2046   Re^2:外国語で話すときって外国語で考えるんですか?
2005/01/17 8:52:31  pdca   (参照数 105)

ijustat さん、こんにちは。

私は言語学や、言語習得、認識など、全く素人ですので、素人の思い付きと言うことで聞いていただければと思います。
専門の方のご意見をうかがいたいなぁと思い、(素人の哀しさ)まとまりのないまま、わかりにくい表現になってしまいましたことをお許しください。
ijustat さんのコメントにお答えできる知識が無いので、追加の説明を試みたいと思います。
「あぁ、素人の人はこんな考え方をするんだね。でも学問的にはこうなんだよ」というコメントをいただければと思います。

「インターフェース」については、特に深い思いを持って使った単語ではないので、こだわらないのですが、言語表現として表れたものと、認識の間(インプット・アウトプット)の間をつなぐものぐらいの意味です。

さらに話を広げると、例えば言葉ではなく、音楽を聴いた人が、音楽インターフェースを通して何かを理解し、今度はその理解したものを、美術インターフェースで絵にするといったことも、英語を聞いた人が英語「インターフェース」を通して理解したものを、日本語「インターフェース」で日本語で表現することに例えられるかもしれません。

この意味では、私の「インターフェース」は、ijustat さんの「言語記号を意味に変える」プロセスまで含んでいることになります。
(飛び箱が二段と言うのは単純化された形ですので、お許しください)

巷で「英語は英語のまま理解しなさい」と言われているのを耳にするのですが、これはどういう意味だろうと考えたのが、今回の私の疑問の始まりです。

The elephant has a long trunk. と聞いた場合に、「象の鼻は長い」と日本語に訳すことをせずに、長い鼻の象が頭に思い浮かぶのではないか。次に、頭に思い浮かんだ長い鼻の象について、「象の鼻は長い」と表現するとするならば、I/O (input/output) は別々でも、思い浮かんでいる箇所は一個所なのではないかと思ったのです。

この思い浮かんでいる場所が言語毎に異なるとなると、マルチリンガルの人はこの場所が複数あることになります。仮にそれらが独立しているとなると、日本語環境で経験した事象を外国語環境でも経験しないといけなくなります。

大人になってからの外国語習得が、母語での(言語・その他の)経験に寄って立つことができるというのは、私の上述の「思い浮かぶ」エリアが共通であるということによるのではないかと思います。
母語習得のベースが出来上がる小学校高学年までは、外国語教育を控えた方が良いというのは、この「思い浮かぶ」エリアを作る為には、(何語でも構わないのだが)母語の助けが必要で、それができてしまえば、あとは外国語の習得が認識の発達を妨げることはないということなのではないでしょうか。
まずは、母語の助けを借りてハードディスクをフォーマットするのだけれど、その後は日本語のファイルも英語のファイルも読み書きできるというようなものでしょうか。(良い例えがどうか自信が無いですが)

ネイティブ教師を売り物にする英語学校が、「赤ちゃんが言葉を覚えたように」英語を覚えさせようとしているのは、外国語毎に「思い浮かぶ」エリアが完全独立しているのであれば妥当な方法だと思いますが、どうなんでしょう。
完全独立であれば、翻訳という作業はどのように働くのでしょうか。

メタ言語という言葉を聞いたことがありますが、これが私の飛び箱の一段目と二段目の間にあるのかも知れません。

相変わらずまとまりの無い pdca