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◆ 誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)〜delicato〜
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「…はっ?!」
いつの間にか閉じていたまぶたが反射的に開くなり、眼前に白い視界が開けた。
がばっ、と身体を起こした時に、ようやく自分は人事不省になっていたことに気づいた。
窓からさんさんと差し込む日の光は、目映い白。朝の白。
そうだ、ここは光子力研究所。その応接間。
自分はそこで不測の事態に備えていたはずなのだが…
見かねた誰かがかけてくれたのか…半身を覆っていた毛布が、ずるり、と、床にしなだれる。
「おお、起きた?リョウ」
「…俺、寝ちまってたのか」
まだ清明でない意識を無理やり振りたてれば…自分が不覚にも寝くたれていたソファの周りに、仲間たちの姿。
甲児やさやかが、自分を心配そうに見返してきている。
ハヤトやベンケイも、多少憔悴しているようだが…それでも、薄い笑みを浮かべられるまでには、まだ余力があるようだ。
「安心したまえ…何も起こってはいないよ、今まで」
「そうですか…」
弓教授の穏やかな言葉に、胸をなでおろす。
自分が寝こけている間に敵の襲撃などがあろうものなら、それこそ馬鹿丸出しだ。
「…」
…だが。
そもそも、襲撃があろう、というなら。
何故それが昨日のうちに来なかったのか?
いや、何よりも、元気とエルレーンをさらった当のあしゅら男爵から次のメッセージもないのは何故だ?
さらわれたはずの元気からミチルが受けた電話、元気ちゃんは一体何故そんなことをした?
何故、何故、何故―?
「一体…」
昨日の夕刻、ミチルからの通信を受けて以来、脳内をぐるぐると空転し続ける問い。
リョウの口から、苦悩にまみれてこぼれ落ちる。
「一体、何なんだろう、これは…?」
「さあ、な…」
首をかしげる甲児。
「ともかく…相手の次の出方をうかがうしかねえな」
「ああ…」
結局、彼らは「待ち」でいるしかない。
だが、いつまで「待て」ばいいのか?
今日?明日?それとも…?
何が起こるかすら、もう想像もつかない。
いや…このまま、何も起こらなそうな気すら湧いてくる。
「とりあえず、シャワーでも浴びさせてもらったら?ひでえツラしてるぜ、リョウ」
「…そうする」
だから、さすがのリョウも、少しこころが折れてしまったのか。
ベンケイの言葉に、憂鬱気にうなずいて。
無理な態勢で寝落ちしたせいで痛む身体をぎしぎしと無理に動かして、大儀そうに立ち上がった。


夜は当然こちらでも去り、朝は長野の山にもやってくる。
「え、お姉ちゃん…ほんと?」
「うん」
さて、こちらは飛行要塞グール・食堂。
己の分身が終わりの見えないスタンバイ状態に消耗しきっていることになど、露ほどにも思い至らぬエルレーン。
元気にこくり、とうなずいて、コックのレアルコス得意の朝食メニュー・目玉焼きの残りを口に放り込んだ。
よく噛んでから、こくん、とそれを飲み下し、にこっと笑って、こう言って見せた。
「グールのしゅうり、お手伝いに行こっかな、って」
「へえ…」
「いいのかよ?てゆうか、人手はあった方が助かるけどさあ」
「お客様にそんな仕事をしていただくのは、ちょっと申し訳ない気が…」
ルーカスとグラウコスも彼女の申し出にちょっとびっくりしているようだ。
破損した機械の修理なんて言う泥臭い仕事に、こんな少女を借り出していいものか、と。
しかしながら、エルレーンはきゃらきゃら笑って(大して大きくもない)胸を張る。
「いーの、っ。私、キカイとかとくいだよ?お手伝い、したいの」
「そうなん?そりゃ、ありがたいけど!…じゃ、修理班の連中に連絡しとくぜ」
苦笑いしながら、通信機でルーカスは格納庫にいるらしき仲間に連絡する。
…と。
何やらまごまごしている元気、困ったように問いかけた。
「で、でも、その間…僕、どうしよう?」
「この人たちにあそんでもらったらいいよぉ」
が、むべなるかな。
あっさりと首をふる下っ端兵士たち。
「あ、悪ぃ、それ無理」
「申し訳ありません、私たちは勤務シフトが入っていまして」
「えー?!それじゃ僕、一人ぼっちで待ってないといけないのー?!」
瞬時におもりを断られた元気、不平不服の声をあげるも…
哀しいかな、兵士の彼らはやることがあるのである。
休暇中、でない限りは。
「しゃあねーじゃん、お仕事なのよ俺たち。あー辛いわー」
「お部屋でゆっくりしていてください」
「ちぇー…」
いきなりひとりで放置されることが決まってしまった元気が不満げな唸り声をあげる。
しかし、文句を言ったところで二人の仕事がなくなるわけでもなし。
かと言って、エルレーンについていっても、自分は修理の手伝いをできるわけでもなし…
「そんじゃなー、俺たち頑張ってくるわー」
「シフト終わったらまた来ますねー」
「はーい…」
グール修理にとエンジンルームへ向かうエルレーンを見送り、部屋まで送ってくれた二人を見送り。
ぽつん、と広い部屋にひとりきりになった元気。
当たり前だが、戦艦に子供が喜ぶような遊び道具があるはずもない。
「…」
手持ち無沙汰にベッドに転がってみるも、いいベッドでしっかり睡眠をとったのだから眠気の欠片もなく。
小一時間ほどは、無駄にぽよぽよベッドの上でごろごろしていたものの…
「…!」
何やら、ぱっと表情を変える。
がばり、とベッドから飛び出した元気は、ばたばたと勢いよく廊下に飛び出した。


最早勝手知ったる、といった様子で、グールの通路を駆けていく。
時々通りすがる鉄仮面兵や鉄十字兵に笑顔であいさつし。
で、時々彼らに目的地の場所を聞いたりして。
まっすぐ、曲がって、またまっすぐ行って…
そして、彼がたどり着いたのが、ここである。


..."Captain's Cabin".


「?!…こ、小僧?!」
「あっ、ごめん、シャワー浴びてたの?」
がっちゃっ、と、出し抜けに開いた扉に、さすがに常日頃無表情気味なブロッケンの顔色も変わる。
シャワーブースから出てきたばかりだったのか、タオル一枚をまとった姿。
ぽたぽた、とこぼれる水滴が、床にてんてんと丸い跡を作る。
自分にとてつもない無礼を働く子どもにブロッケンはあっけにとられたのか、思わず無言…
しかし元気はあっけらかんとしたものだ、あっさりこう言って笑うだけ。
「ごめんごめん!着替える間、外に出とくよ」
「…」
あははと笑いながら、元気は再び扉を閉める…
ばたん、という音とともに、そこには唖然となってしまった伯爵殿だけが残される。
いきなりすぎて、あまりに唐突すぎて、反射的に怒鳴り返す言葉すら出てこなかった。
「…」
やにわ、乱暴にタオルで身体を拭い、髪の水滴を取り去る。
椅子に引っ掛けてあった下着に軍服のズボン、それに白いシャツを身にまとう。
伯爵の最低限の身支度がちょうど終わったところで…
「ねーえ、もういーい?」
「…はあ」
どんどん、と乱暴なノックとともに、大声が木製の扉を貫いた。
あの小僧はどうあってもこの部屋に入りたいらしい、こちらが取り込み中なのは明らかにわかるはずなのだが…
いや、そういうことを察せないのが、子どもというものか。
昨晩の森でのやり取りに続いてのこれ。
ブロッケンは、不本意にも…「このガキどもはこちらの命令など聞かない、抗弁してもより面倒くさいことになるだけ」ということに慣れつつあった。
誠に不本意ではあるが。
はあ、と、ひときわ大きいため息をついて、軽く肩をすくめ。
椅子に座り込み、はあ、とまたため息を繰り返す。
「わかった…入れ」
「はーい」
あきらめの声を上げれば、元気がすぐさまに部屋に入り込んでくる。
あっけらかんとしたその様子からは、先ほどの非礼を恥じている風すらない。
「小僧…お前の家には、ノックをするという習慣はないのか」
「ああー、それお姉ちゃんにいっつも言われる!つい忘れちゃうんだよねー」
「…」
十分に皮肉の色を込めたつもりの台詞ではあったが、子どもにはまったく通用しない。
悪びれもせず、けろっとそう言ってけらけら笑うだけだ…
…伯爵の口から、いろいろあきらめた嘆息。
「…で、何の用だ」
その嘆息の最後に、投げやりに問いかける。
「あのね…」
…と、言いかけた元気の視線が、ある一点で止まった。
気だるそうにテーブルに投げ出された、ブロッケンの右手に…
その右手、そこに在ったそれは、元気の興味と好奇心を十分にひきつけた。
元気は、そのことについて問うことに、何の躊躇もしなかった。
タブーであるかもしれない、とすら思いつきもしなかった。
そのような配慮が出来るはずもない、彼はまだ「子ども」なのだから。
だから、彼はその残酷な質問をストレートに伯爵にぶつけた…
「ねえねえ、ブロッケンさん?」
「…何だ、小僧?」
「ブロッケンさんって、結婚してるの?」
「…!」
元気の言葉を聞いたその一瞬だけ、ブロッケンの表情が動揺で強張る。
が、すぐにそれを押し隠し…無表情で押し隠し、問い返した。
「…何故、そんな事を聞く?」
「えー、だって、ほら…け、結婚指輪、してるみたいだから…」
「…」
そこまで言われて、彼本人もようやく気づいたようだ…
そう、今彼は、いつもしている白い手袋をしてはいない。
シャワーを浴びる際に外したまま、つけていなかったのだ。
ブロッケンが口をつぐんでいるうちにも、元気は元気で勝手に推察を進めている。
「あ、でも…右手だから、それって結婚指輪じゃないね。婚約指輪…だっけ、右手は」
「…日本では、そうなるのか?」
「え?」
「…我輩の国では、右手の薬指にするのが『結婚指輪』と相場が決まっているがな」
「え、それじゃ…」
元気の言葉に、ブロッケンは微妙な表情を見せた。
ほんの少し、間があいた。
「…」
黙り込んだ、伯爵殿。
怒っている、というよりは、惑っている、ような表情で。
「…?」
「…今は、」
ようやっとのことで絞り出された声は、少し震えているようで。
「もう、」
一言、一言に、長い空白。
「会えない、相手…だがな」
そう言って、軽いため息でその弱々しげなセリフを締めくくった。
「…」
「…」
「…」
ブロッケンは答えた。
叱るでもなく、怒鳴るでもなく、ぶしつけな子どもの問いに、彼なりに誠実に。
…元気は口をつぐんでしまう。
理解したからだ。
元気は、やっと…自分のとった軽率な行動を、後悔した。




間。
空調の音だけが、かすかに低くうなる。




「…それより、何の用でここに来た?」
「あ、っ」
気まずい空気を押し流すようにもしくは先ほどの自身の発言を押し流すように。
唐突に投げ込まれた質問に、元気ははっ、とここに来た目的を思い出す。
「鉄仮面と鉄十字のお兄ちゃんも仕事に行っちゃったし、
エルレーンのお姉ちゃんもグールの修理に行っちゃって、僕一人ぼっちなんだ」
「…それで?」
先を促すブロッケン。
しかし、その次に小僧の口から出た言葉も、また彼をひどく面喰わせる。


「だから、ブロッケンさんに遊んでもらおうと思って!」
「…」


「…何故、我輩がそんなことを」
今度こそ、はっきりと鉄面皮の伯爵の表情が困惑に歪む。
だがそう言ったものなど歯牙にもかけないのが、子どもというものである。
「だってぇ、ブロッケンさん…最初に会った時に言ってたよ?
『休暇中』だって」
つまりは、ブロッケンも自分と同じ…
「夏休み」中なのだ。
「だったら、他の人たちと違って暇なんだよね?
いーじゃん!一緒に何かして遊んでよ!」
「小僧…お前…」
「みんな働いてるのに、ブロッケンさんはここにいるってことは…
ブロッケンさんも暇なんでしょ?そうでしょ!
じゃあいいよね、僕と遊んでよ!」
「…」
やっても無意味なことは、繰り返す意味がない…
合理的判断は、正しいながらも面倒なことを彼に強いる。
不承不承、彼は…うるさい子どものリクエストに応えざるを得ない。
そう、昨夜と同じく。
「…」
机から何かを取り上げ、無言でテーブルの椅子を引き、どかり、と座り込む。
無言で元気にも座れ、と目で示す伯爵。
ちょこん、とブロッケンの向かいの椅子に座った元気に、気だるそうに彼は言う。
「…さすがに、カードくらいはできるんだろうな」
「かーど?何の?」
きょとん、となる元気。
カードゲームと言ってもたくさんある。
カルタ?UNO?花札?
だが、一般的に、「カード」と言う単語があらわすものと言えば…世界的にこれだ、と決まっている。
テーブルにぽん、と放り投げられた小さな箱とそこに書かれているマークを見ると、元気の目にぱっ、と光がともる。 
「ああ、トランプ!」
「ポーカーでいいだろう」
「えっと、数字とかマークあわせる奴だよね!いっぺん家でやったことある!」
やはり無表情気味なまま、元気の向かい側の椅子に座り。
カードケースからデックを取り出し、それをよく切りながら言うブロッケンに、うれしそうにうなずく元気。
チップ代わりに、テーブルの小箱からキャンディを転がして、分配して。
ブロッケンによって交互に配られたカード、全部で5枚。
さっそくカードを手にする元気、意気揚々とポーカーに挑む。
…が。
「えーっと、マーク全部そろえるのと、数字が同じの三つの作るのって、どっちが上だっけ?」
「…マークがすべて同じの、フラッシュだ」
「そうなの!じゃあ、これとこれを交換、っと…」
「…」
どうやら、ポーカーを「やったことがある」とは言っても、ルール自体あやふやのようである。
元気はカードを2枚交換、山札から新しいカードを引くなり…
「ああん!欲しいのこれじゃないのにー!んもー!」
「…」
まあ、素直でまっすぐな小学生の子どもに、ポーカーは土台無理である。
考えも作戦も口から表情からだだもれ。
駆け引きを楽しむどころか、まともなゲームにもなりはしない…
「ポーカーフェイス」などといったものとは全く無縁の元気の反応に、伯爵は…無言で目を伏せ、ため息をつくばかり。
だが始めてしまった限りは仕方ない、数戦やって納得して帰らせよう…
ぽい、と3枚カードを捨て、彼も新しくカードを引く。
…と、その時。
こんこん、と、扉が鳴り。
がちゃり、と開いた扉から、ワゴンを押す鉄十字兵の姿。
「ブロッケン伯爵、ミネラルウォーターをお持ち…え、ええっ?!」
静かに部屋に入ってきた兵が、調子っぱずれな驚嘆の声をあげる。
「あ、その声、ルーカスさん?」
「てゆうか、ちょ、おま、ゲンキ…」
「それ、僕の分ってある?僕も欲しい!」
「おい、あの…」
ルーカスに気づいた元気、笑いながら自分にも飲み物を要求。
同様あらわな彼のもの言いたげな顔にもちっとも気づかず…
「…鉄十字、用意しろ」
「あ、は、はい…」
「ありがとー、ルーカスさん!」
ブロッケンはやはり面倒くさそうに、「そいつの言うとおりにしてやれ」と促してくる。
主がそう言うのならそうするほかない、ルーカスは元気の分もグラスに水を入れてやる…
「そ、それでは私はこれで」
「うん!またねー!」
「…」
この場の奇妙な空気に耐えかねた下っ端兵士の彼は、「何故元気がここにいるのか」と問うこともせず。
一目散にこの場を逃げ出したい、とばかりに、口早にそう言って二人から後ずさる。
お気楽に手を振ってくる元気、気だるそうに遠い目をしている伯爵。
ドアが閉まる瞬間、こんな会話が聞こえてきた…
「はい!僕、ツーペアー!」
「…フラッシュ。我輩の勝ちだ」
「えー?!何でぇー?!」
ばたん、と扉を後ろ手に閉めるなり、ルーカスの口から一気に安堵の吐息が漏れ出た。
今見た光景がとても信じられず、ついつい目をしばたたかせる。
自分たちが手いっぱいだからといって、独りでは退屈だからといって…
だからと言っても、まさかこんな手段に出るとは。
(げ、ゲンキ…あいつ、マジすげぇわ…)
まさか、あの地獄の鬼将校・ブロッケン伯爵を遊びにつきあわせるとは…
まさか、その子どもの我がままにあの悪夢の支配者・ブロッケン伯爵が黙って付き合っているとは…
「いやあ…すげえもん見たわぁ…」
驚きのあまり、率直な感想が思わず口をついて出てしまったルーカスであった。


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