--------------------------------------------------
◆ 誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)〜nobilmente〜
--------------------------------------------------
「…え、エルレーンのお姉ちゃん!」
「!」
元気の小さな声に、エルレーンは振り返る。
あれから、二人はだだっ広い艦内をさ迷い歩いていた。
人の気配がするたびに引き返し、動きを止め、隠れながらの移動は時間がかかったが…
それでも、とうとうその部屋を見つけ出したのだ。
「こ、ここ…見て」
「…?」
扉の前に、プレートが取り付けられている。
そこには、こう書かれていた。


"Captain's cabin"


後半の単語は、小学生の元気にはわからなかったけれども…
最初の単語は、漫画か何かで見たことがあった。
「『キャプテン』…何とか。キャプテン、ってことは…この艦(ふね)の、一番偉い人のはずだよ!」
「じゃあ、この部屋が…」
「うん、きっと、」
二人の視線が、そのプレートに注がれる。
そうだ、ついに見つけた―
この扉、その向こうにいる人物こそが―この艦の主!
「一番偉い人の部屋だよ…!」
…思わず、元気は息を飲み込んでいた。
湧き上がってくる緊迫感が、彼の小さな身体を震わせる。
―エルレーンの瞳に、冷たい鋭利な光。
その右手がすうっ、と動き、扉のノブにかかり…
まずは、試しに動かす。ゆっくりと。
「…!」
だが…かすかに、彼女の表情が歪む。
動かしたノブからは、何の抵抗も返ってこなかった―意外にも。
つまりは、
「開いてる…?」
鍵を開けるという手間すらなく、拍子抜けなほどに簡単に。
銀色のノブは、エルレーンの手の中で、ゆっくりとゆっくりとその角度を変えていき―
そして、回りきるところまで行った時、加えられた力に引かれて、今度は扉自体が前にゆっくりと滑っていく。
開いていく扉、広がっていくその部屋の光景。
隙間はだんだんと大きくなっていき…
「…」
「…」
容易に人一人がくぐれる入り口となる。
…その部屋は、思った以上に広かった。
中にそっと歩み入ると、それが手に取るように感じ取れた。
周りを見回すと、そこはまるで上等なホテルの一室のように見えた。
ここが空を飛ぶ艦(ふね)の一室であるのが信じられないほどに。
床にはカーペットが敷かれ、机やテーブル、椅子などの豪華すぎない、だが質素でもない調度品が散らばっている。
天井には、シャンデリア。
吊り下げられたクリスタルのドロップが、光のかけらをあちこちに散らばしている。
そして―
部屋の奥には、大きなベッドがあるのが見えた。
人二人は簡単に寝転がれそうなほど大きなベッドだ。
ふかふかしたじゅうたんを踏みしめながら、元気は思わずそのベッドに近づこうとした―


その時だった。


「…誰だッ?!」


「?!」
「…ッ!」
鳴り渡った男の怒鳴り声に、エルレーンたちの身体が鞭打たれたかのように強張る。
見れば、そのベッドのそばに…一人の男が立っている!
視界の中に映りこんだ、その声の主を見た瞬間…
元気の口の形が、恐怖にまみれたO(オー)の形になった。



「き、きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー?!」



深緑の軍服をまとい、サーベルを帯びた、その将校。
その将校は、首から上が…なかった。
そして、その首は…彼の左腕に抱えられている?!
まるっきりまともな「人間」とは思えない、怪談に出てくる「バケモノ」そのもの…!
元気が仰天し、恐怖の叫び声を上げてしまうのも無理はなかった。
…が、一方で、いきなり目の前で少年にあらん限りの声で絶叫されたその「バケモノ」のほうも、元気のあまりの大声にすっかり面喰らっている。
その大き目の瞳がなおさら大きく見開かれ、わめく元気を凝視している。
「な…!何だ、貴様らッ?!」
「ばばば、ばば、『バケモノ』ーーーーッ!!」
「…!」
「バケモノ」の表情が、驚きから苦みばしったものに変わる。
だが、「バケモノ」が、次に何か言おうとしたその瞬間に―
エルレーンは、即座にとるべき行動をとっていた。
将校の眼前を、銀色の光がぎらつきながら舞った。
ほんの、ほんの一瞬。
だが、その一瞬で…少女の両手には、刃鋭いナイフが握られていた。
その切っ先は―真っ直ぐ、真っ直ぐ、将校に突きつけられている!
「…」
「…あなたが、この艦(ふね)で、一番えらい人なの?」
冷たい、感情のない瞳で、エルレーンは将校を見据え、問う。
しかし、将校の感情は揺るがない…
無表情に近い冷静な顔で、己の腕に抱えられた顔が、エルレーンをねめつけ返している。
凍れる瞳で見通され、ナイフで脅されているにもかかわらず。
「…そうだ、と言ったら?」
「研究所を襲うために、私たちをさらったんだろうけど…ムダなの。
私たちを、研究所に帰してもらう…の」
答える将校。ぞっとするくらい、平静に。
答えるエルレーン。ぞっとするくらい、平静に。
両者の合間で、空気の震えすら硬直するほどの緊張感が貫く―
間。
むしろ、そばにいる元気の精神のほうが参ってしまいそうなほど、息苦しい、間。
そして、


「…」


その間を先に破ったのは―


「…ふう」


―首無し騎士(デュラハン)の方だった。
彼はゆっくりと、呆れたような風でため息をついた…
そして、剣呑なる闖入者をその黒い瞳で見返し、鷹揚に答えた。
「如何にも、我輩がこの艦(ふね)の艦長だ」
「…なら!」
「だが…お前たちをここに連れて来たのは、我輩の意図ではない」
その答えに気色ばむエルレーンたち…
だが、その先回りをするように、将校はなおも重ねて言った。
「…」
「…嘘だ」
「信じるか信じないかは、お前たちの勝手だ」
「…」
「…」
もちろん、にわかには信じがたい。
だが、彼の落ち着き払った様子、そして揺れ動かない低い声音は、その台詞の信憑性を否が応にも高くする。
「…」
「…」
「…」
そして、また、間。
しかしその間をまたも将校は破る―
これまた、思いもよらない台詞で。
「お前たちを連れてきた奴の事なら、知っているがな」
「!」
「その人…何処にいるの?!」
「…」
その、言葉に。
かすかな表情の変化を見せるエルレーン、驚きの声を上げる元気。
二人を見据えながら、自分に小剣を向ける暗殺者を見据えながら―
将校は、おもむろに指し示した。
元気とエルレーンの向こうにある、テーブルと椅子を。
そして、言う。
「とりあえず…座れ」
「え…?!」
「…」
一瞬、元気は言われたことの意味を捉えられなかった。
エルレーンも元気と同様、怪訝そうに軍服の男を見つめ返している…
将校は、重ねて言った。
ため息と一緒に、大儀そうに。
「鉄十字に、コーヒーでも持ってこさせる。とりあえず、座れ」
「…」
「…」
「そんなモノを人に向けていて、話も何もなかろう。座れ」
思わず、元気たちはお互いの顔を見合わせる…
しかし、将校の真意は量れない。
しばしの煩悶の挙句、少女は―
先ほどまで油断なく構え続けていた両手のナイフを、くるっ、と一回転させ、再び仕込みベルトの中にしまいこんだ。
そのまま、男に背を向けて、歩く。
指し示されたテーブルに向けて。
ニスが色濃く塗られたその上等の木の椅子を引き、座った。
その一切の動作、その一挙手一投足に、気をみなぎらせたままで。
「…」
「お、お姉ちゃん!」
「元気君…私がいる限り、大丈夫だから」
そして、動揺した元気に、静かにそうささやく…
一瞬自分がどうしたらいいかわからなくなったようだが、元気も…急いで、彼女に従って椅子に座る。
…その様子を、何もしないまま、動かぬままに眺めていた将校。
彼の唇が、くっ、と動き、薄い笑みを形づくった。
「ふん、お嬢…たいした度胸だ。気に入った」
「…」
彼もまた歩み寄り、椅子に腰掛けた。
丸いテーブルを挟んで、エルレーンたちと対峙する。
かたどられた笑みが、あらわれた時同様にすっ、と消え、次に作ったのは―問いかけ。
「…『名前』は?」
「え?」
「お前の『名前』は?」
「…」
将校の瞳が、エルレーンを射る。
その「名前」を問うてくる。
黒い瞳。透明な瞳。
透明な瞳の少女は、答えた―
「私…エルレーン。私の『名前』は、エルレーン」
「お前は?」
その答えを聞いた将校。
今度は、その隣に座る元気に視線を移す。
「ぼ、僕、早乙女元気です…」
「そうか」
吐息。
そうして、今度は男が答えた。
「我輩は、ブロッケン…ブロッケン伯爵だ」
「ブロッケン、はくしゃく…さん?」
「ブロッケン伯爵」と名乗った男のその顔を、エルレーンは見つめる。
彼の腕に抱えられた生首は、彼女の視線を跳ね返す。
左目には、眼鏡のようなモノをつけている(これは「片眼鏡(モノクル)」と呼ばれるものだが、エルレーンはそんなことを知らない)。
瞳のふちは驚くほど豊かなまつげで飾られているが、その瞳の放つ異様なまでの強い光が、全体としての印象をどこか恐ろしげなものにしてしまっている。
…黒い瞳。
そう、黒い瞳だった。
特徴的なほど高い鼻の下には、綺麗に整えられた髭がたくわえられている。
その生首を、少し長めの髪が縁取っていた。
―と。
将校が、立ち上がった。
そのまま、壁に取り付けられた電話機らしきものを取り上げ、受話器越しに告げる。
「鉄十字。我輩の部屋にコーヒーを持って来い。…三人分だ」
受話器の向こうにいるだろう相手に、淡々と彼は命じつけた。
「ああそうだ。早くな」
短くそう言い放ち、受話器を切る。
再び、彼は席につく。
エルレーンと元気を、その黒い瞳で見据える。
「…」
「…」
誰も、何も言わない。
エルレーンも。
元気も。
ブロッケンも。
何も聞くことなく。何も強いることなく。
黒い瞳が、ただ…エルレーンと元気を見据えている。
誰も、何も言わない。
三人とも。
かっち、かっち、壁に掛けられた振り子時計の秒針だけが、飽きることなくしゃべっている。
かっち、かっち、
かっち、かっち、かっち、かっち…
「ブロッケン…さん」
「何だ、小僧」
その空気に耐えかね、その意図の意味不明さに耐えかね…ついに、元気が空白を破った。
「ブロッケンさんは…僕らを連れてきた人の『仲間』だよね」
「…ああ。そう思いたくもないが、な」
「だったら、どうして…僕らをすぐ捕まえないのさ?」
「…」
「そうだよ…」
軽く、ブロッケンは眉をひそめる。
元気の率直な疑問に、エルレーンも和した。
「だって、僕らは逃げ出してるんだよ?あの閉じ込められてた小さな部屋から」
「そう…なのに、どうして?」
「…別に、どうだっていいからだ」
不信の色をあらわに問う二人を前に、ブロッケンは…椅子に己が背をもたせ掛け、至極つまらなそうにそう言ってみせた。
そうして、気だるげに吐き捨てる。
「え?」
「どうだって…いい?」
「あいつのやる事など、我輩にとってはどうでもいい。それだけだ」
「…??」
さらに頭中が「?」でいっぱいになってしまったエルレーンたちに、まるで独り言のようにつぶやくブロッケン。
ともかく、彼の言う「あいつ」という人物が、自分たちをここに連れてきたらしいが…
「それに、」
さらに、ブロッケンは付け加えた。
「我輩は休暇中なのだ…そんなことをしてやる義理もない」
「きゅかちゅー?」
「…『休暇中』だ、お嬢」
―と、その時。
扉をノックする音が、部屋に響いた。
「ブロッケン伯爵、お茶をお持ちしました」
「!…入れ」
ブロッケンの返答。
それより一歩遅れて、扉が開く。
すると、そこからサーバーやカップを載せたワゴンを伴った男が…彼は先ほど元気たちが廊下で見たのと同じ、戦争映画に登場する下級兵士のような姿をしていた…入ってきた。
と、彼は、その場にいた伯爵「以外」の人物の姿に、一瞬戸惑いの表情を見せた―
が、次の瞬間。
その正体に感づいた瞬間、驚愕が彼の目にありありと浮かび上がった。
…しかし。
「!…は、伯爵、」
「…いいから。続けろ」
「は、はい…」
彼を呼びつけた上官は、そのことに何ら動揺もせず、ただ命じた。
多少の疑問はあったらしいが、それ以上彼は何も言うこともなく、作業に戻った。
サーバーから湯気を立てるコーヒーが瀟洒なカップに注がれ、ソーサーに載せられ、テーブルに置かれる。
エルレーンと元気の前にも、ひとつずつ…
それから角砂糖のポット、ミルクピッチャーをテーブルに置き―
すべてを終えたその兵士は、そそくさとその場を去ろうとした。
「…そ、それでは失礼します」
Warte(待て)」
だが、ブロッケンが彼を呼び止める。
エルレーンと元気にはわからない言葉…ドイツ語で。
Wie du siehst, sind diese Kinder aus dem Zimmer geflohen und versuchen, hierhin zu entfliehen.
(…見てのとおりだ。この子どもたちは逃げ出して、脱出しようとしている)」
「…」
小声で、早口で、ブロッケン伯爵は命令を伝える。
兵士にしか聞こえぬほどの抑えた声で。
その姿に、エルレーンがさすような鋭い目線を投げる。
Teile Ashura sofort das mit. Und sag ihm, irgendwas zu tun.
(今すぐにあしゅらに伝えろ。そして、どうにかしろと言って来い)」
「か、かしこまりました」
そして、命令を受けた兵士は、今度こそその部屋を去る。
…また、空白。
丸いテーブルを、三人が囲む。
ゆったりと湯気を上げている、コーヒーカップが三つ。
だが…彼らは、それに手をつけようとはしていなかった。
エルレーンも、元気も。
「…」
「…」
「…ふん、何もそう警戒する事もなかろうに」
「…」
「…」
何か、薬物でも入っている…とでも思っているのか。
彼らの考えに気づいた将校は、面白くなさそうに鼻を鳴らす。
年に似合わぬほどの警戒心をむき出しにする青臭い子どもらを、しばらく彼は見つめていたが…
「…やれやれ」
やがて、また、ため息をひとつ。
呆れたような、億劫そうな顔をして―生首は、目を閉じた。
そうして。
「!」
両手がその生首をつかみ、本来その首があるべき場所にそれを据える。
そして、そのまま…軽く、ねじ込むような動作。
がしっ、がきっ、という、金属がこすれ、部品が結合する音。
軽くならすかのように、首を少し回す―
と、断ち切られていた首は、普通に…先ほどまでは「なかった」場所にくっついている。
そのまま彼は、軽くその茶色の髪をかきなぜた。
傍目から見たら普通の「人間」と何も変わらない、壮齢の将校がそこにいた。
その一連の動作をぽかあん、と見つめていたエルレーンたちの前で、ブロッケンは自分のカップを手に取り―
カップのコーヒーを少し飲み下して見せた。
「…これで、よかろう?さあ、飲め」
「…」
「お、お姉ちゃん!」
それを見たエルレーンは、恐る恐る自分もカップに手を伸ばす。
注意深くその中身の液体を見つめ、香りをかぎ、異常がないらしいことを確かめ…
少し、それをすすってみた。
「…」
「どうした?」
少女の表情が、怪訝なものになる。
それに気づいたブロッケンに、エルレーンが答えることには―
「…ブロッケン、さん?」
「…何だ」




「これぇ、甘くないの…もっといっぱぁい『おさとう』入れて、ね?」





back