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【五千円以内で幸せになる方法】


3 薬味(ねぎ)と私。

 もし、かけそばにねぎの付き添いが許されないならばこの世は暗黒に支配されていただろう。
そしてもし豚汁にねぎが入らないとすれば、その豚汁は画竜点睛を欠いたものになるであろう(マルコ伝より(大嘘)。
 ねぎ。青くなめらかな曲線を描き身を刻まれて
ひっそりと料理に「みどり」を添える、細ねぎ。
薬味としてのいぶし銀人生(ねぎ生)。
世間ではこの奥ゆかしいねぎを大量に寄せ集めメインとした
「ねぎ焼き」などというものを作ったものもいるようだが、さもありなんである。
そのあまりにも尊い脇役人生、そしてそれを1から10まで心得た自己犠牲精神を思えば、
同情のあまり主役級に引き上げてしまった彼の心情も容易に納得が行くことだろう。

 だがたいていの場合、ねぎは少量を持って良しとされている。
「薬味」にそうそうでかいツラをさせてはおけないということだ。
例えば、かけそばだ。
学食のかけそばの上、エメラルドグリーンの鮮やかさで、色の薄い関西風だしに浮遊する…
ねぎ無しのかけそばを考えてみよ!単なる「ねずみ色の細麺の汁つけ」に変わってしまう。
グレーとオレンジのだらだらしたツートンカラーだ。
 しかしそこにねぎが入ることにより、そのツートンカラーにはキリリとしたアクセントが加わり、
いかにも「蕎麦」といった風情を漂わせさせることができるのだ。
言うなれば、そばはねぎがトッピングされることにより
『コンプリートバージョンかけそば180円(税抜き)』へと進化する…完成体と化すのだ。
 こんな偉大なねぎをあがめないはずがあろうか、いやない!(反語)
そしてねぎ狂はいともたやすくねぎ教へと変質した。

 ねぎ狂転じてねぎ教徒ゆどうふはこの信念のもとに『ねぎドバ』を提案したいと思う。
 「ねぎドバ」(ねぎをドバッと入れてください)は
牛丼屋で使われる「つゆだく」(つゆを狂おしいほど私の牛丼にかけてくださいの意)と同じ、
当然の権利として扱われるべきである。
「薬味」だから少なくないとダメとか、舌の肥えてない我にはわからぬ。
むしろ、偉大なるねぎ様のそば・うどん類への大量降臨を尊ぶのみ。
それはまさに『サ・クラ(神の降りたちたもう場所)』なのだ。
 私はここに誓う。
ねぎ教徒としてねぎ大量投下『ねぎドバ』を世に広めんことを…
それがわれわれをささやかな幸福に導くことを信じてやまない。

 嗚呼、それなのに。世間ではそんなわれわれに対する評価は冷たい。
例として、私の学食かけそばへの『ねぎドバ』依頼顛末を見ていただこう。

 私:「ねぎ多めに。ドバッと入れてください」
店員:「は?なんですか?」
私:「あの、あのですね、もしよかったらでいいんですけどー、ねぎをですね…」
店員:「はい、入れましたよ?
(と、私の丼を傾けて投下状況を見せる。だがそれは私のいう「ねぎドバ」には程遠い)」
私:「も、もうちょい…」
店員:「…??(ものすごい不審そうな顔で、トングでねぎをつまみあげて追加する。
私の後ろの客の忍び笑いが聞こえる)
これでいいスか?(それでもなお「ねぎドバ」には足らない
。しかし背中にひしひしと感じる「はよしろ!」オーラに負けて)」
私:「は、はい、ありがとうございました…
(やや卑屈になりながら、退場。)」

 ごらんいただけただろう、なんと嘆かわしいことか!
わが国日本ではまだまだ「ねぎドバ」がマジョリティになる日は遠いのか。
これをみたあなた。そうあなた!
あなたにもぜひこの幸福のための布教に力を貸していただきたい。
町へ出、そば屋へいき、我らが聖語「ねぎドバ」を唱えるのだ。
「ねぎドバ」の幸福がこの世に満ちる、その日まで…