2027   『なんのための日本語』
2004/12/10 5:51:04  ijustat   (参照数 75)
語学友のみなさん、こんにちは。ijustatです。

先日、『なんのための日本語』(加藤秀俊[かとう・ひでとし]著、中公新書)という本をキョボ文庫で見つけ、読んでみました。著者は社会学者ですが、現在国際交流基金日本語国際センターの所長をやっているそうです。私はこの人の本は、『整理学』や『取材学』(いずれも中公新書)などで読んでいましたが、日本語について論じているのは初めて読みました。

読んだ印象としては、面食らうことが多く、あまりいい感じがしませんでした。社会学者が見た日本語というのはこういうものなのかなといった感想でした。特に、この先生は、現在の日本語教育や国語学に対してかなり否定的に見ているような感じがしました。

この本の主張は、日本語を特別なものとして扱うなということと、意味もなく難読漢字を多用するなということのようです。

日本語を特別なものとして扱う例として、「国語」という用語と、日本語教育についての意見が印象的でした。

加藤先生は、「国語」と「日本語」という二枚看板を掲げてしまった日本の実情を、一部では理解を示しながら批判しています。「日本語」という言い方に統一すべきだというのです。この先生の言語観は、たぶん道具として日本語を見ようというもののようですが、命がけで母語を守った韓国という国に住んでいる私としては、このような見方にはかなり抵抗を感じます。私自身は、「国語」という言い方に抵抗もないし、奇怪だとも思っていません。もっとも、日本国の公用語は日本語であるという法律の無いまま日本語を「国語」としている点では、問題があるかもしれません。しかし、国家的に行っている教育で教える言語を「国語」と呼ぶことが、なぜ“奇怪”なのか、外国と比べるにしても、もう少し踏み込んだ考察と説得が必要だと思います。

日本語教育については、ブロークンな日本語をひたすら支持する立場を守り続けているという点で、読んでいるうちに、だんだん嫌な気分になってきます。確かに、日本では外国人の日本語にかなり厳しい要求をしているらしいという話を聞いたことがあります。漢字の点画[てんかく]がちょっと違うだけで、不当に低い評価をする先生もいるということも、知られています。確かにそれらは病的ともいえます。けれども、日本語教育の現場にいる人間としては、一応半分以上は日本語が上手になりたい人たちで、その人たちのためには、間違いを指摘せずにある程度できたらそれでオーケーとは言っていられません。上のレベルではそのレベルに合った正確性を求めるのです。1段階の学生に向かって、あなたは2段階まで勉強してそれ以上は勉強しないでくださいとは言えません。

日本語が上手になりたいという学生を中心に教える日本語教育に携わっている立場としては、加藤先生の意見は、同調できるところはあっても、私にはあまり関係の無い話だという気がしました。

また、ブロークンでもいいとはおっしゃるけれど、読んで何のことか理解できないほどのブロークンな日本語もあります。韓国の人で、ホームページなどに日本語で書き込む人は、ある程度以上の実力がある人たちですが、学生の作文をチェックしていると、とうてい読めない日本語もあります。日本語教師が読めないと言っているのだから、日本語教師でない人は、たぶんそういう日本語を見たら、面食らうばかりでしょう。たまに、「あなたは日本語の先生だからわざと理解できないというのだ。自分は読んで理解できる」と言う人もいますが、とんでもない読み間違いをして、判ったつもりになっているのです。そんな日本語まで肯定する書きっぷりだったので、ちょっと困るなと思いました。いくら日本語が日本人のためだけでないとは言っても、そんな日本語は、日本語を学習中の韓国人が読んでも理解できないものです。

文法についても否定的に見ていました。加藤先生は、「こんなふうにたくさんの種類の文法がある、ということは『日本語文法』として完全に合意されたものがまだない、ということなのだろう。わたしは文法についてほとんどなにも知らない。知らないけれど、これだけの大学者たちが一世紀にわたって研究をすすめてきたのに文法の決定版がない、ということはたぶん日本語がめんどうくさいものであるのか、あるいはそもそも日本語文法というものがどこかおかしいものであるのか、そのいずれかなのではあるまいか、とおもっている」とおっしゃり、日本語文法の研究を何か胡散臭いもののように言っておられます。しかし、完全な同意を見ないのは、日本語文法ばかりではありません。それでも研究成果が一般に認められた部分が徐々に増えていることを、加藤先生はまったく無視しています。

また、夏目漱石[なつめ・そうせき]の「文法家に名文家なく、歌の規則などを研究する人に歌人が乏しい」という言葉を引用して、文法はいらないとさんざん主張しておられるけれど、私は大野晋[おおの・すすむ]を名文家だと思っています。少なくとも、その引き締まった文体とすがすがしい語り口、そして生き生きした描写から人生の深みに一気に掘り下げる迫力は、加藤先生の文章よりもはるかにすばらしいと思います。しかし、大野晋は言語学者です。金田一晴彦[きんだいち・はるひこ]も、言語学者でしたが、明快で味わいのある文章を書いていました。言語学者は文法家でないとはいえません。

そして、学校文法がつまらなかったことも、文法が必要ないことの理由にしておられます。確かに私も学校文法は面白くありませんでした。しかし、学校文法がつまらないことと、文法が必要ないという意見とを一緒くたにするのは、まずい意見だとおもいます。学校文法の構文論(統語論)はほとんど無意味いに近いものですが、私自身は統語論的な見方が論理的に考える上で時々役に立っていると思います。外国語を習うときも、やはり文法は必要です。初歩の段階でもそうですが、特に実際に文章を書くくらいのレベルになると、正確な文法の理解は不可欠です。それが無くて外国語が上手に使える人は、特殊な才能のある人だと思います。そんな人に合わせるわけにはいきません。

そのように、同意できない部分が多かったのですが、人の知らない言葉や漢字をやたらと振り回すことを批判している部分には、共感が持てました。語彙力や漢字の知識を振り回すのは空しいことだと感じてはいましたが、ここまではっきりと言ってくれると、飲み込めずにのどに詰まっていたものがすっと落ちるような気持ちよさを感じます。著者は言っています。

「……こんな漢字による固有名詞の当て字の伝統が中国にあるものだから、日本語の表記でもむかしはアメリカを『亜米利加』、イギリスを『英吉利』オランダを『阿蘭陀』などとかいた。ビロードは『天鵞絨』であり、メリヤスは『莫大小』である。例をあげていったらキリがない。だれがいつこんな当て字を考案したのかは知らないが、迷惑きわまるはなしである。ましてや、こんな当て字をゾロゾロならべて『よめますか?』などというのは物好きのクイズならともかく、まともな知的問題ではない。」(p.197-8)

「まともな知的問題ではない」という言い方が痛快です。頻度が低く人に知られていない読み方を知っていることを誇ったり、人がそれを知らないと、日本語教師のくせにそんなことも知らないのかと言ったりする人がたまにいます。温和で物分りがいい人と思っていた人から、それを言われて面食らったことがあります。日本語教師は日本人も知らないような言葉を教えてはいけないと思うのですが、私たちはたいてい自分が知っている言葉は誰もが知っていて当然と思うようです。そのようなことを考えると、加藤先生の文章にも同感できる部分が至る所にあります。まあ、言葉はたくさん知っているほど得ではありますけれども。

それにしても、国際交流基金がこういう人を日本語国際センターの所長に抜擢したというのは、すごいことです。おそらくひとつのアンチテーゼとして、とんでもない人をトップに据えることで、自分の常識の中に安住していた日本語の先生たちの目を覚まし、日本語教育に新たな風を吹き込もうということなのでしょう。

私は日本語教師という立場と、韓国語を学んで韓国社会の中で使っているという立場とから、この本の主張の多くには同意できません。しかし、学識ある人の破天荒[はてんこう]な意見を読むというのは、面白いし、同意するにしても反感を持つにしても、大いに刺激になります。せっかくこういう本が書かれたのだから、それに対して日本語の先生たちが、こぞって批判してくれたらと願っています。それによって対話が生まれ、加藤先生も文法や日本語教育に対する知識が深まり、日本語の先生たちも、新しい言語観へ目が開かれると思うからです。ぜひ皆さんも読んでみてください。

(氷雨さんのために、人名と読みにくそうな漢字には読み方を添えておきました。自分で書いたものにこういうことをすると、妙な感じがしますね。^^; それと、私のホームページの日記の部分ですが、ガイアックスのサービスが変わって韓国語が使えるようになったので、日本語で書くのをやめて韓国語で書き始めました。氷雨さん、見に来てみてください。)

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