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◆ 誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)〜a capriccio〜Movement 2
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「―おい、ブロッケン、小娘!返答しろおッ!」
「…!」
死を誘う幻影を断ち切ったブロッケン伯爵の耳に、スピーカーから空をつんざく焦燥はらみの叫び。
それがあしゅら男爵の声であることに気づいた時には、すでに彼は正気を完全に取り戻していた。
「あしゅら!」
「!…貴様、何を呆けておるのだ?!一体何があった!」
ようやくはじきかえってきた返答に、さすがのあしゅらの声音にも安堵が入り混じる。
通信機の向こうから響いてくるその声に、ブロッケンはまだわずかに動揺した己の精神を押さえつけながら返答する。
「…敵の攻撃にやられたようだ」
「何?!…やはり、先ほどの怪光線か!」
「ああ、どうやら強力な催眠の一種のようだが…我輩はもう大丈夫だ!」
だが。
その時、彼はようやく気づく―
コックピットの強化硬質ガラスが隔てた戦場の風景の中、大地に両足を釘付けにされたまま動かない鋼鉄の女神の姿―
「―!」
それが意味することは、すなわち…!
「おい、あしゅら!お嬢は?!」
「…駄目だ、先ほどから呼びかけてもまったく返答がない!
貴様と同じく、奴の術中にかかっているに相違ない、が…!」
「…!」
今度は、あしゅらの言葉を聞くブロッケンの表情に、焦燥が浮かぶ。
あの光線を、あの攻撃を、少女も受けたというのならば。
彼女もおそらく、陥っている。
あの真っ白な幻魔に、あの死を誘う幻魔に…!


「…わあ…!」


と。
沈黙を保っていた、ミネルヴァダブルエックスからの通信。
それは何の悲愴感もない、何の緊迫感もない、何の恐怖感もない、
喜びと感動に満ちた、感嘆の吐息。
それが、なおさらに場違いで、恐ろしかった。


「こ、小娘…?!」
「お姉ちゃん…?!」
うれしげな、うれしげなものでしかないその心底感じ入ったかのような声は、聞く者を動揺させる。
しかし、少女はなおも歓喜と愉悦に満ちた、そして愛情に満ちた声で、何者かに語りかけている。
彼女以外に誰もいるはずのない、ミネルヴァダブルエックスのコックピットで―!
「やっぱり、…いてくれたんだね!ずうっと、私のこと、見ててくれたの…?!」
「お嬢?!お嬢…誰としゃべってるんだッ?!」
「うふふ、私、そう信じてた!信じてたんだよ、ねえ…」
動じるあしゅらの声にも、惑う元気の声にも、叫ぶブロッケンの声にも答えない。
ただ、彼女は目の前の。
目の前にいるように見える、その幻影の相手に向かって呼びかけている。
そして、彼女はその幻の「名前」をつぶやいた―


「…『ルーガ』…!」
「?!」


「ルー…な、何を言ってるんだ、お嬢?!」
ブロッケンの困惑が、むなしいままに跳ね返る。
少女が発したその言葉を、当然ながらあしゅらたちはわかりはしない。
ただ一人、その「名前」の意味を理解したのは…
「お、お姉ちゃん…お姉ちゃん…!」
飛行要塞グールのブリッジにて戦いを見守っていた、元気のみ。
「ど、どうしたんだ、小僧?!…お前、何か知っているのか?!」
「る、『ルーガ』っていうのは…」
顔色を失い立ち尽くす少年。
あしゅらに問われ、のどから搾り出すように元気は答える。
「お、お姉ちゃんの、大切な、『トモダチ』の『名前』…!」
「…!」
ブロッケンの瞳に、射すのは暗い影。
彼女の愛おしい女(ひと)の姿で
彼女の愛おしい女(ひと)の声で
彼女の愛おしい女(ひと)の瞳で
彼女の愛おしい女(ひと)の表情で
その「トモダチ」は呼ぶのだ、あの少女を。
「お姉ちゃんが、恐竜帝国にいた時…たった一人、やさしくしてくれた『ハ虫人』の女の人だ、って。
いつも自分を見ていてくれた、…まるで、『お母さん』みたいな人だった、って…!」
「!…『母親』…」
あしゅらの瞳に、射すのは黒い影。
それは、彼女が最も信頼を置く女(ひと)のはずだ。
それは、彼女が最も尊ぶ女(ひと)のはずだ。
それは、彼女が最も妄信する女(ひと)のはずだ。
それは、彼女が最も大切にする女(ひと)のはずだ。
その「母親」は呼ぶのだ、あの少女を。
「で、でも…その人は、とっくの昔に死んでるんだよう!」
「?!…な…」
元気の、今にももう泣きそうな声。
そうだ、元気は知っている。
あの時を、あの瞬間を、彼は早乙女研究所の司令室で、見ていた。
「り、リョウさんたち、ゲッターチームが…その人が乗った、メカザウルスと戦った時に!
だ、だから…その人は、もう、とっくにこの世にいないんだよう!」
「…!」
かつて研究所が恐竜帝国という怨敵と戦っていた時に。
かつて少女がその怨敵の道具だった時に。
その「ルーガ」なるものは倒されたという…他ならぬ、ゲッターチームに。
では、今あの少女の眼前に在るのは―!
「なのに、お姉ちゃん…お姉ちゃん、その人を見てる…!」
「く…最愛の者の幻を見せて、動きを封じるとは…えげつない真似を!」
その「トモダチ」は呼ぶのだ、あの少女を。
その「母親」は呼ぶのだ、あの少女を。
「うふふ、うれしい…!」
「お姉ちゃああん!お姉ちゃあん、目を覚ましてよおッ!正気に戻ってぇッ!」
「お嬢!お嬢!しっかりしろッ!そこには、誰もいないんだぁッ!」
幻覚に囚われた少女に、必死に叫ぶ彼らの声は聞こえない。
彼女は、真っ白な世界の中で、最愛のその女(ひと)と二人きり。
そして、その幻が少女にそそのかすこと。
少女の口から放たれた、それを端的に表す言葉が、
あしゅら男爵の鼓膜を突き通る―


「ルーガ…私のこと、『連れて行って』くれるんだね!」


「?!」
「…ちっ!」
不快げに表情をゆがめるあしゅら。忌々しげに舌打つブロッケン。
その「トモダチ」は呼ぶのだ、あの少女を。
その「母親」は呼ぶのだ、あの少女を。
自分のいる世界、すなわち「黄泉」に来い、と、
すなわち、「死ね」と―
それは、幻影たちがブロッケン伯爵にしようとしたのと、まったく同様に!
「まずい、あしゅら!…ミネルヴァを止めなくては!」
「何?!」
「あの光線は―」
切羽詰ったブロッケンの叫びには、危機感が満ち溢れていた。
しかし、あしゅらに己が予測を長く語る時間すらない。
少女は、行動した―
幻が命ずるままに!
「ッ?!」
「お、お姉ちゃん?!」
息を呑むあしゅら、悲鳴を上げる元気。
ブリッジから見る戦場の風景の中…八月のぎらつく光の中で。
ゆっくりと、ゆっくりと、ミネルヴァダブルエックスが、手にした剣を天にかかげる。
光を跳ね返し四方八方に散らばす、魔を断つ刃の輝き。
「ああ、そうか、ルーガ…わかってる」
少女は幻に笑いかける。うっとりと魅了された表情で。
透明な瞳は、そこに在るはずのない女(ひと)を見ている。
「うふふ、わかってるの…!」
そして、応じるのだ。
そこに在るはずのない女(ひと)の命じた言葉に―!
剣先が、動いた。
「!」
「な、馬鹿ッ!」
彼女の意図したことを理解した瞬間、驚愕の絶叫があちこちからあがる。
鋼鉄の女神は、高く掲げたその剣をまっすぐに振り下ろした、
―こともあろうに、己の頭蓋めがけて、
それを操るエルレーンが在るはずの、コックピットめがけて!
「…!」
すさまじい勢いで降りかかる凶悪な自己破壊の刃、
だが―その真意を誰よりも早く見切った男は、それよりも速く、わずかに速く動いていた!
「ぐ…」
「…!」
強く蹴りつけられた大地が、叫ぶ。
地を跳ね大きく飛び掛り、その両腕が素早く鋼鉄の女神の両腕をつかみ押さえ込んだ―
ミネルヴァソードの刃は、間一髪。
コックピットの強化ガラス、その寸前すれすれの部分で…断ち割る対象を断ち割ることが出来ずにとどめられ、不服そうにぎりぎりと鳴る。
ブロッケン伯爵が決死の表情でそれを抑える、ダイマーU5の全力をもってして!
「何と…何と言うことだ、」
あしゅら男爵の喉から、震える声。
「捕らわれた…完全に、」
眼前の光景。己を滅しようとする鋼鉄の女神。
ああ、その中にいるあの少女は、最早すでに…
「死神に、捕らわれおった―小娘!」
「…!」
嘆息が、飛行要塞グールの艦橋に落ちる。
早乙女元気の瞳が、哀しみで曇った―
「お嬢!馬鹿なことはやめろッ!」
ブロッケンは叫ぶ。彼女と同じ幻を見た、ブロッケンは叫ぶ。
叫びは跳ね返る。無駄に跳ね返る。
少女は、何も答えない。
操縦桿から伝わる重みは、ダイマーU5に加えられる力がいまだ大きく、まったく衰えていないことを示している。
ダイマーがその腕の力をゆるめれば―鋼鉄の女神は、そのまま己の脳天にその剣を打ち振るうだろう。
「…」
「お前は操られているんだ、そこには誰もいないッ!」
「…」
ブロッケンの言葉。彼女と同じ幻を見た、ブロッケンの言葉。
言葉は跳ね返る。無駄に跳ね返る。
少女は、何も答えない。
そんな、さなか。
「…ふは、ははは、」
事の成り行きを無言で見守っていた、百鬼帝国側。
メカ暗邪鬼のコックピットに座すリーダー・暗邪鬼の口から…乾いた笑いがこぼれ出る。
やがて、それは狂笑になり、空気を震わせる。
「ははははははははは、あはははははははははははは!!」
「あ、暗邪鬼様ッ?!」
「面白い…くくく、面白いじゃないか!」
涙に濡れた目で、心底蔑むような目で、ちっとも面白くなさそうな目で、
暗邪鬼は敵のロボットに…戦友を屠ったあの鋼鉄の女神に一瞥をくれた。
「わしの友を殺した貴様らが!幻影に狂って、自ら殺されることを選ぶか!
何たる皮肉だ、何たる喜劇だ!」
試作型クレイジービームの効果は、察するに―犠牲者を自死に到らせる幻覚を見せるもののようだ。
一人はかかりが薄かったのかそれから逃れたようだが…あの小娘は、完全にその幻惑の中に堕ちた!
「面白い、じぃぃぃぃつぅぅぅぅに面白ぉぉぉぉぉいッッ!」
涙に濡れた目で、心底蔑むような目で、ちっとも面白くなさそうな目で。
感嘆の台詞を、まるで演じあげるように。
「ならば、わしが…手伝ってやろう」
そして、操縦桿に手をやり、
「なあぁ、恐角鬼ィ!」
「ああ、暗邪鬼ッ!」
たった一人残った、戦友に呼びかける。
最早あの小娘は、動けない。
そしてその自刃を止めんとする、あのロボットを駆る男も。
「喰らって吹き飛び、会いに往け―」
好機。
好機以外の、何物でもない。
メカ暗邪鬼が、メカ恐角鬼が動く―
「愛しい愛しい、亡霊になァッ!」
そして、敵めがけて、無数のミサイル弾を放った!
「…くっ!」
コックピットから見える、発射された多数のミサイル群。
だが、ブロッケンのダイマーは最早その場から動けない…ミネルヴァダブルエックスと同様に!
「あしゅら!」
「ちっ、わかっておるわ!」
反応したのは、あしゅらのジェノサイダー、そしてデイモス。
同時にミサイルを放ち、敵の射撃を打ち落とさんとす…!
「ぐ…う!」
が、その時。
脳天を錐で貫くような、あの痛み。
先ほどよりもずっとずっと強く走ったその痛覚に、思わずあしゅらはうめきをもらす。
単純な命令ならば、精神感応(テレパシー)を多大に使わずとも容易く機械獣に命令できる。
しかし、あたかも自身がパイロットとなって操縦しているかのごとく己の意のままに…
しかも二体の機械獣を同時に操るためには、相当の精神力を必要とする。
その反動はある種の痛覚となって、あしゅらの脳髄を責めさいなむ―
「あしゅら様!」
「く…ま、まだ大丈夫だ!」
だが、今や百鬼メカの攻撃をいなし防御できるのは、自らの操作するジェノサイダーとデイモスのみ。
男爵はバードスの杖を強く握りなおし、再び念を強く込める―!
「お嬢!我輩の声を聞け!正気に戻れ!」
ブロッケン伯爵は全力で操縦桿を引き絞る。
ミネルヴァダブルエックスの両腕をホールドさせたまま、ダイマーU5の両腕の力を決してゆるめぬように。
退魔の剣にて己自身を断ち割らんとする、その鋼鉄の女神の両腕を。
「そこには誰もいない!そこには…何も、ない!」
真っ白い闇の中に在る少女に、ブロッケン伯爵は叫ぶ。
真っ白い闇の中に在る少女に、現実を叫ぶ。
現実に帰れ、と叫ぶ。
だが、果たしてこの現実は―彼女にとって、帰るに値する場所であるか?
真っ白い闇に捕らわれた少女は、何も答えない。
エルレーンは、何も答えない。
答えないままに、透明な瞳で「誰か」を見ている―
その「誰か」は、やさしく微笑みながら彼女を見ているのだろう。
ブロッケン伯爵は、そう直感していた。




何故なら今しがた、彼自身が見たものがそうであったから―





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