A War Tales of the General named "El-raine"〜とある戦記〜(10)






不可思議な、夢を見た。
私は、それをただ見ていた。
いつもの、あの夢。
私と同じ「名前」で呼ばれる、あの少女の夢。
無数の星が瞬く夜闇の下に、少女が一人。
少女の傍らに、深緑の衣を纏った壮年の男が一人。
その眼光は鋭く、暗く、冷たく冴え冴えとしている。
凍てついたようなその表情は、何処か邪悪さすら感じさせる。
だが、少女は恐れる気配など微塵もなく、彼とともに星空を見つめている。
彼の「名前」を、私はなぜか知っているような気がした。
嗚呼、そうだ。
とても、よく、知っている。

―「ブロッケン伯爵」。




「あ、あわわ…」
名族の出である勇将・袁紹が統べる袁紹軍。
彼の下で四征将軍として戦う若き女将軍…
河内より来たりし彼女の「名前」は、「エルレーン」と言う。
そう、今、我が家の前に集まった人ごみを前にして泡を喰っている少女がそれである。
主君・袁紹への謁見を終え帰宅するなり、自宅の前に大量の人だかり。
そりゃあ、泡を喰うのも至極当然である。
「…まったく、気をつけてもらわねば困るぞ!」
「ははは、申し訳ない!次からはもっと注意することにしよう」
その野次馬たちの見つめる先には、呆れ顔の憲兵。
そして彼に苦笑しながら答える、一人の偉丈夫の姿。
彼の「名前」は、ブロッケン伯爵。
エルレーンに仕える副将の一人、直槍使いの男。
…どうやらこの騒ぎの元凶は、紛れもなく我が家にあるらしい。
憲兵がため息をつきながら人ごみを掻き分けて帰っていくと、野次馬たちもだらだらとその場から離れて散っていく。
ようやく消え薄れていく人いきれ、ぽつり、と残されるのは、少女一人。
彼女の姿を認めたブロッケン伯爵は、にかっ、と笑って手を振ってきた。
「あ、あの…」
「!…おお、エルレーン!今日は早いな」
「たいした用じゃなかったから…そ、それより!」
きっ、と少女の目つきが少しばかり鋭くなり、ブロッケンを射る。
「いったい何の騒ぎだったの?何で人が…」
「ああ、それがな、あはははは!」
「…『あはははは』じゃねぇだろうに、ったく」
と、ご陽気に笑うブロッケンの背後から、ため息混じりに頭をかく小さめの影。
彼と同じ直槍使いの少年・巴武蔵だ。
が、何故か、その手には雑巾を持っている…?
「と、巴、いったいこれは…?」
「あー…ともかく、うちに入りゃわかるさ」
エルレーンに問いかけられるも…どう説明したものか迷ったのか、それとも単に面倒だったのか。
彼は家の扉を開け放ち、親指でぴっ、と中を指し示し、入れと促す。
いくらか困惑しながらも、エルレーンが中に入っていく…


…と。


「うあーーーーーーーーーーーーー?!」


彼女の絶叫が、熱い夏の空気を貫いた。


「な、な、何、何、何で?!」
「…」
「エルレーン様…」
頭を抱えて混乱する少女に、副将たちの視線が集まる。
見れば、双錘使いの神隼人も、双戟使いのキャプテン・ルーガも、皆が皆その手に濡れ雑巾を持って、壁やら床やらを拭いているではないか…
何故そんなことをしているのか、今度は問い掛ける必要すらない。
…エルレーンの家は、今や哀れな惨状を呈していた。
壁や床、そして服飾箪笥や勲章箱、書机、武器庫…そのすべてがすすで黒く汚れ、真っ黒なほこりが空気中に散っている。
吸い込む空気は何処か焦げ臭く、明らかに何かがここで燃え盛ったのだとわかる…
自宅の突然の変わりように大混乱のエルレーン。
そんな彼女に、幻杖使いの流竜馬、偃月刀使いの車弁慶が事情を説明する…
もちろん、その手の雑巾で、力いっぱい薄汚れた武器庫だのを拭きながら。
「ど、どうしたのこれ?!か、火事?!火でも燃えたの?!」
「いや、それがですね、エルレーン殿…」
「それもこれもこのブロッケンのアホが」
「ブロッケン伯爵…?!」
出てきた名指しに、思わず視線を彼のほうに転じる。
彼の顔がいささか気まずそうな表情に変わった…ように見えたのは、果たして彼女の気のせいか。
重苦しいため息をつきながら、もしくはいらつきを隠せない口調で、二人の説明は続く。
「火薬の配合を間違えてしまったらしく、」
「こともあろうに、室内で火薬丸を炸裂させおったのだ!」
「えーーーーっ?!」
またもやあがる、すっとんきょうな少女の叫び。
こんなせまい室内で火薬が爆発すれば、そりゃこんなひどい有様になるのも無理はない…
…が、何のためにそんなことを?
「ははは、すまないエルレーン!」
「ぶ…ブロッケン、でも、何で火薬なんか…?」
笑いながら詫びるブロッケン伯爵に問う。
「ああ、それだがな…これを見てくれ、エルレーン!」
「…?」
すると、長身の男は、何やら書物のようなものを意気揚々と取り出し、少女に押し付けてきた。
彼女がそれを受け取り表紙を見てみると、そこにはこう書かれていた―


「…『真剣是美(しんけんぜみ)・妖杖使い講座』…?!」


「ブロッケン、これ…?」
「ああ」
ぱらぱらとめくると、そこには「簡単!妖術の基本を覚えよう」だの、「ここだけは覚えておく!火炎術式三つの法則」だのと、妖杖を使いこなすための様々な技術や妖術が、的確な図解・解説をところどころにはさみながら書き連ねてある。
どうやら、これは妖杖使いになるための書らしいが…
不可思議そうな顔で書物を流し読みするエルレーンに、ブロッケンは熱弁する。
「俺は考えたんだが…これから先お前を護っていくためには、更にもっと俺の武を極めねばならない。
俺はもっと、もっと強くならねばならんのだ!」
「…はあ。」
「そこで!俺の槍術に加え、魔や妖の力をつかさどる妖杖使いの業をも手に入れられれば、
俺は更に強くなれると思わんか?!」
「う…うん。」
熱気を込めて、感情を込めて訴えてくる副将に、生返事を返すほかないエルレーン。
そんな彼女を真剣な瞳で見つめ、ブロッケン伯爵は最後にこう誓って締めくくった―


「と、いうわけで!…俺は、今日から!妖杖使い目指して修行することにしたッ!」


「…え、えーと…で、でも、」
熱血な、あくまで熱血な己の副将の決意に、やや気おされながらも。
ためらいがちにぼそぼそとながら、エルレーンは疑問を呈するのだが…
「そういうのって、その…ど、何処かの師範に弟子入りして修行するとか、そういうのは…?」
「何を言うエルレーン、真剣是美はこの道三十年以上の歴史がある教材なのだぞ」
「は、はあ…」
「厳しくも優しい朱筆師範(あかぺんせんせい)の添削が月一回受けられ、精進を見守ってくださるのだ」
「…」
「おまけに今なら朋友割引期間中で、同種の講座が割安で受けられるぞ。何ならエルレーンも何かやるか?」
「い、いや…」

まるで何処かにそのまま書き出されていたような宣伝文句がつるつると彼の口から流れ出す。
その流暢さと勢いのよさ(後、わけのわからない説得力)に、少女の疑問はきれいに流されきってしまった。
しかし、その真剣是美と、この惨憺たる状況がどうつながるというのか。
少女はあきらめずになおも問い詰めようとする。
「そ、それと、この有様と、いったい何の関係があるのかなあって…」
「ああ、これか!」
少女の問い掛けに、ブロッケンはぽん、と手を打つ。
事の成り行きを説明しだす…
「妖杖使いは火炎で敵を燃やせるのだが…
まずきちんとした攻撃の型を覚えるまでは、火薬丸で代用してもいいらしい。
その火薬丸を八月号付録の工作組み立て一式で造っていたのだが…」
そして、その結果を、短いながら適切な描写で表すのは、雑巾で黒くなった勲章箱を磨いている双錘使い・神隼人。
「…実に、景気よく燃えた…」
「はっはっは、そういうわけだ!」
「…」
自分の犯した失敗に、からからと朗らかに笑うブロッケン。
あまりにも悪びれないその陽性の笑い声に、エルレーンは最早突っ込む気合すら出せなかった。
ちょっと頭がくらくらしてしまったエルレーンの背後では、双戟使いの鉄甲鬼、蛮拳使いのキャプテン・ラグナが、ともに黒く焼け焦げた服飾箪笥をこすりながら何やら話している。
「あー、でも拙者も昔やってましたよ、真剣是美」
「鉄甲鬼殿も?何をされておられたんです?」
「えーと、『長双刀使い講座』」
「じゃあ、長双刀もお使いになられるわけですね」
「いやあそれが、途中で投げ出しちゃって…」
「…ふん、所詮そんなものよ」
同じく濡れ雑巾で床を拭きながら、車弁慶が一人ごちた。
そして、立ち上がって、嘲笑の色濃い口調でブロッケン伯爵に言うことには…
「ブロッケン、お前もどうせそうなるのだろうから、早いうちに目を覚ませ」
「何を言う車、俺は本気だぞ」
「どうだか…!」
いささかむくれた口調で言い返すブロッケンに、肩をすくめてみせる。
そして、己が主君に目をやり、嘆息と一緒にこう吐き出した。
「エルレーン、いいのか?こいつにこんなことをやらせといて」
「…」
言われた少女は、無言。
ちょっとばかり下がった両眉が、彼女の戸惑いを示しているようだ。
エルレーンのそんな表情を見るにつけ、感情の機微を知るにはかなり鈍いこの男も、少し不安げな顔をした。
「…駄目か?エルレーン」
真っ正直で真っ直ぐな、そんな視線に懇願され。
少女は、くすり、と微笑んで―
「…ううん」
ゆっくり、首をふる。
「私を助けようとして、がんばってくれてるんだもん…うれしいよ」
「!…そ、それじゃあ!」
「うふふ…立派な妖杖使いになってね、楽しみにしてる!」
主君たる少女の激励を受け取った男の表情に、ぱあっと光がともる。
上気した頬をして、心底うれしそうな顔をして、ブロッケン伯爵は彼女に誓いを立てる―
「ああ、任せろ!俺は妖杖を極めてみせる!
そしてお前を護りきってみせるぞ、エルレーン…!」


「う、で、でも…」


―と。
気弱な少女が、ちょっとばかり言いにくそうに、自らの副将に言うことには…


「でも、こ、今度からは…実験は家の外でやって、ね…?」
「ああ、そうする!」




そんな弱気なお願いに、妖杖使いの新米・ブロッケン伯爵はさわやかに笑う…
その笑顔は、何処までも裏がなくさっぱりとしているのだった。





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