昔は私も英語で話しているときは英語で考えていると思っていたのですが、それはひょっとしたら、日本語で考えていないというだけのことではないかと最近思っています。 マルチリンガルの人はそうしないと思考エリアがたくさん必要になりますね。
最近考えているのは、以下のようなことです。 ちょっと長くなりますが。
二段の跳び箱をイメージしてください。 上の段には1と書かれており、下の段には2と書かれています。 日本語だけの環境の時は、1の部分で情報を受け取り、それを2に渡して理解します。
1は言語のインターフェース、2は理解する部分。
バイリンガルになると、1が日本語(1-A)と英語(1-B)に分かれます。 また、英語を英語のままで理解しろという風に語る人は、2の部分も日本語(2-A)と英語(2-B)に分かれると思っているのではないでしょうか。 ここでは跳び箱は左右に分かれてしまい、交わることはありません。
また、日本語訳して理解していると言う人は、1の部分は二つに分かれているものの、2の部分が日本語用のものしか無いという状態です。 ここではまず英語(1-B)で受け取ったものを日本語(1-A)に渡し、その後日本語を理解する2に引き継ぎます。 ここでは和訳という作業が発生するので時間が掛かります。 2の部分は日本語のインターフェース(1-A)からしか情報を受け取れません
しかしながら、私がイメージしているものはやや違います。 跳び箱の2の部分は語学に縛られないのです。 1のところは語学の数だけいくらでも分けられ、そのいずれからも2は情報を受け取り、理解します。
同時通訳をしている人は1のところで一つの語学から別の語学に翻訳しているのではなく、1-A
から入ってきたイメージを、1-B からアウトプットしているのではないかと思います。 この場合1-A と 1-B
の間でデータが流れることはありません。
欧州などで複数言語が飛び交っている環境では、話の内容に意識を集中していると、終わってから何語で話をしていたか覚えていないことがあります。 そこでは、1の部分は語学のインターフェースでしかないのです。
もちろん、実際には二段の跳び箱ほど簡単なものでは無いと思います。 ある言語では出てくる発想(言葉ではなく)が別の言語では出てこないということもありますし、文法構造に思考が規定されることがあるのではないかと思います。 そうなると跳び箱は三段か、四段になるのでしょう。
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