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◆ 桜(「ちいさないのち」第二章)
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「…」
ムサシは迷いのため重くなった足を引きずるようにしながら、草原を歩いていく。
(もしかしたら…アイツが、いるかもしれない)淡い予感めいたものを感じながら、ムサシは寮への道を歩いていく。
…もうすぐ歩けば、昨日エルレーンと会った、仔猫たちのいる場所にたどり着く。
あの後やはり散々リョウに罵られた。その上ミチルにも怒られた。
…至極、当然だと思う。敵である恐竜帝国のパイロットに故意に近づいたのだから。
…しかし、ムサシは最早彼女…明るく、無邪気な女の子…少なくとも、昨日はそうだった…に対してはっきりとした敵意を持てずにいたのだ。
それよりも感じるのは…むしろ同情。
恐竜帝国のトカゲ野郎どもに、彼女は「兵器」として扱われている…「地上が好き」だというのもわかるというものだ。
…冷血なハ虫人たちから、エルレーンは逃げたがっているのではないか…
「…」
段々その場所が近づいていく。…と、道のかたわらにあの木が見えた。仔猫たちがねぐらにしていた場所だ。
…一瞬仲間達の顔が浮かび、迷いが生じた。だが、そっとそのそばによってみるムサシ。
「!」
そこには、やはりエルレーンがいた。…身体を丸め、安らかな寝息をたて眠っている。
…その腕のなかには、三匹の仔猫。彼女とすっかり仲良くなったらしい彼らは、まったく警戒することなくエルレーンの腕の中で安らっていた。
その姿は、とてもか弱げで、可憐だった。…とても、この女が殺戮のための兵器だなんて思えないくらいに。
「……?」
自分のそばに何者かがたつ気配を敏感に感じたらしい。
エルレーンのまぶたがぴくりと動き、その瞳がすうっと開く。
「…ムサシ、君…?」
いつのまにかそばにいたムサシを不思議そうな目で見つめるエルレーン。仔猫たちを抱いたまま、ゆっくりと体を起こす。
透明な瞳がムサシをじっと見つめている。
「へへ…」
なんとなく照れくさくなったムサシは、てれ笑いをしながら自分もその場に座り込んだ。
…彼女も、今日はいつものように出会い頭からけんか腰じゃないムサシに対して、少し驚いているようだ。
「…また、ここにお前が来るような気がしたからよぅ、…持ってきてやったんだ」
そういいながらカバンから取り出したものは…彼が寮から持ってきた食パンだった。
さらに浅い皿を一つ、牛乳のびんを一つ取り出す。それらを不思議そうな顔で見つめるエルレーン。
「…ね、猫のえさだよ、仔猫の…ほ、ほら、こいつらにあげたらいいじゃねえか」
「!」
エルレーンの目が真ん丸くなる。…そして、その顔がうれしい驚きでいっぱいになった。
「お、オイラも動物は嫌いじゃないし…って、うわあっっ?!」
ちょっとテレで赤くなった顔でそう言いわけみたいにいっているムサシ。と、自分の胸に何かが飛び込む、どさっという衝撃。
突然エルレーンが思いっきり自分に抱きついてきたのだ。
…あまりの事に、言葉が一瞬出なくなった。心臓が早鐘のように激しく打つ。
「きゃあー!ムサシ君、ありがとー☆」
ぎゅうっとムサシをその腕の中に抱きしめ、喜びを全身であらわすエルレーン。
そのやわらかい身体が、容赦なくムサシに押し付けられる。
「う、わ、わわわわ!わ、わかった、わかったから!は、放してくれっ?!」
エルレーンに抱きしめられた当のムサシはどぎまぎしてしまう。動転のあまりなんとか彼女の抱擁から逃れようとわたわたと暴れている。
…と、エルレーンがぱっとその手を放してくれた。
途端に彼女から身を離し、何とか高まった心臓を落ち着かせようと大きく息をつく。
「うふふ…」
エルレーンは、そんなムサシを見て、微笑する。とても優しげな表情が浮かぶ。
…ムサシも、未だ真っ赤な顔をしながらも…微笑し返した。
二人の間で、優しい空気が流れる。それは、敵同士の間にはありえないような…
すると、仔猫の一匹がムサシに寄ってきて、「また何かちょうだい」とでもいうように甘えた声を出した。
「…へへ、わかってるよ」
ムサシは笑いながらさらに牛乳を入れてやる。
すると、仔猫たちは喜々としてそれをなめはじめた。エルレーンもその光景をうれしげに見ている。
そっと仔猫の頭をなでてやりながら、エルレーンはムサシに問い掛ける。
「…でも、どうして?…ムサシ君、…いいの?…私、なんかと…」
「べ、別に…そ、それに、お前のほうがもともと変だったんだぞ。
…敵のくせに、何度もオイラたちに近づいてきて…い、今更お前が言う事じゃないだろッ」
照れくささのあまり、その口調がぶっきらぼうになる。
「…そ、それに…さ、さっきも言ったけど、オイラは動物が好きなだけなんだから。
…か、勘違いすんなよ、…ま、まだお前に気を許したわけじゃないんだ。…わ、わかったか?」
「…うん!…うふふ☆」
口では冷たいことを言っても、ムサシは自分に優しい笑みを向けたままでいる。
…彼が自分に対して、心からやさしくしてくれている事がわかった。
(…ムサシ君…ありがとう)
もう一度、心の中で彼に礼を言うエルレーン。…彼女の中で、だんだんと淡い希望が濃くなっていく。
(…「人間」は…残酷な、冷たい「同族殺し」なんかじゃない…だって、「人間」のムサシ君は…こんなに、やさしくて、あたたかい…もの)
あの嫌な思い出、「人間」は「バケモノ」だと罵られたあの思い出を、それは底辺から否定する…
「ムサシ君…本当に…ありがとう。ムサシ君は、やさしい、ね…」
エルレーンがムサシに微笑みかける。…その目には、心なしか涙が光っているようにも見えた。
「…へへ……」
その微笑に、ムサシは直感的に確信を得ることが出来た。
(この女は、オイラたちの思っていたような、悪い奴じゃないさ…リョウ、ハヤト…
だって、今この仔猫たちや、オイラに向けている顔は…とても、やさしい…)
…今はまだ、仲間であるリョウやハヤトにそのことを言っても無意味だろう。
だが、いつか彼らもそのことをわかってくれるのではないか…そんなかすかな希望が、彼の胸に生まれた。

それから、ムサシは夕方になると毎日のようにその場所に向かった。もちろん、リョウやハヤトにはばれないように、こっそりと、だ。
そこにはいつもエルレーンがいて、仔猫たちと…遊んでいた。彼女と一緒に猫にえさをやり、短い夏の夕暮れのひと時を一緒に過ごした…
二人はいろいろな事を話した。…特に、エルレーンはムサシたちのことを聞きたがった。
…はじめは早乙女研究所に関することを聞かれるのではないかと内心警戒していたのだが、彼女が聞かせてほしいとせがんだのは、もっと身近なこと…
例えば、学校では人間は何を学ぶのか、柔道は楽しいかというような、ムサシ自身のことだった。
「どうしてそんなこと聞きたがるんだよ?」
そう聞いてみた事があった。
すると、エルレーンは、にっこりと笑って答えた。
「…知りたいの。『人間』って、どんなイキモノなのか、ムサシ君が、どんな人なのか…」
そうして、ムサシの話を実に興味深いといった顔で聞くのだ…
まるで、おとぎ話を聞く子供のように。仔猫たちを大切そうに胸に抱きしめて…

…それは、仔猫たちとあって、一週間ほどした日の夕方だった。
暮れなずんでいく草原の中、ムサシがウキウキと例の場所に向かう。彼自身、すっかりこの時間が楽しみになっていた。
…エルレーンと過ごす時間は本当に楽しかったし、それに仔猫と遊ぶ彼女のうれしそうな顔…
リョウと違って、まるで子供のような無邪気な顔で彼女は笑う…をみていると、自分までうれしくなったから。
その場所がだんだん見えてくる。…と、いつものように、そこにはエルレーンがいるのが見えた。
「おーい!」
ムサシが彼女に向かって呼びかける。…と、その声に振り向くエルレーン。
「…?!」
ムサシの胸が一瞬、どくっと震えた。
ふりむいたエルレーンの顔は…恐怖と混乱で凍りついている。
「…!…む、ムサシ君…!」
エルレーンもムサシの姿を見て急いで駆け寄ってくる。
「ど、どうかしたのかよ?!」
「こ、こねこ…が、仔猫が、っ…」
もつれた舌で、必死に何かを伝えようとするエルレーン。
「仔猫」という言葉に、すぐさま彼らのねぐらである大木に素早く目を向ける…
「…!!」
そこには、全身が泥まみれになり、ところどころ血がにじむ、小さな仔猫たちの身体があった。
…彼らはぴくりとも動かない。
その血は、噛み傷のようなものから流れ出たものらしいが、既にその血は固まりかけており、彼らがやられたのはもうずっと前であることを示している。
…傷から察するに、どうやら野犬にでも襲われてしまったようだ。
「む、ムサシ君…ど、どうして…ね、ねえ…た、助けてあげて…お願い、お願い…!」
ムサシの腕を取り、懸命に頼むエルレーン。その手がショックでガクガクと振るえている。
ムサシはその場に座り込み、仔猫たちの身体にそっと触れてみる。
…冷たかった。それは「死」の冷たさ…。
もう、彼らにはどうすることもできない。どうすることも。
「エルレーン…」
すっと立ち上がり、彼女の目を見つめ、ムサシは言った。
「ムサシ君…」
「もう…死んでるんだよ…」
「…!!」
エルレーンの目が驚愕と衝撃でかっと見開かれる。
…そして次の瞬間、透明な瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれおちてきた。
「…うぁああぁぁぁぁぁぁっっ!!」
全身を哀しみに震わせ、エルレーンが泣き叫ぶ。小さな友人達の「死」に、打ちのめされて。
「エルレーン…!」
「…!」
どさっ、とムサシのほうに身を投げかける。ぎゅっと彼を抱きしめ、声も出さずに泣きつづける。
「!…」
ムサシはそっとその肩をなでてやった。
…彼女の悲しみが、痛いほど伝わってくる…その少女を慰める言葉を、今の彼は持たなかった。
だから、その代わりに…泣きつづける彼女をそっと受け止めてやった。
ムサシの胸の中で、エルレーンは泣きつづけた…そうすることしかできなかった。死んでしまった、友人達に対しても…

「…エルレーン、こいつらを…ここに埋めてやろう」
ようやく少し落ち着いたらしいエルレーンの肩を軽くぽんぽんと叩き、ムサシがそう促した。
「埋める…?」
「…ああ。この木が、墓がわりになる」
そう言いながらムサシが大木の根元にしゃがみこみ、素手で土を少しづつ掘り返し始めた。
エルレーンはそれをしばらく無表情に眺めていたが、やがて自分も彼にならって地面を掘り始める。
だんだんと地面がえぐれ、小さな穴ができる…それでも、まだほんの仔猫だった彼らを埋める穴にしては充分すぎるくらい大きかった。
「…」
無言で、冷たくなった仔猫たちの身体をその中に横たえてやる。
…そして、その上からそっと土をかぶせてやった。
「これで…いい」
手についた土を払いながらムサシがつぶやく。
「…ねえ、どうして…この子達を、埋める…の?」
エルレーンがその部分をじっと見つめたまま問い掛けた。
「ん…?…そうすれば、また土に返って、今度は…花に、なるんだ」
「花…に…?」
「ああ」
ムサシはそう短く答え、緑なす大木を見上げた。ざわざわと風が木の枝を揺らしていく。
「…この木、『桜』の木だろ…だから、こいつらの身体も土になって、その土が…この『桜』の木の栄養になる。
…だから、きっと…来年の春には、きっとキレイな『桜』の花を咲かせるさ」
「…」
それを聞いたエルレーンの表情に、ふっとさみしそうな影が差した。
…だが、彼女はそれを微笑で押し隠す。
それでも、どうしようもなくその口調は哀しみを帯びてしまう。
「そう…なの……残念、だな…私には、見られない…その、『桜』の花…」
「…?…なんでだよ。春になりゃあみれるって。そりゃあと半年以上あるけどよ」
「…だから、なの」
ムサシに向かって、無理やり明るく微笑って言おうとするエルレーン。
…だが、透明な瞳が隠し切れない哀しみを浮かべている。それがかえって、痛々しい。
「私…春まで、持たない…から」
「持たない…?」
「う…ん。…私、ね…もともと、そんなに長く生きられない、の…春まで、身体が持たない…」
「?!…じょ、冗談だろ…?!」
突然とんでもない事を告白するエルレーンを驚きのまなざしでみるムサシ。
…その瞳は真剣だった。
とても、冗談ごとを言っているようには思えない…
「ううん…本当。製造されてから、半年で…私は、死ぬ、の…大体、後…2ヵ月半くらい、かな…?」
「…!」
信じられない、という顔でムサシは呆然とそれを聞く。
奇妙な事に、自分の「死」を語っているにもかかわらず、エルレーンには恐怖を感じている様子がまったく見られない。
ただ「『桜』の花を見られないのは残念だ」と…ただ「残念だ」と感じているだけのようだった。
「お、お前…」
「ね…だから、ムサシ君」
にこっと笑って、エルレーンが言う。
一点のくもりもない、純粋な透明な瞳。
「…私のかわりに…この『桜』の花、見てね。…あの子達の花、きっと…キレイだよね…?」
「…」
ムサシの胸にその言葉が突き刺さる。
彼は何かを言おうとして、しかしその言葉をつむぎだせずにいた。
ムサシは無言のまま、エルレーンを見つめていた…


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