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◆ 通り雨
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「…!!」
遠くに落ちた雷の光が、あたり一面に眩しく走る。
つい先ほどまでは真っ青な空が広がっていたはずなのに、今は不吉な灰色の雲が渦を巻いている。
そしてそこから強烈な勢いで地面に叩きつけるようにふる雨粒……夏の夕方、急な天気の崩れ。リョウはそんなときに運悪く出くわしてしまったのだ。
しかもさらに間の悪いことに、サイドカーで寮に帰る途中だった。…この豪雨の中、バイクで走るのはかなりきつい。
身体中に雨粒が降りそそぎ、服をすっかりぬらしてしまった。あまりに勢いよく降りそそぐため、痛いほどだ。
(…これは、ちょっと…ヤバい、かも…どこかで雨宿りしたほうがいいかもしれない)
寮まではまだ遠い。
その上、遠くで雷も鳴っている。少しどこかに避難して、天気が回復するのを待ったほうがよさそうだ。
…雨宿りできる場所を探し、ふっと周りを見回してみる。
…と、おあつらえ向きに雑木林らしき黒い影が雨の隙間から見えた。急いでそこまでサイドカーを押しながら走っていくリョウ。
…その雑木林に入ると、途端に身体を痛いほど打ち付けてきた雨が消えた。
…よく見るとそれは「林」というよりは「森」…遥かにうっそうと木々の茂った場所だった。
木は四方八方に枝葉を伸ばし、それが傘のようになって雨粒を通さない。
(…ここなら、安心だ)
リョウはサイドカーを押しながら、その森の奥深くに入り込んでいく…
すると、居心地のよさそうな大木を目にした。その木はほかのものよりずっと大きく、生き延びてきた年月の重さを感じさせる重厚さをかもし出していた。
リョウはそっとその根元にサイドカーを止め、エンジンを切る。
…と、静かな空気が森を浸す。聞こえるのは遠い雨音。
…ゆったりとその場に座り込み、そこでようやく彼は一息つくことができた。
気分が安らぐと同時に、雨にぬれた自分の服が気になってきた。
…水分をたっぷり含んだ服はぴったりと肌に張り付き、気分が悪い。
(風邪を引きそうだな、このままじゃ……うーん)
周りに誰もいないのは当然だとわかっているが、一応ぐるりと見回して確認する。
…何の気配もしない。
(ちょっと…ここで、少しでも乾かそう…)
リョウは上半身に着ていたシャツを脱ぎだした。
…が、この夏の暑い盛りだというのに、彼はまだその下に何かを着込んでいる。
…それはかなりかっちりとした、スポーツ用のサポーターだ。リョウの胸からみぞおちの辺りまで、全体的にぴったりと覆ってしまっている。
…そのサポーターも雨に濡れてしまっている。
リョウはそのサポーターのわきについているボタンを一つ一つ外していく。
ぱちん、ぱちんという音…そして、最後のボタンを外すと同時に、ばさっと音を立ててサポーターがリョウの太ももの上に落ちた。
軽い拘束を解かれ、ふうっと心地よさそうに息をつくリョウ。
リョウの白い胸がその呼吸に合わせ上下する。…だが、その胸には、『男』のはずのリョウにはありえないものがあった…
それは、小ぶりだが、男性のものでは絶対ない…形のいい乳房だった。
その丸みを持った乳房からしなやかなラインが彼の身体を縁取り、ウエストの部分はきゅっとしまっている。
そこにあるのは『男性』の身体ではない。明らかに『女性』の…エルレーンと同じ身体だった。
リョウは今脱いだばかりのシャツとサポーターをぎゅっと絞り上げる。
水気が出なくなるまで固く絞った後、そのシャツで自分の身体を拭き始めた。そのやわらかな胸も無造作にぬぐう。
その途端だった。強烈な閃光が、リョウの目を焼いた。
「うわっ?!」
「…きゃっ!」
その後2、3秒もしないうちに雷の鳴り響く、地響きのような強烈な音!
…だがそれと同時に、リョウの耳にその音ではない「別の音」も聞こえた。…それは、女の小さな悲鳴のように聞こえた…!
「…?!」
頭上からばさばさという音。…木の枝をぶち折って、何かが…落ちてくる!
そうリョウが気づき、頭上を見上げた瞬間、それが落ちてきた!
「?!」
「…やぁん!」
リョウの目の前、くるりと回転し地面に降り立った影は…恐竜帝国のパイロット…自分の不倶戴天の敵、エルレーン!
「エルレーン?!貴様ッ!」
一気にテンションが上がる。
頭をふりながら立ち上がろうとするエルレーンに向かって構えを取る…!
「…いたた…あれ、リョウ……?!」
身体についた葉っぱを払いながら、リョウのほうに目を向けるエルレーン…
と、その表情が驚きで強張った。
「…?」
その反応の理由がわからず、一瞬リョウは戸惑った。
だが、彼女がじっと自分を見つめていることに気づく…
彼女の視線は、リョウの…一点を見つめたまま、動かない。
「?!」
それに気づいた瞬間、ざっ、と身体を丸め、その視線から胸を隠すようにするリョウ。
…しかし、もう遅い。
自分の乳房、あの女のものと同じ…『女』であることの証拠を、はっきりとエルレーンに見られてしまった。
「り、リョウ…やっぱり…」
エルレーンが驚きながらも、ようやく、といった感じで言葉をつむぎだす。
その目はいまだ、隠されたリョウの胸に注がれている。
「見るなァッ!見るんじゃねえッ!」
混乱した頭で、それでもリョウは必死に叫ぶ。
ぎゅうっと両腕で自分を抱きしめ、胸を隠そうとする…やわらかい自分の乳房の感触。
「リョウ…」
「…くっ…!…くそ、畜生、畜生…ッッ!」
見られた、というショックからか、言葉が上手く出てこない。
もつれた舌はただ罵りの言葉しか生まない。
右腕で胸を隠したまま、サイドカーの傍らに落ちていたサポーターとシャツを左腕で引っつかむ。
「…」リョウの混乱した様子を、エルレーンはただ呆然と見ている。
「…向こう向いてろ!…こっちを、見るなッ!」
鞭で打ち付けるような口調でリョウが怒鳴りつける。
慌てて向こうを向くエルレーン。同時に、リョウはサポーターを再びつけ始めた。自分の『女』を押し隠すサポーター。
「…畜生…畜生…っ…!!」
急いで再び服を着ようとするリョウの口からは何回も何回もその言葉が出てくる。
自分の秘密を見てしまったエルレーン。そして、うかつにもその敵に自分の秘密を見られてしまった、自分に対する、激しい嫌悪と怒りの、罵りの言葉…

雨は止む兆しすら見せず降りそそぐ。二人のいる大木の上にも。時折、枝葉の間から水滴が地面にぽたりと落ちる。
その音すらはっきり聞こえるほど、あたりは静まりかえっている。雨の音のほかは、何も聞こえない。
二人は、ずいぶん無言のまま、お互いに背を向けて座り込んでいた。
…やがて、どれくらい時間がたった頃だろうか、ぽつりとつぶやく声。いたたまれない沈黙を破ったのは、リョウのほうだった。
「…お前、さっき…『やっぱり』っていったな…いつから、気づいてた…?」
「……」
エルレーンも背を向けたまま、穏やかに答えた。
「初めから…おかしいな、と思ってた。…私のオリジナルは『男』なのに…どうして私は、『女性型』なんだろうって。
ガレリイ長官は…偶然だと思っていたらしいけど。…でも、なんとなく…変だと思った、の」
「…」
「…気づいたのは、リョウに…触った、あの時。私が学んだ、『男』の身体とは…違っていた、から…」
「…やっぱり、そうかよ…」
沈痛なため息とともに、リョウが言葉を吐き出した。
「……ねえ、リョウ」
エルレーンがリョウのほうにふりむいた。
…リョウは、視線を合わせようとはしない。自分の足元に目を落としたままだ。
「リョウは…どうして、男の子のふりを…しているの?」
「『ふり』…?」
その言葉にリョウがぴくりと反応する。
「…『ふり』じゃない!…俺は…違うッ!」
声を荒げてエルレーンをきっと睨みつける。
突然怒鳴るリョウを目の当たりにして、びくっと脅えるエルレーン。
…それを見て、自分が突発的に怒鳴ってしまった事に気づいて気を落ち着けようとするリョウ。
「…俺は…『男』なんだ……ただ、身体が、『女』なだけで…!」
押し殺すような声。
有無を言わせないような口調でリョウはただそう言い放った。
「…?」
それがわからない、といった怪訝な表情でエルレーンはリョウを見つめる。
「ずっと、そうだったんだ。子供の頃から、俺は『男』だった。…そして、今もそうだ…それだけだ…!」
「…でも、リョウは…」
「うるさい!…お前には、関係のないことだろう…?!」
なおも問いかけようとするエルレーンに神経質に怒鳴り返す。
…だが、エルレーンの瞳に映るリョウは…とても動揺して、何かに怯えているように見えた。その口調のとげとげしさとは裏腹に…
「…リョウ…」
しかし、何もいえないままエルレーンは黙り込んでしまう。
身体を丸め、頭をひざ頭につけたまま、リョウを見ている。
透明な瞳が、リョウを見ている。
「……」
隣に座るエルレーンのその姿が、リョウの目に焼きつく。
…ふいにリョウは立ち上がり、サイドカーのシートに飛び乗った。
まだびしょぬれのヘルメットをかぶり、エンジンをかける…森に、激しい起動音が鳴り響く。
「…リョウ、帰る…の?」
「…」
背中に呼びかけるエルレーンの声は無視して。
「まだ…雨が降っているのに」
「…うるさい!」
冷たく一言そう言いはなつリョウ。…だが、その声は…震えていた。
エルレーンが何か言おうとしたその瞬間、リョウは思い切りサイドカーのアクセルをふかす。爆音が彼女の言葉を、かき消した。
あっという間にリョウのサイドカーは森を裂き、すぐにエルレーンから見えない遠い場所までいってしまった…
…そして、エンジン音のこだまも消えると、その森にはまた静寂が訪れる。
雨音の他には音のしない森に、エルレーンただ一人。
「…リョウ…」
彼女は、消え去った自分の分身の名を呼んだ。あのときの、つらそうなリョウの顔が目に浮かぶ。
リョウの、『女』の身体。「俺は『男』だ」という、リョウの心。
その理由は彼女にはわからない。だが、リョウの苦しみ、哀しみが…いやでも感じ取れた。だから、何も言えない。
森の中、エルレーンは…今しがたの出来事に戸惑ったまま、たたずんでいる…


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