2028   Re:『なんのための日本語』
2004/12/12 22:53:42  yudouhu   (参照数 77)
これは 2027 [『なんのための日本語』] への返信です

ijustatさんこにちわ!ゆどうふです。

>先日、『なんのための日本語』(加藤秀俊[かとう・ひでとし]著、中公新書)という本をキョボ文庫で見つけ、読んでみました。著者は社会学者ですが、現在国際交流基金日本語国際センターの所長をやっているそうです。私はこの人の本は、『整理学』や『取材学』(いずれも中公新書)などで読んでいましたが、日本語について論じているのは初めて読みました。

>日本語教育については、ブロークンな日本語をひたすら支持する立場を守り続けているという点で、読んでいるうちに、だんだん嫌な気分になってきます。確かに、日本では外国人の日本語にかなり厳しい要求をしているらしいという話を聞いたことがあります。漢字の点画[てんかく]がちょっと違うだけで、不当に低い評価をする先生もいるということも、知られています。確かにそれらは病的ともいえます。けれども、日本語教育の現場にいる人間としては、一応半分以上は日本語が上手になりたい人たちで、その人たちのためには、間違いを指摘せずにある程度できたらそれでオーケーとは言っていられません。上のレベルではそのレベルに合った正確性を求めるのです。1段階の学生に向かって、あなたは2段階まで勉強してそれ以上は勉強しないでくださいとは言えません。

ブロークンでもいい…そりゃまあ、それはそうなんですけど。
しかし、だからと言って、間違いをそのまま保有したままで生きている人に対して、
世間様は存外厳しいんじゃないでせうかね。
特に、これは時折指摘される点ですが、
外国語の初級者(明らかカタコト)に対しては、結構皆やさしいし間違いにも寛容なのですが、
中級者以上になると、突然評価が厳しくなるので。
そんな気がしませんか、世間様って…(笑)

>また、夏目漱石[なつめ・そうせき]の「文法家に名文家なく、歌の規則などを研究する人に歌人が乏しい」という言葉を引用して、文法はいらないとさんざん主張しておられるけれど、私は大野晋[おおの・すすむ]を名文家だと思っています。少なくとも、その引き締まった文体とすがすがしい語り口、そして生き生きした描写から人生の深みに一気に掘り下げる迫力は、加藤先生の文章よりもはるかにすばらしいと思います。しかし、大野晋は言語学者です。金田一晴彦[きんだいち・はるひこ]も、言語学者でしたが、明快で味わいのある文章を書いていました。言語学者は文法家でないとはいえません。

人間の文章には、それぞれ違った味わいがあるものですが…
ほしたら(そうしたらの大阪弁)、何ですか…言語の研究している人の書く文章は、つまらん、ということになるんでせうか。
よ、よくわからん…
第一、私は昔からずうっとずうっと疑問に思っているのですが、人間の文章の「味」のよしあしって、結局それを読む各個人の好みの問題に帰結されるのではないでせうか?
それだったら、文法がきっちりしたスッキリした文章を愛する人もいるのでは…?

>「……こんな漢字による固有名詞の当て字の伝統が中国にあるものだから、日本語の表記でもむかしはアメリカを『亜米利加』、イギリスを『英吉利』オランダを『阿蘭陀』などとかいた。ビロードは『天鵞絨』であり、メリヤスは『莫大小』である。例をあげていったらキリがない。だれがいつこんな当て字を考案したのかは知らないが、迷惑きわまるはなしである。ましてや、こんな当て字をゾロゾロならべて『よめますか?』などというのは物好きのクイズならともかく、まともな知的問題ではない。」(p.197-8)
>
>「まともな知的問題ではない」という言い方が痛快です。頻度が低く人に知られていない読み方を知っていることを誇ったり、人がそれを知らないと、日本語教師のくせにそんなことも知らないのかと言ったりする人がたまにいます。温和で物分りがいい人と思っていた人から、それを言われて面食らったことがあります。日本語教師は日本人も知らないような言葉を教えてはいけないと思うのですが、私たちはたいてい自分が知っている言葉は誰もが知っていて当然と思うようです。そのようなことを考えると、加藤先生の文章にも同感できる部分が至る所にあります。まあ、言葉はたくさん知っているほど得ではありますけれども。

わーい、言ってくれちゃいました^^
私もどっちかというと、こういう問題を「クイズ」以上には見ていないので、同感しています
…まあ、生徒みたいに…し、小学校5年レベルの漢字も読めないのも、どうかと思うんですけど…

>私は日本語教師という立場と、韓国語を学んで韓国社会の中で使っているという立場とから、この本の主張の多くには同意できません。しかし、学識ある人の破天荒[はてんこう]な意見を読むというのは、面白いし、同意するにしても反感を持つにしても、大いに刺激になります。せっかくこういう本が書かれたのだから、それに対して日本語の先生たちが、こぞって批判してくれたらと願っています。それによって対話が生まれ、加藤先生も文法や日本語教育に対する知識が深まり、日本語の先生たちも、新しい言語観へ目が開かれると思うからです。ぜひ皆さんも読んでみてください。

なるほど、今度図書館いったときに探してみませう^^
ボーナス出たので、買ってもいいですかね
ただ、その前に日本語学習の教科書買わなきゃ(外国語母語話者が日本語勉強する時に使うような…)
私はポリシーというか、なんか方針として「絶対文法は日本語と対して教える」ことにしているのです
規則動詞の過去は「日本語では『〜った』になるやん?おんなじように、英語では『-ed』やねんで〜」ってな具合に。
その勉強のため、教科書買う必要があるのです^^
なんかいいのがあったら、お教えください!

でわでわ!
ゆどうふ。