらこの火計特務には難色を示しているようだ。
「火計、か…」
「おや、不服で?」
「…いや、俺は暑いのはちょっと好かんのだ」
「そんなことを言っていてはいけませんよ、ドクター・ヘル」
…と思えば、それはまことにくだらない理由からだった。
しょうもない理由を述べるヘルに、彼の新しい副将(兼・師匠)となった暗黒大将軍が穏やかにたしなめる。
「何事にも果敢に挑戦していく姿勢こそが大切でしょう?」
「わかっている、暗黒大将軍…わかっている」
案の定軽く叱られ、苦笑いでそれをいなす。
そう、何にでも立ち向かっていく、その精神、その心構えこそが美しい。
舞い込んで来たこの挑戦も、断るよりどころはない―
「では」
真っ白い羽扇を風にそよがせながら、孔明の字(あざな)を持つ男が、また静かに微笑った。
「時間内に火計で敵兵を蹴散らすのです。
結果次第ではあなたの名を序列に加えてもいいでしょう」
「ああ、わかった」
「それでは、参りましょうか」
「暗黒大将軍。今日はお前が」
「承知」
時間が惜しいとばかりに、早速動こうとする諸葛亮。
ドクター・ヘルは武器庫から己の夏圏を手に取りながら、大斧使いの暗黒大将軍に声をかける。
老爺はしかし、すでに豪大斧を背負って戸口に立っている―
まるでそう呼ばれるのを前もって知っていたかのように。
この頼れる副将と、今回ドクター・ヘルが向かうのは…とある連環船。
「…、っと」
「?…おい、ヘルさん。何でそんなもんもってくんだ?」
と、宅を出る時。
何やら武器庫の奥から少し大きな麻袋を持ち出してきたヘル。
呼び止めたブロッケン伯爵に、彼はにやり、と笑って。
「きっと必要になるだろうモノ…だ」
銀髪の男は、その秀麗な笑顔を彼女に向けた。


「まずは敵拠点を制圧し、退路を断ちます」
最初の指令は、至極簡単。
命じられたとおりに、疾走する―
夏圏使いと、大斧使い。
戦場にばらけた的拠点を、丁寧に一つずつ落としていく。
「ヘル、兵糧庫も!」
「ああ!」
そして、三つ全ての拠点を落とすや否や。
暗黒大将軍の呼びかけに応え、若き夏圏使いは兵糧庫へと向かう。
「合わせますよ、ヘル!」
「おおッ!」
飛び入ったその瞬間に、二人は同時に気迫を高め―
同時に、放つ!
「あ…おあああああッ?!」
「ひ、ひいいいいいッ!」
兵糧庫の守将が、情けない声をあげる…
夏圏が、大斧が、彼らを叩きのめす!

<袁紹軍 ドクター・ヘル 鬼神のごとき活躍で兵糧庫を奪取!>

「まずまずです…では、指定した地点に油をまくのです 」
兵糧庫落つの報を聞くとすぐに、諸葛亮は動いた。
「指定した地点を巡れば火計が発動します」
そう言いながら、彼は示す…
彼の計算の上で火計を仕掛けるに最も効果的な、三つの地点!
「!」
一つ目の地点は、兵糧庫よりほど近い場所。
素早く、ヘルと暗黒代将軍は連環船に飛び乗る。
そのまま、指令された場所で…あらかじめ、渡されていた油壺を放り投げた!
硬い木の床に叩きつけられ、砕けて割れる油壺。
中に入っていた油が、じわじわじぶじぶと不吉な音を立てて拡がっていく…
「よし、では次に…」
そう、大斧使いが言いかけた…その時だった。
もうすでに、銀髪の夏圏使いは駆け出している、すでに。
嗚呼、だが―
唐突だった。
嗚呼、何故か、ドクター・ヘルは…
指定された地点につながる通路を選ばない、
それどころか、あさっての方向へと駆けて行くではないか!
「へ、ヘル!何処に行くのです、そっちは…」
「いいから、暗黒大将軍!」
「ドクター・ヘル…?!」
慌てた暗黒大将軍が呼び止める声も聞かず、ドクター・ヘルは走り続ける。
仕方なく大斧使いもその後を追うが、まったくヘルの意図が知れない…
そうこうしている間にも、ヘルの俊足は見る見るうちに彼を遠く離れた場所まで運んでいく。
それこそ、つながれた船のあちこちを…
かと思えばいきなり方向転換し、また別の船へと飛び移る。
まるで、戦場に在る船、全てを走り抜くかのように…!
「!」
しかしそのうち、彼の後を走る暗黒大将軍は気づいた。
…ばら、ばら、と。
時折、銀髪の男が…何かを、船の看板にばら撒いている。
真っ黒な、握りこぶし大のそれは、その場に撒き散らされたまま…
(…何をしているのです?見当違いの場所を駆けずり回って)
小高い丘の上より彼らの動向を見守っていた諸葛亮も、また彼の思わぬ動きを怪しんでいた。
自分が告げた地点をくぐりぬけ、ずっと遠くまで駆け抜けていく…
(まさか、迷ったとでも…?)
一瞬そのような考えも浮かんだが、しかしとてもそのようには考えられない。
あのドクター・ヘルが、そのような初歩的な過ちを犯すだろうか?
では、一体何故…?!
「!」
その答えも判然とせぬうち、縦横無尽に連環船の中、敵陣の中を走りまくっていたヘルが、ようやく指定された最後の地点まで戻ってきた。
そして、手にした油壷を放り投げ―!
陶器が砕き割れる甲高い音、それが合図!
「指定した地点をすべて通過しましたか…では、いきますッ!」
それと同時に、諸葛亮は大きく羽扇を天に掲げた―
彼からの指令を受け取った兵が、燃え滾るたいまつを鎖でつながれた船の一艘に投げ込む…
次の瞬間!
まき散らされた油が一挙に燃え上がる!
木が、鉄が、あっという間に真っ赤な舌に嘗め尽くされる!
あちこちから巻き上がる悲鳴を更なる燃料として、一隻からはじまった炎の乱舞は見る見るうちにつながり伝わり連なって―
そして、全ての船から真っ赤な火の手が上がる!
だが、その刹那だった。
火計の広がりを見守っていた諸葛亮の鼓膜を、思いもしない音が貫いた―
「…!」
それは、爆ぜる音!
急いでその音の出元に目を転じる諸葛亮。
…彼が見たのは、幾多もの爆発!
「ぎょあああああーーー!」
「うわあああーーッ?!」
敵兵の悲鳴を混ぜ込んで、連環船のあちらこちらが爆裂している!
そして、燃える炎は火計の炎とともに巻き上がり、より大きな炎となって船を覆いつくす!
倍増した炎が、なおさらにその勢いを増して巻き上がる…!
もくもくと湧き上がる幾筋もの黒煙…
それを目にした時、臥龍は悟る、
これは策、あのドクター・ヘルの策であったことを!
「なんと!先んじて火薬を仕込んでおくとは!」
そう、あの時…諸葛亮の指示を無視して、まったく違った場所を走り回っていたのには、れっきとした訳があったのだ。
つまりは、油をまかない場所…炎の影響が回りにくいところをも、一挙に破壊せしめるために。
そのために、彼は予めその場所に仕込んでいたのだ…
火がつけばすなわち爆裂して燃焼する、無数の火薬丸を!
「なるほど、これでそこに残った敵兵もかなりの数を倒してしまえている、と言うことですか!」
「…ふん!」
諸葛亮の感嘆の言葉に、銀髪の男がにやり、と会心の笑み。
「ふむ、上手い手ですね…!」
疾走する彼の背中に、大斧使い・暗黒大将軍が嘆声を漏らした。
「やはり、私が見込んだ通り。あなたには、驚くべき才が眠っている」
「当然!」
知略を褒め称える副将を見返り、ドクター・ヘルは不敵に微笑。
手にした円月圏で空を斬り、高らかに誇った…
散り舞う火花ときらめく炎を背景に、滾る男の表情は凄惨なまでに美しく―!


「俺は、華麗なる鬼才ドクター・ヘル!これしきの火計など、児戯に等しいわ!」


「船上の敵は混乱しています、一気に撃破してください!」
「!」
諸葛亮の指令が、悦に入っていたヘルの耳朶を打つ。
見れば、火計とヘルの火薬丸の炸裂によって、大半の兵は消え失せたものの…各船に数名ほど、まだしぶとく残っている敵兵がいる。
「できるだけ急いでください!」
「ちっ、行くぞ、暗黒大将軍!」
「承知!」
電光石火。まるで疾走する豹のごとく、二人の戦士が駆け出した。
炎と熱気が揺らめく船の間を駆け抜け、
「はあ、たあッ!」
「あーーーッ?!」
飛び交う夏圏。振り下ろす大斧。
「…ふっ、とおっ!」
「ぎゃあああああ!」
踊る銀髪の男、飛ぶ白髭の老爺。
「これで…最後ッ」
「ひ…ひぃいいいいッ?!」
そして、最後の船、最後のひとりに向かってドクター・ヘルが鷹のように飛び掛った―
―刹那!
「?!」
ちらちらと大量に降ってきた火の粉に思わず上空に目をやれば、
がらり、と、
燃え上がる巨大な柱が、
突如―重力に引かれ落ちてくる、
焼け付く炎の勢いもまったく失せぬままに、
ヘルの頭上に―!
「う…うおおぉぉぉおおおぉぉッ?!」
絶叫!
暗黒大将軍の眼前で、火に滾りたつ灼熱が、その強大な質量とともに―
銀髪の男になだれかかっていく…!
「ど、ドクター・ヘルーーーーーッ?!」


「計算以上の働きです…
火計を操れれば、100万の敵に挑もうともこれを撃破できましょう!
以後も「火を以て攻を佐く」 にならい、
火計を利用できる戦場では敵に先んじて使うよう心がけてください」
特務終了。
ドクター・ヘルとその副将・暗黒大将軍がこの特務を完了するのに要した時間は、たったの10分少々。
その短い時間で、あの複雑に入り組んだ連環船を制した…
見事としか言いようのないヘルの働きぶりに、諸葛亮も惜しげもなく賞賛の言葉を送る。
「あなたの働きは計算以上ですね!
私が課した特務すべてで卓越した成果を残しています」
そして、三つの特務全てにおいて彼の算段以上の活躍を見せたことに、臥龍は殊のほか驚きつつも喜んでいるようだ。
だからこそ、彼はこう言う…
「あなたのような方こそ私の知己(ちき)に相応しい!
今後もよろしく頼みますよ!」
知己。すなわち、良友、と。
優れた知略を持つ戦士として認められた、それは充分に名誉たること―
…なのだが。
「ぐすっ…うっ、うう…」
「…ど、ドクター・ヘル?」
なのだが…
さっきからその臥龍の知己は、身に余るような光栄たる諸葛亮からの褒め言葉も耳には入っていないご様子。
というより、がっくりと地に伏せてしくしくとすすり泣き続けていた。
「ううっ…ぐす、お、俺の、おれの孔雀羽冠が…!」
「く、孔雀羽冠が…どうしましたか?」
「ああ…」
泣きじゃくりながらつぶやかれた言葉を問うと、暗黒大将軍が。
「先ほどの火計で、最後に…燃えてしまって」
「…ああ」
「な、何が『ああ』だ?!」
気のない諸葛亮の反応に気が立ったのか、がばっ、と顔を上げるや否や、涙まみれの顔でにらみつけてくるドクター・ヘル。
ぐすっ、ひっく、とやや乙女風にしゃくりあげながら、ヘルは涙声で怒鳴り上げる。
「お、俺にとって、あの孔雀羽冠は!
選りに選って選び抜いた、美しい俺にもっともふさわしい、素晴らしいものだったのだ!
それが、それが、燃えて焼け焦げて…ッ!」
「大丈夫ですよヘル、きっとまた買えますよ…」
慰める暗黒大将軍の言葉も聞いていないのか、ヘルは真っ黒焦げの何か(孔雀羽冠の成れの果て)を切なげに握り締め、またぼろぼろと大粒の涙をこぼして―

「ああああああああだから火計は嫌いなのだ!
くそッ、俺の、俺の孔雀羽冠ーーーーーッ!!」


うかんー、うかんー、うかんー…と、残響音がその場に哀しくこだました。
「…」
一向に泣き止まないヘルと、懸命に彼をいたわる副将・暗黒大将軍と。
彼らの姿を、ぼんやり眺めながら…
諸葛亮は、こんな奇人を自分の知己一覧(ともだちりすと)に入れたことを、ちょっぴり後悔したりした。
「で、では」
「!」
が。
眠れる龍は、それを穏やかな、いつもどおりの微笑で覆いつくして。
軽く二人に拱手し、しばしの別れを告げる…
「行くとしましょう。
以後も日々の研鑽を怠らないことです…」
「あ、ああ…ぐすっ、それではな、諸葛亮」
そうして、臥龍は去る。
やがて来る彼の時代を、何処かで待つのだろうか…
未だ来たらぬ、その時を。





「…ほう、袁紹軍に?」
「ええ、あの臥龍の知己たる男がいると」
「何ッ、あの諸葛亮の?!」
「結構に知略に富んだ人物であるとか。
しかも、未だ校尉の身分であるようで」
「ふむ…優遇されておらぬ、ということか」
「こちらに、引き込むべきでは?」
「…」


「ふむ、おもしろい」


「未だ世に出ぬ逸材、か…
我が手足として使うに足る器か、是非見極めたいものだ!」





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