--------------------------------------------------
◆ 誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)〜dolce〜
--------------------------------------------------
夜は、静かに更けていく。
当然のことのように、あれから敵側からの接触は一切なく。
光子力研究所は、静まり返った富士山麓の中、ひっそりと夜を過ごしている。
もちろん警戒は怠れないものの、それでも何ら動きのないこの状況に、所員たちの緊張もどんどんゆるんでいってしまったことは確かだ。
…しかし。
彼の心は、いまだに尖りきったまま。
険しい表情で窓の外、闇を見つめるリョウの背中に、呼びかける声。
「…リョウ君、もう休んだらどうだい?」
「甲児君…」
「今日はずいぶん疲れただろうしさ、それに…ひょっとしたら、」
振り返る彼に、甲児は少し弱々しげに笑って言う。
「本当に、何てことないのかもしれないぜ?」
「…そうかも、しれないけど」
甲児の言うことは、わかる。
自分でも、内心はわかっている。
エルレーンと元気ちゃんをさらった、と言う、あのあしゅら男爵からの手紙。
にもかかわらず、早乙女研究所にかけられてきた、元気からの電話。
妙だ。おかしい。理解できない。
…それでも。
「それでも、俺は…」
「…」
それきり、リョウは口をつぐんだまま。
困惑しながらも、それでも気を休めることのできない彼。
甲児は心配げな顔を向けて、何処か茶化したような風に忠告する。
「…けどもさ、ちったあ休んどかないと!
そうしないとさ、『いざ!』って時に出撃できなくなるぜ〜?」
「そうだよ、リョウ君」
と。
それに和したのは、弓教授。
「部屋は用意してある…少しでも仮眠を取っておいたほうがいい」
「…ありがとうございます」
そう優しく言葉をかける弓教授に、ぎこちない微笑を返しながら。
それでも、リョウの視線は窓の外に向かっていく。
もう闇一色に塗りつぶされた世界の中で、無数の星々だけがまばゆく輝いている。
(…あの星を、エルレーンたちも見ているのだろうか?)
リョウの胸のうちも、その暗闇と同じ色に染まったまま。
何も見えない空間をぼんやりと見やりながら、リョウは立ち尽くしている―
(エルレーン…元気ちゃん…)


「あしゅらさあん!」
「あしゅらさーん!」
ところ変わって、飛行要塞グール。
今頃遠い空の下で胸を痛めているリョウのことなどまったく気づきもせず、元気いっぱいの二人組。
あしゅら男爵を探して、ブリッジに駆け込んだ…
…が。
そこには、あの長身の怪人の姿は無い。
「…?あれ?あしゅらさんは?」
「ああ、あしゅら様なら…上におられますよ」
「上?」
「こちらです」
いぶかる二人に、当直の鉄十字兵が天井を指差しながら答えた。
どうやら、あしゅらは艦外に出ているようだ…
鉄十字に示された出入り口へと向かうエルレーンと元気。
はしごを上り、重い扉を開けると、たちまちその隙間から生ぬるい風が入り込んでくる。
開いた空間は、夜の闇。
そして、飛行要塞グールの艦首、その上に立ち尽くす人影が見える。
紫と紺の二色にぱきりと塗り分けられた長いコート。
その彼のもとに、少年少女が駆けて行く。
かんかん、かんかん、と、踏みしめられた鋼鉄が甲高い音で泣く。
その音に振り返ったあしゅらは、近づいてくる人影を見てちょっと不思議そうな顔をした。
彼を見上げて、元気が問いかける。
「あしゅらさん?」
「!…何だ、小娘どもか」
「ねえねえ、グール直りそう?後どれくらいかかるって?」
「ああ…今鉄仮面と鉄十字兵が修理を急いでいる。
まあ、明日の昼ぐらいには何とかお前たちを帰してやれそうだ」
「そうなの?!よかったぁ!」
あしゅらの答えを聞いた元気は、安心したようにそう言って笑った。
「…何故?」
「いやぁ、あさって野球の試合があること忘れててさあ…
でも、間に合うようだったら全然いいんだ!」
「ふふ、そうか…」
「あしゅらさん、ここで何してるの?」
「ん?」
「こんなとこで何してるの?」
と。
透明な瞳の少女が、怪人に問い掛けた。
あしゅら男爵は答えて曰く、
「何をしているわけでもない…ただ、景色を見ていただけだ」
そして、再び視線を夜景へと転じた―
漆黒の空には、今にも落ちてきそうなほどの、満天の星々。
森は夜闇の中でなお暗く沈み影となり、静まり返る。
遠くを見やれば、ここからずっと離れた場所に位置する街々の光が瞬いている。
「…奇妙なものだな、この世界は」
「えっ…?何か変、なの?」
「何が?」
「奇妙ではないか」
あしゅらは、ため息を一つつき…そう、短く嘆じた。
けげんな顔をする子どもたちにちら、と目をやり、
「…天空に星が瞬くのみならず、大地にすら這いつくばって輝いているとは」
「??」
「大地に…星?」
そう彼は告げるのだが、子どもたちにその言葉の意味はわからない。
きょとん、としたまま、ぼけえっ、とあしゅらを見返す二人…
そんな彼らに微苦笑しながら、あしゅら男爵はすっ、と指差した―
真っ黒な大地の中、遥か遠くで、きらきらと輝いている…街の、電気の放つ光。
「え、それって…あの、電気の明かりのこと言ってるの?」
「ああ」
「えー、そんなに変?普通の夜景だと思うけどなあ?」
「…そうか、お前たちにとってはそうだろうな?」
なるほど、確かに…あの電気の輝きは、まるで天にある星のように見えなくも、ない。
けれども、それはそんなに奇妙なものだろうか?
首を捻る元気。
「だが、私にとっては…いくら見ても、見慣れんな。奇妙な光景だ」
「…」
「まるで、天の星が叩き落されて、地に堕ちたかのようだ…」
「ふーん、変わってるね」
あしゅらはぼんやりと、その遠い星々を見やりながらつぶやいた。
そんな彼を、不可思議そうに元気は見て。
「なんかさあ?電気が珍しいなんてさ。あはは、いつの時代の人なのさ?」
少しばかり、茶化したつもりで、そんなことを言った。
…が。
異形は、ちょっと眉を動かし、苦笑する。
「…さあ、な」
くっ、と唇だけで笑った、おどけた風に。
「私が教えてほしいくらいだ!」
「え…?」
思いもかけない答えに驚いたのは、元気とエルレーンのほうだ。
「?」マークだらけでいっぱいになったエルレーンが、率直に問う。
「え、じゃあ…いまの時代の人じゃない、ってこと??
どこから来たの?ずうっと、昔から?」
「さあ、どうだろうな!」
しかし、あしゅらが返すのは、あっけらかんとした答え。
「え…?!」
「何も、わからん!」
「な、何も、って…?!」
「本当のことだから、仕方があるまい?」
なおさらに目をぱちくりさせる二人に、両手を広げてみせる。
―と。
にわかに、その表情から、道化の色が消える。
「…今の私は、有り過ぎているからこそ不完全なのだ」
「?」
「お前たちが見てのとおり。私は、二人の人間が、一つに継ぎ合わされている」
いや、男、いや、女、男、女、おとこ、おんな…
とどのつまり、彼は両方。両性。両性具有(アンドロギュヌス)。
そして彼の場合、それがはっきりと見てとれるカタチで現れていた。
「一つの肉体に、二つの魂…どだい、無理な話だった、というわけだ」
「無理…?」
「そう、無理だった、ということ」
まるで、どこか他人事であるかのように。
「今の私には…有り過ぎているから、真実が見えぬのだ」
「見えない…」
「ああ、見えぬ。今の私には…」



「―記憶が、無いのだ」



「え…?!」
「記憶が…無い?!」
「そうだ」
あっさりと、淡々と、言ってのける。
驚く元気たちに、笑みさえしてみせる。
ひとつの身体に、二重に詰め込まれてどろどろと渦を巻く飽和した精神が、常人の感覚を失わせてしまったのか。
「私が、ばらばらの二人であったころ。
かつて何をしていたのかも。どこに住んでいたのかも。」
ここで、一拍の間をおいて。



「そして…『名前』すらも、思い出せぬのだ」



「『名前』…」
「…」
「今の名、『あしゅら男爵』というのは、与えられた仮の名に過ぎぬ。
私が、私達が、一人ひとりの『人間』であったころの、本当の『名前』…
その『名前』すら、思い出せぬ」
そこまで言って、あしゅら男爵の…つぎはぎの異形に与えられた「名前」であり、彼ら「二人」の「名前」ではない…台詞は、止んだ。
漆黒の空には、今にも落ちてきそうなほどの、満天の星々。
森は夜闇の中でなお暗く沈み影となり、静まり返る。
三人の間に流れる空気も、自然に静かになる。
「…」
「…つらい、ね?」
「…」
つらい、と、ささやいたのは、エルレーン。
だが、それにあしゅらは明確な答えを返さず。
別の言葉で、そらす。
「ただ…私が、この時代の人間ではないこと。それくらいは、わかる。
今でこそ、慣れては来ているが…目覚めたころは、何もかもがわからなかった」
「そうなの?」
「じゃ、あしゅらさんは…ずうっと、ずうっと昔の人、ってこと?」
「まあ、平たく言えばそうなるな」
「へえー、じゃあ電気も変だって言うわけだぁ」
いまだに信じられないような表情の二人。
それもそうだろう、目の前に立つ人物が、遥か遠い過去の世界に生きていただなどと…
(しかしながら、「未来の世界」に飛ばされたエルレーンは、「そんなことも、何回もあるのかもしれないねえ」などと感じていたが)
…何より、元気とエルレーンを驚かせたのは、あしゅらのその鷹揚たる態度。
わけのわからぬ時代に、しかも二人を一人にされるなどという尋常ならざる仕打ちを受け、
記憶を失い、「名前」すら失い、
それなのに―
深く気に病む様子もなく、けろり、としているのだ。
まるで、「悩んでも仕方ないことに悩んでも意味がないだろう?」とでもいうように。
広大な星空の中、綺羅星が瞬いている。
怪人が、何処か冗談めかして、だが熱のこもった声で言う。



「だがな、小僧、小娘、」



「私はいつか、自分の『名前』を取り戻してみせる。
この世界で、私が私であるために。
―そうすれば、きっと」



「きっと、失くしたモノを取り戻せる気がするのだ」



「そっか…うまくいくといいね」
「…がんばってね、あしゅらさん」
少女と少年の言葉に…その、対して力を持たない、けれども穏やかな心のこもった言葉に、怪人はうなずいて答える。
「ねえねえ、その時は、ね?」
少女が、怪人ににこり、とする。
エルレーンが、愛らしく微笑みながら…あしゅら男爵に言った。
「私たちにも教えてね…その、『名前』」
「!」
男爵は、少し驚いた顔をして。
そして、その後、
自らも穏やかに微笑みながら、答えた―



「ああ―」





「『約束』しよう」






back